Bodies of apparent execution victims found at the Mahari Hotel in Sirte on October 22, 2011, the day after the final battle with the Gaddafi convoy. An estimated 66 captured members of the Gaddafi convoy were apparently executed at the site by opposition fighters. Human Rights Watch researchers visited the site on October 23, 2011, and found the decomposing bodies of 53 apparent execution victims, all male, still at the scene.

© 2011 Peter Bouckaert/Human Rights Watch

(ベイルート)-リビアの独裁者だったムアンマル・カダフィ大佐が1年前、身柄を捕捉され死亡した。その際に被拘禁者数十人も処刑された事件について、ミスラタを本拠地にする民兵組織が関与したことを示す新証拠をヒューマン・ライツ・ウォッチが入手。本日発表の報告書内でヒューマン・ライツ・ウォッチはこれを公表した。カダフィ大佐とその息子ムタシム氏に加え、当時の反政府軍に拘禁されていた数十人が殺害されたこの事件について、リビア政府当局は捜査を約束したものの、それを果たしていない。

報告書「独裁者の死:シルトでの凄惨な報復」(全50ページ)は、カダフィ大佐が生存していた最後の数時間と殺害された状況について詳述。また、ミスラタを本拠とする民兵組織が、カダフィ大佐とその護衛団のメンバーを捕えて武装解除し、支配下に置いた後、残虐な暴行を加えた証拠を示している。その民兵組織は更に、うち少なくとも66人を、近くのマハリ・ホテルで処刑。反カダフィ派の民兵組織が、負傷していたカダフィ大佐の息子ムタシム氏をシルトからミスラタに連行してそこで殺害したことも、証拠から明らかである。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ緊急対応部門のピーター・ブッカート部長は「反カダフィ派民兵がシルトで、捕えていたカダフィ護衛団のうち少なくとも66人を即決処刑したことは、証拠上明らかだ。また、負傷していたムタシム・カダフィ氏は、民兵によってミスラタに連行されて、そこで殺害されたとみられる。リビア政府当局は、カダフィ大佐が死亡したのは、捕えられた後に殺害されたからではなく、銃撃戦の最中に死亡したと主張する。しかし、我々の調査結果は、その主張に疑問があることを示している」と述べる。

 

最も強力な新証拠の中には、たとえば、反カダフィ派民兵組織の兵士が携帯電話で撮影したビデオがある。そのビデオには、捕えられたカダフィ護衛団の人員多数が、罵られ虐待されている様子が映っている。携帯電話のビデオに映っていた被拘禁者のうち、少なくとも17人が後にマハリ・ホテルで処刑されたことを、ヒューマン・ライツ・ウォッチが入手した病院の遺体安置所で撮影された写真は示している。

捕えられた戦闘員を殺害するのは戦争犯罪であり、リビアの文民政府および軍当局は、戦争犯罪などの国際人道法違反を捜査する義務を負っている。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ調査チームは、2011年10月20日、カダフィ護衛団が反カダフィ派部隊と最後の戦闘を行った際、その戦場の近くにいた。戦闘の直後、調査団は現場を訪れ、遺体100体以上を目撃している。そのほとんどが戦闘で死亡した遺体だった。その2日後、ヒューマン・ライツ・ウォッチ調査団は近くのマハリ・ホテルで、少なくとも53人の遺体を発見。腐敗しつつあり、一部は後ろ手に縛られたままだった。現場のボランティアたちは、他にもヒューマン・ライツ・ウォッチの訪問前に親族が引き取った遺体もあったと話していた。

10月11日に何が起きたのかをすべて調査して記録するため、ヒューマン・ライツ・ウォッチは現場にいた反カダフィ派民兵の士官やカダフィ護衛団の生存者に、病院や拘留施設、自宅などで聞き取り調査を行った。また、反カダフィ派部隊員が携帯電話に録画した多数のビデオ映像を精査したところ、その一部には最後の戦闘現場で捕えられた被拘禁者たちも映っていた。シルトの病院にあった遺体安置所の記録をもとに、ヒューマン・ライツ・ウォッチ調査員らが調査したところ、拘禁中に生存が目撃された後、マハリ・ホテルで遺体となって発見された17人の身元を確認することができた。

