Congolese warlord Bosco Ntaganda remains at large. He should also face arrest.

© 2009 Reuters

(ゴマ)-コンゴ民主共和国のジョゼフ・カビラ大統領は、ボスコ・ンタガンダ将軍の逮捕を直ちに命令し、公正な裁判を受けさせるため速やかにオランダ・ハーグに移送するべきである、と本日ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。ンタガンダは国際刑事裁判所(以下ICC、オランダ・ハーグ)から戦争犯罪容疑で指名手配されている。本日、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ンタガンダにかけられている犯罪容疑に関する目撃者証言を収録したビデオも公表した。

2012年4月11日にコンゴ東部で出された声明でカビラ大統領は、ンタガンダの逮捕を検討していると表明。ンタガンダ将軍に従う国軍兵士が反乱を企てて、南部及び北部キブ州がまた不安定になったのを受け、カビラ大統領が同地方を突然訪問した。この声明は、ンタガンダ将軍に対するコンゴ政府の政策が大きく変更されたことを意味している。これまでは、ンタガンダ将軍はコンゴの平和構築過程にとって必要である、と宣伝されてきたからだ。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ上級アフリカ調査員のアニカ・ヴァン・ウッデンバーグは「カビラ大統領は、ンタガンダの逮捕を、政府の重要政策のひとつにした。これは、コンゴにおける正義の実現にとって大きな前進だ」と語る。「大統領の言葉を迅速に行動に移すべきだ。ンタガンダを法律に則って逮捕し、すぐにICCへ速やかに移送をすべきだ。民間人へのこれ以上の危害を防ぐことにもなる。」

2002年から03年の間にイトゥリ地区北東部で行われた激しい戦闘において、少年兵を動員し使用した戦争犯罪の容疑で、2006年、ICCはンタガンダに対する極秘の逮捕状を発行した。当時、ンタガンダは、コンゴの民兵組織であるコンゴ愛国者同盟(以下UPC)の軍事作戦責任者だった。その逮捕状は2008年4月に公開された。

ICCの逮捕状発付にも拘らず、ンタガンダはコンゴ国軍編入を認められ、2009年には将軍に昇格した。彼はコンゴ東部で、コンゴ政府当局者、国連平和維持軍、各国外交官の目の前を自由に動き回っていた。コンゴ政府は、ンタガンダは和平に向けた重要なパートナーであり、彼の逮捕は和平プロセスを損なうと主張していた。コンゴのNGOはンタガンダの昇格を繰り返し非難するとともに、彼の逮捕を要求してきた。

過去10年にわたり、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、民族差別に基づく虐殺大量殺人、レイプ、拷問、少年兵徴兵などを含む、恐ろしい人権侵害をンタガンダが継続的に行っている実態を、幾度も調査して記録してきた。人権侵害を行ったンタガンダのような指揮官を評価するコンゴ政府の政策は、ンタガンダらが行った残虐行為の被害者を非情にも無視する姿勢を示している。

前出のヴァン・ウッデンバーグは「ンタガンダは無慈悲な人権侵害を行う一方で、不処罰をまるで勲章のようにひけらかして、ゴマ市内のレストランやテニスコートを、堂々と歩きまわっている」と語る。「国連などの諸機関は、法に則った彼の逮捕を確保するため、そして、彼の行った犯罪の多くの被害者に幾らかの安堵をもたらすため、支援を提供しなければならない。」

3月、ICCは同裁判所にとっての初の判決で、ンタガンダの共犯者であるトーマス・ルバンガに対し、少年兵を徴集して使用したという戦争犯罪容疑で有罪判決を言い渡した。その判決の後、ICCの検察官は、イトゥリ州でのンタガンダの罪状に、レイプや殺人罪などを追加する意向であると表明した。

ICCのルバンガに対する有罪判決は、ンタガンダが未だに不処罰状態にあることを改めて明らかにし、彼の逮捕を求める声を高める結果となった。逮捕を恐れたンタガンダは、自らの部隊に対しコンゴ軍の指揮下から離れるよう求めた。しかし僅か数百人しか彼を支持する兵士はおらず、しかもその多くがその後、国軍の指揮下に戻るか或いは逮捕されたため、ンタガンダの試みはほぼ不発に終わった。

