2008年7月14日、国際刑事裁判所(ICC)の検察官は、スーダン・ダルフール地方で残虐な対反政府勢力軍事作戦を行った事に関し、集団殺害(ジェノサイド)罪、人道に対する罪と戦争犯罪の容疑で、オマル・バシール スーダン大統領に対する逮捕状を請求した。スーダン政府は、国際刑事裁判所の手続きの延期を求めるよう国連安全保障理事会の理事国たるアフリカ各国を説き伏せ、バシール大統領に対する逮捕状の発付を妨害しようとしている。アフリカ連合(AU)とイスラム諸国会議機構(OIC)は、ICCの手続きを12ヶ月間延期するよう安保理に求めた。
- 1. 国連安保理は、オマル・バシール スーダン大統領の国際刑事裁判所の捜査を延期することができるか。
ICCの設置法たるローマ規程の第16条は、ICCの捜査又は訴追を12ヵ月間(但し、更新可能)延期する(国連憲章7章に基づいて)決議を採択することを国連安保理に認めている。第16条の全文は次の通りである:
「いかなる捜査又は訴追についても、安全保障理事会が国際連合憲章第七章の規定に基づいて採択した決議により裁判所に対してこれらを開始せず、又は続行しないことを要請した後十二箇月の間、この規程に基づいて開始し、又は続行することができない。安全保障理事会は、その要請を同一の条件において更新することができる。」
安保理は、国連憲章第7章により「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在」を決定した場合、「国際の平和及び安全を維持し又は回復する」ための措置を取る公的な権限を与えられている。第16条は、例外的な状況以外では、適用を全く予定されていない条項である。
- 2. 安保理は、これまでにローマ規程第16条を適用したことがあるか。
ない。安保理は、5年間のICCの歴史上、ICCの捜査又は訴追をこれまで延期したことはない。
- 3.第16条に基づく延期には、安保理での満場一致の合意が必要か。
必要ない。国連憲章第27条は、第16条に基づくICCの捜査又は訴追の延期の決定には、常任理事国の賛成投票あるいは棄権を含む安保理15カ国の内9カ国の賛成投票を必要とする。常任理事国の反対投票がある場合、決議は採択されない。
安保理は、5カ国の常任理事国と10カ国の非常任理事国から成る。
- 4.12ヵ月の延期期間が経過した後、本件の停止措置は、自動的に更新されるか。
12ヵ月の延期期間の終わりで、手続きの停止は終了する。さらに手続きを停止し続けるためには、安保理において、再度、ローマ規程の第16条を適用について検討しなければならない。平和と安全に対する脅威が継続していることに基づき、常任理事国の賛成投票あるいは棄権を含む9カ国の賛成投票が再び必要となる。
延期の更新回数に制限はない。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、一旦延期が実施されれば、安保理が手続き停止を更新する可能性が高くなり、その結果、法による正義の実現が無期限に停止される可能性につながると懸念している。
- 5.安保理は、ICCの活動を12ヵ月未満、停止することはできるか。
ローマ規程は、12ヵ月未満の期間の手続き停止について直接規定していない。しかし安保理は、状況の展開を監視する目的で、より短い期間の限りで訴追又は捜査を延期する権限を有する。
- 6.安保理の決議は、ICC検察官の活動の全てを停止するのか、あるいは当該停止の効力を一つの事件に限ることができるのか。
第16条の文言は、安保理が「捜査又は訴追」を停止することを認めるというものである。本文言は、「平和に対する脅威」又はその他の第7章下の安保理の権限に当てはまると認定される事情が存する場合、特定の手続きを停止する決定ができるという意味も含むと解釈される。よって、安保理は、ICCのダルフールに関する他の捜査は継続する一方で、バシール大統領の事件のみ延期することもできる。
- 7.オマル・バシール大統領に対するICCの捜査の延期は、いかなる法的効果をもたらすか。
安保理の延期決議により、バシール スーダン大統領に対するICCの捜査は、最大12ヵ月間(但し、更新可能)停止される。バシール大統領に対するICCのすべての未発付逮捕状も停止されると推定される。
- 8.スーダンの現在の状況は、第16条の下での安保理による延期を正当化するか。
ICCの捜査が国際の平和と安全の維持を害する、あるいは、手続を停止することがスーダンにおける平和に貢献することを示す事情はない。ダルフール和平プロセスは、ICCの捜査やバシール大統領に対して請求された逮捕状とはまったく無関係な理由で、9ヵ月以上遅延した。
