(ニューヨーク)—ベトナム人ブロガー5人が、ヘルマン・ハメット賞を受賞した。ヘルマン・ハメット賞は、政治的迫害に直面しながらも勇気と信念を発揮してきたライター/作家を表彰する栄えある賞。今年その受賞者として選ばれたのは、人権に顕著な貢献のあった世界19カ国41人。その中の5人がベトナム人ブロガーで、フィン・ンゴック・トゥアン(Huynh Ngoc Tuan)氏、フィン・トゥック・ビィー(Huynh Thuc Vy)女史、グエン・ヒュー・ヴィン(Nguyen Huu Vinh)氏、ファム・ミン・ホアン(Pham Minh Hoang)氏、ヴー・クォック・トゥー(Vu Quoc Tu)氏。
「ベトナムのブロガーの数は増加の一途をたどっているが、自らの意見を表現したことを理由に、脅迫され、襲撃され、時に投獄されている。そして、ブロガーに限らず、ベトナムで表現の自由を行使した多くのベトナム人が同様の状況に置かれている」とヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局局長ブラッド・アダムスは指摘。「与党ベトナム共産党は、ベトナムが抱える多くの社会的・政治的な問題についての公の議論に5人が加わるのを阻止しようとしている。すでに大きな苦しみを味わい、基本的な権利への脅威に今も直面し続けている5人の勇敢な男女を表彰することで、5人の意見を拡大させることができることを我々は名誉に思う。」
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、年に一度授与されるヘルマン・ハメット賞の運営母体である。
グエン・ヒュー・ヴィン(J.Bグエン・ヒュー・ヴィンとしてブログを書いている)氏は宗教の自由の擁護者であり、ファム・ミン・ホアン(ファン・キエン・コックPhan Kien Quocとしてブログを執筆)氏は人権活動家、ヴー・クォック・トゥー(ウェン・ヴーUyen Vuとして知られる)氏はフリーランスのジャーナリストであり、フィン・ンゴック・トゥアン氏は小説家、フィン・トゥック・ビィー女史は青年政治社会コメンテーター。今年のベトナム人受賞者の活動範囲は多岐にわたる。これはベトナム政府が沈黙させたいと考える批判的意見や社会問題を懸念する声が、ベトナム社会の多様な分野に出現してきたことを反映している。受賞者5人は全員、自らの書いた文章がゆえに迫害を受けている。
ベトナム政府は表現・結社・非暴力集会の自由を組織的に抑圧し、政府の政策に疑問を呈する人、公務員による汚職を明らかにした人や、一党統治に代わる民主的な選択肢を求める人などを迫害している。ライターやブロガーはひんぱんに、「人民法廷」による長期刑や、警察による一時拘禁と煩雑な取り調べ、当局による生活の隅々に至るまでの様々な監視、国内旅行の制限、出国禁止、治安機関員や正体不明の暴漢による暴行、罰金、仕事の禁止や妨害などの被害を受ける。
ホーチミン市のタンソンニャット空港警察は2012年12月16日、ブロガーのフィン・チョウ・ヒウ氏が、父親のフィン・ンゴック・トゥアン氏と姉(妹)フィン・トゥック・ビィー女史の代理として、2012年ヘルマン・ハメット賞を受賞するために米国に向かって出国するのを妨げ、パスポートを押収した。同警察によれば、彼らはフィン氏家族が住むクアン・ナム省警察からの要請に基づいて、行動したという。ほか2人の2012年ヘルマン・ハメット賞受賞者、ブロガーのグエン・ヒュー・ヴィン氏とヴー・クォック・トゥー氏もまた出国を禁じられ(グエン・ヒュー・ヴィン氏は2012年8月に、ヴー・クォック・トゥー氏は2010年5月に)ている。ブロガーのファム・ミン・ホアン氏は、移動を居住区内のみに制限される、3年間の保護観察中の身だ。
