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▽はじめに

▽選挙に至るプロセスはどうなっているのか。

▽1990年総選挙はどんな選挙だったのか。

▽選挙後の議会構成はどうなるのか。

▽選挙によってビルマには新政府が誕生するのか。

▽選挙後のビルマ国軍の役割はどのようなものか。

▽現在の軍政最高指導者タンシュエ上級将軍の今後は?

▽選挙に参加する主要政党とは?

▽選挙運動に関する問題はないのか。投票前に暴力行為は存在するか。

▽ビルマは多民族国家だが、選挙で非ビルマ民族が果たす役割は?

▽民族武装勢力が選挙にて果たす役割は?

▽ビルマのすべての選挙区で投票が実施されるのか。

▽選挙に国際監視団は派遣されるのか。

▽外国メディアは選挙に関する取材と報道が可能か。

▽有権者は威嚇や脅迫、投票の強要などの被害を受けていないか。

▽投票前の詐欺行為、不正投票、幽霊投票などは報告されているか。

▽ビルマ全土の有権者数は。

▽投票資格や投票制限はあるのか。

▽立候補者資格はどういったものか。

▽国際社会が求めてきた投票前の政治囚釈放はあったのか。

▽民主化指導者アウンサンスーチー氏の釈放は投票の前か後か。

▽選挙に対する国際社会の反応は?

▽選挙後のビルマに真の変化が訪れるためには、国際社会は何をなすべきか。

▽ビルマの次期大統領には誰がなるのか。

▽選挙はビルマ国内の経済社会状況にどの程度影響するか。

▽主要政党データ

連邦団結発展党 (USDP)

国民統一党 (NUP)

国民民主勢力(NDF)

連邦民主党 (UDP)

シャン諸民族民主党(SNDP)

登録済み政党一覧(全37政党)

▽はじめに

ビルマでは2010年11月7日に、20年ぶりに複数政党制選挙が行われる。この総選挙については、ビルマの漸進的な民主化プロセスと市民社会の場の登場とを活気づける可能性があるとする見解もある。だがヒューマン・ライツ・ウォッチは、今回の総選挙を、民政の皮を被った軍政支配の継続を確実にするために、ビルマ軍事政権が長年掛けて慎重に作り上げてきた選挙プロセスという背景の中で捉える必要があると考えている。実際軍政幹部が提示する「規律ある民主主義への行程表」の歩みなるものは、人権侵害で埋め尽くされている。2007年の非暴力デモの参加者に対する武力弾圧、この時を境に倍増し、2000人以上となったビルマの政治囚、国境地帯での少数民族のコミュニティの周辺化のほか、諸権利を揺るがし、軍政支配の継続を保証する2007年憲法や、主要な反対政党候補者の立候補を巧妙に妨害する総選挙法の存在が挙げられる。こうした政治弾圧は、結社、集会、表現の自由がすでに制約された環境の中で行われている。ビルマのマスメディアは当局の厳しい統制下にあり、選挙に関する報道は政府発表や党首へのインタビュー以上のものにはならない。世論の形成や反政府的な見解を述べることは許されていない。 残念ながら11月7日のビルマ総選挙は民主的な政府への前進ではない。終わりのはっきりしない軍政支配の継続のためのものだ。

▽選挙に至るプロセスはどうなっているのか。

ビルマ軍事政権=国家平和発展評議会 (SPDC)は、サイクロン「ナルギス」が襲来してから日も浅い2008年5月に憲法制定のための国民投票を行った。軍政側は憲法が投票率98.21%、賛成投票92.48%で承認されたと主張する。これによって軍政は「規律正しい真の多党型民主制」に移行することが可能になった。2010年3月、軍政は連邦選挙委員会 (UEC)を設置した。軍政が選んだ18人の委員からなり、選挙実施を監督する機関だ。同委員会は選挙実施に関する4つの法律を発表した[1]。その規定には、選挙運動に厳しい制限を課し、現在服役中か拘禁命令が出ている人物を党員とする政党を認めない条項がある。これにより2010年時点で服役中の2,100人以上の政治活動家や反体制活動家が選挙から排除された。民主化指導者で1991年ノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチーもそのひとりだ。

4月、首相のテインセイン中将以下全閣僚が国軍を退役し、連邦団結発展党 (USDP)を結成した。8月、ここ数十年で最大の国軍人事が行われ、 多数の高級将校が退役し、同党の候補として出馬することが発表された。

▽1990年総選挙はどんな選挙だったのか。

前回の複数政党制選挙は1990年5月に行われた。この2年前に、1962年のクーデター以降ビルマを支配していた社会主義軍事政権が崩壊している。アウンサンスーチー率いる野党・国民民主連盟 (NLD)は60%以上の投票を得て、80%の議席を獲得した。投票自体は比較的自由で公正に行われたが、当局は政府に批判的な政党の候補者を多数投獄するなど選挙運動を厳しく制限していた。また武力紛争が続いていた少数民族地域では広い範囲で投票が実施できなかった。

