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People attend the funeral of Khin Maung Latt, a National League for Democracy ward chairman in Yangon, Myanmar, who died in custody, March 7, 2021.  © 2021 REUTERS/Stringer

(シドニー)―ミャンマーでは、2021年2月1日の軍事クーデター以来、多くの人びとが拘束中に死亡しており、その責任は国軍と警察にあると、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査によると、拘束中に死亡した活動家6人について、明らかな拷問の痕跡や適切な医療が施されない状況があった。ミャンマー国軍は、これらの死亡事案についてまともな調査を行っておらず、責任者の訴追も行っていない。

「ヒューマン・ライツ・ウォッチが調査した6件の死亡事案は、ミャンマー国軍と警察に拘束された人びとが受けている苦痛や拷問の氷山の一角に過ぎない」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのミャンマー調査員マニー・マウンは述べた。「国軍の統治があらゆる面で残忍であることからすると、拘束中の死亡事案を調査し、責任者を訴追しようという明確な動きがないのは、驚くにはあたらない。」

国軍は、その統治に反対する人びとへの恣意的な拘束・収容、拷問などの虐待行為、不公正な裁判といった人権侵害を即刻停止すべきだ。拘束中の死亡事案については、しかるべき説明とともに遺族にただちに報告がなされること、遺体の返還がなされること、人権侵害の責任者が訴追されることが求められる。

タイに拠点を置く「政治囚支援協会」の推計によると、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)政権下での民政移管を事実上終わらせたクーデター以降、少なくとも72人が、警察または国軍によって、警察署や国軍の尋問センター、刑務所での拘束中に死亡した。こうした死亡事案は、治安部隊の拘束後まもなく亡くなった(多くはエスニックマイノリティ居住地域での軍事作戦中に起きている)少なくとも690人の死者のごく一部だ。国軍は拘束中の死亡事案を数件しか認めておらず、しかも病気や心不全が原因だったと主張する。しかし、人権活動家や目撃者、また犠牲者に近い関係筋は、入手できた物的証拠から、多くが拷問のほか、劣悪な収容環境や適切な医療を利用できないなどの虐待が理由で死亡したことがわかると述べている。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2022年5月から7月に起きた6件の死亡事案の詳細を明らかにした。目撃者や事情に詳しい人物10人にリモートでインタビューを実施し、ソーシャルメディアに投稿された40枚の写真と5本の動画を検証したほか、拷問の専門家である救急医に視覚的証拠に関する独立した医学的分析を依頼した。

この6人はいずれもヤンゴンやマンダレー、サガインで政治活動に携わるか、反国軍を標榜していた。キンマウンラット(58歳)、ゾーミャットリン(46歳)、タントゥンウー(48歳)の3氏はNLD党員であるために拘束されたと見られる。ケットティー(43歳)、ティンマウンミン(52歳)、チョーシュエニェイン(55歳)の3氏は、クーデターへの抵抗運動に参加するか、運動のリーダー格だった。うち5人の死亡は拘束と尋問から24時間以内だ。チョーシュエニェイン氏は拘束から2ヵ月後に死亡した。

ミャンマー警察と国軍部隊は、6人のうち5人を夜間の家宅捜索で逮捕し、タントゥンウー氏をマンダレーで日中に拘束している。5件で国軍と警察が共同作戦を行った。この3月に施行された法律により、警察は正式に国軍の管理下に入り、警察官は軍事作戦への参加を含め、国軍のあらゆる命令に従うことが義務づけられた。

6人のうち5人の写真には、身体または頭部に拷問を示唆する傷跡がある。タントゥンウー氏の遺体写真がないのは、死の直後に火葬したと国軍当局が説明しているためだ。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、救急医のロヒニ・ハール医学博士に遺体画像の分析を依頼した。ハール医師は「犠牲者5人の遺体を撮影した写真と動画を検証したところ、身体や頭部の傷跡から、かれらが激しい苦痛を受けたこと、また拷問があったことがはっきりわかる(…)。虐待や拷問の痕跡が多すぎて、どれが死亡原因だったのかを正確に特定することは難しい」と述べた。

