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中国:民主活動家 劉暁波氏が拘禁中に死亡

ノーベル賞受賞者の死が突きつける中国政府の無慈悲さ それでも劉暁波氏の未来への訴えは生き続ける

Liu Xiaobo. © Independent Chinese PEN Center

(ニューヨーク)— 中国の民主活動家・知識人で2010年のノーベル平和賞受賞者・劉暁波氏は、民主主義と人権を非暴力で訴える人びとへの中国政府の無慈悲さを白日のものにさらしたと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。2017年7月13日、劉暁波氏は治安部隊が警戒する遼寧省瀋陽市内の病院で、肝がんによる合併症で死去した。

ノーベル平和賞受賞者が国家による拘禁中に死亡したのは1938年、カール・フォン・オシエツキー氏がナチ政権下のドイツで、ゲシュタポの監視下にある病院に収容され、結核で落命して以来である。

「劉暁波氏の容態が悪化しても、中国政府は氏と家族を外部に接触させず、氏が医療を自由に選択することを認めなかった」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチの中国部長ソフィー・リチャードソンは述べた。「中国政府の傲慢さ、残酷さ、無情さは本当に衝撃的である。しかし人権が尊重された民主的な中国を求める劉暁波氏の闘争は今後も必ず引き継がれる。」

劉暁波氏は中国政府を率直に批判した。北京師範大学で文学を教えていた氏は、中国の社会と文化のあり方について民主主義と人権の観点から論じた。初期の著作と論文は、主流派思想に深刻な疑問を投げかける鋭く批判的なものとしてよく知られ、知識人たちに影響を与えたが、氏はその後投獄された。1989年に天安門広場で虐殺が起きた後、非暴力デモに参加した学生を支援したとして1年8カ月投獄された。1996年から99年にかけて、台湾とチベットの精神的指導者ダライ・ラマ14世に対する中国の政策を批判したとして労働収容所に送られた。さらに2008年12月に逮捕されると、2009年には国内政治改革を求める政治宣言「憲章08」への関与を理由に国家転覆煽動罪で11年の刑を宣告された。瀋陽刑務所で約8年の刑に服した後、先月6月に瀋陽市内の病院に移送された。

劉暁波氏は数々の国際賞を受賞している。ヒューマン・ライツ・ウォッチは2010年のアリソン・デ・フォージュ賞を授賞し、中国で表現の自由と結社の自由を求める氏の恐れを知らない活動に敬意を表した。2010年には「氏が中国の基本的人権を求めて長年にわたり非暴力闘争を行ってきたこと」でノーベル平和賞を受賞した。劉暁波氏も妻の劉霞氏も授賞式への出席は認められなかった。このとき中国政府は、ノルウェーの首都オスロ駐在の全外交官に対し、もしもその国の政府が、中国政府が「犯罪者」とする劉暁波氏への支援を表明するようなことがあれば「何らかの結果」が生じるだろうと警告した。

劉暁波氏が投獄中にどのような状態にあったのかはほぼ不明である。当局は妻の劉霞氏ら近親者の面会を認めたこともあったが、2010年に劉霞氏を自宅軟禁として外界からほぼ隔絶させ、他の家族を脅迫・威圧したため家族は沈黙を強いられた。劉暁波氏の義理の弟である劉暉氏は、2013年に真偽の疑わしい詐欺容疑で拘束されたが、後に保釈されている。当局は劉霞氏を即時無条件釈放するとともに、移動の自由を、本人の希望があれば出国を含めて認めるべきだと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。

6月26日に劉暁波氏の弁護士は報道機関に対し、氏が「治療のため仮釈放」され、瀋陽刑務所から市内の中国医科大学第一附属病院に移送されて、末期の肝がんの治療を受けることを明らかにした。それ以降、当局は劉暁波氏の容態に関する限られた情報を明らかにした。病院はネット上にアップデートを掲載し、国営メディアは劉暁波氏及び彼の支援者を論説で批判した。また、当局と思われる匿名の発信者が、劉霞氏と劉暉氏が医者団にお礼を述べているビデオ映像を2本ネット上で公開している。2人が撮影のことを知らされていたのか、そして映像の公開に同意したのかは不明だ。

