A protester in Douma shows marks on his back after being beaten with a cable and sticks in detention by Syrian security and intelligence forces, commonly referred to as mukhabarat.

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(ニューヨーク)- 政府に対する抗議デモが始まった2011年3月中旬以来、シリア政府の治安・諜報機関は、全国のデモ参加者数百人を恣意的に拘束、拷問や虐待を行ってきた、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。治安・諜報機関(いわゆる秘密警察「ムハバラート」(mukhabarat))は、デモを支持または応援した弁護士、活動家、およびジャーナリストも拘束してきた。

シリア政府当局は直ちに、拷問をやめ、恣意的に拘束されたデモ参加者、活動家、ジャーナリストを解放する必要がある、とヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘する。バッシャール・アサド(Bashar al-Asad)政権は、拘束された人びとに対する深刻な虐待問題に対する迅速かつ公平な調査を命じ、全ての責任者が法の裁きを受けるよう確保するべきである。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ中東・北アフリカ局局長代理のジョー・ストークは「不処罰の蔓延をいいことに治安機関が人権侵害を続けているうちは、シリアで真の改革はできない」と語る。「アサド大統領は、治安機関をコントロールし、恣意的な逮捕と拷問の責任を問う必要がある。」

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ダルア (Daraa)、ダマスカス(Damascus)、ドウマ(Douma)、アルタル(al-Tal)、ホムス(Homs)、およびバニアス(Banyas)で拘束されていた19人、および被拘禁者の家族に対する聞き取り調査を行った。聞き取り調査に応じた元被拘束者には、女性2人、十代の子ども(16歳と17歳)3人も含む。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ダルアとバニアスで拘束中とみられる数十人に関する情報をシリアの活動家たちから収集。拷問によると見られる体の傷跡がある元被拘束者(ダルアで解放された)の映像も検証した。聞き取り調査に応じた人びとは、国家安全保障部門(Amn al-Dawla)、政治治安部門(Amn al-Siyasi)、軍治安部門(Amn al-Askari)などムハバラートの様々な部門に拘束されていた。

デモの際に逮捕された人びとは、2人を除く全員が拘束時及び拘束中にムハバラート当局者からの暴行を受けたと語り、何十人もの被拘束者が殴られたのを目撃したり、殴られて叫んでいるのを聞いたりした、とヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。ヒューマン・ライツ・ウォッチが聞き取り調査を行った3人の子どもたちだけでなく、自身が入れられていた施設に子どもたちが拘束され暴行されていたと複数の目撃者が報告している。

電気ショック機器、ケーブル、鞭などで拷問された、と多くの人びとがヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。またほとんどの人びとは、過密状態の監房で、睡眠、食料、水を時には数日間も奪われたと話した。中には、目隠しをされてずっと手錠をかけられていたと話した者たちもいた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチが聞き取り調査を行ったほとんどの被拘禁者は、自白調書を作成されて、読むことも許されないままに強制的に署名をさせられた上に、将来のデモに参加しないことを誓わせられた、と言う。中には、詳細な個人情報と、家族の住所や勤務先などの家族情報を提供しなければならなかったと語る人びともいた。拘束中、家族や弁護士と接触することを許された者はいなかった。また家族は、拘束された家族の所在を知らされていなかった。

ほとんどは起訴されることなく数日後に解放されたが、中には立件中で保釈の身という人びともいた。現在も拘束されたままの人の数を検証することは不可能である。しかし、多くの人びとが、デモ中に逮捕された近所の人が戻ってきておらず家族も所在などを知らされていない、とヒューマン・ライツ・ウォッチに申し立てた。

拘束中の殴打、拷問

聞き取り調査に応じた人びとの多くは、解放された直後も顔や頭に打撲の跡が残っていた。17歳の子どもは、ほとんど動くことができず、座ったり立ったりするのに援助を必要とする状態だった。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ダマスカスの近くの町ドウマの12歳とされる子どもが、顔や腕に深刻な暴行を受けた証拠を示すビデオ映像も検証した。

ダマスカスの近くのアルタルでのデモに参加した後、3月25日に拘束されたある男性は、治安要員に殴られた後5、6人と一緒にバスに拘束されてダマスカスに連れてかれたと言った。最初に軍事情報部パレスチナ支部(Palestine Branch of Military Intelligence)に連行され、その後バグダッド通りにある国家安全保障部門の支局に連行されたと語った。

