これまでダルフールで何が起こったのか?
2003年初頭以来、スーダン政府軍と民兵組織「ジャンジャウィード」(Janjaweed)は、反政府勢力であるスーダン解放軍/運動(Sudanese Liberation Army/Movement :SLA/SLM)及び正義と平等運動(Justice and Equality Movement:JEM)との間で、武力紛争を続けている。対反政府勢力作戦の一環として、政府軍は、反政府勢力と同一の民族に属する一般市民に対し、「民族浄化」を組織的に展開している。スーダン政府軍とジャンジャウィード民兵は、数百の村を焼き打ちして破壊した。一般市民数万人が死亡、数百万人が住処を追放され、数千人の女性や少女がレイプ・暴行された。
2008年4月現在、約250万人の避難民がダルフール内のキャンプでの生活を余儀なくされ、20万人以上が隣国のチャドへ避難、そこで難民キャンプに居住している。この紛争によって発生したこうした避難民たちに加えて、少なくとも200万人が「紛争の影響を被っている」と国連はみなしており、その多くは何らかの食糧援助を必要としている。紛争が地域経済や市場、交易に打撃を与えたためである。
紛争勃発以来、反政府勢力は、その組む相手も変遷し、自身分裂してきた。最も顕著なのは、2005年11月、SLAが2派に分裂したことだ。2006年5月のダルフール和平協定(Darfur Peace Agreement)の調印の後、再度分裂した。2008年4月現在、SLAとJEMには約24の分派がある。
2005年当初、政府の一般市民への攻撃数は減少した。狙われた村の大多数が破壊し尽くされ、住民がダルフールの地方から避難したため、というのが理由の一つだ。しかし2005年後半に、状況は劇的に悪化。2006年5月のダルフール和平協定後、また更に悪化した。
2006年から2007年までを通じて、反政府勢力の相次ぐ分裂と組む相手の変遷に応じて、状況は次第に変わった。政府と反政府勢力諸派双方が、有利な立場を得ようと駆け引きを繰り返し、軍事的優位を追求する中で、武力衝突と明らかに一般市民を狙った襲撃がダルフール全域で続いた。しかし、一般市民はまた、大規模な軍事攻撃のコンテクストとは離れた状況でも、政府軍や、民兵、反政府勢力、旧反政府グループや盗賊による嫌がらせ、暴行、レイプなどの犠牲になった。
今、ダルフールで何が起こっているのか?
2007年と2008年、スーダン政府は一連の空爆を継続した。反政府勢力の支配下にあると伝えられたダルフール全3州の一般市民居住地域に大規模な空爆を行ったのである。政府の支援を受けた民兵もまた、ダルフール全体で一般市民への大規模な攻撃を加えた。
2008年2月、政府軍そして政府軍と同盟関係にある民兵グループは、西ダルフールの村に対して一連の連携攻撃を行った。前2ヵ月間に亘るJEMの軍事的優位に対する報復であるといわれている。2008年2月8日、スーダン空軍は、シルバ(Sirba)、シレア(Silea)、アブ・スルジュ(Abu Suroj)という3つの村を、馬に乗ったジャンジャウィード民兵の支援のもと、アントノフ爆撃機と攻撃ヘリコプターで、1日で攻撃した。ジャンジャウィードは爆撃に引き続き、村に火を放ち、略奪し、レイプし、そして村人を殺害した。この結果、少なくとも100名の一般市民が死亡し、10名の女性がレイプ又は性的暴行を受けた。
その後数週間、ジャベル・ムーン(Jabel Mun)地域近郊で、政府軍とJEM・SLAが衝突。政府軍は一般市民も標的にし、中には、隠れている場所から探し出され撃たれた市民もあった。
反政府勢力と旧反政府勢力も残虐行為を行った。北ダルフールの住民は、旧反政府勢力指導者ミニ・ミナウィと盟約を結ぶ武装グループによる残虐行為に対する不満を募らせている。このグループは、SLA-ミニ・ミナウィと呼ばれる。ミニ・ミナウィは、2006年5月のダルフール和平協定に調印した人物でもある。このような一般市民を標的とした残虐行為や、SLA-ミニ・ミナウィ兵士と反政府勢力の衝突のため、特にコルマ(Korma)とタウィラ(Tawila)の多くの人びとは、当該地域の様々なキャンプに避難せざるをえなくなっている。
過去2年、ジャンジャウィード民兵は、次第に「正規」の政府治安部隊、例えば国境情報部隊、人民防衛軍、中央予備警察などに統合されてきている。しかし、一部の民兵、特に約束された給料の支払いを受けられていない人物たちは、政府に対して不満を持っている。この不満は、多くの暴力に結びついている。最近では、2008年4月、エル・ファシェル(El Fasher)で、給料未払いに抗議した民兵が、市場やその他の場所を襲撃、少なくとも15名を殺害した。加えて、一部の民兵は、少なくとも一時期、組む相手を反政府勢力に変えていた時期があった。たとえば、2008年初頭、ジャンジャウィード指導者モハメド・ハムダーン(Mohamed Hamdan)は、政府との新たな合意に達するまで、SLAとJEMの両方と一時期同盟していた。
2007年1月以来、アラブ系武装グループ間の武力衝突も増加している。特に南ダルフールでは、その結果200人以上が死亡、数千人が避難を強いられた。
ダルフールで一般市民を保護しているのは誰か?