どの遺族も正式な診断書、死因、検死報告書を受け取っていないが、4人の遺体には検死が行われた証拠がある。国軍は、拘束中に死亡した事案について診断書を発行し、検死が行われた場合には家族に検死報告書を提供すべきだ。

4人の遺族は、遺体をただちに火葬にするよう当局から圧力を受けたと語った。虐待の証拠を隠滅するためと思われる。また2人の遺族は、当局に遺体が没収されないようにと、遺体をすぐに埋葬したと述べた。

国連のミャンマーに関する特別報告者は2021年10月に「8,000人以上が恣意的に拘束された。多くが拷問されており、うち数十人は拷問により死亡した」との信頼できる報告を受けたと述べた。2022年3月の国連人権理事会で、ミシェル・バチェレ国連人権高等弁務官は、治安部隊による死亡事案のうち、少なくとも21%は被害者の拘束中のことだったという信頼できる報告を受けたと述べた

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、クーデター以降になされた、国軍よる広範かつ組織的な人権侵害(殺人、拷問、不当な投獄など)が「人道に対する罪」に相当することを明らかにしている。

国連の「潜在的な不法な死の調査に関するミネソタ議定書」(2016年)は、あらゆる拘束中の死亡事案について、死亡の「状況と原因に関する迅速かつ公平で実質的な調査」をすべしと定める。また「遺族に直ちに通知した上で、死亡通知を容易にアクセスできる場所に掲示されなければならない。可能な範囲内で、遺族は検死に先だって意見を求められなければならない。遺族は検死時に代理人を立ち会わせる権利を与えられなければならない(…)。遺体は家族に返還され、故人をどうするかはその信条に委ねられなければならない」と記している。

国連、地域機関、各国政府、具体的には欧州連合(EU)や米国、英国、東南アジア諸国連合(ASEAN)などは、拘束中の死への懸念をはっきり表明し、その停止を求めて政権に強く働きかけるべきだと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘した。また、ミンアウンフライン上級大将が率いる国軍と国家行政評議会(SAC)幹部、国軍所有企業への対象限定型制裁も強化すべきである。

国連安全保障理事会は、ミャンマーの状況を国際刑事裁判所に付託し、世界的な武器禁輸を決議するなど、国軍への対抗措置を緊急に講じるべきである。

「拘束中の人びとが死亡していることは、国軍の治安部隊が日常的に行っている隠れた残虐行為の1つだ」と、前出のマウン調査員は述べた。「関係国政府は、こうした恐ろしい人権侵害を国際社会が非難する状況を作らなければならない。」

詳細は以下をご覧ください:

Family members attend the funeral of Zaw Myat Lynn, a member of the National League for Democracy, who died in custody after he was arrested, Yangon, Myanmar, March 11, 2021.  © 2021 REUTERS/Stringer TPX IMAGES OF THE DAY

拘束中の死亡事例

次に挙げる事例は、被害者の家族と目撃者へのリモートインタビューおよびその他の情報源に基づく。1件を除き、目撃者はミャンマー国軍と警察からの報復を恐れて匿名を希望した。

 チョーシュエニェイン氏(マンダレー地域ニャウンウー町)

私服警官と国軍情報部の部隊は2022年1月30日、マンダレー地域にある自宅で、ニャウンウーでの抗議行動から帰ってきたところのチョーシュエニェイン氏(55歳)を拘束した。

当局は、チョーシュエニェイン氏に対し、「フェイクニュース」を拡散し、クーデターへの抗議行動を支持するFacebookの投稿1件をシェアした容疑をかけた。3月に行われた非公開裁判で、氏には扇動罪(刑法第505A条)違反で6ヵ月の刑が言い渡された。条文はクーデター直後に改定され、「恐怖を引き起こす」コメントや「フェイクニュース」の拡散が最高3年の刑を科せられる犯罪とされた。