当時の軍事政権・国家法秩序回復評議会 (SLORC)は選挙に勝利したNLDへの権力委譲を拒否し、当選議員は国会ではなく憲法制定国民会議の議員となると発表した。ビルマ史上3番目となる憲法を制定するプロセスは1993年に始まり、最終的には政府から「規律ある民主主義に向けた7段階行程表」と呼ばれるようになった。軍政は2007年に起草作業をようやく終了したが、無計画に行われた14年間の会議の過程で、反体制派勢力や民族代表のほとんどが徐々に排除されていった。

▽選挙後の議会構成はどうなるのか。

総選挙では3種類の議席が争われる。二院制の全国議会と、14の州・管区に置かれる地方議会が対象だ。下院(Pyithu Hluttaw国民議会)では330議席が投票によって決められる。これはビルマの330郡区(選挙区と同様)に対応する。憲法の規定により、国軍には総議席の4分の1、すなわち440議席中110議席が割り当てられる。

上院(Amyotha Hluttaw民族院)では224議席中168議席が投票の対象となり、14の州と管区が各々12の選挙区に分割される。国軍は総議席の約4分の1に当たる56議席を得る。

州・管区レベルの地方議会の構成は人口密度や一部の民族に対する配慮などがあるため均一ではないが、全体で665議席が争われる。うち222議席が現役の国軍将校に割り当てられる。

国会と地方議会を合わせた総議席数は1,551議席だが、11月7日の選挙の対象となるのは1,163議席だけだ(一部地域では投票に制限があることが発表されており、投票の対象となるのは1,163議席に限られる)。残りの議席は国軍への割り当て分だ。

選挙区に候補者が一人しかいない場合には無投票当選となる。連邦選挙委員会は1,163議席中54議席で候補者が一人しかいないと発表しているが、具体的な選挙区を明らかにしていない。

▽選挙によってビルマには新政府が誕生するのか。

確かに上下両院と地方議会という「文民」型機構が憲法の規定にしたがって誕生する。しかしこれらの機構の実質的な指揮権と人事権は国軍にある。一方これらの機構は国軍に対する法的権限を持たない。軍政支配に異を唱えることは現在でも刑事罰の対象であり、選挙後も同様と思われる。したがって真の改革を求めれば、ただちに議員資格を剥奪されて投獄される可能性が高い。

▽選挙後のビルマ国軍の役割はどのようなものか。

ビルマ軍政は選挙後も統治を続ける。国軍は新議会とおそらく文民政権も支配する。反軍政の勢力が、ある程度の議席を獲得して主要閣僚ポストを得る可能性は低い。仮に反軍政勢力が一定数の議席を得たとしても、議会には軍政をコントロールする力はなく、国軍は国家の統治を引き続き行うことになる。

新憲法が下院の4分の1、上院の4分の1を現役の国軍将校に割り当てているため、国軍は将来的な憲法改正に対する拒否権を行使できる。憲法はまた国軍に「国軍に関するすべての事項を独立して運営し、裁定する」独占的な権限を認めている。国軍はいかなる意味でも立法と司法に拘束されないので、自らの権限を独断で解釈することができる。つまり議会は国軍の予算と経済活動に異議を唱えることはできない。ビルマでは、国軍が国家予算の約半分を自由に使える立場にあり、うまみのある企業活動のほぼすべてを、直接的にあるいは政商を用いて経営している。

憲法は、国軍最高司令官に(議会に、ではない)国防、内務、国境問題の各大臣を任命する権限を与えており、警察を含めて、国家が強制力を発動できる機構すべてをその手に委ねている。これらの閣僚は、大統領や国軍司令官と共に国防安全保障委員会(委員11人中6人を国軍が指名)を通して日々の国事にあたる。かりに議会が、国軍将校の支配にもかかわらず、限られた権限を用いて国軍の権力に抵抗しようとしても、最高司令官には国家非常事態を宣言し、議会を解散する権利がある。

▽現在の軍政最高指導者タンシュエ上級将軍の今後は?

詳しいことは不明だ。タンシュエは多くの軍政幹部とは異なり退役しなかった。しかも政党の党員か無所属として選挙区での立候補を登録する期間は既に終わった。タンシュエと、序列第2位の副上級将軍マウンエイは国軍議員となり、大統領と副大統領になる可能性が考えられる。また一線から退くだけの可能性もあれば、上級顧問のような超法規的な役職に就任することや、あるいは国軍内での地位にとどまることも考えられる。正確にはわからないが、いずれにせよ、タンシュエは健康状態に問題がないかぎり、今後も何らかの影響力を保持する可能性が高い。

▽選挙に参加する主要政党とは?