(国家安全保障部門で)彼らは私たちを壁に沿って廊下に並ばせて殴りつけました。それから、地下に私たちを引きずって行きました。私は少しの間意識を失ってしまいました。頭を強く殴られたんです。彼らは当初、私たち17人全員をひとつの部屋に入れ、(私たちを)尋問のために連れ出しました。彼らは、ケーブルで私たちを殴り、イスラエルとレバノンのスパイだ、と私たちを責め立てました。ずっと頭に頭巾を被せられていました。

同じデモ中に逮捕された別のデモ参加者は、国家安全保障部門、政治治安部門、軍事情報部パレスチナ支部の3つのムハバラート機関に、容赦なく殴られ拷問されたと、ヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。彼は、政治治安部門で4日間過ごした際の虐待について説明した。

担当者は、私たちを取調べのために監房の前にある部屋に連れ出した。常に鞭の音と悲鳴が、その部屋から聞こえてきた。私が部屋に入れられたときは、床に伏せられて、足の裏、脚、背中をケーブルで打たれた。「なぜデモに行った。誰に買収された。誰に行かされた。」って聞かれた。彼らはただ、何でも良いから、私に自白させたかったんだ。

別のアルタルでのデモ参加者は、軍事情報部パレスチナ支部の役人が、彼自身及びその他の被拘禁者に電気ショックの拷問を行ったと証言した。

やつらは中庭で俺たちを殴って、地下室に連れて行った。大きな部屋だったよ。色んな町から、100人くらい被拘束者がいただろう。やつらは俺たちの服を下着になるまで剥ぎ取った。冷水をかけられて、ケーブルで打たれ、電気棒でショックをあたえられた。円筒状の棒で、松明みたいに見えたよ。それを俺たちの腕や腹に押さえつけた。毎回3、4秒押さえつけられた。暴行をしたのはしたっぱの兵士で、上級兵士は電気ショック装置を使っていた。やつらは制服を着ていたけど、身分を特定する表示は身に付けていなかった。

ダマスカスの国家安全保障部門に拘束されたある弁護士は、自分が拘束された監房に、電気ショック装置で拷問された人と、脚と足をひどく殴られて動くこともできなくなった人がいた、とヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。尋問の後、治安担当者は彼を監房に連れ戻し、手で吊るし、他の囚人が彼に食料や水を与えることや話しかけることさえも禁じた。ある被拘束者は、あまりにひどく足の裏を殴られ、爪がとれてしまった人と同室になった、と語った。ダマスカスの国家安全保障部門の施設に拘禁されていたある人物は、治安機関がある金曜日にデモ隊の集団を捕まえてきて30人くらい殴っていたと振り返った。

シリアの他の地方で拘禁されていたデモ隊も同様の経験をしたと報告。ドゥーマで4月1日の抗議行動中に拘禁された男性は、10人ほどの治安要員が、彼が倒れるまで頭を殴り、出血していた他の12名ほどのデモ参加者とともに彼をひきずってバスに乗せた、とヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。彼はこう言った:

彼らは私達をダマスカスの国家安全保障部門に連れて行った。私はその場所を知っていた。彼らはデモ参加者でいっぱいになった10台から15台ものバスをドゥーマからそこまで移動させた。彼らは、地下室に私と他の人たちを引きずりこみ、私たちがテロリストであると非難して棒で私達を殴った。また、彼らは私たちに電気警棒を使用した。これらは黒と青の円筒状の棒で、端に電気ショックを発するボタンが付いている。彼らは、私たちの首の後ろ側にそれらを押し当てて、数秒間電気ショックを加えた。非常に苦痛だった。

バンヤス(Banyas)の海岸沿いの町に拘禁された17歳のある少年は、軍治安部門の地域支部で5日間拘禁された時のつらさについてこのように説明した。

軍治安部門に着いた僕たちを、彼らは小さな留置所に拘禁した。逮捕した金曜日から次の月曜日まで食事も与えられずそこに放置された。我々が水を下さいと嘆願したら、水を一瓶くれた。担当者は、その一瓶をみんなで分けろと言った。量が足りなかったので、中には一口も飲めなかった人もいた。彼らは私を一日に一度、計5回尋問した。尋問中には殴られもした。おそらく棒と鞭を使っていたと思うが、僕には何も見えなかったので、わからなかった。頭、背中、肩を殴られた。特に顔を殴られた。一言発する度に、殴られた。イスラエルからのテロリストなら、なぜ政権を破壊しようとしていたのか、と聞いてきた。

ダマスカスのバグダッド通りに施設に拘禁された2人は、痛みで悲鳴をあげたり、泣いたりしている女性の声を耳にしたと報告。しかし、その姿を見る機会はなかった、という。

自白の強制

抗議活動で拘禁された人の大半は、調書を読むことも許されないままに署名と指紋押捺を強制された、とヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。ムハバラートに2日間拘束されたドゥーマ出身の少年は、目隠しをされていたのでどの部門かはわからなかった、としつつ、以下のようにヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。

