内閣総理大臣 高市早苗 殿
CC: 外務大臣 茂木敏光 殿
内閣総理大臣就任おめでとうございます。女性初の総理大臣という歴史的な節目を心より歓迎いたします。
国際人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチは、人権を守ることに尽力する独立した非政府団体です。世界約100カ国で国際人権法・人道法の違反行為を監視・報告しています。
アジアでは、多くの人びとが深刻な人権侵害に直面しています。例えば、中国のウイグル、チベット、内モンゴルの人びと、拉致被害者をはじめ北朝鮮から脱出できない人びと、ミャンマー軍事政権に反対するロヒンギャを含むミャンマーの人びと、アフガニスタンなどの出身国からアジアの隣国に逃れた難民や庇護希望者などです。
現在の地政学的状況を照らせば、日本政府は自らの人権のコミットメントに沿って、アジアそして世界における人権侵害の解決、そして文民による民主的な統治と法の支配の促進において、リーダーシップを発揮すべき立場にあります。
私どもは、貴殿の政権において、日本政府が長年標ぼうしてきた人権外交を真に実現していただきたく、本書簡を差し上げる次第です。中国、北朝鮮、ミャンマー、カンボジアでの人権侵害への対応及びマグニツキー法型(人権侵害制裁法)、貿易及びビジネスに関する政策、国境を越えた弾圧、対外援助、組織改革についての提言を行っております。
ご関心に感謝申し上げますとともに、貴政権と建設的関係を構築できることを心より願っております。これらの課題について、高市総理または政権の皆様と直接意見交換の機会を頂戴できますと幸甚に存じます。ご連絡は までいただけますと幸いです。
敬具
ヒューマン・ライツ・ウォッチ
アジア局長
エレイン・ピアソン
ヒューマン・ライツ・ウォッチ
日本代表
土井香苗
日本政府の外交政策と人権について
日本版グローバルマグニツキ―法の導入
日本はG7のなかで、いわゆるグローバルマグニツキー法(人権侵害制裁法)を導入していない唯一の国です。マグニツキー法は、国外の人権侵害者に対し、査証発給禁止や資産凍結などの、制裁を科すことを可能にする法律です。高市総理は過去、このマグニツキー型の人権侵害制裁法の導入を支持されていました。そして、人権外交を超党派で考える議員連盟、自民党外交部会のわが国の人権外交の在り方検討プロジェクトチームなどもこれを支持してきました。
貴政権に以下を求めます:
- 重大な人権侵害を行った海外の人物に対する対象限定制裁を可能にする、日本版グローバルマグニツキー法(人権侵害制裁法)を制定する。
貿易政策、ビジネスと人権
世界各地で何百万人もの人びとがグローバル・バリューチェーンで労働に従事しており、強制労働、児童労働、セクシャルハラスメント、有害物質への曝露、組合活動への報復、低賃金といった人権侵害に直面している人も大勢います。日本政府は、法的な拘束力がない「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」(2022年)を導入しましたが、バリューチェーンにおける人権侵害に対応するために法的義務を定めた人権・環境デューデリジェンスは依然として導入しておらず、また、強制労働や森林破壊などの深刻な人権侵害に対処するための輸出入禁止措置やその他の措置も導入していません。
貴政権に以下を求めます:
- 強制労働や森林伐採を伴う手段で生産された商品の輸出入を禁止する法律を制定する。
- 国内外で事業を展開する日本企業および日本で事業を展開する外国企業に対し、企業人権デューデリジェンスおよび環境デューデリジェンスを義務化する法律を制定する。
- 重大かつ組織的な人権侵害に対する関税優遇措置の停止または撤回プロセスを含む貿易政策改革を行うとともに、新たな貿易協定への署名または既存協定の更新時に、次の追加措置を講じること。(a) 提案された貿易協定の人権・環境への影響に関する独立した査定(インパクトアセスメント)を実施する、 (b) 投資家が国家を訴える権利を認める投資家対国家係争解決条項(investor-state dispute settlement provisions)は人権に悪影響を与える可能性があるため除外する、 (c) 協定に含まれるすべての関係国の企業および投資家に対して、執行可能な人権義務を協定に確実に含める、 (d) 透明性が高く独立した人権条項監視・執行条項を含める。