連邦選挙委員会に登録を申請した47政党のうち、37政党が選挙に参加している(政党一覧はこちら)。ほぼすべての選挙区に候補者を立てるのは2政党のみだ。国軍が結成した連邦団結発展党 (USDP)と、親軍政で旧ビルマ社会主義計画党の後継政党の国民統一党 (NUP)だ。同党は1990年の選挙で約30%の投票を獲得している。

軍政系2大政党に対抗し、反体制派勢力と関係を持って連携する複数の政党が存在する。元NLD党員が結成した国民民主勢力 (NDF)と連邦民主党(UDP)などだ。NDF議長のタンニェイン博士はこう述べた。「この組織を立ち上げたのは、単に選挙に勝つためではない。選挙に勝つことは[民主化への]ワンステップにすぎない。自動的に上にたどり着くことができるわけではないのだから、やるべきことはまだたくさんある。私たちはわが国に自由で公正な民主制[をもたらすこと]にこれからも取り組んでいく。」[2]これらの政党の候補者すべてを合わせても、下院の約半数、上院の3分の1、地方議会になると少数の選挙区が埋まるだけで、しかも選挙資金問題を巡って政党間での対立が起きている。

シャン民族指導者でユーロ・ビルマ事務所の所長ハン・ヤンフエ(父親は1948年にビルマが英国から独立したときの初代大統領)は次のように述べる。「現時点で選挙に参加する政党の半数が完全な反軍政政党で軍政とは関わりがない。しかし軍政がこうした政党の存続を容認するかどうかは別の問題だ。軍政側は様々な規則を持ち出して立候補者の資格剥奪を行っており、一部の政党については登録自体を許可しなかった。投票日の時点で反軍政の政党が残っているかどうかはふたを開けてみないとわからない。」[3]

選挙運動に関する問題はないのか。投票前に暴力行為は存在するか。

非軍政系政党は、選挙活動や宣伝物の配布、選挙演説に関する法令が、自分たちの選挙活動を妨害する目的で不当に解釈されているとの報告をしている[4]。選挙関連法や行政命令により、政党に対する無数の規制があって選挙活動が制限されている。例えば6月21日付けの命令によれば、政党は選挙活動中に「治安や法の支配、地域社会の安定を乱す行為」を行うこと、また「国家のイメージを損なう」または「国軍を分裂させる」と見なされうる演説やその他の活動を行うことは許されていない。少数政党への規制は、国軍が結成したUSDPには適用されていない。同党は全国で集会を開催している[5]。また、別の命令で、立候補者は、すべての印刷物、パンフレット、ポスター、その他選挙運動に関わる一切のものについて承認を得るために検閲官に届けることが義務づけられている[6]

アラカン(ヤカイン)州では、2つのロヒンギャ・ムスリム系政党のうち選挙に参加できたのは1政党だけだ。民族開発平和党 (NDPD)は選挙活動を取りやめざるを得なかった。USDP党員らが、もし同党が選挙の参加に固執すればロヒンギャの村落を破壊するとの脅迫が行われたためだ。

異なる政党の支持者間の暴力行為や、治安部隊と反軍政派の活動家との間での暴力行為はいつ起きてもおかしくない。しかし選挙期間中にビルマ全土で治安部隊の配備が明らかに増えており、暴力行為と共にいかなる形であれ政治的な抗議行動を押さえ込もうとする軍政の意図を示している。

ビルマは多民族国家だが、選挙で非ビルマ民族が果たす役割は?

登録済みの37政党の多くが小規模な民族政党で、擁立した立候補者の数も少ない(選挙参加には最低3人の立候補者が必要)。例えば全モン地域民主党 (AMRDP)のミンヌウェソー代表はインタビューでこう述べている。「選挙関連法に多くの規制があることは承知している。しかしあえてそれに挑むのだ。モン人には自分たちを代表する政党が必要だと私たちは考えている。議会でモンに関わる問題を提起することは重要だ。もしモン人の議員がいなければ、私たちの声を代弁する人は誰もいなくなる。」[7] このほか、チン州と隣接するザガイン管区に41人を擁立したチン進歩党 (CPP) や、ビルマ西部で44人の候補を立てたラカイン(アラカン)諸民族発展党 (RNDP) などがある。

民族武装勢力が選挙にて果たす役割は?