3月9日、ニャウンウー刑務所で看守の1人に借りた携帯電話で家族と話した際、チョーシュエニェイン氏は元気そうな口ぶりだった。しかし、氏は家族の1人に対し、最初に10日間収容されていたミンジャン尋問センターでひどい暴行を受けたと述べた。そのせいでめまいがすると家族に話している。3月11日、刑務所当局は、チョーシュエニェイン氏の妻に対し、めまいを訴えたその日の夕方に死亡したと伝えた。遺体が運ばれたニャウンウー病院の医師団は、親族に死因は心不全だと告げた。

当局は検死を実施したが、家族は死亡証明書も検死報告書も受け取っていない。家族の一人は、ある警官が家族に対し、チョーシュエニェイン氏の死亡通知を受けたことを認める白紙の文書に署名するように命じたと述べた。

ある家族はこう話している。

私はとても苦しかったです。サインだけはしましたけど、内容もわからなかったし、控えもありません(…)。もし自然に死んだのなら[かれが監獄で死んだことについて]自分を赦すことできます。でも、なにもわからないことこそが辛いのです。もちろん、ほとんどなんの答えもないなかで彼の死を受け入れることはとても難しい。しかし今のところなすすべがありません。

ハール医師は、葬儀で撮影されたチョーシュエニェイン氏の写真を検証したところ、両目や両耳の周りの打撲傷から、頭部に外傷があることを示す写真があると述べた。

 タントゥンウー氏(マンダレー地域マンダレー市)

2021年9月26日午後3時半頃、兵士と警察は、元政治囚で活動家のタントゥンウー氏(48)をマンダレーの自宅で拘束し、第7地区警察署に連行した。近隣住民と家族は、治安部隊が後ろ手に縛られた氏を殴打し、おそらく命令になかなか応じなかったという理由で足を撃ったところを目撃している。ある目撃者はこう述べている。

「50~100人の兵士と警官が軍用トラックや自家用車で現れました。兵士の一部は第33軽歩兵大隊司令部の所属でした。マンダレーの地元警察署の警官もいました(…)。かれらは[タントゥンウー氏に]ひざまずくよう命じましたが、氏の体重は400ポンド(約180キロ)もありました。それで足を撃って、無理矢理にひざまずかせたのです。」

この目撃者によると、翌9月27日、警察と国軍当局者はタントゥンウー氏の家族に対し、氏は心不全により署内で死亡したと告げた。別の証言によると、当局は家族に死亡証明書を渡さなかったにもかかわらず、治安部隊は家族にタントゥンウー氏の死亡通知を受けたことを認める文書に署名するように命じた。

家族によれば、拘束前のタントゥンウー氏の健康状態は良好だった。家族が遺体の引き渡しを求めると、当局は、タントゥンウー氏は拘束中に行った新型コロナウイルスの検査で陽性だったため、遺体は直ちに火葬にしたと述べた。

家族の1人はこう言った。

「誰にでも夢はあります。[タントゥンウー氏も]そうでした。彼は芸術が好きで、いつも書き物をしていました。たくさんの人に気に入られていました。もし、彼が[国軍と]戦っている間に死んだのなら、彼を失ったことの痛みにも耐えられるでしょう。しかし、彼は、向こうがやりたい放題できる尋問の最中に死んでいます。こうしたかたちで死んだことを受け入れるのはつらいです。」

 ケットティー氏(ザガイン地域シュエボー市)

 鋭い政治的なウィットで知られる有名詩人のケットティー氏(43)は、軍事クーデターに反対する行動で指導的役割を果たした。氏は抗議行動を組織し、集会での演説では国軍に対抗しようと訴えていた。詩作は国軍への抵抗の一部となった。「あいつらは頭を撃つが、革命がハートにあることがわかっていない」と、氏は書いている。

2021年5月8日、兵士と警官約40人がザガイン地域シュエボー市の自宅でケットティー氏を拘束した。容疑は治安部隊を標的とした地雷敷設計画を主導したというものだった。当局は、妻のチョウスー氏とその義兄のエイピョー氏も攻撃計画に協力した疑いで拘束した。 

