(バンコク)2021年2月1日のクーデター以降、ミャンマーの軍事政権によって数百人が強制失踪されている、と本日ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。当局は政治家、選挙関係者、ジャーナリスト、活動家、デモ参加者を監禁し、国際法に反して弁護士や家族に居場所を知らせず、接触も認めていない。
治安部隊は全国で夜間に手入れを行い、クーデターに反対するデモや軍事支配に抵抗する市民の不服従運動(CDM)に参加したと疑われた多数の人を逮捕している。非政府団体の政治囚支援協会はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、最近拘禁されたことを把握している2,500人のうち居場所を確認できたのはほんの一握りに過ぎないと述べた。
「軍事政権はクーデターに反対する抗議者に恐怖心を植え付けるために計画的に恣意的逮捕や強制失踪を広く利用している」とヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局局長のブラッド・アダムズは述べた。「関係各国政府は強制失踪させられた全員の解放を求め、暴力的なこの軍の責任を今度こそ追及するために指導者たちに対象限定型の経済制裁を科すべきである」。
ヒューマン・ライツ・ウォッチはクーデター後に強制失踪させられたと思われる16人の家族、目撃者、弁護士と話をした。
2月1日の午前5時半ごろ、ヤンゴンのミンガラータウンニュン区にあるミャーエイ(55)の自宅に軍服を着た4人の兵士と1人の私服の男性が来た。同氏は率直に意見を述べる活動家で国民民主連盟(NLD)の党員でもある。男たちは家族に逮捕令状も見せず、逮捕の根拠も示さなかった。逮捕の様子は近所の人の閉回路テレビで捉えられており、のちにツイッターに投稿された。
その後、同じ日に2人の私服警官がミャーエイの自宅に薬を取りに来たが、何も情報を提供しなかった。3月末、当局はミャーエイの拘禁先をまだ教えてくれず、ミャーエイに弁護士への連絡も認めていないと家族は述べた。
マンダレーでは3月6日、警察に撃たれて亡くなったデモ参加者の葬儀に警察が来たために参列者がパニックに陥って逃げた。著名な活動家のニーニーチョーは倒れたところを警察に逮捕された。友人によれば、当局はニーニーチョーの居場所を家族に知らせず、家族は自分たちも標的にされることを恐れて身を隠した。
ニーニーチョーからは家族のもとに一度だけ連絡があった。上記の友人によれば、失踪から4日後、長男に非通知の番号から短いがぞっとするような電話があり、このときニーニーチョーは動揺し、困っているように聞こえた。家族がニーニーチョーの居場所を突きとめることができる前に電話は切れた。
3月9日午前1時半ごろ、ヤンゴンのカマユ・メディアの事務所の外に軍用トラックが止まったと近所の人たちが述べた。近所の人たちは午前3時ごろに兵士たちがカマユ・メディアの共同創設者であるハンターニェイン(40)と編集長のネイサン・マウン(45)を連行するのを見た。2人の家族は2人の居場所をまだ知らされていない、と家族の1人は述べた。
「2人がどこにいるのかについて不安でたまらないし、健康状態を心配している」とハンターニェインの家族の1人は述べた。「2人が大丈夫か、生きているのかを自分の目で見たい。それも今のように苦しい中で待つのではなく、早く知りたい」。
逮捕された反クーデターデモ参加者の友人や家族の多くはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、逮捕された人がどこにいるのか正確には知らないと述べ、行方不明者の身の安全と健康状態への懸念が高まっている。