2007年7月31日、国連安全保障理事会は、スーダン政府の同意のもと、ダルフールに最大2万6千人の国際的な軍人と警官からなる平和維持軍を派遣することに合意した。このアフリカ連合と国連のハイブリット・フォース(UNAMID)は、2008年1月1日、苦戦を強いられてきたスーダンにおけるアフリカ連合ミッション(AMIS)から正式に権限を引き継いだ。
しかし、スーダン政府の妨害のため、権限の移譲に伴う追加兵力は殆ど派遣されず、2008年4月現在でも、兵力はその承認規模の3分の1の規模でしかなかった。スーダン政府は、基地の土地の割当てや重要装備到着を遅らせるなど、一連の煩わしい官僚的障害をUNAMIDにしかけた。こうした規模の派遣準備ができているアフリカの部隊はないにも拘わらず、スーダン政府は、平和維持軍を主にアフリカ諸国の軍で構成することを主張してきた。他の諸外国政府もまた、UNAMID支援に失敗している。2007年7月以来、UNAMIDは24台のヘリコプターを含む必要不可欠な装備を求めてきた。しかし、2008年4月現在も、5台のヘリコプターしか提供されていない。
ダルフールの状況が悪化した理由は?
鍵の1つは、スーダン政府が、民族民兵組織を、過去4年間にわたり支援し続け、一般市民への襲撃を共同で行ったり、あるいは民兵の一般市民攻撃を容認してきたことにある。そして、平和維持軍や人道援助者やその輸送隊への攻撃など、重大な国際法違反を処罰せず放置する政策を採り続けてきたことである。長引く紛争と反政府勢力グループの分裂は、ダルフールの一部における無法状態の拡大につながった。このことは、次に盗賊の跳梁跋扈を許し、さらに、反政府勢力が、援助物資の輸送隊への襲撃や一般市民を殺害する状況を許すことになった。2004年4月の停戦協定は、全ての当事者によって繰り返し破られた。ダルフール和平協定(DPA)の恒久的停戦合意も、同じ運命をたどっている。
安全を確保できない現状が、人道援助活動に及ぼす影響は?
安全/治安の悪化は、援助活動に従事する者への意図的な攻撃と相まって、ダルフールの広範な範囲で、人道援助物資が非常に届きにくい状況を生み出した。2008年1月から4月の間だけでも、援助活動従事者4名が殺害され、102台の人道援助用の車両がハイジャックされた。一方、世界食糧計画(WFP)と契約を結んだ援助食糧配給車の運転手が、2008年4月14日現在、29名、行方不明になっている。同期間に、人道援助活動に使われている建物少なくとも14棟が武装集団に襲撃され、人道援助施設が4つ破壊・略奪された。現在、人道援助から切り離された人びとが少なくとも10万人、ヘリコプターでしかアクセスできない人びとが、さらにそれ以上いる。
チャドで何が起きているか?