処刑されたひとりに、タワルガ出身の海軍新兵、アフメド・アリ・アルガリヤニ(29歳)がいた。携帯電話のビデオ映像には、戦闘後に捕えられた彼とみられる映像があり、民兵たちは彼を殴り、蹴り、靴を投げつけ、カダフィ派と目される町タワルガ出身であることをなじっている。アルガリヤニの遺体は後にマハリ・ホテルで発見され、病院職員に写真を撮影され、身元不明遺体ナンバー86として埋葬された。のちに、彼の家族は病院職員が撮った写真をもとに彼の身元を確認した。

リビアでの8カ月間の内戦中に反カダフィ派が行った被拘禁者への処刑事件のなかで、報告書が立証した本処刑は、最大規模のものにあたる。

ムアンマル・カダフィ大佐と息子ムタシム氏の死に関するリビア政府当局の公式説明は、激しい銃撃戦の最中に戦場で他の者と同じように死亡した、というものだ。しかし、入手された証拠を精査した結果からは、その説明に疑問が生じる。ビデオ映像は、カダフィ大佐が生きたまま拘束されて頭部の傷から激しく出血している様子を映している。カダフィ大佐の傷は、護衛が投じた手榴弾が味方の中で爆発し、その破片にあたったものと考えられる。また、アブ・バクル・ユニス(Abu Bakr Younis)国防大臣がその爆発で死亡している。

映像の中で、カダフィ大佐は反カダフィ派の戦闘員によって激しく暴行され、更にでん部を銃剣で刺され、多くのけがと出血に見舞われているのが映っている。半裸の状態で救急車に乗せられる様子も撮影されているが、その時点ですでに死亡していたとみられる。

ヒューマン・ライツ・ウォッチが集めた証拠によると、ムタシム氏は反カダフィ派部隊の包囲を破ろうとして、戦場でやはり捕捉されたとみられる。彼は負傷し、その後ミスラタ市を本拠とする反カダフィ派民兵組織の戦闘員によって、同市に移送されるところを撮影され、更にそこの部屋の中で、反アダフィ派と敵意に満ちた会話をしながらタバコを吸い、水を飲んでいるのを再び撮影されている。そして夜までには、彼の遺体が同市内で公開され、遺体には、それまでのビデオには映っていない新たな傷が喉の部分にあった。

前出の緊急対応部門部長のブッカートは「我々の調査の結果、反カダフィ派に捕らえられたあと生存中にビデオ撮影されていた人が、その後数時間後に遺体で発見されたケースが相次いでいる。処刑が行われたことを立証する最も強力な証拠は、反カダフィ派部隊が撮影した映像と、66人の遺体が発見されたマハリ・ホテルに残された物的証拠だ」と述べる。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは調査結果を伝えるために、虐殺事件の直後にリビア暫定政権当局者に面会。その後も繰り返し面会を行うとともに書簡を送付し、この犯罪に対して徹底した捜査を行うと共に、法の裁きを強く求めてきた。リビア暫定当局の最高幹部は当初、事件の捜査を約束していたものの、実際に調査中であるという証拠や調査が行われた証拠をヒューマン・ライツ・ウォッチは入手していない。

いずれの陣営に属するかを問わず、2011年2月15日以降にリビア国内で行われたすべての戦争犯罪をリビア当局が捜査・訴追する能力や意思がない場合、国際刑事裁判所(ICC)が捜査・訴追を行うよう、国際刑事裁判所は国連安保理から裁判管轄権を付与されている。

前出のブッカート部長は「リビア政府が直面する最大の課題のひとつが、完全武装した民兵組織を支配下に治めることと、民兵組織の人権侵害を止めさせること。その最初のステップは、すでに調査された中で反カダフィ派部隊の犯した最大の人権侵害事件である2011年10月20日の大量処刑を捜査することであるはずだ」と指摘する。