総選挙によって少数民族組織内部の緊張が高まっている。新しい法的枠組みを受け入れ、自前の民兵組織を国境警備隊(BGF)に再編して、国軍の直接の指揮下に委ねるよう軍政から命じられているからだ。兵力2万~2万5,000人のワ州連合軍(UWSA)、同7,000人以上のカチン独立機構(KIO)、新モン州党(NMSP)などの大規模な民兵組織も一連の命令を拒否している。KIOとの緊張が高まっていることをはっきり示すのは、連邦選挙委員会が選挙参加を予定していたカチン系3政党の登録を不許可とした事件だ。カチン人の民族政党で登録が許可され、立候補者を立てることができたのは1政党のみだ[8]

軍政と停戦協定を結んでいない民族武装組織のなかには、カレン民族同盟(KNU)やシャン州軍南部方面軍(SSA-South)など、選挙プロセスが不当と主張している組織もある。しかし投票自体を武力的に阻止するつもりがあるかは不明だ。カイン(カレン)州民主発展党 (KSDDP)の登録が行われたのは、2010年8月に停戦組織の民主カイン仏教徒軍 (DKBA)が国境警備隊への統合を受け入れた直後のことだった[9]

ビルマのすべての選挙区で投票が実施されるのか。

すべての選挙区で投票が行われるわけではない。連邦選挙委員会は9月16日に5州32郡の一部では投票を行わないと発表した。現在進行中の武装闘争や情勢の不安定さによるのか、理由は「自由で公正な選挙を実施する環境にない」としている。対象となる地域にはシャン州北部ワ特別行政区の4郡(パンサン、ナーパン、パンワイン、モンマオ)などで、これら地域は、1989年に中央政府と停戦合意したワ州連合党/軍(UWSP/A)の管理下にある。中央政府とワ勢力との緊張は2010年に高まっているが、これはUWSA指導部が国境警備隊への編入を拒否したことと、ワ族系政党が一切選挙に参加しなかったためだ。憲法の規定によれば、政府はワ自治行政区(憲法での呼称)を次期大統領の直接の管理下の連邦領土であると宣言し、議員を選出しないことができる。

このほかカチン州の9郡、カレンニー(カヤー)州の2郡の一部、カレン州の7郡のうち紛争地域と指定された地域(州内の広範な領域が該当)、モン州の2郡、シャン州の、ワ州地域以外の7郡内の国境地域と紛争地域では投票が実施されない。連邦選挙委員会のテインソー委員長は10月にこう述べた。「これらの選挙区で投票を実施しない主たる理由は、武装勢力が存在し、一部の政党が有権者を脅迫する可能性があるからだ。一連の発表とは異なり、私たちはこれらの地域の一部について、もし選挙の時点で環境と状況が整った場合での投票実施の可能性についてこれからも検討する。」 1,163議席で投票が行われるはずだったが、最終的に争われる議席数は1,157とみられる[10]

選挙に国際監視団は派遣されるのか。

ビルマ国内に独立の選挙監視団は存在しない。軍政は国連や東南アジア諸国連合(ASEAN)からの技術支援や監視に関する申し出をことごとく拒絶している。10月18日に連邦選挙委員会のテインソー委員長は「投票日には本選挙委員会が、外交官と国連機関の駐在代表に投票過程を監視してもらうよう手配する。こうした人びとは各国を代表しているのだから、その他の人間に監視作業を行ってもらう必要はない」と述べた。

外国メディアは選挙に関する取材と報道が可能か。

外国人ジャーナリストはビルマ国内から選挙報道を行うことはできない。ビルマ政府は国内から報道を行おうとするメディア関係者の活動をつねに妨害しており、ジャーナリスト用のビザを発給することはほとんどない。10月18日に連邦選挙委員会テインソー委員長は外国メディアには取材許可を与えないとし、その理由をこう述べた。「わが国にはすでに国際メディアの代表者が存在している[......]。それに当選挙委員会がすみやかに選挙結果を公表する。」 当局は西側の通信社が雇うビルマ人ジャーナリストにビルマ国内の出来事を取材することは許可しているが、その他の正式登録されたメディアの支局が国内で報道を行うことを許可していない。

▽有権者は威嚇や脅迫、投票の強要などの被害を受けていないか。

ビルマは閉鎖された国家だ。国内外の監視団も自由に取材できる報道機関も存在せず、市民団体にも規制が掛けられている状況では、現場レベルで投票に関するどのような脅迫行為が行われているのかを正確に把握することは難しい。選挙が周到に準備されたことの一つの結果として、多くの地域で脅迫がすでに受容されていることがある。住民は何らかの形で発言したり、抵抗したりすれば当局の注意を引くことを知っているからだ。地域当局には、抑圧的な多数の法令により、恣意的な逮捕や身柄拘束、市民参加の妨害を行う裁量が与えられている。さらに5つの選挙関連法、それに付随する規定やその他の命令によって、今回の選挙プロセスと2008年憲法を批判する行為は犯罪とされている。

地方、特にカレン州やチン州など国境沿いの州では、当局者が投票に行く必要はないと指示したり、代わりに自分たちが投票すると言ったと住民たちが報告している。もちろんこれには地域差があり、軍政や地元当局者の支配に対する熱意によっても程度は異なる。ラカイン諸民族発展党 (RNDP)は連邦選挙委員会に苦情を申し立て、同党が運動を始めた8月に警察の特別部やその他の政府機関から党幹部やその家族に対する嫌がらせがあったと報告している[11]。当局は、立候補者の自宅を訪れて本人や家族を尋問したり、事務所や選挙活動の写真を撮影。こうした脅迫行為はラングーンやその他の地域でもここ数カ月間に報告されている。