行方不明者の居場所について非公式の情報しか受け取っていない家族が多い。解放されたばかりの被拘禁者がその人を見たと家族や弁護士に知らせる場合などである。ある刑務所が差し入れを受け取ることを理由に行方不明者がその刑務所にいる可能性が高いと考える家族もいる。しかしこれは推測であり、当局が被拘禁者の居場所について情報を提供し、48時間以内に被拘禁者を裁判所に出廷させ、代理人や家族との連絡を認める義務を負わなくなるわけではない。
国際人権法の下では、政府当局またはその職員が個人を逮捕または拘禁し、その後自由の剥奪を認めない、またはその個人の安否や居場所を隠すことでその個人を法の保護の外に置くと、強制失踪を犯したことになる。強制失踪された人びとは拷問を受けたり超法規的処刑にされたりすることが多い。家族は愛する人の安否がわからない不安の中、収容先でどんな扱いを受けているのか心配しながら暮らさざるを得ない。
強制失踪は重大な国際法違反であり、文民に対する広範または組織的な攻撃の一環で行われる場合には人道に対する罪でもある。
「強制失踪は特に家族や友人にたいへんな不安や苦悩を引き起こす点で極悪な犯罪である」とアダムズは述べた。「ミャンマーの治安部隊は繰り返し人権を軽視してきているが、これらの個人の失踪と、強制失踪となった全員の安全な帰還について責任を問われることを理解するべきである」
強制失踪の事例
ミャーエイ
ミャーエイは国軍の率直な批判者で、経験豊かな民主化活動家である。これまでに2回、1989年と2007年に逮捕され、どちらのときも長期の禁固刑に服した。娘によれば、どちらのときも強制失踪させられ、家族が居場所を知るまでに何カ月もかかった。
ミャーエイは2月1日にヤンゴンの自宅で逮捕された。2月3日、家族はミンガラータウンニュン区の警察署に行き、ミャーエイの拘禁先と容疑を尋ねた。家族によれば、警察所長のティンマウンスエは、警察はミャーエイの拘禁に責任はなくそれ以上の情報を提供できないと述べた。2月6日、家族はミャーエイを探すために赤十字国際委員会に支援を求めた。2月17日、家族は国連の強制的・非自発的失踪失踪に関する作業部会に申し立てをした。
ミャーエイの家族によれば、失踪後の2カ月間で当局からはミャーエイの居場所について知らせがなく、逮捕と失踪の状況を捜査するよう何度も求めたが応答もない。ミャーエイは4枝冠動脈バイパス手術をしており毎日服薬する必要がある。家族は食べ物や薬を含む差し入れをヤンゴンのインセイン刑務所に送り、ミャーエイがそこにいて薬が届くことを願っているが、ミャーエイが差し入れを受け取ったかどうかを知る手立てはない。
ニーニーチョー
警察は3月6日、警察に撃たれて死んだデモ参加者の葬儀に参列していたニーニーチョーをマンダレーで逮捕した。治安部隊が62番通りと102番通りの角で行われていた葬儀に到着すると、参列者たちはパニックに陥って逃げた。ニーニーチョーは走っていて転び、すぐに警官による逮捕の的となったようだったと友人は述べた。葬儀には他の市民社会活動家も来ていたが、ニーニーチョーだけが逮捕された。
ニーニーチョーの居場所を突き止めようと、家族は3月7日にマンダレーのオボ刑務所とランドゥウィン刑務所に差し入れを届けた。どちらの刑務所もニーニーチョーはそこにいないと言った。
逮捕から4日後の3月10日にニーニーチョーの息子が父親から動揺させられる電話を受けてから、家族は身を隠すことにした。ニーニーチョーが誰の電話を使っていたのか
家族にはわからないが、ニーニーチョーは居場所や安否について何度尋ねられても答えなかった。息子が一家の友人に述べたところによれば、父親は混乱しているようで、市民の不服従運動に関与して逃亡中の別の人物について尋ねてきた。反クーデター運動の主な指導者たちについての質問に息子が答えられずにいると、ニーニーチョーの側から電話は切れた。