ゴマでの演説で、カビラ大統領は、部隊の離脱と軍内部の規律無視を激しく非難するとともに、「この事件の結果、ボスコ・ンタガンダをはじめとする将官たちを逮捕する理由ができた」と表明した。

カビラ大統領は、ンタガンダを逮捕した後、ICCに引き渡すのではなく、コンゴ国内で裁判にかける可能性も示唆した。

カビラ大統領は、「我々はボスコを逮捕してICCに移送する必要はない」とし、「我々自身で彼を逮捕出来るし、我々にはそうする100以上の理由があるし、ここでボスコを裁判にかける。もしそれがここで不可能ならば、キンシャサ(首都)或いはどこかほかの場所でも出来る。我々に不足しているのは理由ではない」と述べた。

しかしながらコンゴ政府は、2004年に事態をICCに付託している。ICC規程の締約国として、コンゴはICCの逮捕状をンタガンダに執行することを含め、同裁判所に協力すると共に、その手続きに従う法的義務を負っている。

コンゴ政府がンタガンダをコンゴ国内で裁判にかけることを望むならば、ICCの裁判官に対して、ンタガンダの事案の許容性に関する法的な異議申し立て書を提出すると共に、コンゴ国内の司法制度が、ICCが起訴の根拠としているものと同様の犯罪容疑に対して、公正で信頼性の高い手続きに従い、ンタガンダを起訴する真の意思と能力を兼ね備えていることを明らかにする必要がある。コンゴ国内での裁判がICCの手続きに優越するかどうかの最終決定は、ICCの裁判官の判断に依拠することとなる。

コンゴの司法制度は、大規模な暴力の加害者の責任を問うには脆弱であることをこれまで何度も露呈させてきた。コンゴ国内で近年起きた武装紛争で重大な犯罪が数多く犯されてきたにも拘らず、戦争犯罪或いは人道に対する罪の容疑で責任を追及された幹部レベルの将官や武装勢力の指導者は殆どいない。軍事裁判所は物的人的資源に不足しており、しばしば政治的干渉にさらされ、更に多くの手続きは公正な裁判の国際基準を尊重していない。加えて、有罪判決を受けた者の多くが、刑務所から脱走している。

前出のヴァン・ウッデンバーグは「ンタガンダは様々な責任を問われるべき人物ではある。しかし、今はコンゴのICCに対する法的義務を後退させる時ではない」と語る。「大規模な法制度改革とリソースなしには、コンゴの司法制度ではンタガンダにかけられた国際犯罪容疑を公正に裁くことは出来ないだろう。被害者が公正な正義を法廷で勝ち取ることができるようにするためにも、逮捕後、彼は遅滞なくICCに引き渡されるべきである。」

ボスコ・ンタガンダ:人権侵害の歴史

ボスコ・ンタガンダはコンゴ民主共和国軍において悪名高き将軍で、国際刑事裁判所(以下ICC、オランダ・ハーグ)から戦争犯罪容疑で指名手配されている。“ターミネーター”というあだ名で有名なンタガンダと指揮下の部隊は、少なくとも2002年以来、コンゴ北東部イトゥリ地方ならびにコンゴ東部の南および北キブ州で、民族殺戮、大量殺人、性的暴力、拷問、子ども兵の徴用などを含む凶悪な人権侵害を行っている。

ンタガンダは彼の部隊の間では、軍事作戦に直接参加し前線で指揮を執る“戦士”として知られている。ンタガンダと一緒に戦い、後にハーグのICCで彼に不利な証言を行った子ども兵の言葉によれば、彼は“簡単に人を殺す”男としてもまた有名だ。

背景

ンタガンダは1973年にルワンダのキニギで生まれ、10代の頃、ルワンダでツチ族への襲撃が起きたため、コンゴ民主共和国東部のングングに逃げた。1990年、現ルワンダ大統領ポール・カガメが率い、ウガンダを本拠地にしていたルワンダ反政府武装勢力であるルワンダ愛国戦線(以下RPF)で、軍人としてのキャリアを開始。1994年7月にRPFがツチ族とフツ族穏健派に対する虐殺を止め、ルワンダ新政権を樹立した後、ンタガンダはルワンダ軍に加わった。第一次コンゴ戦争として知られる期間にあたる1996年には、ルワンダ軍の一員としてコンゴへの侵略に参加した。1998年、第二次コンゴ戦争の際は、コンゴ反政府武装勢力であるコンゴ民主連合(以下RCD)に加わる。その後数年間、2002年にイトゥリ地方でコンゴ愛国者同盟(以下UPC)に加わるまで、様々なコンゴ反政府武装勢力の間を渡り歩いた。