最近の事例では、ベトナム自由ジャーナリストクラブの創立者であり、以前にヘルマン・ハメット賞を受賞しているグエン・ヴァン・ハイ(氏はディウ・カイとしてブログを執筆)氏、ター・フォン・タン氏、ファン・タィン・ハイ(氏はAnhbasgとしてブログを執筆)氏の3人が、2012年9月24日に「国家に背くプロパガンダ行為」容疑で刑を受けた。同月、政治的苦境に立っていたグエン・タン・ズン首相は公安省に命じて、政府未承認のブログやウェブサイトを閉鎖し、それらを作成した個人を処罰すると共に、国家公務員について、ウェブサイト上の情報を読んだり広めたりすることを禁じた。
「益々積極的に発言するようになってきているオンライン上のコミュニティーに、ベトナム政府が弾圧をエスカレートさせている現在、今年のヘルマン・ハメット賞の受賞者であるベトナム人5人の活動を称賛することが、世界にとって以前よりも重要になっている」と前出のアダムス局長は述べる。「世界の民主主義国は、ベトナムとこれまで通りのつきあいを続けるべきではない。友好関係を維持するなら、自由を奪われているすべてのライターと政治囚の釈放を条件にすべきだ。」
ヒューマン・ライツ・ウォッチは、1994年にヘルマン・ハメット賞を受賞した詩人で、2012年10月2日に亡命先で死亡したグエン・チ・ティエン(Nguyen Chi Thien)氏を追悼した。ベトナムの最も偉大な政治詩人として尊敬されていた同氏は、ベトナム政府が数十年にわたり、彼を沈黙させようとあらゆる手だてを尽くしたにもかからず発言を止めず、勇気と強い意志の象徴となってきた。同氏が初めて逮捕されたのは1960年で、共産党が作成した歴史に疑問を呈したためだった。1979年、短期間とはいえ自由の身だった彼は再び逮捕されると知り、ハノイの英国大使館に逃げ込み、以前拘禁されていた際に作成し頭の中に記憶しておいた、あるいはメモしておいた数百編の詩を世界中の人びとに向けて発表した。その詩は「フラワーズ・フロム・ヘル/Flowers from Hell」というタイトルで発行され、世界の文学界にセンセーションを巻き起こしたが、彼はその時すでにベトナムの刑務所で再度の辛い獄中生活を送っていた。
ヘルマン・ハメット賞について
ヘルマン・ハメット賞は毎年、政治的迫害や人権侵害の標的された世界中のライター/文筆家に贈られる。政府の弾圧により、仕事や活動を制限されたライターを表彰し支援するため、著名な選考委員たちから成る委員会が賞金を授与する。
この賞金は米国人脚本家リリアン・ヘルマンと彼女に長年連れ添った小説家ダシール・ハメットにちなんで名づけられている。ジョセフ・マッカーシー上院議員を筆頭に強引な反共産主義の調査が猛威を振るっていた1950年代、2人は政治信条と所属政党について米下院委員会で査問された。ヘルマンは仕事を干されて職を得るのに苦労し、ハメットは投獄された。
ヘルマンは、自国政府への反対意見を表明し、政府当局者や政府の行為を批判し、あるいは自国政府が報道を望まない事実を書いたために、標的にされたライターを支援するプログラムを立ち上げたいと考え、へルマンの遺言で指名された管財人が1989年、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対して、そうしたプログラムを考案するよう要請した。
以来23年間、92カ国750名以上のライターたちが、最大1人1万ドル、合計で300万ドル以上のヘルマン・ハメット賞金を授与されてきた。このプログラムは、自国を緊急に脱出する必要があるライターや、服役後もしくは拷問に耐え抜いた後直ちに治療を受ける必要があるライターに対する小額緊急助成金も交付する。
ヘルマン・ハメット賞金事業のコーディネーターであるローレンス・モスは、「ヘルマン・ハメット賞金/助成金の目的は、情報を公開したり、政策の批判で権力者を怒らせたりしたために苦しめられてきたライターを支援することである」と述べる。「この賞金/助成金を受けたライターの多くは、人権侵害に光を当て、変革を求める圧力を増すことによって、弱い立場にある人びとの権利をまもることを目指している。つまり、ヒューマン・ライツ・ウォッチと共通の目的を共有しているのだ。」