(ニューヨーク)テニスのスタープレイヤーである中国の彭帥(ポン・シュアイ)選手が再び画面越しに現れた件で、国際オリンピック委員会(IOC)が中国当局に協力したことは、選手の権利と安全を含めて人権保護を行うことをうたうIOC自身のコミットメントに損なうものであると、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。
IOCは2021年11月21日付の声明で、トーマス・バッハIOC会長が、3度の五輪大会出場経験がある彭選手と、中国スポーツ当局者1人およびIOC職員1人と同席の上で、30分間のビデオ通話を行ったと発表した。声明は、通話中の彭選手について「元気にしている」、「リラックスしている」ように見えたとし、「みずからのプライバシーを尊重してほしい」と述べたとする。IOCは、他の関係者が彭選手と連絡を取ることが難しいなかで、彭選手とビデオ通話を行った経緯に関する説明を行っていない。
「IOCは、中国政府によるきわめて劣悪な人権侵害に口をつぐむだけでなく、言論の自由を侵害し、性的暴行の疑いを無視する中国当局と積極的に協力するところにまで大きく踏み出している」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチの上級調査員(中国担当)である王亜秋は指摘する。「IOCは、オリンピック選手の権利と安全よりも、重大な人権侵害を行っている国との関係を重視しているようだ」。
一方で中国当局は、メディアやインターネットを管制し、彭選手の事件にかんする話題が一切生じないようにしている。「テニス」や姓である「彭」というキーワードすら検閲されたり、インターネット上で表示不可とされている。
11月2日以来消息不明となっている彭帥選手(35)は、失踪前に中国のソーシャルメディアで、張高麗(75)元副首相(在2013年~2018年)から性的暴行を受け、性的関係を強要されてきたと述べた。
11月18日、女子テニス協会(WTA)には、彭選手のものだと主張する声明が届き、そこには虐待を受けたとの主張を撤回すると書かれていた。これを受けてIOCは、「彼女が安全であることがはっきりしたことに励まされた」と述べた。11月19日~20日にかけて、政府系メディア関連のTwitterアカウントには、彭選手を自宅やレストラン、北京でのユース対象のテニスイベントで撮影した動画が掲載された。その一方、彭選手はメディアやWTAとこれまで一度も直接連絡を取っていない。
彭選手が張元副首相を告発した件について、当局は調査に着手していないようだ。IOCは、「スポーツにおけるあらゆる形態のハラスメントや虐待から選手を保護する措置を積極的に講じている 」と主張している。しかし、彭選手による性的暴行の訴えについて支援を行ったかどうかは明言していない。
2019年初めに中国で#MeToo運動が起こって以来、当局はセクシュアルハラスメントの被害者の言動を検閲し、女性の権利を訴える活動家に嫌がらせを行っている。9月、広州警察はジャーナリストで#MeToo活動家の黄雪琴氏を「国家政権転覆扇動」罪の容疑で拘束した。
中国政府は、見解や行動に問題があると見なした個人を強制失踪させ、超法規的な拘束や拷問を行い、怪しげな事件に正当性があるように見せかけるために強要した自白を公開している。中国当局は、人権弁護士、ジャーナリスト、ノーベル平和賞受賞者、スウェーデン国籍の書店経営者である桂民海ら香港の出版者など、政府を批判する人びとの口を徹底的に封じている。また、億万長者の実業家ジャック・マー氏、映画スターの范冰冰(ファン・ビンビン)氏、国際刑事警察機構(ICPO)総裁を務めた孟宏偉氏などの著名人も、当局の逆鱗に触れて強制的に公の場から姿を消されてきた。中国を脱出した後、あるいは拘束を解かれた後に、カメラの前で強要された発言を撤回する元被収容者もいる。
彭選手の事件について、WTAの対応はIOCと対照的であり、彭選手の健康と安全を懸念すると繰り返し表明し、彭選手の訴えについての調査を求め、適切な対応が得られない場合は中国から大会を撤退する用意があると述べている。彭選手のオンライン動画とIOCとの通話についてWTAは、「これらは、彭選手の健康状態や、彼女が検閲や強制を受けずに外部とコミュニケーションできるかどうかについて、WTAが抱いている懸念を和らげたり、取り除いたりするものではない」と述べた。また、ノバク・ジョコビッチ、マルチナ・ナブラチロワ、大坂なおみ、セリーナ・ウィリアムズなどの世界的なテニスチャンピオンたちも、彭選手の安否を気遣っている。
今回のビデオ通話で中国当局に協力したことで、IOCは自らの人権にかんするコミットメントを遵守せず、オリンピック選手の表現の自由を守ることができなかったと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘した。またIOCの振る舞いは、彭選手の安全と自由を確保し、中国政府による人権侵害の責任を追及しようとする、WTAなど国際スポーツ団体や個人の努力を損ねるものだった。
バッハ氏と彭選手とのビデオ通話を踏まえ、ヒューマン・ライツ・ウォッチはIOCに次のことを求める。
- ビデオ通話にかんするIOCの声明を撤回すること
- 中国政府の関与の詳細を含め、ビデオ通話と声明にまつわる事情を公に説明すること
- 中国政府に対し、彭選手の訴えについて独立した透明性のある調査を開始するよう求めること
- 中国政府に対し、彭選手の事件にかんする報道や議論について検閲をすべて停止するよう強く求めること
- 中国政府に対し、彭選手が希望する場合には中国からの出国を認め、中国に残る家族に報復しないよう強く求めること
ヒューマン・ライツ・ウォッチはこれまでにも、IOCに対し、2022北京冬季大会に向けて人権デューデリジェンスを実施するよう求めてきた。しかし、IOCは人権リスクアセスメントを過去に実施したこと、またその結果を公表する計画があることを示す証拠はまったくない。また、五輪大会に関連した人権侵害や新疆での人道に対する罪など、中国当局の劣悪な人権状況についても、IOCは異議を唱えていない。
「IOCは、みずからが『善のための力』であるという主張に信憑性を与えたいのであれば、中国政府の弾圧政策に加担するのを止めることが求められる」と、前出の王調査員は述べた。「現在の態度を転換した上で、IOCは人権と選手の自由と安全のために立ち上がるべきだ。」