2002年〜2005年までは、UPCの指導者のトーマス・ルバンガに仕えた。ルバンガは2012年3月、イトゥリ地方で行った子どもの徴兵およびその使用の容疑に対してICCから有罪判決を言い渡されている。ンタガンダはルバンガの元軍事作戦責任者として仕え、民族殺戮、拷問、レイプ、子どもの大規模な徴兵(7歳くらいの子どもも含む)など、多くの重大な人権侵害に関与した。彼はルバンガの裁判で共同訴追されていた。

2006年、内部抗争によりUPCを去った後、ンタガンダは、ローラン・ンクンダの指揮下にあるツチ族が率いる反政府武装勢力、人民防衛国民会議(以下CNDP)の軍参謀長になった。ルワンダを後ろ盾にCNDPは北キブ州の広大な地域を支配し、再三にわたり戦闘でコンゴ軍を敗走させている。2009年1月、コンゴとルワンダの政府高官による密約により、また、ルワンダ軍将校からの支援を受けて、ンタガンダはンクンダを追放、CNDPの指揮権を奪取して、コンゴ軍編入に合意した。同勢力による反乱を終わらせる代わりに、コンゴ軍の大将とコンゴ東部における軍事作戦の副司令官に昇進した。

ンタガンダの政府軍高官への指名に失望した51のコンゴのNGO団体で構成する連合体が2009年初頭、ジョゼフ・カビラ大統領にンタガンダを昇進させるのではなく逮捕するよう陳情している。

「私たちは、ボスコ[ンタガンダ]が、非情で人間性の欠片もなく、イトゥリの数千人の人びとを残虐に殺害し、長年にわたって私たちに植えつけた恐怖を忘れることができない。私たちは消すことのできない傷を今も負っている。あのような大量殺人を“二度と起こさない”ということで、また、あのような犯罪を実行する個人は責任を追及されるという強いメッセージを送ることで、私たちは亡くなった人びとを追悼しなければならない。将来の世代には、私たちが苦しんだことばかりでなく、私たちが法の正義の実現に向けて闘うことによって、その苦しみを終わらせようと行動したことも、また伝えていかなければならない」

イトゥリ地方と北キブ州で反政府武装勢力を指揮していた時の人権侵害

ンタガンダは過去10年にわたりコンゴ東部で起きた、最も恐ろしい人権侵害のいくつかに関与している。ンタガンダは、イトゥリ地方における子ども兵の使用に関連してICCから掛けられている容疑に加え、2002年11月と12月に、モングブワルとその周辺の村々で、民族的動機に基づいて少なくとも民間人800人を殺害したUPC部隊を指揮した責任を問われてきた。

金採掘の拠点であるモングブワルの町を制圧するための軍事作戦は6日間続き、その間UPC部隊は民族的動機に基づいて民間人を殺害した。森の中に逃げ込んだ人びとを追跡し、また、その他の者を検問所で捕えて殺害した。目撃者は、「レンドゥ族の民間人がUPCの戦闘員に襲撃された。UPCの戦闘員は、『おまえたちは皆殺しだ。今、政府はおまえたちを助けやしない』と叫びながら、彼らの喉を切り裂き、ハンマーで頭を砕くのを見た」、とヒューマン・ライツ・ウォッチに話した。ICCで自らの体験について証言した子ども兵たちは、ンタガンダが襲撃を指揮した様子を詳述している。

ンタガンダはまた、UPCで活動していた際、モンブワル、ブニアおよびイトゥリ地方のその他の場所で、多数の民間人に対する民族的動機に基づく恣意的逮捕、処刑および強制失踪に関与している。目撃者らはその作戦を“人間狩り”と表現し、2002年〜2005年にかけて行った調査で、ヒューマン・ライツ・ウォッチはその作戦の犠牲になった100人以上の人びとに関する情報を収集している(犠牲者の数はおそらくもっと多いであろう)。

