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ネパール:不処罰の連鎖を止め、犠牲者に正義を

新政権は、過去の人権侵害を調査し犯人を訴追すべき

(カトマンズ)-毛沢東主義派率いるネパール新政権は、10年に及んだネパール内戦でおきた数千件にも及ぶ超法規的処刑、拷問、強制「失踪」事件を調査し、その責任者を訴追すべきであると、ヒューマン・ライツ・ウォッチとアドボカシー・フォーラム(Advocacy Forum)は、本日発表の共同報告書で述べた。

「毛沢東主義派は、『不正義に抗議するため、武装蜂起した』と主張する」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長のブラッド・アダムズは述べた。「政権を取った今こそ、毛沢東主義派政府が、こうした深刻な犯罪を犯した者に対する法の正義を実現する勇気を示すことを望む。」

報告書『正義を待ちわびて:放置されたままのネパール内戦中の残虐行為に関する報告 ("Waiting for Justice: Unpunished Crimes from Nepal's Armed Conflict")』は118ページ。2002年から06年にかけて起きた62件の殺人、失踪、拷問の詳細についてまとめている。その殆どは治安部隊が行った犯罪だが、うち2件は毛沢東主義派が関与している。殺人や「失踪」の犠牲者の遺族・親族たちは、詳細な申立書を警察に提出して刑事事件としての捜査するよう求めた。しかし、ネパール司法は、ほとんど全く対処していない。

「ネパール民衆は、2006年、正義・人権・法の支配の上に築かれた新生ネパールを求めて街頭に繰り出した」と、アドボカシー・フォーラム事務局長のマンディラ・シャルマは述べた。「今こそ、新政府は、あの民衆の要求を実現すべきだ。」

これまで、一般法廷で裁かれた容疑者は一人もいない。軍と毛沢東主義派を恐れる警察は、被害申立書の受理を拒否することも多い。こうした事件は、現在提案されているトランジショナル・ジャスティス(移行期の正義・司法)機関で扱われることになろう、というのがその理由だ。

例えば2004年12月18日、モラン(Morang)地域で、マドゥフラム・ゴータム(Madhuram Gautam)が、軍兵士に拘束され射殺されたのを複数の人が目撃した。それから4年近く経つが、警察はいまだにこの殺害事件を刑事事件として受理するのを拒否している。弁護士たち、ネパール国家人権委員会代表及びネパール国連人権高等弁務官事務所などが介入を行い、さらに、ビラートナガル控訴裁判所までが警察及び地域長官事務所に対して事件受理を命じたにも拘わらず、事態に動きはない。2008年9月1日、マドゥフラムの家族とアドボカシー・フォーラムが、申立受理を求めてモラン警察を訪れたが、警察署長は尚もその受理を拒否した。

警察は、申立を受理した場合も、往々にして容疑者や目撃者の事情聴取などの最も初歩的な捜査さえ行わない。検察官は進行中の警察捜査を精査するのに消極的であり、裁判所も被害者の訴えを退けてむしろ政治的影響力に従う傾向がある。一方、軍は捜査への協力を断固として拒否している。

15歳のマイナ・スヌワルは、2004年2月に逮捕された後、「失踪」。カブレ警察は2005年11月、国内外からの大きな圧力を受けて初めて、申立を受理。しかし、警察による遺体の身元確認と照合作業は遅々として進まず、捜査の進行を妨げていた。2008年7月、DNA鑑定の結果、ついにパンチカル陸軍駐屯地に埋められていた遺体が、彼女であることが確認された。2008年2月、裁判所は4名の陸軍将校容疑者に対し逮捕状を発付したが、これまで逮捕された者はいない。

「警察や検察は、恐怖と無知そして能力の欠如ゆえ、幾度となく、犯罪捜査や訴追の職務を怠ってきた」と、シャルマは述べた。「政治的意志があれば、我々は正義を達成することができる。政府には、警察が犯罪捜査という職務を果たすよう助力し、法の支配と国家機関に対する国民の信頼を回復する責務がある。」