国際司法と法の支配
日本政府は外交上、長らく法の支配の重要性を強調してきました。しかし、ジェノサイド条約を含む主要な国際条約への加入や主要条約の国内法化などの対応が依然として求められています。近年、一部の政府やその他組織が法の支配を露骨に軽視する行動を頻繁にとっており、その中には、日本政府が長年支援し、赤根智子判事が所長を務める国際刑事裁判所(ICC)に対する威嚇や攻撃も含まれます。ロシアが2023年にICC高官らに対する逮捕状を発行したことに加え、今年2月にはドナルド・トランプ米大統領がICC高官及び裁判所の活動の支援者への制裁を認める大統領令を発出しました。米政府はこれまでにICC高官9人、国連人権専門家1人、そして3つの市民社会団体に制裁を発動しています。こうした攻撃は、第二次世界大戦後に確立された国際司法制度の基盤と国際人権システムの枠組を揺るがすものです。日本政府はこの問題に関して米政府に対し二国間で提起を行いました。しかし、他国の政府とともにロシアによる逮捕状を非難する公式声明を発表した一方、米大統領令に対し、ICC加盟国が地域を超えて表明した批判声明には加わっておらず、上記大統領令後に米政府の制裁措置を公に非難するには至っていません。
貴政権に以下を求めます:
- ジェノサイド条約に加入する。
- あらゆる機会をとらえて公に、ICCに対する強固な支持を示して米国政府の制裁を非難するとともに、制裁を認める大統領令の撤回をトランプ大統領に求める。
- ICCの特権及び免除に関する協定(2022年)に加入する。
- ICC、その職員及び同裁判所への協力者に対する制裁をはじめ、あらゆる強制措置の影響から、これらの人びとを保護する具体的な措置を講じる。
- ICCの重要な活動を全般にわたって遂行するために必要な資金等のリソースを提供する。
国境を越えた弾圧 (トランスナショナル・リプレッション)
ヒューマン・ライツ・ウォッチは数十年にわたり、「国境を越えた弾圧」(政府が国境を越えて自国民や国外在住のディアスポラに対し人権侵害を行うこと)によって、批判的意見を封じ込めたり抑止しようとする行為を調査・検証してきました。こうした国の政府は、人権活動家、ジャーナリスト、市民社会活動家、野党支持者などを治安上の脅威とみなして標的にしています。ヒューマン・ライツ・ウォッチが最近調査したところ、中国政府やカンボジア政府は日本に住む中国とカンボジア出身の反体制活動家を標的にしています。
国境を越えた弾圧は新しい出来事ではありません。しかし、軽視または無視されてきたため、人権中心の国際的な行動が求められています。今年6月には、国連人権高等弁務官事務所がこの問題に関するガイダンスを初めて発表し、日本を含むG7諸国は共同声明で行動を起こすと宣言しました。
貴政権に以下を求めます:
- 被害者およびそのコミュニティの安全が確保できる場合には、国境を越えた弾圧の事例を公に非難する。
- 個人のプライバシーの適切な保護措置をとった上で国境を越えた弾圧の国内事例を追跡するとともに、庇護希望者や難民の保護を確保するために、(必要に応じて匿名で)弾圧の経験や懸念を報告できる国内制度を確立する。
対外援助
米国のトランプ政権は今年初め、米国務省及び国際開発庁(USAID)によるほとんどの対外援助プログラムの資金を打ち切りました。その結果、数百もの市民社会団体、人道支援団体や人道支援プログラムが運営規模の削減や停止を余儀なくされました。米国大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)の一部を含む人命救助に関わる人道支援プログラムは対象外とされたものの、USAIDと国務省における人員削減や支払及び契約システムに対する極めて官僚的な制限によって、大半のプログラムは2025年を通して停止されたままです。