ンタガンダの残虐行為への関与疑惑は反政府武装勢力であるCNDPに参加してからも続く。2008年11月、北キブ州でンタガンダの指揮下にあったCNDP部隊は、キワンジャの町で推定150人の人びとを殺害するという、北キブ州での同勢力による最悪の殺戮事件の一つを起こした。戦闘員は、敵の戦闘員になると疑われた若い男性と10代の少年を探して、各家々を捜索。戦闘員はドアを開けさせ、金と携帯電話を渡すよう要求し、その後発砲などの方法で男性や少年を殺害した。殺害は殺害された人の家の中で(多くの場合家族の目の前で)、または近くの通りで行われた。家族を守ろうとした人など女性も一部殺害された。

ンタガンダはキワンジャ殺戮事件の現場にいた。外国のジャーナリストたちが撮影したビデオ映像には、2008年11月5日の殺戮当日、キワンジャで部隊に指揮命令を下している彼の姿が映っている。国連人権調査員らは後日、殺害の多くは“報復的な性格を持ち、CNDPの指揮官が命令、容認した”と結論づけている。

キワンジャ殺戮事件の後、ンタガンダは、キワンジャから15歳と16歳の2人の少女を拉致し、自分の“妻”にする目的でルシュルのCNDP軍事拠点付近に連れ去ったといわれている。ンタガンダは少女たちを繰り返しレイプし、食事を作るよう強制。少女の1人は5日後に逃げ出している。彼女は、ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に対し、逃亡後、ンタガンダの兵士が自宅に探しに来たため、隠れて生活しなければならなかったと話してくれた。ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じたンタガンダの側近の話によると、ンタガンダは新たな軍事拠点に到着すると決まって、女性と少女に自分の“妻”になるよう強制していたとのことである。

コンゴ軍の将軍だった際の人権侵害

ンタガンダは、2009年初頭にコンゴ軍将軍およびコンゴ東部における軍事作戦の副司令官に昇進した後も、人権侵害を続けた。正式な軍の支配層より自分に従い続ける元CNDP兵士および軍に編入されなかった他の民兵に対して命令を下し、新しい地位を利用して二重の指揮系統を構築。北キブ州各地の多くの地元首長を追い出し、自分に従順な首長を置いた。反対の声をあげた首長の一部は暗殺され、その他は脅迫により追い出された。この二重構造を通して、ンタガンダは重大な人権侵害を命じ、あるいは人権侵害に関与した。

民間人に対する意図的襲撃

ンタガンダの部隊は、民間人に対し多数の襲撃を行った。コンゴ軍の指揮命令系統に基づく軍事作戦の際に行われた民間人襲撃もあったが、ンタガンダ独自の命令で行われた作戦の際の民間人襲撃のことが非常に多かった。その作戦の多くは、肥沃な農地の支配権を得たいという動機に基づく襲撃で、フンデ族とフツ族の農民を土地から追い出し、ツチ族の牛飼いに明け渡させた。2009年、彼の指揮下にある部隊は、西部マシシ郡内のニャビオンドとピンガの間の地域で、少なくとも270人の民間人を故意に殺害した。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2010年の上半期だけで、同地域における村々への25回におよぶ襲撃により、少なくとも105人の民間人が殺害されていると報告している。ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じたコンゴ軍兵士らの話によると、ンタガンダはそれらの襲撃でも、指揮官の役割を果たしていたとのことである。

北キブ州各地での土地の支配に関係した襲撃は、2011年と2012年初頭にも続いている。ンタガンダに従順な兵士と民兵の少人数の集団が、個人的な土地をめぐる紛争を武力で解決しようとして、殺人、レイプ、民家焼き打ちなどの重大な人権侵害を行っている。

暗殺、強制失踪、および恣意的逮捕

2010年1月から(あるいはその以前の可能性もある)、ンタガンダは、自分の人権侵害を強く非難したり逮捕を要求した人権活動家など、自分に逆らう個人を狙った残虐な作戦を開始した。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2010年1月以降、ンタガンダが直接命令したか関与した、少なくとも20件の暗殺、2件の殺人未遂、4件の強制失踪、18件の拉致および恣意的逮捕を取りまとめている。その他多くの人びとが、ンタガンダあるいは彼の側近から脅迫を受けたといわれている。彼らの多くはゴマから逃げ出し、隠れて生きている。ほとんどの事件は北キブ州で起きているが、隣国のルワンダやウガンダでも起きている。