ある証人によると、警察は3人に手錠をかけ、警察車両でシュエボーの本署があるミョーマに連行し、男性と女性の房に別々に収容して尋問を行った。

尋問は夜通し何時間も続いたが、翌9日の朝にチョウスー氏と義理の弟は釈放された。ある警官はチョースー氏に対し、夫がミョーマ署から90キロ近く離れたモンユワ総合病院に運ばれたと伝えた。消息筋によると、チョウスー氏は夫が病気だと思い、警察署長に夫の看病をしたいから病院まで連れて行ってくれるよう頼んだ。すると担当の警察官から、ケットティー氏は死亡したと聞かされた。

5月9日午後2時頃、モンユワ病院の当局者はケットティー氏の家族に対し、死因は心臓発作だと説明した。しかし、氏には心臓の持病はなく、目があまり見えないことを除いて健康上の問題はなかったと家族は述べている。消息筋によると、病院側は遺体をその日のうちに病院で火葬にするよう家族に圧力をかけた。家族は、当局がケットティー氏をすぐに火葬にさせるのではないかと考え、死の翌日に遺体を引き取って埋葬した。

当局は家族に死亡診断書も検死報告書も渡さず、死因についての調査も行っていない。

家族の1人はこう述べた。

「遺体と一緒に急いで戻りました。遺体を取り返しにやってくるかもしれないと思ったからです(…)。埋葬のために遺体をきれいにしていると、頭が少し動いて血が流れてきました。当局は頭部について検死を行ったので傷が1ヵ所ありましたが、それ以外にも顔の右側に2カ所、鼻に黒い痕がありました。また太ももには四角い火傷の跡がありました。背中は確認しませんでした。解剖で縫合した部分が開いてしまっては困ると思ったからです。」

ケットティー氏は2021年5月10日に、拘束されてから48時間も経過していないうちに埋葬された。

救急医のハール医師は、死後に撮影されたケットティー氏の画像から、頭部外傷の可能性が高いと述べている。

 ゾーミャットリン氏(ヤンゴン市シュエピター区)

ゾーミャットリン氏(46歳)は国民民主連盟(NLD)の元党員で、ヤンゴン市シュエピター区でアウンサンスーチーの名を冠した職業訓練学校を運営していた。一家は学校の生徒と一緒に生活していた。

2021年3月9日午前1時頃、警察と兵士が学校に現れた。ねらいはゾーミャットリン氏の拘束だったと見られる。理由はFacebookに民主派を支持する投稿をしたことだった。氏は走って柵を飛び越えたものの、警官と兵士に包囲され、軍用車両へと連行された。

この学校の教員はこう述べた。

「2021年3月9日午前2時頃に生徒たちから話を聞きました。(その話によれば)警官と兵士約40人がスー職業訓練校に現れたそうです。兵士が正面玄関から入ってくると、生徒数人がまず捕まりました。ゾーミャットリン氏は柵を飛び越えて向こう側に行きましたが、校舎は包囲されて捕まりました。隣の家の人たちは、ゾーミャットリン氏が「撃たないでくれ。わかった、一緒に行く」と言っているのを聞いたそうです。氏は柵を飛び越えたときにけがはしていません。」

ゾーミャットリン氏の家族は翌日連絡を受け、遺体を確認しに来るように言われた。

ハール医師は遺体の写真12枚と動画2本を検証し、目視できる傷の状況から、顔に熱湯がかけられたことが推測されると述べた。

ガーディアン紙は、同様の写真を検証した結果、ゾーミャットリン氏が負った傷の特徴から拷問が行われたと結論づけた。「口には熱湯か化学薬品が注がれたようだ。舌は溶け、歯は抜け、顔の皮膚は剥がれ落ちていた。他の外傷を隠すために、遺体は包まれていた。」

家族に近い筋によると、当局はゾーミャットリン氏の家族に、死因は心不全だったと述べた。当局は家族に死亡診断書や検死報告書を渡していない。

ティンマウンミン氏(ザガイン地域インマービン郡)