ICCの捜査の延期は、司法機関の活動に対する政治的干渉を正当化する危険性があり、また、他の事件の被告人にも適用されかねないという危険な前例となりうる。そのため、16条の適用は極めて例外的な場合に限らなくてはならない。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、スーダンの状況は、延期決議の条件たる国連憲章第7章規定の基準を満たさないと考える。
2005年、安保理がICC検察官にダルフールの状況を付託した際、安保理は、スーダンの状況が国際的な平和と安全に対する脅威となると認定した。2008年6月16日、安保理は、スーダン政府及びその他の紛争当事者に対しICCへの協力を求める満場一致の議長声明の中で、この付託に対するコミットメントを再確認していた。
- 9. 一般市民に対する報復攻撃や平和維持軍への攻撃の脅しは、バシール大統領に対するICCの捜査を安保理が延期することを正当化するか。
スーダン政府は、一般市民及び平和維持軍に対し報復攻撃を行う可能性を暗に示して脅しているが、こうした潜在的な脅威は、ダルフールにおけるICCの捜査を安保理が延期する理由であってはならない。この種の脅迫に屈すれば、これは危険な前例となり、今後、国際社会が脅迫により容易に屈することとなるおそれがある。
こうした理由で安保理が延期を決定すれば、スーダンにおける不処罰の蔓延を助長し、ダルフールにおける犯罪の責任者たちを増長させるだけである。実際、安保理がICCにダルフールの状況を付託して以来3年間、スーダン政府は、処罰がないのをよいことに、国際人道法と数多くの安保理決議に違反し続けてきた。
スーダン政府は、国際法及び安保理決議に基づき、支援を必要としているダルフールのすべての人びとに対して支援要員への完全で安全かつ妨害のないアクセスを提供し、かつ、一般市民を保護するため、ダルフール国連・AU(アフリカ連合)合同ミッション(UNAMID)の配備を認める義務を負っている。今回のICCの措置は、スーダン政府のこうした従来からの義務になんら影響を及ぼすものでない。平和維持部隊、人道支援要員及び一般市民の安全を保障できないというスーダン政府の脅しに屈して、法による正義の実現というICCの責務をここで放棄するようなことがあってはならない。
むしろ、安保理は、こうした脅しは犯罪行為に該当し、報復攻撃を容認すればスーダン政府の政治的な孤立が深まるだけだ、というメッセージを送るべきだ。さらに言えば、こうした報復攻撃の責任者も、犯罪捜査の対象となり得る。
- 10.スーダン政府が、ダルフールにおける犯罪に関連する事件を裁く国内裁判所を設立する場合、安保理は国際刑事裁判所の捜査を延期できるか。
スーダン政府に、訴追を国内において真に行う意思及び能力が存するのであれば、ローマ規程第19条により、国際刑事裁判所の管轄に関する異議申立ができる。しかし、第19条に基づく受理許容性に関する異議申立は、第16条による延期とは異なる手続きである。また、第16条の申立は、安保理ではなくてICCに対して行うものである。
ICC裁判官が、第19条に基づき、当該国の国内における訴追に基づき、事件の受理許容性がないと決定する可能性はある。しかし、受理許容性についての異議申立が認容されるのは困難である。というのは、受理許容性がないと認定されるためには、当該国の刑事手続きが、当該容疑者を対象とするのはもちろん、ICCで捜査対象とされる行為についての裁判手続きでなくてはならないためである。そのため、ICCの容疑者であるジャンジャウィード指導者アリ・クシャイブや内務大臣アフマド・ハルーンなどに対するスーダン国内での訴追手続きが開始されたとしても 、バシール大統領の事件の受理許容性がないことにはならない。実際、たとえ、ハルーン大臣またはクシャイブに対し、ICCと異なる容疑や異なる村に対する攻撃について訴追が開始されたとしても、なお、ICCが、同人らに対する訴追について受理許容性があると判断する可能性が高い。
しかも、スーダン国内の司法制度には深刻な欠陥がある。その結果、受理許容性に対する異議申立は、さらに認められにくくなる。例を挙げれば、まず、人民防衛軍、ジャンジャウィード民兵、警察、国家諜報軍などの治安部隊のメンバーに対する広範な免責条項。国際犯罪の訴追を困難にする国内法上の欠陥。そして、性的暴行の訴追に対する重大な障害などである。詳細については、ヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書「ダルフール:レイプに対する無策 」「足りない有罪判決:ダルフール事件特別刑事裁判所 」を参照されたい。