汚職撲滅を訴える横断幕を静かに掲げること、政府施設の外で非暴力的に抗議すること、記念日のために平和的に集まること。ここ数か月、中国ではこうした行為を理由に活動家が訴追されています。なかには有罪判決が下された事例も。こうした行動が「大勢の人を集め、社会秩序を乱した」ゆえに「犯罪」だというのです。
河南省の張少傑牧師は今月4日に、2つの容疑で12年という信じられない長期刑を宣告されました。1つは上記の容疑、もう1つは「詐欺」。教会の集まりに出席し、地元当局者と紛争中の教会員が補償を求める手助けをしたからだというのです。張牧師の教会は地元当局に登録されており、公判中に提示された張牧師の行動には、秩序を脅かすと解釈する余地などまったくありませんでした。しかしそうした事実は、当局にはどうでも良かったようです。
近年、中国ではキリスト教への関心が高まっています。政府統計によると信者は2,300万人ですが、他の調査によると、その3倍はいるのではないかと見られています。しかし関心が高まるにつれて、当局はキリスト教の宗教活動を制限する動きを強めているようなのです。
キリスト教徒の宗教活動を制限する戦略の1つに土地紛争があります。今年5月には、浙江省で大きな教会が取り壊されました。しかしニューヨーク・タイムズ紙の報道によれば、この取り壊しは、キリスト教徒について「過度に大きな宗教施設」と「明らかに大衆向けの」活動を制限するという地方政府の政策決定が直接反映されたものなのです。信教の自由への厳しい規制は、チベットの仏教徒やウイグルのムスリムに対するものがすでによく知られています。
中国政府はじつに様々なかたちで信教の自由に敵対しています。当局は、党=国家が直接統制していない組織を忌み嫌っています。党のイデオロギー以外の信条を支持する個人についても同様です。またこれらは、すでに窮屈な状態にある、表現の自由・法の支配・独立組織の活動能力・公正な裁判を受ける権利を政府が更に制限しようとしているなかで起きていることなのです。
中国全土で増えている社会的な訴えや暴力事件は、中国が国として治安維持を行う義務を減じるものではありません。しかし中国政府は、暴力に頼らずに自由な表現を行い、宗教を信仰し、集会を開催する機会を潰しています。こうしたやり方は、治安維持の目標実現に正面から対立するものです。張牧師をはじめ、公共秩序騒乱罪という虚偽の罪で起訴されたすべての人びとは、直ちに釈放されるべきなのです。