チャドでの暴力は、2005年後半からエスカレートしてきている。スーダン政府が支援するチャドの反政府勢力がダルフールに基地を設け、国境を越えて攻撃を始めたためである。2008年2月、チャド反政府勢力は、チャドの首都ンジャメナを攻撃したが、チャド政府軍に撃退された。
ダルフール反政府勢力は、20万人以上のダルフール難民を収容する難民キャンプ内など、チャド東部に長い間駐留してきている。反スーダン政府勢力の一派・JEMは、チャド政府が絶対の信頼を寄せる同盟武装勢力であり、チャド国内に安全な潜伏先を得、物資と財政援助を受ける見返りに、チャド政府の代理軍として、反チャド政府軍と対抗している。
スーダンのジャンジャウィード民兵とそれと盟約を結ぶチャド民兵は、チャド国内での紛争だけでなく、一般市民を標的とした大規模な襲撃も行っている。最近では、2007年3月、スーダン国境近くの村で、少なくとも200名が殺害された。2006年11月、70以上の村で数百名が殺されている。
ダルフール国境沿いのコミュニティ間の緊張は、民兵の暴力及び民族分岐ラインに沿って村単位の自衛軍に武器を供給するというチャド政府の政策の結果、さらに高まっている。これは、明らかに、同地域で活動するチャド反政府勢力への支援を減らし、国境越えの侵略に対する最初の防衛線を作る目的である。
2007年9月、国連安全保障理事会は、強力な欧州連合軍たるEUFOR兵士3700名と警官訓練と司法システムの改善を任務とする国連人道援助活動MINURCATから成る欧州連合(EU)/国連ハイブリッド東部チャド民間人保護ミッションを承認した。
一般市民を保護するために何ができるか?
長期的には、根本的な問題は、スーダン政府が軍事戦略としてダルフールの一般市民を標的にする政策を進め続けていることにある。残虐行為に手を染める民兵を採用し配備するのも、ダルフールでの犯罪者を免責するのも、スーダン政府の政策である。国際機関と各国政府は、こういった政策・行動を止めるようスーダン政府に対し要求し、個人に対するターゲット制裁やその他の措置を含む圧力をかけなければならない。また、現反政府勢力と元反政府勢力にも、残虐行為を止めるよう圧力をかける必要がある。
国連安全保障理事会が、国連とアフリカ連合のハイブリッド・平和維持軍の派遣を承認した現在、当該平和維持軍が、適切な装備で、一般市民を保護する強力な権限を行使してしっかりと活動することを確保し、スーダン政府に派遣の妨害や活動の邪魔をさせないことができるのかは、国際社会の肩にかかっている。
AU・国連ハイブリット・フォース(UNAMID)は、最大2万6千人の軍人及び警官の平和維持要員から構成されることになっている。アフリカ連合スーダン・ミッション(AMIS)の教訓は、一般市民保護という権限を実行するUNAMIDの能力を確保するには、要員の頭数だけでは不十分ということだ。UNAMIDは、ダルフール内で広く戦略的に分散配置され、強力かつ迅速な対応能力を備え、薪集めや市場でのパトロールを含む定期的な昼夜のパトロールを実行し、訓練が行き届きしっかり装備をした警察ユニットを持つ必要がある。さらに、UNAMIDには人権担当官も必要である。そして、当該人権担当官は、人権侵害事件の調査結果を公表するべきだ。UNAMIDには、性暴力とジェンダーに基づく暴力や子どもの権利の専門家スタッフも多数必要だ。UNAMIDはまた、危険にさらされている住民に、援助団体が支援を提供できるよう、人道援助のアクセスも改善しなければならない。
こうしたことを実現するためには、ヘリコプターなどの必要不可欠な装備の供給など、UNAMIDに対する多大な経済的支援が必要だ。一方、UNAMIDの派遣を積極的に促すため、スーダン政府に圧力をかけ続ける政治的意思もまた必要となる。
スーダン政府はダルフールの状況をどう説明しているか?