▽投票前の詐欺行為、不正投票、幽霊投票などは報告されているか。

11月7日の選挙当日を目前にして不正投票に関する報告が増加している。多くは親軍政政党USDPの党員によるものだ。地元当局者が、金銭と奨学金を支給するからと言って有権者に事前投票を行うことを強く求めているとの報告もある。またUSDPに投票しない住民のいる地域ではインフラ整備事業を行わないと脅すケースもある。さらに、USDPの候補者や党員はポスティングを行っており、道路や診療所、水道整備などの地域開発事業を、USDPや前身組織である連邦団結発展協会(USDA)が一切関わっていない場合についてさえ、自分たちの功績であるかのように宣伝している。

連邦選挙委員会が投票所周辺でのメディアの取材とビデオ録画と写真撮影を禁止しているため、11月7日直前に行われる不正行為に関する信頼できる情報を収集することは難しくなる。より多くの情報が投票日以降に明らかになる可能性がある。

▽ビルマ全土の有権者数は。

ビルマの推計人口にはかなり開きがある。しかし2010年の移民・住民省の発表によると、2009年末時点の人口は5,912万人で、そのうち18歳以上は3,000万人以上だ。この数字は他の公式統計と異なる。国連が資金提供するミャンマー情報地図ユニット(MIMU)は2009年に、州と管区の人口を4,420万人とした[12]。2008年の制憲国民投票では、公式人口は5,750万人で、有権者数は2,740万人だった。

公式統計が、以下のような人びと、すなわち移民として国外で暮らすビルマ国民(タイだけで200万人と言われる)や、ビルマ東部の紛争地帯にいる50万人の国内避難民(IDP)、紛争や迫害を逃れてタイやインド、バングラデシュ、マレーシマに住む40万人を越えると見られる難民(カレン、カレンニー、シャン、チン、ロヒンギャ・ムスリムなどの民族)を含んでいるかは不明だ。多くの移住労働者や難民は違法に出国をしており、世帯登録表からは削除されているため、多数のビルマ国民が事実上無国籍状態となっている。

▽投票資格や投票制限はあるのか。

2008年憲法は18歳以上の全国民に投票権があるとする。仏教僧侶と尼僧のほか、キリスト教やイスラームなどその他の宗教の聖職者は、除外対象となる。

▽立候補者資格はどういったものか。

連邦選挙委員会は高額な登録費用を設定している。政党登録料は300米ドル(2万4,000円)で、候補者一人につき500米ドル(4万円)が必要だ。つまり全選挙区に候補者を立てるとすれば50万米ドル(400万円)以上の登録費用がかかることになる。平均年間所得が459米ドルの国にしてみれば、選挙の立候補自体が高額すぎて困難だということになる。

刑事事件で有罪判決を受け、現在刑を受刑中でも立候補ができない。これにより約2,200人の政治囚が排除される。このうちNLD党員は413人、仏教僧が256人、非ビルマ民族が233人、1990年選挙で選ばれた国会議員が12人だ[13]。アウンサンスーチーは、拘束決定のため自宅軟禁状態に置かれているため立候補ができない。しかし氏の名前はラングーンの当該選挙区の選挙人名簿に記載されたが、氏は、解党されたNLDの多数の党員と共にボイコットを表明している。NLDは、投獄中の党員が選挙に参加できないことを理由に、選挙のための政党登録を拒んだ。そのため、2010年6月に法的に違法との宣言を受けた。

▽国際社会が求めてきた投票前の政治囚釈放はあったのか。

選挙を控えた今年について政治囚が大量釈放されたことはない(満期受刑者の釈放はある)。10月にある政府関係者が、投票前に3,000人を超す囚人の減刑を行って投票ができるようするほか、約8,000人が刑期を終えると発表した。この1万1,000人の囚人のうち政治囚が何人いるかは不明だ(いたとしてもごくわずかと思われる)[14]。当局は、ビルマには政治囚は存在しないとの立場を取っており、反体制派の活動家をすべて「法律に違反し有罪となった人びと」と呼ぶ。

▽民主化指導者アウンサンスーチー氏の釈放は投票の前か後か。

アウンサンスーチー氏は投票日の5日後、11月13日に自宅軟禁を解除されることになっている。識者の間にはスーチー氏の釈放予定前に選挙が行われることを前進と見る向きもある。しかし、2009年のスーチー氏に対する裁判は、選挙プロセスからの排除を目的とした法的手段に過ぎなかった。そもそも、彼女が本当に釈放されるかも定かではない。過去21年間、自宅軟禁と釈放が繰り返されてきたことを考えれば、国軍が圧倒的な力を誇る新議会が、スーチー氏やNLDに対し、ビルマの政治問題に関して大きな役割を果たすことを認める可能性は低い。

選挙に対する国際社会の反応は?