「ニーニーチョーは自分が生きていることを息子に知らせたくて電話したのかもしれない」と一家の友人は述べた。「息子は父親の健康状態が悪いことを恐れているが、家族が監視されていることも心配しており、一家は身を隠した。これでニーニーチョーにとって事態はますます深刻になる。ミャンマーの刑務所で生き延びるためになくてはならない家族からの差し入れを受け取ることができなくなるからだ」。
ネイサン・マウンとハンターニェイン
3月9日、治安部隊がヤンゴンにあるカマユ・メディアを手入れし、当局は編集長のネイサン・マウンと共同創設者のハンターニェインを逮捕した。3月10日、フェースブックに近くのビルから撮影された2本の映像が投稿された。それらの映像には、少なくとも6台の軍用車両がカマユ・メディアの事務所の外に止まっており、兵士が事務所から袋や機器を運び出して車両に積み込むのが映っている。この映像に見える建物を衛星写真と比べることによって、ヒューマン・ライツ・ウォッチはこれがカマユ区にあるカマユ・メディアの事務所であることを確認した。
「2人がどこにいるか誰にもわからない」とハンターニェインの家族の1人は述べた。この家族によれば弁護士も2人に連絡できておらず、当局も2人をどこに拘禁しているのか弁護士に知らせていない。
3月10日、2人の家族はインセイン刑務所に差し入れを送ろうとしたが、同刑務所関係者から翌日、ネイサン・マウンとハンターニェインという名前の者は刑務所にいないので差し入れを引き取りに来るようにとの連絡があった。
ヤンパインヘイン
3月9日、デモ参加者がデモを鎮圧しようとしていた警官7人を拘束したことを受け、当局はヤンゴンのランマドー区の3番通りでヤンパインヘイン(25)ほか22人の住民を逮捕した。
3月8日にフェースブックでライブ配信された映像には、ヤンパインヘインが捕らえられた警官を住民が殴るのを止めようとする様子が映り、声も聞こえる。ヒューマン・ライツ・ウォッチはこの映像のある場所をもはや特定することはできないが、オフラインにあるコピーを視聴することはできる。その後まもなく軍が大きな車隊で到着し、銃声が聞こえ、ヤンパインヘインが走って逃げるのが見える。ヒューマン・ライツ・ウォッチは家族への聞き取りを通じてこの映像に映っているのがヤンパインヘインであることを確認した。その後ヤンパインヘインはすぐに逮捕されなかった他の人たちとともに走って帰宅したと家族の1人は述べた。
午前12時半ごろ、警察がヤンパインヘインの自宅玄関のドアを壊した。兵士が自宅に入り、ヤンパインヘインを逮捕した。兵士は近所に住むほか22人の若い男性も逮捕した。
「兵士たちは私と父に銃を向け、その間に家を捜索し、父に質問し、ヤンパインヘインを連行した」とヤンパインヘインの女のきょうだいは述べた。「ヤンパインヘインが連行されるときに殴られるのは見なかったが、後に解放された別の男性からヤンパインヘイン殴られ、鼻の骨が折れ、血が鼻に詰まってよく息ができなかったと聞いた」
治安部隊はヤンパインヘインをシュエピター区の尋問施設に連行した。同夜に連行された別の男性は、その夜その施設には自分を含めて23人の男性がいたが、翌日午後5時に解放されたなかにはヤンパインヘインら7人がいなかったと述べた。
当局はヤンパインヘインの居場所を家族に知らせていないが、後に解放された被拘禁者がヤンパインヘインをインセイン刑務所で見たと家族に述べた。家族はインセイン刑務所に4回差し入れを送り、どれも戻ってきていない。家族も弁護士もヤンパインヘインと直接連絡は取れていない。
サイピョータイク
当局は3月14日、マンダレーの81番通りと21番通りの角で工学を専攻する学生のサイピョータイク(23)を逮捕した。海外に住む友人によれば、サイピョータイクが反クーデターデモが行われたセインパン区から帰宅する途中、武装した私服の男の一団が行く手を塞ぎ、警告として空に向けて銃を撃った。サイピョータイクはオートバイから転げ落ち、第8警察署の前で逮捕された。当局は逮捕の理由をいっさい明らかにせず、家族や弁護士からの面会要請をすべて断っている。