(ジャカルタ) - インドネシア議会は2022年12月6日、国際人権法及び国際的基準に深刻に違反する規定を含む新刑法を可決した、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。新刑法の規定は、女性、宗教的少数派、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー(LGBT)の人びとの人権を侵害し、言論と結社の自由を弱体化するものだ。
オランダの植民地時代にまでさかのぼるインドネシア刑法について、これを改正することは、これまで何十年も検討されてきた。大規模な抗議デモを受けた2019年9月、ジョコ・ウィドド大統領が旧バージョンの刑法改正案の可決延期を決定。大統領は当該法案の「社会化」を図るよう内閣に命じ、表向きには市民参加を強化した。その後、新型コロナウイルス感染症パンデミックのためにその作業は遅れ、議会の法と人権に関する委員会が11月30日に完成させた。12月6日に下院の本会議で624の条文を含む法案が可決された。
ヒューマン・ライツ・ウォッチのインドネシア担当上級調査員アンドレアス・ハルソノは、「このインドネシア新刑法には、プライバシーの侵害および選択的な法執行への扉を開く、人権侵害を招くあいまいな規定が含まれている。この新刑法は、警察が賄賂を強要したり、議員が政敵に嫌がらせをしたり、役人が市井のブロガーを投獄したりすることを可能にしてしまう」と指摘する。「たった一撃でインドネシアの人権状況は悪化してしまった。今や何百万人もの市民が、この法律の下で刑事訴追の可能性に直面しているといえる。」
ジョコ・ウィドド大統領は来週訪欧し、欧州連合(EU)および東南アジア諸国連合(ASEAN)の政府首脳と会談を行う予定だが、その際に、EU各国首脳は改正刑法への反対を強く表明すべきだ。インドネシアで事業をしている銀行や投資ファンド、そして製造、観光、パーム油生産他主要産業関連企業も、強く発言する必要がある。
この法律は婚外交渉を犯罪としており、プライバシー権に対する全面的な攻撃といえる。個人や家族にとってもっとも私的な意思決定への介入を可能にするものだ。
インドネシアには結婚証明書を持たない何百万ものカップルがおり、理論上、こうした人びとは法律に違反していることになる。特に、カウィン・シッリ(kawin siri)と呼ばれるイスラム式の儀式のみを経て結婚した先住民族や農村部のイスラム教徒の間に多い。婚外交渉および同棲の罪で訴追するには、被疑者の夫、妻、両親、または子どもの告訴が必要だが、その影響を特に受けるのは、不倫だと夫から通報される可能性が高い女性や、家族から交際を否定されたりする可能性が高いLGBTの人びととなろうと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。
インドネシアで同性カップルは結婚できないため、この条項は事実上、すべての同性間の行為を違法とする。同意に基づく成人の同性間の行為が法律で禁じられたのは、インドネシア史上初めてのことになる。申立人らは2016年、憲法裁判所に同性間の行為を犯罪とするよう求めたが、裁判官はこの訴えを次のように退けていた。「社会現象の調整、特に「逸脱」とみなされる行動の規制において、刑事政策のみに全ての責任を委ねるのは過剰である。」
さらに、この改正刑法の条文は、いくつかの例外を除いて人工妊娠中絶を犯罪とし続けている。さらに新たに、避妊に関する情報を子どもに配布したり、人工妊娠中絶処置を受けるための情報を分け隔てなく誰にでも提供することも犯罪と規定された。これは、とりわけ女性と少女に有害だ。こうした規定は、包括的かつ包摂的な性と生殖に関する保健教育や情報を受けとる権利を侵害している。また、女性や少女が自ら健康を守り、身体や出産・育児について十分な情報をもとに選択する能力を阻害し、結果的に望まない妊娠が生じうる。望まない妊娠は、少女の教育に関する権利、児童婚、その他少女の健康及び生命のリスクなど、様々な人権侵害につながる。
刑法の冒とく罪(ブラスファミー)にはこれまでより短い最高3年の拘禁刑とされたものの、その章の条文は1条から6条に増えた。今回初めて、宗教や信仰をやめることを背教として犯罪化する条文が含まれた。ある宗教や信仰を信じないよう説く個人は誰でも訴追・投獄される可能性がある。これは、信教の自由の保障において重大な後退だ。本改正刑法は、冒とく罪の執行停止や廃止という世界的な傾向に逆行している。
この新法はまた、国内で「施行中のあらゆる法」を認めると規定しており、全国各地の地方当局が課した何百ものシャリア(イスラム法)規制に正式な合法性が付与されたと解釈される可能性が高い。こうしたシャリア規制の多くは、女性や少女を差別する内容となっており、例えば、女性の夜間外出禁止、女性性器切除、ヒジャブの着用義務などを定める。同様にLGBTの人びとを差別する内容も多い。
また、大統領、副大統領、国家機関、パンチャシラの名で知られるインドネシアの国是(建国五原則)、国旗の侮辱も禁じられる。この新法には、オンラインおよびオフラインの刑事名誉毀損罪に関する多数の条文も含まれており、誰もが刑事名誉毀損罪で誰かを告訴することが可能だ。
インドネシア報道評議会は、ジャーナリストの投獄や、全国の多くの報道機関が恐怖により萎縮することを憂慮して、与党連合を率いるジョコ・ウィドド大統領に対し、法案を可決しないように求めていた。
前出のハルソノ上級調査員は、「改正刑法の可決は、インドネシアの人権に対する災いのはじまりだ」と指摘する。「国会議員と政府は、この有害な法律を即時再検討の上廃止し、振り出しに戻る必要がある。」
改正刑法の問題のある条項の詳細は以下を参照のこと。