西側諸国の大部分と国連はビルマ政府に対し、政治囚の釈放など選挙実施条件の改善を一致して要求してきた。しかし国際社会の一部の政府は様子見をしており、選挙後に自由が拡大することを期待している。良い結果を単に期待するのではなく(それとは正反対の証拠しか存在していない)関係各国はビルマ軍政指導部の計画に対して、彼らが選挙後のビルマでも権力を保持する以上、影響を与えようとすべきだ。

国連の潘基文事務総長は10月後半にバンコクで一連の発言を行ったが、軍政が選挙プロセスを全面的に管理していること、また軍政に真の意味での改革を行う意志がないことにしっかり対峙した発言ではなかった。潘事務総長はこう述べていた。「私は本当に心から、今回の選挙が包括的で透明なものとなることを望んでいる。これは国際社会の期待である。彼ら[ビルマ軍政幹部]が具体的な行動を通して、いつものやり方や現状維持的な態度から距離を取り、より開かれた方向へ向かうシグナルを発するほど、同国の民主化プロセスに対する信頼度は高まる。」

一年以上にわたり、潘事務総長はすべての政治囚の釈放と包括的で透明な選挙プロセス、そして国民和解の実質的なプロセスの開始を求めている。9月に国連総会に提出された報告書の中で、同事務総長はこうした呼びかけに対する軍政側の対応に「失望」と「不満」を表明しており、選挙関連法と選挙準備プロセスは「包括的な政治プロセスに必要とされるレベル」には達していないと述べ、政治囚の釈放を重ねて求めた。しかしこれらの要求はすべて軍政によって無視されている。

選挙が近づく中、タンシュエ上級将軍は珍しくインドと中国を公式に訪問した。貿易と投資に関する協定に調印し、選挙に関する国際的な支持を獲得することがねらいだった。インド外務省は7月27日、タンシュエの訪問後、選挙について述べた。この中でインドは「包括的で広範な国民和解と民主的変革に向けた変化がミャンマー[ビルマ]で始まっていることの重要性を強調する」とした。中国外務省報道官は9月にこう述べた。「私たちは国際社会が今回行われるミャンマー総選挙に建設的な支援を行い、ミャンマーの政治路線や域内の平和と安定にマイナスの影響を与えることは慎むことを期待する。」

選挙後のビルマに真の変化が訪れるためには、国際社会は何をなすべきか。

選挙後に関係諸国が取りうる政策の選択肢の幅は広い。全政治囚の即時無条件釈放を引き続き要求し、新政権に対して人権尊重を求め、包括的な政治プロセスへのコミットメントを求めるべきだ。ビルマの人権状況は依然深刻であり、ドナー諸国は、提供する援助が新政権に対し、人道援助機関と報道機関による支援ニーズの高い地域への完全かつ制限のないアクセスを実現し、ビルマの市民社会や開発に関わる組織に課せられた国際法違反の規制を全廃する圧力となるように確保すべきである。ビルマ政府は、国際労働機関(ILO)が強制労働と子ども兵士問題について行う調査と、国内の刑務所と紛争地域での赤十字国際委員会の活動再開(2007年に中断)を許可すべきだ。人権状況の改善と民主主義に向けた改革が本当の意味で存在しない以上、米国や欧州連合(EU)、オーストラリア、カナダ、スイスの各国は、ビルマ軍政の主要人物、政権指導部、その他軍政に近い人物に対して対象限定型金融制裁を強化し、一致協力して実施すべきだ。文民政権の見かけをした国軍支配が継続する。ビルマにとって不可欠な変革をもたらす上でいかなる猶予もない。

 

ビルマの次期大統領には誰がなるのか。

憲法によると大統領は議会の大統領選考会議によって選出される。この会議は議会内の3つのグループの代表から構成される。上院の代表と下院の代表、国軍指名議員の代表だ(なお憲法には会議の構成人数に関する規定がない)。これら3つのグループがそれぞれ副大統領候補を一人ずつ出し、次に全体でその中から大統領1人と副大統領2人を選出する。この3人の代表は選挙区選出議員か国軍指名議員のいずれかから選ばれる[15]

選挙はビルマ国内の経済社会状況にどの程度影響するか。

現在ビルマはアジア最貧国の一つだ。保健・教育部門への政府支出が世界最低水準である一方、軍事費は最高水準にある。近い将来にビルマで飛躍的な経済・社会発展が実現すると考える根拠はほとんどない。新政権は現政権が取り組んでこなかった昔からの諸問題、例えばきわめて重要な民族間和解、経済面での低開発や格差、発展につながる基本的自由の欠如といった事柄に対処しなくてはならない。選挙前に自分たちの経済的立場を確保しておこうと、ビルマ軍政幹部は国家資産の政商への売却を加速している。国営航空会社やガソリンスタンドのチェーン網などが対象となった。ビルマ経済は現在、国軍と政商の手に握られており、選挙後もその状態が継続するだろう。

