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ミャンマー:国軍がロヒンギャを強制的に徴兵

徴兵制および子ども兵の禁止に反し1000人超を拉致

Internally displaced Rohingya Muslims at the Thet Kay Pyin camp in Sittwe, Rakhine State, Myanmar, June 5, 2021. © 2021 STR/AFP via Getty Images

(バンコク)-ミャンマー国軍は2024年2月以来、ラカイン州全域からロヒンギャ・ムスリムの男性および少年を1,000人超拉致し、強制的に徴兵したと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表した。ロヒンギャは1982年の市民権法に基づき、長きにわたってその市民権を認められていない。しかし、軍事政権はミャンマー国民にのみ適用されるはずの徴兵法を適用している。

夜間に自宅を急襲され、うその市民権を約束されたうえで強制されたり、逮捕や拉致、暴力をちらつかせて脅されたりしながら連れて行かれたと、ロヒンギャの人びとが詳述を語った。国軍はロヒンギャを2週間の虐待的な軍事訓練に参加させ、その後各地に配属。多くは、2023年11月にラカイン州で勃発した軍事政権と武装集団アラカン軍との戦闘が激化する前線に送られ、死傷者が多数出ている。

ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局調査員シェイナ・ボシュナーは、「市民権を否認しながら、何十年にもわたってロヒンギャに対して残虐行為を行ってきた国軍が、今や身代わりに戦うことをロヒンギャの人々に強いている事態にぞっとする」と指摘する。「軍事政権はただちにこの強制的な徴兵をやめ、不法に徴兵された人びとの帰宅を認めるべきだ」。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ラカイン州のシットウェ、マウンドー、ブティダウン、ポートー、チャウトーの各郡区および隣国バングラデシュ内のロヒンギャ25人に聞き取り調査を行い、強制的な徴集のケース11件を検証した。

2月10日、国軍は2010年の人民兵役法を発動。現行の非常事態宣言下で18歳〜35歳の男性および18歳〜27歳の女性を最長で5年間の兵役対象とした。数カ月におよぶ少数民族武装集団やレジスタンス勢力との戦闘が激化したことを受けてのことだった。

軍事政権は月に5000人の徴集を4月から開始すると発表したが、ラカイン州では当局が2月初旬からロヒンギャの強制的な徴集を開始している。

聞き取り調査に応じた人びとやロヒンギャ活動家および報道によると、2月下旬に軍がブティダウン郡区の村々を襲撃し、150人以上のロヒンギャを拉致。22歳のロヒンギャ男性は、同郡区にて2月25日午後11時ごろに、軽歩兵大隊の兵士らに銃を突きつけられながら、ほかの若者や少年30人と拉致されたと証言した。

「一緒に連れ去られたうちの最年少は15歳でした」と彼は語った。「18歳未満の新兵は3人です。私たちが逮捕されて大隊に連れて行かれたあと、ロヒンギャの徴集予定リストも目にしました。この地域のロヒンギャの若者全員でした」。

3月にはマウンドー郡区でもさらなる襲撃があった。Ka Nyin Tan村で20人ほどと共に拉致された24歳のロヒンギャ男性は、将校らに「マウンドーを守るのはお前たちだ」と言われたと話す。

人種隔離制度と迫害のもとで、推定63万人のロヒンギャがラカイン州に残っており、そのうち約15万人は屋外強制収容所に収容されている。2021年2月のクーデター以来、軍事政権はロヒンギャに厳しい移動制限を科し、援助の妨害も続けており、強制的な徴集に対するロヒンギャのぜい弱性は増すばかりだ。

ロヒンギャ収容所管理委員会の委員らは、軍事政権当局が「適格な」ロヒンギャを集計し、委員会にリストの作成を強要していると証言。委員2人がこれを拒否しようとしたところ、当局は収容所内の移動をさらに制限し、大量逮捕と配給削減もちらつかせて脅してきたという。委員の一人は、「他に選択肢はなかった」と語った。

シットウェとチャウピューの収容所における集会で、当局者は強制的に徴集された人びと全員に「完全な」国民用のピンク色の市民権カードを発行すると約束。Thet Kae Pyin収容所の収容所管理委員会のある委員は、「集会中に将校らが自分の市民権カードを手に取り、『兵役に就けば、このような身分証明書を与える』と言っていた」と語る。「人びとは彼らを信じたのです。」 当局は、1日あたり4,800チャット(2.30米ドル)と米2袋も約束した。