こうした予算削減は、 HIV治療や母子感染予防のための救命医療品の提供、飢餓や食料不安に直面する地域への緊急的な食料・医療支援、危険に直面する難民を守るための緊急支援プログラムに、壊滅的な影響を与えています。
こうした予算削減は、世界各国で人権に深刻な悪影響を及ぼしています。例えば、人権侵害や戦争犯罪をモニタリング・調査する実態調査グループ、人権侵害や汚職を暴いてきた独立系メディア、そして権威主義的な政府によって政治的迫害を受けた被害者に法的サービスを提供する団体などが、深刻な影響を受けています。
貴政権に以下を求めます:
- 主要な国連人道支援機関や人道支援団体への予算を増加・優先させ、アジア地域(例えばミャンマーやアフガニスタン)の難民や社会的脆弱層への緊急人道支援と対外援助を増やす。
- 人権危機、紛争、疫病、そして気候変動に取り組む国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)、国連児童基金(UNICEF)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界保健機関(WHO)などの国連その他の多国間機関への任意拠出金を増やす。
- 日本の政府開発援助(ODA)の枠組みを改革し、市民社会団体、人権活動家、権威主義国家で活動する独立系メディア(亡命メディアも含む)、その他の人権・人道問題に取り組む市民社会団体に、相当額の直接支援を可能にする。権威主義国家において、政府当局からの迫害対象となっている団体も、対象とすべきである。また、こうした現地団体に資金支援を行う国際団体や日本の団体に対しても、必要に応じて政府援助を行うべきである。
機構の強化
日本政府は、「人権は普遍的な価値であり、達成方法や文化に差異はあっても、人権擁護は全ての国の基本的責務である」と述べています。日本が長年表明してきた人権外交を真に実現するためには、人権促進のための機構・制度を強化することが求められます。
貴政権に以下を求めます:
- 日本外交を導く実質的かつ強固な政治レベル文書としての「人権行動計画」を策定すること。この計画に沿って、深刻な人権侵害がある国々に関し、明確なタイムフレームのある具体的な対策を決定する。
- 外務省の構造改革を行い、予算を増加すること。専任のハイレベルな高官のリーダーシップのもと、より効果的な人権外交ができる体制を作る。
- 国外で人権の守り手(human rights defenders)及び開かれた市民社会・市民空間(open civic space)を支援するプログラムを創設して予算をつける。
- 米国、英国及び欧州連合等のように、人権状況が深刻な主要国の年次人権報告書を公表する。
中国
習近平国家主席による統治の開始から10年以上が経過した現在、中央集権化を進める取り組みが、全土での弾圧激化を招いています。独立した市民社会は存在せず、表現・結社・集会・信教の自由も認められておらず、人権活動家や政府批判者とみなされる人びとが迫害されています。中国政府は、固有の文化を持つ民族集団であるチベット系およびウイグル系の人びとを治安上の脅威とみなし、特に激しい弾圧を加えています。新疆ウイグル自治区では何十万人ものウイグル人が未だ投獄されたままであり、こうした行為は中国政府による「人道に対する罪」に該当します。中国政府は内モンゴル自治区においても、モンゴル人独自のアイデンティティを脅かし、香港では長らく守られてきた市民の自由に終止符を打ちました。同政府は、あくまでも基本的人権を行使しただけの日本など海外に在住する政権批判者に対する脅迫や嫌がらせも行っています。
貴政権に以下を求めます:
- 新疆ウイグル自治区、内モンゴル及びチベットでの深刻な弾圧と強制的な同化政策を止めるよう中国政府に働きかける。
- チベット人が信教の自由を行使する権利について公に発信するとともに、中国政府にパンチェン・ラマ(1995年以来、家族と共に強制失踪させられている)の解放を求める。
- 香港と中国本土の民主活動家及び人権の守り手らを釈放するよう中国政府に求める。
- 中国政府による国境を越えた弾圧から、日本在住の中国人や日本人を守り、再発の防止に向けて具体的な対策を取る。