刑法草案における問題条項の具体例
第2条
インドネシア国内で「施行中のあらゆる法」を承認。これらには、地方レベルでのhukum adat(慣習刑法)およびシャリア(イスラム法)規制が含まれると解釈しうる。インドネシアには、シャリアに端を発する条例や規制で、女性、宗教的少数者、LGBTの人びとを差別する内容のものが多数存在する。「施行中の法」の公式リストがないために、この条文が、こうした差別的規制を理由に人びとを訴追するのに使用される可能性がある。
第190条
国是としてのパンチャシラ(建国五原則)を置き換えようとする個人は、最高5年の禁固刑を科されると規定。パンチャシラは1945年の独立記念日に、イスラム教徒、キリスト教徒、ヒンズー教徒、世俗主義の指導者間の政治的妥協の末に採用された。
第192条
makar(反逆)を犯罪と規定。平和的な活動家の逮捕に適用される可能性がある。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、人権問題が多発する西パプア州における当該条文の適用の実態を調査・報告してきた。死刑、無期懲役、または最高20年の拘禁刑もありうる。
第218条〜第220条
大統領または副大統領の名誉を毀損した個人に3年の刑を規定。報道評議会のムハマド・アグン・ダルマジャヤ議長代理は、11月17日にジョコ・ウィドド大統領に書簡を送付し、報道の自由を妨げる条文が含まれるために、改正刑法の可決を延期するよう要請した。書簡には、「RKUHP[新刑法]の内容は依然として報道の自由を制約するものであり、報道活動が犯罪とされる可能性がある」と記されている。
第263条・第264条
暴動の原因となった虚偽のニュースの発信やでっち上げを行った個人に対し、最高6 年の拘禁刑を規定。社会不安を起こしうると知り又は合理的に知りえたにも拘わらず、「不確実」「誇張」「不完全」なニュースを作成した個人は、最高2年の拘禁刑を科されうる。
第300条〜第305条
スカルノ大統領の下で制定された1965年冒とく法を拡大。旧法では、条文は一条だけで、インドネシアの6つの公式宗教(イスラム教、プロテスタント教、カトリック教、ヒンズー教、仏教、儒教)を「保護」する内容だった。新法では1965年法の適用範囲にkepercayaan(信仰)という単語が加えられたため、その範囲が拡大した。第302条は、有神論者が無神論者になることは背教であり、他者に無神論者になるよう説得を試みることも犯罪と規定している。
第408条〜第410条
医療提供者以外が避妊に関する情報を子どもに広めたり、人工妊娠中絶に関する情報をあらゆる人に分け隔てなく提供することを事実上規制。そうした規制には、人工妊娠中絶の手段として使用される、いわゆるモーニングアフターピルに関する情報も含まれると考えられる。
第463条・第464条
人工妊娠中絶処置を受けた女性に対し、最高4年の拘禁刑を規定(例外は、女性がレイプまたは性暴力犯罪の被害者で、妊娠期間が14週以内の場合、または医学的緊急事態が示唆される場合)。人工妊娠中絶処置に携わった個人は最高5年の拘禁刑を科されうる。また、これら条文は、いわゆるモーニングアフターピルを妊娠中絶の手段として利用または販売する個人の訴追にも適用可と解釈される可能性がある。
このような条文は、教師、保護者、メディア、コミュニティのメンバーなどが自由に重要な保健情報を交換することを抑制してしまい、国際法が保障する性教育を受ける権利、性と生殖に関する健康を享受する権利、子どもを持つことについて自ら選択する権利を後退させる。望まない妊娠を経験した女性や少女に選択の余地がなければ、女子教育の中断や児童婚の助長、女性や少女の健康および生命への危険など様々な権利に悪影響が及ぶ可能性がある。
ヒューマン・ライツ・ウォッチが複数の国で行った調査では、人工妊娠中絶を犯罪化すれば、生存権、健康権、拷問や品位を傷つける取扱いからの自由、プライバシー権、出産回数や出産間隔を自己決定する権利など、国際法が保障する人権を侵害することが示されている。
HIV/エイズを含む性感染症は、コンドームを常に使用することで大幅に予防できる。したがって、コンドームに関する情報へのアクセスを妨げることは、生命と健康に関する権利の侵害である。ヒューマン・ライツ・ウォッチによるこれまでの調査報告結果は、コンドームへのアクセス制限が、男性と性交渉をする男性や女性セックスワーカーとその客など、周縁化された人びとにとりわけ影響を与えること示している。こうした人びとは、すでにインドネシアにおけるHIV流行の大きな影響を特に受けている。
第411条
婚外交渉は最高1年の拘禁刑と規定。旧法では、婚姻関係にある夫婦に限り、配偶者または子どもが警察に被害を届け出た場合のみ訴追可能とされていた。新法では、両親、子ども、または配偶者が、既婚または未婚の個人に関して警察に被害を届け出ることができる。条文は同性間の行為について具体的に規定していないが、インドネシアでは同性関係が法的に認められていないため、同性間の性的行為は事実上、犯罪となる。また、セックスワーカーも同様に刑事訴追の対象とされる。
第412条
法的に結婚せずに「夫と妻として」一緒に暮らすカップルに対しては、最高6カ月の拘禁刑が科されうると規定。当該条文は、バハイ宗教的マイノリティや先住民族、農村部のイスラム教徒を含む数百万人規模のインドネシア人に適用される可能性がある。調査によれば、婚姻登録の煩雑さから、インドネシアで法律婚していないカップルは半数にのぼるとみられている。バハイ教、アフマディ教、土着宗教など何百もある非公認宗教の信徒ならびに遠隔地や諸島部の人びとも同様だ。また、インドネシア法下で結婚が許されていないLGBTの人びとに対して適用される可能性もある。