マシシ郡の市民社会団体代表であるシルベスター・ブウィラ・キャヒは、標的とされた1人だ。彼は2010年8月24日にゴマ市内で拉致され、秘密の刑務所に1週間拘束された。ブウィラはカビラ大統領に宛てて書いた公開書簡で、とりわけンタガンダの指揮下にある部隊による人権侵害を強く批判し、ICCの逮捕状を根拠にンタガンダの逮捕を要求したが、その書簡についてンタガンダの「秘書」から脅迫電話を受け、7月下旬以来身を隠していた。

ブウィラは拘束中、目隠しをされたうえ柱に縛りつけられ、再三暴行された。元CNDP兵士から、なぜ自分たちに反対するのか質問された。市民社会と人権団体からの働き掛けが行われた後に「仮釈放」されたが、受けた傷の治療を受けるのに数カ月を要した。

最も注目を浴びた暗殺事件の1つは、ンタガンダの有名な側近でありながら、ンタガンダの指揮に逆らったアントワン・バリブノ中佐の暗殺だった。バリブノは2010年9月14日ゴマ市内中央部で、ンタガンダに近しい支持者2人に酒場での会談に呼び出されて射殺された。複数のコンゴ政府軍当局者が、バリブノの暗殺命令はンタガンダが下したと、ヒューマン・ライツ・ウォッチに伝えている。

ンタガンダが脅威とみなした中には、著名人でなかった個人もいた。マーチン・ンダヤベヘはンタガンダのゴマ市内の自宅に、牛乳を配達していた23歳の女性だが、2010年12月に謀殺された。ンダヤベへと親しかった人びとはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、彼女はンタガンダの自宅で秘密の会話を立ち聞きしてしまったのだと話していた。2010年のクリスマスの数日後、ンダヤベへが最後に目撃されて間もなく、彼女の遺体がキブ湖の岸辺で発見された。ンタガンダの兵士らがすぐ遺体回収に現われ、悲しみにくれる親族と野次馬に、「捜査」のため遺体を運ぶと伝えた。遺体は、家族の元に戻っていない。後にンタガンダに従っている軍将校2人がンダヤベジェの自宅を訪れ、何が起こったかについて声をあげれば、家族皆殺しだと言って脅した。

子どもの徴兵

子どもの徴兵とその使用の犯罪容疑で、ICCから逮捕状が出され、指名手配されているにもかかわらず、ンタガンダと彼に従う将校たちは、子どもの強制徴兵を続けてきた。徴兵が最悪の高まりを見せたのは2010年後半で、この時南キブ州と北キブ州で数百人の青年男性と少年が徴兵され、うち少なくとも121人は18歳未満の児童だった。ヒューマン・ライツ・ウォッチが入手した報告によれば、実際に徴兵された数はもっと多いとみられる。

2010年11月中旬キチャンガ地域で、ンタガンダに従う将校が複数の学校を訪れ、15歳〜20歳の男子学生のリストを作成。その数週間後、ンタガンダ兵は、学校、自宅、農地、あるいは通学や帰宅途中で歩いている学生を捕え、軍に強制徴兵した。2010年11月15日にはチャランバの村で、青年男性7人が、試合前のサッカー競技場から連れ去られた。抵抗した者は過酷な処罰を受け、時に殺された。被害地域の若者の多くは、強制徴兵を逃れるために森の中に隠れるか、もっと大きな町に逃げようとした、と目撃者はヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。

司法や選挙への介入と地下資源密輸への関与

ンタガンダの手は、コンゴの司法制度と国政選挙にも伸びた。ヒューマン・ライツ・ウォッチが調査して取りまとめただけでも、ンタガンダが自分に従順な者が裁判に掛けられるのを阻止したか、あるいは逮捕されるのを阻止した事件が9つある。最も悪質なケースとしては、元CNDP将校でンタガンダの側近であるンダヤンバへ・キパンガ中佐が2009年5月7日に、ルシュルの軍基地で少女5人をレイプした上に監禁した容疑で、逮捕された事件が挙げられる。彼は逮捕された2日後に、留置場から脱走し、後にコンゴ軍事裁判所で、レイプと監禁を行った人道に対する罪の容疑で欠席裁判に掛けられ、有罪を言い渡されている。コンゴ軍当局者は、ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応えて、ンタガンダがキパンガの脱走を手引きし、再逮捕から守っていると話した。