紛争勃発当初の数年、スーダン政府は、ダルフールの状況を一様に「部族衝突」と説明、一般市民への組織的襲撃に対する責任を認めるのを終始拒否してきた。スーダン政府が犯罪行為に加担している膨大な証拠にもかかわらず、政府は、国際ジャーナリストと人権団体がダルフールの状況を「でっちあげた」として非難してきた。政府は、ダルフールに対するメディアのアクセスを制限しようとジャーナリストに嫌がらせを繰り返し、ダルフールからの情報流出を止めるために報道の自由を規制してきた。2004年、アルジャジーラがダルフールに関する報道を放送した後、政府は、同社のハルツーム特派員を数週間拘禁した。2006年8月には、西欧のジャーナリスト数名がダルフールで逮捕され、スーダン情報部に引き渡された。これらのジャーナリストたちは後に釈放されたが、2006年9月、スーダン政府は、事前検閲と恣意的な逮捕で、スーダン・メディアに対する厳重な取り締まりを開始。国際ジャーナリストには、多くのうんざりするような官僚主義的規制を押しつけ始めた。政府は、5年間の紛争で殺害されたのは、わずか9000名と主張するなど、ダルフール危機について極端に矮小化した主張を続けている。
国連安保理は、ダルフールについていかなる措置をとっているか?
国連安全保障理事会は、この4年間で、「民兵を武装解除する」、「一般市民への襲撃をやめる」など、スーダン政府に特定の行動をとるよう要求する12を超える決議を採択してきた。しかし、それにもかかわらず、そうした要求の実行を確保するための安保理としての一致した努力はほとんどされていない。
その主な理由は、国連安全保障理事会がスーダン政策に関して分裂していることにある。それぞれの加盟国の利害が異なる。ロシアと中国は、スーダン政府を頻繁に支持してきた。イデオロギー的な主張(加盟国間における内政不干渉)や両国のスーダンにおける経済的利益に基づく行動である。たとえば中国は、石油の4~7パーセントをスーダンから輸入している。スーダン石油プロジェクトは、中国の海外での石油開発事業の中で最も成功した事業である。
安全保障理事会が取った直近の行動は、2007年7月の国連・アフリカ連合(UN-AU)「ハイブリット」平和維持軍の承認である。安全保障理事会は、他にも2つ重要な措置を取った。一つは、ハーグの国際刑事裁判所(ICC)にダルフールの状況を付託したこと。ダルフールで、多くの人道に対する罪と戦争犯罪が犯されているためだ。また、もう一つは、武器禁輸違反、人権侵害や和平プロセス妨害を犯した個人を調査する制裁委員会と専門家パネルの設立だった。しかしながら、現在まで、同委員会は個人4名に制裁を科しただけで、しかもその4人にスーダン政府高官は含まれていない。
国連はダルフール紛争関係勢力にどんな制裁を科しているか?
2005年12月、上記国連専門家パネルは、合計17名に、個人に対するターゲット制裁を科すよう勧告した。スーダン防衛大臣アブドル・ラヒム・モハメッド・フセイン少将(Abdel Rahim Mohammed Hussein)の他、9名の政府官僚、2名のジャンジャウィード民兵指導者、5名の反政府勢力司令官だ。人権侵害と和平プロセス妨害に関する彼らが行った行動に対する措置である。2006年4月、国連安全保障理事会は、うち、元スーダン軍指揮官、ジャンジャウィード民兵指導者と反政府勢力司令官2名の計4名のスーダン人に対する制裁にだけ賛成した。制裁は渡航禁止・外国銀行口座その他の資産の凍結などがある。現役のスーダン政府官僚は、制裁リストに載らなかった。このとおり、1年前、地位の低いこの個人4人に対する制裁を施行して以来、国連制裁委員会は、他の個人を制裁できないでいる。中国、ロシアとカタールの反対のためである。
2007年9月、上記専門家パネルは、新たなレポートを国連制裁委員会に提出した。同報告書は、交戦中の関係団体全てが、国際人道法違反と人権侵害、武器禁輸措置に対する露骨な違反を犯していることを明らかにしていた。また、 スーダン政府が「UN(国連)」マークを付けた航空機を軍事作戦に違法に利用していること、そして、既存の制裁措置の不履行や軍事目的飛行禁止に対する違反などを報告していた。当該パネルの2006年10月発行レポートには、個人向けターゲット制裁の対象とすべきと勧告された追加個人名が記載された秘密書類が添付されていた。2007年9月発行レポートには公開名簿が付されていた。こうした事実にも拘わらず、2008年4月現在、国連安全保障理事会は、過去又は最近の一般市民襲撃いずれについても、責任者たるスーダン政府高官に制裁を拡大する措置をまったく取っていない。
国際刑事裁判所がダルフールについて取っている措置とは?