 

主要政党データ

 

連邦団結発展党 USDP

USDPは国軍が支援する主要政党だ。テインセイン首相ら閣僚が2010年4月29日に結党し、わずか5日で連邦選挙委員会に承認された[16]。同党の基盤は、大衆的な社会福祉団体として1993年に結成され、全国で会員2,600万人を擁する連邦団結発展協会(USDA)にある。結党し、連邦選挙委員会から承認を受けた数カ月後に、USDPはUSDAのあらゆる資産と基盤(金融とビジネス関係の資産、全事務所など)とを継承すると発表した。選挙関連法により、USDPはUSDA会員の全員を登録することができない。公務員は政党員になることができないからだ。このためUSDPの現在の党員数は推計1,800万人だ[17]

USDPは合計で1,100人以上の候補者を立て、選挙が予定される選挙区のほぼすべてに候補者を立てると発表している。10月には、新首都ネイピドーにある党本部での記者会見で、USDA以来書記を長く務め(農業灌漑相も長い)、最近退役したテーウー少将はこう述べた。「1,112選挙区のうち、USDPはすでに52議席を獲得した。これらの選挙区ではUSDP以外の政党が候補者を立てていないためだ。」

USDPは最近退役したばかりの国軍幹部を主な選挙区に立候補させる。ビルマの将来の指導者と目される元将軍のトゥラシュエマンは8月に退役したところで、ネイピドー連邦直轄領ゼヤティリ区からUSDP候補として立候補する。対立候補はNUPの1人だけだ[18]

国民統一党 NUP

NUPも軍政の支援を受けた政党だ。国軍の統制下にあり、1974年~1988年までビルマを統治した社会主義政党・ビルマ社会主義計画党(BSPP)の後継となる。同党は再編され、国民統一党として1990年総選挙に参加した。得票率は21%だったが、獲得議席数はわずか10議席だった。今回2010年の選挙でNUPは990人を擁立した。295人を下院、149人を上院、538人を州・管区の地方議会に立候補させており、少数民族のための29の「民族選挙区」うち17選挙区に候補者を擁立した。ビルマ国軍と歩調を揃える部分もあるが、USDPの利害から独立している部分もあり、その意味では国軍の支配下にある同党への純粋な挑戦者と捉えられる。また政権を獲得すれば別の路線を選択するとも表明している。とはいえ民族主義的な政策とNLDなど反体制勢力に対する見方では、国民統一党はUSDPと酷似しており、また人権問題への関心を表明してはいない[19]

国民民主勢力NDF

NLDから分裂した政党。1990年総選挙当選議員のキンマウスウェとタンニェイン(キンニュン元首相・軍情報部長の義理の兄弟)らが結成した[20]。連邦選挙委員会はNDFの幹部の大半を無資格とした。かれらが1990年に民主的な選挙に基づく議会を開催しようとしたために国家反逆罪で立件されたことがあるからだ。キンマウンスウェらは16年間投獄されていた。彼らは、連邦選挙委員会には登録しないという2010年初めのNLDの決定に反発して離党した。NDFは約160人の候補者を擁立し、他の穏健派政党と連合を作っている。

連邦民主党 UDP

別名はミャンマー民主党。トゥワイが結成した政党で、1990年総選挙では1議席を獲得している。UDPは独立後ビルマの著名人3人の有名な娘が指導し、うち1人はウー・ヌ元首相の娘のタンタンヌだ。同党はビルマ民族地域の47議席に候補者を擁立している。

シャン諸民族民主党SNDP

シャン諸民族民主連盟(SNLD)から分かれた政党。SNLDは1990年総選挙で二番目の議席を獲得している。クントゥンウーら主要幹部は2005年に逮捕され、国家反逆罪で93年を超える刑を宣告された。SNDPはSNLDを再構成したもので、党首はサイアイパオ元SNLD総書記。シャン州全55郡のうち40郡と、近隣の州・管区のシャン人地域に候補者を擁立。

登録済み政党一覧(全37政党)