報告書にまとめた62件のケースのうち、毛沢東主義派の関与したものはわずか2件であるが、毛沢東主義勢力もまた、民間人を拉致、拷問、殺害した。紛争中も紛争後も、犠牲者の多くは、恐怖ゆえに毛沢東主義派に対し被害を申し立てられなかった。毛沢東主義派は、2005年12月、アルジャン・バハドゥル・ラマを拉致し、その後殺害した容疑が持たれているが、警察は同派の報復を恐れ、申立の受理を拒否。犠牲者の親が、警察に告発しようとした時、100名以上の毛沢東主義派が警察と親戚を脅迫した。2008年8月11日、最高裁判所が、毛沢東主義派のメンバー5名と毛沢東主義派中央委員の一人を容疑者とする殺人事件の受理を警察に命令したことに従い、カブレ警察はついに申立を受理した。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、『苦境の中で:ネパール内戦の中で生き延びる市民の苦難("Between a Rock and a Hard Place: Civilians Struggle to Survive in Nepal's Civil War")』と題した2004年10月の報告書でも、毛沢東主義派と治安部隊による人権侵害について調査・報告している。

今回の報告書で、ヒューマン・ライツ・ウォッチとアドボカシー・フォーラムは、ネパール新政府に対し以下を求めている。

  • 当報告書の中で明らかにされた全62事件及びこれに限らないその他の人権侵害を行った全ての責任者(治安維持部隊のメンバーを含む)を、しっかりと捜査し、訴追すること。
  • 「失踪」と拷問を犯罪として規定し(治安部隊、毛沢東主義派、その他いかなる組織の所為かに拘わらず)、軍が「失踪」と拷問を実行した場合でも、文民当局及び裁判所による捜査及び起訴の対象にすること。
  • 重大な人権侵害に対しては恩赦を与えない真実和解委員会と失踪調査委員会を設立すること。

同報告書は、ネパール政府に影響力を持つ諸外国政府や国際機関などに対しても、治安部隊の行為に対する効果的な監視及び懲罰のための手続・機構の構築などの治安維持部門改革を働きかけるよう求めた。2008年9月1日、副首相兼内務大臣・バムデヴ・ガウタムは、「新政府の主な目標は、6ヵ月以内にネパールに法と秩序を確立し、不処罰の蔓延を終わらせること」と報道関係者に語った。「過去の人権侵害に対する法の裁きは、和平プロセスの進展とのバランスを取りながら進めるべき」と主張する政治家もいるが、ヒューマン・ライツ・ウォッチとアドボカシー・フォーラムは、それは危険な思い違いであり、法の正義なしには、恒久的平和は実現しないと考える。

「行動は言葉よりも雄弁だ。政府が人権に対する真のコミットメントを示すことができるのは、人権侵害を行った者に対し最終的に法廷で裁きを受けさせるという行動だけだ」とアダムズは述べた。「新政権と司法当局は、人権侵害者を捜査・訴追し、『ネパールでは殺人を犯しても裁きを逃れられるなどということはない』というメッセージを送る歴史的チャンスを手にしているのだ。」

報告書の証言から抜粋:

「私は兵士たちに、別の部屋に押し込まれたんだ。そしたら銃声が聞こえたんで、走って外に出た。息子と嫁がいて、二人とも水を欲しがっていたよ。二人とも痛くて泣いてた。私は孫を抱きしめた、孫も怪我をしていたんだ。息子と嫁は最後の苦しみに喘いでた。二人とも私の目の前で死んでいったんだよ。」

-ブミサラ・タパ、2002年に軍に殺害されたダル・バハドゥル・タパの母親

「私は[地方長官Chief District Officer]と警察署に、少なくとも20回は行きました。両方とも申立書は受け取ってくれましたが、申立を受理してはくれませんでした。CPN-M [共産党ネパール毛沢東主義派]の指導者プラチャンダにも会って、夫の居所を尋ねたんです。そうしたら2、3日くれと言われました。それがもう2年です。」

-プルニマ・ラマ、2005年4月19日に毛沢東派に拉致され現在も行方不明のアルジュン・ラマの妻

「私は正義を求めて、州当局のあちこちのドアを叩いて回りました。でも、今も正義は訪れません。娘の骨はまだ病院に保存されてます。もう疲れたけど、娘の事件に正義が下されるために、まだ当局に行き続けています。正義はいつ訪れるのでしょうか・・・」

-バクタ・バハドゥル・サプコタ、2004年7月15日に軍の兵士に拉致され、2006年1月11日に遺体が見つかったサララ・サプコタ(15歳)の父親

「軍の捜査や軍法会議なんて、単に形式的なものだった。犯人は刑務所に入ることさえなかったし、だいたい、未成年を拷問したり殺したりしておいて6ヵ月の刑務所入り[の判決]なんて、処罰なんて呼べないよ。」

-デビ・スヌワル、2004年2月19日に軍の兵士に拉致され、2007年3月に遺体が見つかったマイナ・スヌワル(15歳)の母親

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