ンタガンダは、2011年の大統領選挙と国会議員選挙にも、カビラ大統領とCNDP政党党員で国会議員を目指す立候補者を支援し、干渉を試みる。ンタガンダの命令で、立候補者やその支持者たちは脅迫・拷問・逮捕され、選挙運動を妨害された。

2011年8月に地元首長カペンダ・ムヒマが、キチャンガの近くで射殺された。CNDP政党から所属を変えたために、ンタガンダの命令で殺されたのだといわれている。ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じたカぺンダに近い人びとの話によると、殺害される前に、CNDP党員がカペンダに、「復党するのに2カ月の猶予を与えるが、そうしなかったら殺す」と予告したという。

北キブ州・マシシ郡の各地で、ンタガンダに従う元CNDP反乱勢力が投票所に私服で登場。政党立会人として活動し、あるいは警護をしていたと、多くの目撃者がヒューマン・ライツ・ウォッチに話した。一部の投票者がヒューマン・ライツ・ウォッチに語ったところでは、彼らの存在そのもので、脅迫されていると感じたという。他にも、元CNDP兵士が投票用紙に書き込みをしたり、野党の立会人を直接脅しているのを目撃した、と話す人びとがいた。

ンタガンダはまた、武器密輸と天然資源の違法採掘を調査する国連専門家グループによって、違法な鉱物資源密輸に関与していると繰り返し非難されており、2005年以来国連の制裁対象者リストに名が挙がっている。こうした違法行為を通じて集められた富が、彼の権力を強固にし、他の軍将校からの忠誠の獲得を可能にすると同時に、人権侵害の継続を促進している。

ボスコ・ンタガンダ 年表

1973年

ルワンダのキニギに生まれる

1980年代中頃

コンゴ東部のングングに移り、中学校に入学するも卒業せず

1990年

ウガンダ南部のルワンダ愛国戦線(以下RPF)に参加

1994年

ルワンダ大虐殺を終結させるためRPFで闘う

1994年

ルワンダ愛国軍(以下RPA)に参加

1996年

第一次コンゴ戦争-RPA/コンゴ民主解放勢力同盟 (以下AFDL)陣営に参加

1997年

コンゴ軍に参加

1998年

第二次コンゴ戦争-ゴマ市でルワンダが支援するコンゴ民主連合(以下RCD)反乱軍に参加

1999年

RCD分裂。キサンガニのコンゴ民主連合・キサンガニ解放運動派(以下RCD-K-ML)反乱軍の分派組織に参加

1999年/2000年

RCD-K-ML反乱軍と共にイトゥリ地方ブニアに移る

2002年

RCD-K-ML分派組織がコンゴ愛国者同盟(以下UPC)反乱軍に参加

2004年

UPC分派組織がUPC/ルバンガ反乱軍分派組織に参加

2004年12月

コンゴ軍大将に昇進されるも、その地位の受諾を拒否

2005年

コンゴ革命運動(以下MRC)反乱軍に参加するも、同民兵組織は短命に終わった

2005年/2006年

人民防衛国民会議(以下CNDP)反乱軍に参加すると共に北キブ州マシシ郡に移る

2006年8月

国際刑事裁判所(以下ICC)が、イトゥリ地方でンタガンダが行った戦争犯罪容疑で秘密逮捕状を発行

2008年4月

ICCの秘密逮捕状が公開される

2009年1月

ルワンダの支援を受けローラン・ンクンダを追放し、CNDPの指揮権を奪取

2009年

コンゴ軍将軍に昇進すると共に、コンゴ東部における軍事作戦の副司令官の地位を受諾

2011年

飛行機事故で司令官が負傷した際、軍事作戦の臨時司令官を務める

2012年3月

ンタガンダの共犯であるトーマス・ルバンガがICCで戦争犯罪容疑に対し有罪判決を受ける。検察官はンタガンダの容疑に殺人とレイプを追加すると公表

2012年4月

ンタガンダは自分に従う者に、反乱を起こしコンゴ軍を脱走するよう促すが、逆効果に終わる