  1. 88世代学生青年党(ミャンマー連邦)
  2. 全モン地域民主党
  3. チン民族党
  4. チン進歩党
  5. 民主平和党
  6. 民主党(ミャンマー)
  7. 少数民族発展党
  8. イン民族発展党
  9. カマン民族発展党
  10. カヤン(カレンニー)民族党
  11. カイン(カレン)人民党
  12. カイン(カレン)州民主発展党
  13. カミ民族発展党
  14. コーカン民主連帯党
  15. ラフー民主発展党
  16. モー・カミ民族連帯機構
  17. 国民民主勢力(NDF)
  18. 国民民主発展党
  19. 国民開発平和党
  20. 国民政治諸連合連盟
  21. 国民統一党 (NUP)
  22. 新時代国民党
  23. パオー民族機構 (PNO)
  24. 平和多様性党
  25. パロン・サウォ(ポー・スゴー)民主党
  26. ラカイン(アラカン)諸民族発展党
  27. ラカイン(アラカン)州ミャンマー民族勢力
  28. シャン諸民族民主党(SNDP)
  29. タウン(パラウン)民族党
  30. 連邦民主党 (UDP)
  31. ミャンマー連邦全国政治連盟
  32. 連邦団結発展党(USDP)
  33. 統一民主党
  34. 統一民主党(カチン州)
  35. ワ民主党
  36. ワ民族統一党
  37. ウンタヌーNLD(ミャンマー連邦)


 


[1] International Crisis Group, The Myanmar Elections, Jakarta/Brussels, Asia Briefing No.105, May 27, 2010; Vahu Development Institute, "SPDC's Election Commission Law and Political Party Registration Law," Policy Brief No.3, March 2010; Amnesty International, "Myanmar's 2010 Elections: A Human Rights Perspective", Amnesty International Briefing, ASA 16/007/2010, May 11, 2010; Michael F. Martin, "Burma's 2010 Elections: Implications of the New Constitution and Election Laws," Washington DC, Congressional Research Service, April 29, 2010.

[2] Maw Maw San and Shwe Yinn Mar Oo, "'Friendship' group established", The Myanmar Times, October 11-17, 2010, http://www.mmtimes.com/2010/news/544/54406news.html (accessed October 26, 2010).

[3] Rebecca Henchke, "Burma's Election Debate: Harn Yawnghwe," Asia Calling, October 2, 2010, http://www.asiacalling.org/index.php?option=com_content&view=article&id=1653%3Aburmas-election-debate-harn-yawnghwe&catid=193%3Aasia-forum-2010&Itemid=493&lang=en (accessed October 29, 2010).

[4] Union of Myanmar, Union Election Commission, "Rights for Hluttaw candidates to assemble and canvas," Directive No.91/2010, August 18, 2010.

[5] Union of Myanmar, Union Election Commission, Directive No.2/2010, Nay Pyi Taw, June 21, 2010.

[6] Union of Myanmar, Union Election Commission, "Rights for Hluttaw candidates to assemble and canvas," Directive No.91/2010, August 18, 2010.

[7] Lawi Weng, "Mon Party Confident of Election Victory," The Irrawaddy, October 14, 2010, http://www.irrawaddy.org/article.php?art_id=19727 (accessed October 15, 2010).

[8] Ashley South, "Voting, But Not As We Know It", The World Today, November 2010, pp.29-31, "Tensions Shadow Myanmar Vote", Wall Street Journal, October 25, 2010, p.A12.

[9] Transnational Institute, "Burma in 2010: A Critical Year in Ethnic Politics," Amsterdam, TNI Burma Policy Briefing No.1, June 2010.

[10] Richard Horsey, "Myanmar: A Pre-Election Primer," Conflict Prevention and Peace Forum, October 18, 2010.

[11] Tomás Ojea Quintana, "Situation of human rights in Myanmar," Report of the Special Rapporteur on the situation of human rights in Myanmar, New York, A/65/368, September 15, 2010.

[12] "Myanmar population hits over 59 mln in 2009," People's Daily, July 1, 2010; "Myanmar. Population by State and Division," Myanmar Information Management Unit (MIMU), Yangon, Map ID: MIMU265v01, August 26, 2009.

[13] Human Rights Watch, Burma's Forgotten Prisoners, September 2009.

[14] Euro-Burma Office, "Election Monitor No.45," Brussels, October 8-15, 2010

[15] Ministry of Information, Constitution of the Republic of the Union of Myanmar, 2008, Yangon, Printing and Publishing Enterprise, September 2008, Chapter III.

[16] Seth Mydans, "Rulers of Myanmar shed their military status," International Herald Tribune, May 3, 2010, p.3; "Burma junta's party lays down its election platform," Bangkok Post, October 10, 2010, p.6..

[17] Transnational Institute, "Unlevel Playing Field: Burma's Election Landscape," Amsterdam, TNI Burma Policy Briefing, No.3, October 2010.

[18] Euro-Burma Office, "Election Monitor No.41," Brussels, September 11-17, 2010.

[19] Soe Than Lynn and Kyaw Hsu Mon, "NUP expects to improve on 1990 election performance", The Myanmar Times, October 25-31, 2010, http://www.mmtimes.com/2010/news/546/news54601.html (accessed October 31, 2010).

[20] Richard Horsey, "Overview of Registered Political Parties in Myanmar", Conflict Prevention and Peace Forum, June 15, 2010.

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