当局は入院中の劉暁波氏を厳重な監視下に置いたため、公に発表された情報の信憑性を確認するのは困難である。入院は偽名で行われたため、ジャーナリストなどは氏の正確な所在がつかめなかった。面会が許可されたのは、劉霞氏と、おそらく弟の劉暉氏だけである。警察は両氏も監視下に置き、外部との連絡を遮断した。

当局は一度だけ7月7日に、米国及びドイツの独立した医師2名の劉暁波氏へのアクセスを認めた。中国政府はそれ以前、劉暁波氏の病状が悪いため治療のための出国は不可能としていたのに反し、これらの医師たちは劉暁波氏は「渡航可能」であると述べた。

劉暁波氏の詳しい容態について本人や家族はいつ知らされたのか、そもそも知らされていたのか、またどれくらい意見を求められたのかは不明である。

収容施設と刑務所では中国人医師が医療と健康診断を行っているが、医療の質は良くてぞんざいなものだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチが2015年に明らかにしたところでは、元囚人は自分や家族が健康問題を訴えても、無視されることが多いこと、また長期的に放置され、かつ治療を拒まれたことで死んだ囚人もいると述べた。

 

処遇調査の義務

国連被拘禁者処遇最低基準規則は、すべての拘禁中の死亡事案について「事情および原因につき迅速、公平かつ効果的な調査」を行うと定めている。超法規的処刑、即決あるいは恣意的処刑に関する特別報告者は、拘禁状況と生存権を確保・保障する政府の義務に基づいた国の責任が推定されるため、政府は積極的に証拠を提示し、国に責任があるとの主張に反駁しなければならない。また政府に責任がないことを示す証拠がない場合には、政府は犠牲者の家族に補償を支払う義務がある。

不当な死亡事案について責任者を訴追するだけでなく、当局は拘禁中の死を防ぐ対策を取り、死亡の原因に効果的に対処しなければならない。被拘禁者への適切な監視と十分な医療の提供もこれに含まれる。また「調査関連のすべての情報」に対する家族へのアクセスが保障されなければならず、政府は書面による報告書で調査結果を発表する義務がある。「確立された調査手続が専門性や公平性の不足によって不十分である」、またはそうした問題について家族から申し立てがあった場合、政府には「独立調査委員会を通じて調査を行う」義務がある。

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>> Q and A on Nobel Peace Prize Winner Liu Xiaobo >> Human Rights Watch Honors Six Activists >> G20: Press China to Free Nobel Laureate >> Scholars, Writers Press for Liu Xiaobo’s Release >> Liu Xiaobo’s Trial a Travesty of Justice

中国政府当局は近年少なくとも2人の著名な反体制派について、拘禁中に病状を著しく悪化させ、刑務所または病院で死亡させている。曹順利氏は国連人権理事会の中国に対するUPR(普遍的・定期的レビュー)に参加しようとしたところ、2013年9月に恣意的に拘束された後、2014年3月に北京市内の病院で亡くなった。家族は氏の病状が著しく悪化していると何度も訴えたが、中国政府は2月に曽氏が昏睡状態に陥ってようやく身柄を病院に移送した。2015年7月には、国際基準を満たさない裁判により「国家分裂を煽動した」として終身刑を宣告された、高名なチベット仏教僧テンジン・デレク・リンポチェ氏が獄死した。これに先立つ何カ月も前から、氏の健康状態の悪化について日毎に深刻さを増す指摘がなされていた。

米国、カナダ、フランス、台湾など複数の国が、夫妻を治療のため受け入れる意向を公式に表明していた。またEU、英国、ドイツなどは、劉暁波氏を自由にすることと希望する場所で治療を受ける権利を保障することを求める声明を発表した。国連人権高等弁務官のザイド・フセイン氏は6月30日に中国政府当局者と会談し、この問題について協議している。

「劉暁波氏の死をめぐっては、人権擁護を求めて政府批判を続けた氏に対する中国政府の人権侵害に、いずれの政府もきちんと目を向けるべきだ。妻の劉霞氏の解放を求めるとともに、中国各地で不当に拘束されている人びと全員の釈放に向けて圧力をかけるべきだ」と、前出のリチャードソン部長は述べた。「各国政府は中国政府に対し、劉暁波氏が生涯を捧げた真理は、氏の悲劇的な死を越えてなお力強く大きなものとなるとの明確なメッセージを伝えるべきである。」

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