北朝鮮
北朝鮮は、世界でもっとも抑圧的な国の一つです。2014年の国連調査委員会(COI)の報告書は、拉致を含む北朝鮮の広範な人権侵害行為が人道に対する犯罪に該当すると結論づけました。全体主義指導者である金正恩総書記のもとで、北朝鮮は恣意的な処罰、拷問、処刑、不当な投獄、強制労働を通じて、恐怖による服従を継続しています。女性や少女に対する性暴力や家庭内暴力が蔓延・常態化しています。表現・集会の自由、情報へのアクセスといった基本的自由も厳しく制限されています。2025年現在も、経済の衰退、飢餓の深刻化、社会格差の拡大という状況下で、政府は兵器開発を優先し、人権の制限は続いています。1959〜84年にかけて、北朝鮮は「地上の楽園」という虚偽宣伝が行われた「北朝鮮帰国事業」を展開し、約9万3000人の在日朝鮮人および日本人が偽りの約束によって北朝鮮に移住しました。日本の裁判所は、帰国事業の被害者に対する北朝鮮政府の責任を認めています。
貴政権に以下を求めます:
- 責任を追及する将来のプロセスにむけて証拠および情報を確実に保存するために人権侵害のモニタリング・記録を行う国連のメカニズムを、支援・強化する。
- 北朝鮮に残る拉致被害者および「地上の楽園」運動の被害者とその家族すべての帰国を認めるよう要求する。
- 脱北した人権活動家や人権侵害の被害者を支援する世界各地の独立系市民社会団体(人権侵害の記録、責任の追及、拉致被害者や「地上の楽園」被害者とその家族の追跡と安全な再会を支援する在日本団体も含む)に対し、継続的かつ柔軟な資金援助を行う。
ミャンマー
ミャンマーの軍事政権は、武装抵抗運動の拡大と領土喪失への対応として、一般市民に対する違法な攻撃を強めています。ミャンマーでは数十年にわたる不処罰の歴史がありますが、2021年2月のクーデター以降に軍事政権が犯してきた残虐行為も、戦争犯罪および人道に対する犯罪に該当します。軍事政権による残虐行為、大規模な避難民発生、支援の削減、そして経済の崩壊が人道的な大惨事の引き金となりました。ロヒンギャの人びとは現在、2017年の軍による残虐行為以来もっとも深刻な脅威に直面しています。紛争から逃れてきた多くの難民が、近隣諸国や南・東南アジア地域へさらに避難しています。
今年、軍事政権は12月下旬に予定されている選挙の準備を開始しました。その準備として7月に非常事態宣言を解除しましたが、野党関係者や平和的な抗議への取り締まりを強化しています。死刑を含む罰則を定めた新法を公布し、抗議活動や選挙への批判を禁じました。
貴政権に以下を求めます:
- 軍事政権の「選挙」実施に対する日本の懸念表明を保持するとともに、タイをはじめとする東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国、韓国、インド等各国政府に対し、軍事政権の選挙計画を公に非難するとともに技術的支援を提供しないよう説得する。
- ミャンマーならびにバングラデシュとタイの難民キャンプにおける人道危機に対応するため、独立した人道支援機関を通じた資金援助(国境を越えた支援努力も含む)を拡大する。また、支援機関、人権活動家、現地の市民社会団体への支援も強化する。
カンボジア
1985年から首相を務めていたフン・セン氏は、2023年に息子のフン・マネット氏にその座を譲りました。カンボジアは事実上、不正に操作された選挙から成る一党独裁体制を維持しており、与党カンボジア人民党(CPP)が、司法を含むすべての国家機関を掌握しています。カンボジア政府は、政府批判者(国外にいる者も含む)への嫌がらせや訴追を続けています。また、政府当局は表現・結社・平和的な集会の自由を厳しく制限しています。
貴政権に以下を求めます:
- 日本が2024年にも行ったように、表現・報道・平和的な集会・結社の自由を含む基本的自由を保護するようカンボジア政府に働きかける。
- 労働組合法、結社及び非政府組織に関する法律(LANGO)をはじめとする関連法を改正し、国際人権基準や労働基準に適合させ、労働者の保護を確保し、表現の自由や市民社会の役割を尊重するよう、カンボジア政府に求める。