僕が「この書類は何ですか?」と尋ねると、担当者の一人が私の頭をつかんで、私の口をこじ開け、もう一人がペンチのようなもので私の舌を挟んで引っ張り始めたんです。その書類に署名することを断ると、今度は、取調官のうちの一人がハンマーを取り出し、私の足の指を叩き始めた。監房では、カラシニコフ銃(AK - 47突撃銃)で顔を殴られました。

シリア人ではないあるアラブ系被拘禁者は、毎日尋問の後に調書に署名と指紋の押捺をしたと、ヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。「署名した書類に目を通したことはない」と彼は語る。 「目隠しをされていたんです。怖かったので、読ませてくださいとはあえて言えませんでした。」欧米出身のある被拘禁者は、治安要員に紙2枚に署名することを強要されたが、それを読むことは許さなかった、と記憶している。

活動家やジャーナリスト

シリアの治安機関は、抗議行動が3月16日に始まって以来、デモを報道したり、それへの支持を表明した活動家、作家、ジャーナリストも恣意的に逮捕・拷問しており、少なくとも7人の国内外のジャーナリストを拘禁した。

シリアのある作家は、デモと政府の対応についてメディアのインタビューに答えた後、政府治安機関にダマスカス通りから「誘拐された」時の様子について説明した。 「私は、通りに一台の白い覆面車を見かけました。その真横に来たときに、スライド式ドアが開き、3人の大男たちが私をつかんだんです。」と彼はヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。「彼らは私には何も言わずにただ私をつかんできた。」車は国家安全保障部門の建物に向かったが、その道中、その男たちは彼を殴ったり蹴ったりした。尋問の間も暴行はとまらず、「彼らは鞭を持ってきて、私の肩や手足を打ちつけました。私のことを口汚く罵り、罵声を浴びせました。」

シリア人ではないあるアラブ系のジャーナリストは、尋問中に暴行された、とヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。国家安全保障部門は、政治活動家の解放を求めて行われた3月16日のデモで拘禁されたデモ参加者を弁護した弁護士たちの一人も逮捕。彼は、ダマスカスの国家安全保障部門の拘禁施設に一週間拘束され、治安要員に何度も暴行や脅迫、罵声をあびせられた。ほぼ常時手錠をかけられ、頭巾を被せられていた、という。監房が満室だったため、監房で拘束されるまでの4日間、暖房のない廊下に拘束されていた。その弁護士は、拘禁中、他の被拘禁者たちが殴打される音やその悲鳴を耳にしたという。

「ジャーナリストを黙らせて、シリア政府当局は自分たちの蛮行を隠そうとしている。」と前出のストークは述べる。 「しかし、ジャーナリストや活動家に対する弾圧は、シリア政府当局の犯罪行為をさらに浮き彫りにするだけだ。」

拘禁環境

ヒューマン・ライツ・ウォッチが聞き取り調査を行ったすべての元被拘禁者は、交代でしか眠れないほど監房が過密状況だったことや、様々な屈辱と言葉の虐待を受けたことなど、悲惨な拘禁環境についても語ってくれた。ダマスカスでの国家安全保障部門で拘禁された一人は、30平方メートルの監房に75人が拘束されていた、と述べた。

何人かは、横にもなれないくらい狭い約1.5平方メートルの小さな独房に拘禁されたとヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。担当官は、こうした監房に2人あるいは3人の被拘禁者を強制的に収容したこともあったという。ダマスカスに拘禁された一人は、4日間、もう一人の拘禁者と0.5メートル×1.75メートルの小さな監房を共有したと述べた。 「寝るときは、寝返りさえお互いに調整しなければならなかった」と彼は言った。ダマスカスのバグダッド通りの国家安全保障部門に拘禁された別のデモ参加者は、他の2人の男性と0.75メートル×1.8メートルの広さの監房に拘束されたと述べた。

私たちはそこで4日間を過ごした。当時は何もわからなかった----というのも、窓もなく、電気ランプがいつも点いていたので、時間の感覚を失っていた。私たちは交代でしか眠れなかった。一人が横になっている時は、もう一人は立たなければならなかった。

「平和的なデモ活動家を牢に入れて、殴って、外界へのアクセスを拒否するのは、シリアの支配者とその国民の間の溝を拡大させるだけだ」と前出のストークは語る。「ムハバラートの恐ろしい拷問方法を、過去の遺物にする必要がある。」