(ニューヨーク、2011年10月3日)-「カンボジア特別法廷(ECCC)の捜査判事2名は、これまで法的、そして裁判上の義務にはなはだしく違反している。よって辞任すべきである」と本日ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。同法廷は、ポル・ポト派による重大犯罪を裁き、カンボジアの人びとに法の正義をもたらすため創設された。
共同捜査判事であるカンボジアのユー・ブンレン判事と国連任命のジークフリード・ブランク国際判事は、カンボジア特別法廷の003号と004号事件の捜査において、誠実・公平・有効な捜査を果たしていない。そして、両事件とも本格的な捜査のないまま捜査終了の様相を呈している。
003号と004号事件の容疑者は5名。国際共同検察官により、2009年に共同捜査判事らに提出された。2011年4月、両捜査判事は003号の捜査が終了したと発表。容疑者を公判に付さないという正式な「終了命令(closing order)」が間もなくなされるとみられる。現在および従前の特別法廷の情報筋によると、同判事らは、004号事件についても終了・却下する予定。004号事件についても誠実・公平・有効な捜査は行われていない。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長ブラッド・アダムスは「捜査判事らは003号事件について、容疑者への告知・主要証人からの聞き取り・犯罪現場検証などもなしに捜査を終わらせた」と指摘。「このような怠慢は、通常の犯罪捜査でさえも大いに衝撃的だ。20世紀最大級の虐殺行為に関する捜査となれば、なおさらである。この両人が捜査判事に留まれば、虐殺行為への法の裁きを切に期待しているカンボジアの人びとの希望は打ち砕かれるばかりだ。」
カンボジア特別法廷は、その創設時から度々、カンボジア現政権である人民党の政治的思惑に左右されてきた。人民党指導部の多くは、元ポル・ポト派の高官である。カンボジア司法はフン・セン首相のコントロール下にあり、カンボジア司法内に設置されたカンボジア特別法廷もその例外ではない。フン・セン首相は、これまで繰り返し003号と004号事件を進展させることに反対を表明してきた。特別法廷情報筋がヒューマン・ライツ・ウォッチに伝えたところによると、この政治干渉が003号と004号事件の不十分な捜査に相当関係しているという。こうした政治干渉に失望した捜査共同判事オフィスのスタッフが辞職する事態もおきている。
前出のアジア局長アダムスは、「ヒューマン・ライツ・ウォッチは長らく、カンボジア人判事たちがフン・セン首相などの政権幹部の思惑に従わざるをえない立場にあることを懸念してきた」と述べる。「そもそもカンボジア特別法廷の強みはといえば、弱いとはいえ存在している国際社会とのリンクだった。ブランク判事がそのリンクだったのに。」
共同捜査判事らが事件の終了命令を出す場合でも、国際共同検察官が公判前裁判部(pre-trial chamber)に異議申立を行うことは可能である。しかし、特別法廷が政治的思惑から独立していない現状に照らせば、その場合でも、いずれの案件も棄却されるのはほぼ確実とみられる。
特別法廷設置法は、同法廷の設置目的を「(ポル・ポト派の)民主カンプチア政権の高官および1975年4月17日から79年1月6日の間に起きた犯罪およびカンボジア刑法・国際人道法/慣習法・カンボジア政府で承認された国際条約に対する違反に最も責任がある個人を裁くこと」にあるとする。当時、ポル・ポト政権下で200万人におよぶ人びとが殺人または病気や飢えによって死亡した。
これまでに特別法廷で裁かれたのは、拷問で悪名高いツールスレン収容所所長のカン・ケク・イウ(通称ドゥック)のみ。彼は001号事件で人道に対する罪と戦争犯罪で有罪となり、35年の刑となったが、これまでの拘束期間を差し引き19年に減刑された。同件の犯罪事実と量刑については現在、特別法廷最高審裁判部に上訴されている。002号事件は元ポル・ポト派幹部に関する事件である。ヌオン・チア、キュー・サムハン、イエン・サリ、イエン・チリトの4名が、ジェノサイド(集団殺害罪)・人道に対する罪・戦争犯罪で起訴(charge)されており、2012年に実質的な審理が開始される予定だ。
ブランク判事とブンレン判事が適切かつ誠実な捜査を行なわなかった事実は、判事らに課せられた公正に行動する義務に違反する。共同捜査判事には、カンボジア特別法廷設置法・内部規定・国際法に基づき、検察が立件した犯罪事実を捜査することが義務づけられている。国際ジュリスプルーデンスにより、捜査においては、独立性・迅速性・有効性をもって犯罪者を特定して処罰することが必要とされているほか、社会からの観察を受けること(public scrutiny)が可能なことも必須とされている。
カンボジア特別法廷創設当時の国連事務総長コフィ・アナン氏は、2003年、ポル・ポト派が犯した重大犯罪の裁判の成功の鍵は、国連による監視役割にある、との見解を示した。残念ながら、こうしたアナン氏の見解に反し、現在の国連関係者はその責務を果たしていない。国連法務部は、捜査共同判事の任務遂行と国連の特別法廷監視に対する本格的な独立調査を開始すべきであり、そのことから学び得ることもあるはずだ。
国連とカンボジア政府間で交わされた同意書の中のポル・ポト派の犯罪に「最も責任を負う」個人の訴追を求める文言は、まさに003号や004号事件の容疑者のような人物を念頭に規定されている。もし特別法廷がポル・ポト派高官の犯罪行為しか追及しなければ、それより低い地位にあった大量虐殺者たちはいつまでも自由を謳歌する結果となる。そして、そうした人物たちは、虐殺の犠牲者の遺族が住む村に今も暮らしていることも多い。
前出のアジア局長アダムスは、「国連は、司法職権濫用に関する多数の信憑性の高い申立に対応せず、見て見ぬふりを続けている」と指摘。「国連がこれらの事件に対する十分な調査を迅速に確保しないのであれば、カンボジア特別法廷に現在残っている最後の信頼性のかけらさえも失われることになるだろう。そして、国連は自らの行いに対する厳しい質問に答えなければならないことになる。」