国際刑事裁判所(ICC)は、2005年6月、ダルフール状況の調査を開始した。ICCは、ローマ規程により、2002年7月以来、人道に対する罪、戦争犯罪、ジェノサイドなどの犯罪に最も責任のある者を捜査する権限を有する。2007年4月27日、ICCの予審裁判部(Pre-Trial Chamber)は、スーダン人道問題大臣アーメド・ハルーン(Ahmed Haroun)とジャンジャウィード民兵指導者アリ・クシャイブ(Ali Kosheib)に逮捕状を発付した。西ダルフールでの2003年と2004年における一連の攻撃に関する容疑である。これに対し、スーダン政府は、ICCに協力しないことを公言。スーダン政府自身でダルフールでの犯罪を裁くと主張している。ハルーンを国際刑事裁判所に引き渡す義務を履行するどころか、同人は「ダルフール人道問題担当国務大臣」に居座ったままである上、2007年9月、ハルーンは人権侵害を調査する委員会の共同委員長に任命された。第2の容疑者クシャイブは、他の容疑でスーダンの収容施設で拘禁されていたが、報道によると、2007年10月に釈放された。
スーダン国連大使アブデル・マフムード・モハメドは、国際刑事裁判所(ICC)への協力どころか、逆にICCの主任検察官ルイス・モレノ=オカンポをスーダンにおける和平プロセス妨害の容疑で裁判にかけるよう求めた。
スーダン政府は、戦争犯罪者を訴追するため行動をとっているか?
スーダン司法システム下で、ダルフールにおける重大犯罪に対して責任のある政府役人、民兵リーダーその他の個人が、本気で捜査又は訴追されている徴候はない。ダルフール事件特別刑事裁判所が2005年に設立されたが、ごく少数の指導的立場になかった人物たちに有罪判決が下っただけである。特別刑事裁判所の詳細については、ヒューマン・ライツ・ウォッチ報告書「足りない有罪判決:ダルフール事件特別刑事裁判所」(Lack of Conviction: The Special Criminal Court on the Events in Darfur)を参照されたい。
ダルフール紛争の宗教的側面とは?
ダルフールの人びとはみなイスラム教徒である。スーダン政府とジャンジャウィード民兵もまたイスラム教徒である。しかし、政府軍兵士とジャンジャウィードが、一般市民の村を襲撃中に、モスク(イスラム教寺院)を破壊、モスク内にある物品を略奪、イスラム教指導者やモスクに避難してきた人びとを殺害、コーランを冒涜するなどの事件が多数起きた。たとえば、西ダルフールのある小さな地域だけでも、2003年末から2004年初頭にかけての襲撃で、スーダン政府軍と民兵によって少なくとも62のモスクが破壊されたことをヒューマン・ライツ・ウォッチは調査・記録している。ダルフールの他地域でも、モスクへの襲撃は、引き続き多発した。
ダルフールの民族構成は?
ダルフールには、各々の言語と習慣をもった様々な民族集団がある。反政府勢力運動は、3つの主な民族グループからなる。フール族、ザガワ族、マサリト族である。すべて非アラブ人と見なされている。スーダン政府が採用・武装・訓練したジャンジャウィード民兵は、主に、歴史的に土地を所有してこなかった小規模なアラブ遊牧民の諸部族出身。その多くは1960年代から1980年代にかけてのチャド内戦の結果、チャドからダルフールに移住してきた者である。歴史的には、これらのグループは平和に共存してきた。それぞれの指導者や植民地宗主国の調停を通して、人的な犠牲や財産の毀損・窃取に対しては損害賠償を支払うことで、平和的に紛争を解決していた。資源をめぐる衝突にもかかわらず、民族グループ間の婚姻関係があった。ダルフールにはまた、各々の土着の土地(ダルdar)を持ち、紛争には参加してきていない多くの比較的大きなアラブ民族コミュニィティーも存在する。従って、ダルフール紛争をアフリカ人とアラブ人の紛争と説明するのは過度の単純化である。
ダルフールで人びとはどうやって生き延びているのか?
