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スリランカ・バッティカロアの追悼の場で、フランスの人道支援団体「飢餓に対する行動」(Action Contre la Faim, ACF)のメンバーが殺害された17人の同僚の写真の前に花輪を捧げる様子、2006年8月11日。 © 2006 Reuters

2003年6月、日本政府の主催により東京で開催されたスリランカ復興開発会議では、各国・国際機関がスリランカ復興のため総額45億ドルの支援を表明した。2002年にスリランカ政府と反政府武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)の停戦が成立すると、日本はノルウェー、米国、欧州連合(EU)とともに和平プロセスの共同議長を務め、外交力と援助を注ぎ込んでスリランカの平和を支えた。しかし和平は実らなかった。2006年までに停戦は事実上崩壊し、戦闘と残虐行為が再び吹き荒れた。

東京会議から3年後の2006年8月4日、フランスに本部を置く人道支援団体「飢餓に対する行動」(Action Contre la Faim, ACF)のスリランカ人職員17人が、戦火の町ムトゥール(Muttur、スリランカ東部の海岸部に位置する町)で殺害された。うち15人の遺体は、施設の敷地内でうつ伏せの状態で発見され、いずれも頭部や首に至近距離から撃たれた銃創があった。スリランカ政府はLTTEの犯行だと発表。だが人権団体「ジャフナ大学教員人権グループ(University Teachers for Human Rights (Jaffna))」は調査の末、実行犯は警察官と海軍特殊部隊員であり、政府高官らがそれを隠蔽したと結論づけた。 

このACF職員虐殺事件だけではない。26年間のスリランカ内戦(2009年にLTTEの敗北で幕を閉じた)では、双方が数々の残虐行為を繰り返した。国連の専門家パネルは、戦闘最終盤の数か月だけで最大4万人の民間人が死亡した可能性があると推計している。

2006年、当時のマヒンダ・ラジャパクサ大統領は、ムトゥール虐殺をはじめとする象徴的な人権侵害事件を調べる調査委員会を設置し、そのモニタリング役として「国際独立有識者グループ」(International Independent Group of Eminent Persons、IIGEP)が置かれた。日本からは横田洋三教授が名を連ねた。しかし2008年、IIGEPは、政府には信頼に足る調査を行い責任の所在を明らかにする政治的意思が欠けていると結論づけ、任務を打ち切って撤退した。

それから20年近く経過した現在も、残念ながらこの政治的意思の欠如は続いている。2015年に当時の新政権が調査に関する国連人権理事会決議に加わり一定の前進が見られた時期を除けば、歴代政権は一貫して責任追及を妨げてきた。ゴタバヤ・ラジャパクサ政権(2019-2022年)はこの国連決議の支持を撤回し、捜査を頓挫させ、戦時の残虐行為で有罪となった数少ない兵士の一人に恩赦を与え、重大な人権侵害の疑いがある将校らを昇進させた。ムトゥール事件では、今日に至るまで一人の逮捕者も出ていない。

スリランカに対する日本の手厚い支援は、これまで十分に知られてこなかったかもしれない。しかし、だからといって、戦時の人権侵害の被害者が置き去りにされ、遺族が癒えない悲しみを抱え続ける現実を前に、日本政府が沈黙してよいことにはならない。アヌラ・クマラ・ディサナヤケ大統領は、ムトゥール事件を含む象徴的な戦時の事件を訴追する独立検察官の設置という、2024年大統領選での公約を果たすべきだ。スリランカの平和と人権侵害調査を支援した日本には、それを求める資格が、そして責任がある。

皆様のあたたかなご支援で、世界各地の人権を守る活動を続けることができます。

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