2021 年 4 月 4 日、国軍兵士はザガイン地域インマービン郡で、ティンマウンミン氏(52)の住む村を襲撃し、氏を拘束した。農民である氏は村の指導者として、反国軍活動に参加していた。目撃者によると、兵士は午前4時頃、村への襲撃を準備していた国軍部隊を監視中の7人とともに、ティンマウンミン氏を拘束した。

ティンマウンミン氏の遺体は、同時に逮捕された村人のうち1人の遺体とともに、翌日午後2時ごろにモンユワ総合病院で発見された。遺体には拷問の跡があった。遺体を見たある人はこう証言する。

「彼ともう1人の犠牲者の顔には、あざや腫れがあちこちにありました。かなりひどい状態でした。私たちが確認したのは顔だけで、全身は見ていません。2人の遺体に近づくのは気持ちのよいものではありませんでした。そこまで詳しく見ようとはしなかったので、胴体の傷についてはわかりません。しかし、顔は真っ黒で青かったです。」

SNSに投稿されたティンマウンミン氏の遺体写真には多数の傷があった。この写真を確認したハール医師は、両肩にある火傷とおぼしき皮膚の裂傷や剥離は大規模な外傷の跡であることを確認したという。顔には打撲痕があり、額には深い傷があった。ハール医師は、どの傷が死の原因となったのかはわからないと述べている。

当局は、家族に死亡診断書を渡さず、ティンマウンミン氏の死亡時の様子も説明しなかった。2人の遺体を発見した病院の職員は家族に対し、病院に遺棄されているのを発見したときには既に亡くなっていたと述べた。

 キンマウンラット氏(ヤンゴン市パベダン区)

 2021年3月6日、ヤンゴン市パベダン区の区長でNLD党員のキンマウンラット氏(58)の家に、兵士と警察が現れた。目撃証言によると、治安部隊は自宅に押し入った後、キンマウンラット氏を家族の前で殴打し、銃を突きつけて連行した。家族は翌朝、氏が心不全で死亡したとの知らせを受け、午前8時に遺体を引き取った。

3月7日に行われた葬儀に参列したキンマウンラット氏のある友人は、両足はあからさまに折れ、遺体を包む白布は血に覆われ、顔は青く腫れあがっているようだったと述べた。この友人は次のように証言している。

「私がイェワイ墓地に着いたとき、キンマウンラット氏の遺体はすでに死体安置所にあり、ムスリムのしきたりどおりに埋葬の準備中でした。しかし、私たちは、遺体を洗う人たちに、遺体から布をとったらすぐに写真を撮るように指示しました。その水には血に染まり、遺体にはひどい暴行を受けたような跡がありました(…)。両耳から血が流れ、体中にあざがありました。両足も損傷していて、折れているようでした。体を洗っていた人は、耳にガーゼを入れ、鼻にも詰めていましたが、それでも血が垂れてきました(…)。白布はもう白ではなく、赤やさび色に染まっていたのです。」

この男性によれば当局が検視を行ったようだ。

「心臓発作だったという説明ですが、胴体と頭部を検死しています。頭部は切開されていました。一方を切り取って、それをはめ戻したようでした。でも、なぜこんなことをしたのでしょうか? 頭部と胴体には縫合の跡があり、縫い目から血がにじんできました。縫合したところをいくら洗ってもにじみはとまらず、血はまだ生温かったのです。両目の周りにも、胴体にも青や茶色のあざがあちこちに残っていました。」

キンマウンラット氏の遺体をムスリムとして埋葬するのを手伝った地元のムスリムは、背中と手に拷問の跡のような深い傷があると述べている。

ハール医師は、キンマウンラット氏の遺体を撮影した写真9枚と動画1本を検証し、頭部と胸部の検死後の縫合の仕方が下手で、でたらめなものであることを確認した。「縫合の仕方がかなり異様です。医療上のベストプラクティスに沿ったものでもありません。このような異常な状況下で検死が行われていることは、故人に行われたことが明らかな拷問行為に医師が加担している可能性をも示唆しています。」

キンマウンラット氏の遺体は、拘束から24時間も経たない3月7日に、イェワイ墓地で火葬された。先に証言した友人によれば、当局は死亡診断書も検死報告書も家族に渡していない。

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