現在、ほぼ250万人、つまり人口の3分の1を超える人びとが、国際的な人道援助に殆ど全てを依存する避難民キャンプで生活している。多くの地域では、キャンプから遠くへ行くことはできない。民兵が襲撃を続けているし、女性は、薪集めや市場で、頻繁にレイプや暴行をされるからだ。農村地帯には、政府と盟約関係にある民兵が駐留し続けているため、人びとは自分の家に戻る事も出来ない。戦争は、多くの農民を広範な地域で追放し、交易と遊牧民の移動ルートの途絶を引き起こし、ダルフール経済をひどく破壊した。400万人以上のダルフールの人が、何らかの人道援助に依存している。
しかも、援助を必要とする何十万人もの人びとに、援助の手が届いていない。安全が確保されていないことや襲撃の危険に加え、スーダン政府の文民官僚及び軍人が行う妨害のためである。
スーダン政府はなぜジャンジャウィード民兵を組織したのか?
スーダン軍の兵士の多くがダルフール出身である。よって、政府は、兵士の故郷の紛争で、当該部隊を使うことには後ろ向きだったのかもしれない。しかも、スーダン政府は、これまでも、南スーダンやヌバ山地などで、民族別の民兵を、頻繁に代理軍として使ってきた。政府は、民兵を使用することで「否認可能性」を手に入れられる。政府は、民兵を「コントロールできない」と言い訳するのだ。しかし、政府が実際に民兵をコントロールしようとした証拠はない。一方、軍情報員や他の将校らが、州や国の文民官僚の支援のもと、民兵に給料を支払い、武装・組織し、指示を与えているというかなりの証拠がある。民兵は、戦闘で、財政的利益(略奪と土地)を略奪する。そのため、スーダン政府の対反政府軍作戦に忠実に従い、かつ、数は多いが安価な武装勢力となっている。
スーダン政府を支援しているのは誰か?
スーダン政府は、軍需物資を中国、ロシア、ベラルーシ、ウクライナなどの国から購入している。1999年8月に石油を輸出し始めて以来、スーダン政府の収入は大きく増加してきている。1999年から2004年までの間に政府の年収は3倍の30億米ドルになったと推定される。その結果、スーダンは攻撃ヘリコプター、ミグ戦闘機、大砲その他の軍需物資をもっと購入できるようになった。また、南部スーダンの21年戦争の終結に際し、2002年10月の停戦合意の後、スーダン政府は、対反政府軍作戦用に近年入手した武器の多くをダルフール紛争に移転・使用することができた。
スーダン政府は、南部スーダンと現在のダルフールでの戦争を通して、多くの国際人道援助を受けてきている。たとえば、世界食糧計画(WFP)は、現在、ダルフールと南部を含むスーダンで、600万人に援助を提供している。
グロッサリー(用語解説)
AMIS - アフリカ連合スーダン・ミッション(African Union Mission in Sudan)
DPA - ダルフール和平協定、2006年5月にスーダン政府、SLAとSLA-Minni Minawiが署名した
EU - 欧州連合
EUFOR - 欧州連合軍。MINURCATとともに、チャド東部でEUと国連のハイブリッド・民間人保護ミッションの一部を構成する
ICC - 国際刑事裁判所
ジャンジャウィード - 政府と同盟関係にあるスーダン民兵
JEM - 正義と平等運動、スーダンの反政府勢力グループ
MINURCAT -国連の人道援助活動。 EUFORとともに、チャド東部でEUと国連のハイブリット・民間人保護ミッションの一部を構成する
SLA - スーダン解放軍、スーダンの反政府勢力グループ
SLA-ミニ・ミナウィ(SLA-Minni Minawi) ・元反政府勢力指導者ミニ・ミナウィ(Minni Minawi)が率いるSLA分派
SLM - スーダン解放運動、スーダンの反政府勢力グループ
UNAMID - 国連とアフリカ連合の「ハイブリット」平和維持軍。2008年1月1日にAMISから権限を引き継いだ
最終更新日 2008年4月25日