A cartoon by Steve Bell published in The Guardian on July 9, 2009.

© 2009 Steve Bell / http://www.belltoons.co.uk/reuse

(ロンドン)-英国政府は、パキスタンでテロ容疑者に対して行われた拷問についての英国治安機関の役割と共謀に対する司法調査を直ちに命令するべきである、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日公表したレポートで述べた。

46ページの報告書「英国政府による拷問の共謀:パキスタンでのテロ容疑者への拷問と虐待」は、パキスタン出身のイギリス人5名の拷問虐待事件について、被害者とその家族への調査結果をまとめたもの。サラフディン・アミン(Salahuddin Amin)、ジーシャン・シディキ(Zeeshan Siddiqui)、ラングジエブ・アーメド(Rangzieb Ahmed)、ラシド・ラウフ(Rashid Rauf)、と5番目の個人(匿名希望)は、2004年から2007年にかけてパキスタン治安機関によって拷問された。英国政府関係者が直接拷問に携わっていたという証拠はないものの、英国政府が共謀関係にあることは明確であることを、ヒューマン・ライツ・ウォッチは明らかにした。

「英国情報機関と法執行機関は、パキスタンで、テロ容疑者たちが拷問されることを利用し、容認した。」とヒューマン・ライツ・ウォッチの南アジア上級調査員アリ・ダヤン・ハサンは語った。「英国政府は、パキスタンの情報機関が、日頃から拷問に手を染めていたのを知っていたし、個別の拷問にも気がついていたものの介入しなかった。」

英国政府のある高官は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、2009年2月にヒューマン・ライツ・ウォッチが英国議会人権合同委員会(UK Parliament's Joint Committee on Human Rights)で行った「英国政府の共謀」に関する参考人意見陳述の内容は正確だと認めた。もう1人の政府消息筋も、ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査結果は「完全に正しい」と述べた。

パキスタン情報機関が、拷問で得た情報を英国政府にわたし、こうした情報が英国での裁判や捜査に利用されたこともあった、とこれらの英国政府筋は語った。パキスタン情報機関が拷問しているのを知りながら、英国の法執行機関と情報機関の関係者は、容疑者たちに対する様々な尋問事項をわたしていた。

事情通のパキスタン市民(文民)や軍関係者たちは、何度も、「英国政府関係者たちは、テロ容疑者の尋問の際に拷問が行われていることを知っている」と語っていた。「過去8年の世界各地でのテロとの闘いから得られた重要な教訓のひとつは、拷問と虐待は、テロをなくすどころか増やすということだ」とハサンは語った。「拷問すれば、政府の道徳的正当性がなくなり、テロ組織の人員募集の追い風になってしまう。」

被害者のうち4名は、パキスタン内で拘留されていたとき、英国政府関係者と会ったと述べている。なかには、被害者が拷問された直後、拷問の跡がはっきり残っているときに、面会が行われたこともあったという。

英国グレーター・マンチェスター出身のランジエブ・アーメド(Rangzieb Ahmed)は、2006年8月20日にパキスタンの北西辺境州で逮捕され、アルカイダと関係していたという容疑で2007年9月7日に英国に移送された。アーメドはヒューマン・ライツ・ウォッチに、パキスタンで拘留されていた期間中、パキスタン治安機関に繰り返し拷問・暴行・睡眠剥奪などの虐待を受けた、と語った。拷問で、指の爪を3つ剥がされた、とも彼は語った。

アーメドの拘禁の様々な手続きに関与していたパキスタン法執行機関関係者の何人かに、ヒューマン・ライツ・ウォッチは話を聞くことができた。パキスタンの文民と、パキスタン軍関係者の双方が、英国情報機関がアーメドの拘禁と彼の「常々の」取り扱いについて知っていたというアーメドの主張は「全面的に真実である」と認めた。

ロンドンのハンスロー出身のジーシャン・シディキは、2005年5月15日、パキスタンで、テロに関与したという容疑で逮捕され、2006年1月8日に英国に強制送還された。拘留されている間、シディキは繰り返し暴行され、鎖で繋がれ、薬を注射されたうえ、性的虐待やさらなる拷問を加えると脅された、と語っている。

匿名を条件として話してくれたパキスタン治安当局者は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、英国情報機関からの通報と要請を根拠に、シディキが逮捕されたと明らかにした。シディキが「伝統的手法」で「処置」されていること、そして、直接にはパキスタン情報局が「処置」してはいるが「事実上」シディキを尋問しているのは英国政府であることを、英国情報機関は常に認識していた、と付け加えた。

「シディキが話した情報が有益だということを誰も立証できなかったし、有益な情報も得られなかった。だから、彼は、 [法]制度の中に戻ることを許されたんだろう」と消息筋は語った。

エッジウェア出身のアミンは2007年4月に、ナイトクラブ「London's Ministry of Sound」を含む、幾つかの潜在的ターゲットへの攻撃計画容疑に対する「クレヴィス(Crevice)」裁判で有罪判決を受けた。アミンは、「虐待されない」という約束が家族とされた後に、パキスタン当局に自首したが、2004年に繰り返し拷問され、偽りの自白を強要された。

アミンは、拘禁されている間に、英国情報機関員と12回近く会ったと述べている。アミンは10ヶ月にわたる違法拘禁の後、パキスタン当局によって釈放されたが、2005年ヒースロー空港に到着と同時に逮捕された。

パキスタン情報機関は、アミンによる拘禁時の説明と、英国及び米国の情報機関との会談の様子は「基本的には正確」である、と述べた。これらの消息筋はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、アミンの事件は「重大」ケースであり、英国と米国から、彼から情報を得たいという「非常に強い」要求があったと述べた。更に、英国と米国におけるアミンの拘禁の「関係者」は、パキスタン情報機関があらゆる手段を講じて彼から情報を得ていることを十分に知っており、このことに感謝していた、と述べた。

「テロは犯罪であるが、これは拷問への参加や、拷問から得た情報などを利用したりすることを正当化しない。」とハサンは述べた。「独立した調査が行われ、責任を負うべき者が責任を問われるまで、英国の人権尊重国家としての評判は傷ついたままである。」

外務大臣と内務大臣は、拷問の共謀を否定しているが、ヒューマン・ライツ・ウォッチやガーディアン紙、また拷問被害者の弁護士によって提示された具体的な疑惑には触れられていない。

英国政府はまた、人権合同委員会(JCHR)と外交委員会による調査結果と勧告への適切な対応を怠ってきた。JCHRは以前より、独立した調査を行うよう要求をしている。「英国政府は、パキスタンにおける政府の行動についてのどんな質問にも答えようとせず、議会や被害者、国民の要求を受け入れてこなかった。」とハサンは語った。「政府は直ちに独立した司法調査組織を設立し、拷問の共謀が二度と起きないことを確保するための措置を講じるべきである。」