(ワシントンDC) - イラン議会の調査委員会は、2009年6月の大統領選挙で逮捕拘束された人々の虐待問題を調査し、モルタザヴィー検事に責任ありと断定。しかし、イラン司法権高官による虐待問題は、この議会調査委員会が行った調査の範囲に収まらない広範なものである、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日このように述べた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、イラン政府の司法当局に対し、サイード・モルタザヴィーを検事副総長職から解任するとともに、独立の調査委員会を設置して、モルタザヴィー検事本人ならびにその他の政府高官がこれまで起きた人権侵害にて果たした役割を、少なくとも2000年まで遡って調査するよう求めた。

2010年1月10日、昨年6月の大統領選挙後の逮捕拘束事例を調査した議会調査委員会は、モルタザヴィーが、テヘラン郊外のキャフリーザク拘置所での虐待と、同拘置所に収容された3人の死亡に関して直接責任があると断定した。

「サイード・モルタザヴィーは、過去にも多くの人権侵害に手を染めた。議会調査委員会は、今回の人権侵害についても、毅然として彼の名を挙げた」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチ中東局長代理ジョー・ストークは述べた。「モルタザヴィーは芳しくない経歴の持ち主である。イランの議会調査委員会は、調査範囲を拡大し、モルタザヴィーによる過去の人権侵害についても調べるべきだ。」

イラン議会は昨年7月に「選挙後の被収容者の状況を調査する国会特別部会」を設置。選挙後の弾圧で逮捕された被拘束者に拷問や虐待があったとの申立について調査していた。

委員会の報告はこのように述べる。モルタザヴィーは、被拘束者をキャフリーザクに移送したのはテヘラン北部のエヴィーン刑務所の収容面積が不足したせいだ、と主張した。だがエヴィーン刑務所の当局者は同委員会に対し、同刑務所には囚人を受け入れる用意があったと話している。委員会は、デモ参加者をキャフリーザク拘置所に移送するというモルタザヴィーの決定は「たとえエヴィーン刑務所に収容能力がなかったとしても正当とは認められない」とした。

調査委員会はキャフリーザク拘置所での被収容者への虐待として、殴打、言葉による暴力や辱め、食料や飲料水の不足、不十分な換気、ひどい過密状態などを挙げた。また、調査委員会はモルタザヴィーが3人の被収容者の死亡に責任があると判断した。この3人は、モフセン・ルハール・アミニー、アミル・ジャヴァデイーファル、モハンマド・カームラーニーである。

キャフリーザク拘置所の収容環境を踏まえ、司法当局は2年以上前に施設の閉鎖を命じていたものの、実際には昨年7月まで使用されていた。7月27日にアミニーが亡くなった後、最高指導者アリー・ハーメネイーは閉鎖を再度命じている。ハミード・レザー・カートゥージャーン議員(テヘラン選出)は、大統領選後におきたテヘラン大学学生寮襲撃事件に関する公式の真相究明委員会に以前参加していたが、彼は8月上旬に、エスマーイール・アフマディー・モガッダム治安維持軍総司令官はキャフリーザク拘置所に関する報告を毎日受けているので、同拘置所で起きたことについての共同責任があると述べていた。

「キャフリーザクで起きた悲惨な出来事に関し、モルタザヴィー以外の人間にも責任があると考えるのには、理由がある」とストークは述べた。

モルタザヴィーは拘束された人々をキャフリーザク拘置所に移送したのみならず、大統領選挙後に拘束された改革派指導者や政党職員の尋問も担当していた。

2000年4月、当時政府職員犯罪審理裁判所(政府職員特別法廷)1410支部の裁判官だったモルタザヴィーは、勢いを増していた政府批判への弾圧の先頭に立ち、100以上の新聞と定期刊行物の閉鎖を命令。2003年6月にはイラン系カナダ人のフォトジャーナリストのザフラー・カーゼミーが司法当局と治安当局により収監中に死亡したが、それを指揮していたのがモルタザヴィーだった。遺族の弁護団は、遺体には頭部の打撲など拷問の痕跡があり、しかも、モルタザヴィーが彼女を直接尋問していたと主張している。

2004年、モルタザヴィーは20人以上のブロガーとジャーナリストの恣意的拘束を命じ、秘密刑務所に収容させた。ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査によれば、モルタザヴィーは被拘束者への虐待に直接関与し、長期間の隔離拘禁や虚偽の自白の強要を行っていた。自白調書への署名は一部テレビで放映された。