今年1月、インド医療評議会は、苦痛緩和ケアを医療の特殊治療の一分野として認め、医学部で苦痛緩和ケア教育を承認するという画期的決定を下しました。ヒューマン・ライツ・ウォッチとインドの苦痛緩和ケア団体が長年にわたり活動してきた成果が実ったのです。この新方針によって、今後、末期医療などの現場で激痛に苦しむ患者たちに対し、苦痛緩和ケア(疼痛治療)を施せる医師の数が大幅に増加すると見込まれます。

苦痛緩和ケアは、苦痛の予防やその緩和など、患者の生活の質の改善に焦点を当てた治療です。今日まで、インド全国およそ300の医大のうち、苦痛緩和ケアのカリキュラムの設置という指導に従っていた大学はたった5大学だけ。その結果、インドの医師の圧倒的多数が、苦痛緩和ケアの「いろは」も知りません。多くの患者たちは、痛みを緩和する治療を拒否され、時には何カ月間も激しい痛みに苦しみ続けているのです。ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に対し、たくさんの患者たちが「痛みがあまりにも激しい」「早く死にたい」と口々に訴えました。中には、自殺を真剣に考えたり、実際に自殺未遂をした患者さんもいました。

激痛を体験した1人が、ケララ州(Kerala)の建設労働者のシェリンさん。シェリンさんは、壁の崩落事故に巻き込まれて脊椎損傷を負い、長い間激痛に苦しみました。彼は、ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取りに対し、主治医は痛みの緩和治療をしてはくれなかった、と言います。「大丈夫、良くなるよ、って言われたんです。・・・医者は、痛みは[自然に]なくなるから、苦痛緩和は必要ない、って。その夜は一晩中叫んでました」とシェリンさん。高価な薬剤を使わずとも、シェリンさんの痛みを相当程度和らげることは可能でした。こうした不必要な激痛に苦しむ人はシェリンさんだけではありません。インドで苦痛緩和ケアを必要としている患者さんたちは推計で年間700万人にも上ります。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、苦痛緩和ケアがない中で患者たちが不必要な激痛に苦しんでいる実態について調査をするため、インド全域で調査を敢行。末期疾患に苦しむ患者はもちろん、医療専門家、ボランティア、政府医療当局者など、100名を超える人びとに聞き取り調査を行ないました。そして、その結果をとりまとめ、2008年、報告書として発表。我々の調査は、医者への研修不足が、患者たちの多大な苦しみを長期化させている実態を浮き彫りにしました。多くの医師は、激痛を訴える患者を前にしても、どう治療すべきか全く知らなかったのです。

さらに、2009年8月にも、調査で判明した数々のショッキングな実態を明らかにする報告書を発表。大きな反響をよびました。緩和ケアを求めて活動しているインドのNGO、Pallium IndiaやPain Relief and Palliative Care Society of Hyderabadなどとヒューマン・ライツ・ウォッチはパートナーシップを組み、明らかになった実態をインド医療評議会(Medical Council of India、医療の教育基準に関する機関)に提出。会合も設定し、その後のフォローアップでも、Pallium Indiaのラジャゴパル(Rajagopal)医師と強力なパートナーシップを組みました。ラジャゴパル医師は、いくつものインドの医大と連携。苦痛緩和ケアの専門性を有する医師を教育するために必要なカリキュラムに関する提案を練り上げました。そして、練り上げられた提案が、インド医療評議会に提出されたのです。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは同時に、インド最高裁に係属中の苦痛緩和ケア事件の原告たちにも、国際基準を利用できるようにアドバイスも行ないました。この事件は、インド苦痛緩和ケア協会(Indian Association of Palliative Care)などが原告となって提起した画期的な訴訟です。間もなく、この事件の最高裁判決がでると見られていますが、最高裁は、インド政府に対し、医療関係者向けの苦痛緩和ケア教育を導入を命じるとともに、重要な鎮痛薬の入手を阻害している現在の薬事関係法の撤廃も命じると期待されています。

この事件の裁判審理の後まもなく、インド医療評議会は苦痛緩和ケアに関する新たな専門教育を追加しました。

緩和ケアボランティアたちが、体の一部麻痺と激痛に苦しむ入院中のシェリンさんを見つけたのは、彼が怪我を負ってから何ヶ月も経った後のことでした。ボランティアたちはシェリンさんを苦痛緩和プログラムに入れてくれました。そこで初めて、医師はシェリンさんに疼痛緩和の薬を処方し、運動能力改善のためのリハビリ訓練をしてくれました。

バナナの葉で屋根を葺いただけの小枝で作った小屋の中に座って、シェリンさんはヒューマン・ライツ・ウォッチに話してくれました。苦痛緩和ケアが彼の生活を一変させたということを。「私は地獄を経験しました」シェリンは続けます。「でも、今は希望が持てます」新たに承認された苦痛緩和ケア教育により、シェリンさんが経験したような劇的な生活の質の改善を、より多くの人びとにもたらすことができると期待されています。