2月下旬、シットウェ収容所のロヒンギャ約300人は、2週間の軍事訓練に送られた。終了時に与えられたのは5万チャット(24米ドル)のみで、市民権カードはなかった。「最初の300人に市民権カードを発行するという約束を軍事政権が反故にしてから、人びとはそれを信じなくなり、以後、新兵徴集キャンペーンを避けるようになった」と収容所管理委員会の委員は語った。シットウェ収容所のロヒンギャによると、2回目の強制的な徴集では数百人のロヒンギャが銃を突き付けられ連れてこられたという。

当局者らはまた、ロヒンギャが入隊を拒否すれば撲殺する、逃亡すれば家族を処罰すると脅している

ロヒンギャの若者の多くはラカイン州から脱出しようとしたり、強制的な徴集から逃れるためにジャングルに隠れたりしている。ラジオ・フリー・アジアによると、逃走した身内を持つKyauk Ta Lone収容所内のロヒンギャ約40人が一斉に捕らえられ、暴力を受けた

22歳のある男性は、軍事訓練は絶え間ない嫌がらせにみちた過酷な2週間であり、訓練兵は限られた食糧と飲料水で地下壕を掘ったり、薪を割ったりすることを強いられたと訴えた。「私たちは数日で衰弱してしまいました。中には意識を失った者もいたし、私をふくむ3人は口と鼻から出血しました。将校は私たちを『Kalar』(ムスリムに対する中傷)とののしり、母親や姉妹をおとしめました。あの12 日間は12 年間のように感じられました」。

彼は、強制的に徴集されたロヒンギャの集団がたびたび収容所に到着するのを目撃した。彼自身は最終的に逃げることができたが、同じ棟からはひとりだけだ。「私たち 31 人のうち、解放された人は今日まで誰もいません」。

この強制的な徴集キャンペーンでは、すでに死傷者が出ている。訓練後、シットウェ収容所から100人のロヒンギャがラーテダウンの前線に送られた。家族や収容所の指導者らによると、5人が戦闘で死亡、10人が重傷を負い、うち1人は後に死亡した。軍当局は遺族に対し、100万チャット(約476米ドル)と米2袋の補償を約束したが、5人の遺体はいまだ返還されていない。

強制的に徴集された43人はその後収容所に戻ったが、残された人の消息は不明のままだ。収容所の指導者も「彼らの居場所はわからない」と話す。「彼らがまだ生きているかどうかもわかりません」。

犠牲になった男性の母親は「彼らは私の息子をだまして軍隊に連れて行った」と訴え、次のように語った:

彼らは息子を電気工事の仕事に連れて行き、その後訓練を強いたんです。息子は戦争に行って死んでしまいました。遺体も見せてもらえませんでした。最後に息子に触れることさえ叶わなかった。息子が連れ去られた時、息子の妻と私は後を追いました。息子は近くの野営地に数時間拘束されたので、私たちはフェンス越しに話をすることができました。それから皆、車の方に連れて行かれ、それが最後です。息子は泣いていました。

事前の法的認可なき徴集は、国際人権法に抵触する恣意的拘禁の一形態であり、強制的に徴集された人びとの扱いは、残虐かつ非人道的または品位を傷つける扱いに該当する可能性がある。ミャンマーが2019年9月に批准した「武力紛争への子どもの関与に関する子どもの権利条約」の選択議定書は、武力紛争における18歳未満の者すべての強制的な徴集または使用を禁じている。

3月18日、アントニオ・グテーレス国連事務総長は、「ロヒンギャを含む若者の強制的な拘禁と徴集に関する報告、そしてミャンマーの人権と地域社会の構造に強制的な兵役が及ぼす潜在的な影響」について懸念を表明した。

前出のボシュナー調査員は、「ミャンマー国軍によるロヒンギャの男性および少年の強制的な徴集は、数十年の弾圧で意図的に侵害行為に対してぜい弱にさせられたコミュニティの新たな搾取だ」と指摘する。「関係各国政府は、軍事政権指導者らによる過去と現在の人権侵害の責任を問うべく、法の裁きに続く道を強化すべきだ」。

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