女子小学生用の寝室(岩手県内の児童養護施設)。女児は8人部屋での生活。個人の空間は唯一ベッドの上だけ。しかもそのプライバシーを保つのは、ベッドを仕切る薄いカーテン1枚だ。

© 2012 猿田佐世/ヒューマン・ライツ・ウォッチ

鈴木正志さん(仮名、21歳)とは東京近郊のマクドナルドの2階で会った。しんとした場所だった。店内の明るさとは対照的に、正志さんの表情は浮かない。

「両親は、僕が赤ちゃんのときに育てるのを放棄したんですよね。」 

ゆっくり話すその声に力はなかった。正志さんは2歳からずっと千葉県内の児童養護施設で育った。18歳で施設を出てから2年間、これまで20ちかくの職を転々としたという。

「ホームレスみたいになったこともあって。」 

疲れ切った声だ。正志さんは身なりに気を遣っていた。服はだいぶくたびれてはいたが今風で、髪も整っていた。だが孤独感がにじんでいる。

「一日が長い。」 

正志さんはため息交じりにつぶやいた。

話しているうち徐々に、正志さんが施設の生活で、一人暮らしに必要な知識や生活スキルを身につけてこなかった、ということが明らかになった。また、施設終了後の社会生活に必要な継続的なサポートも受けていなかった。

現在日本では、実親から分離されたり捨てられたりした約3万4千人の子どもたちが施設で生活している。この現状は先進国の多くとは大きく異なる。多くの先進国では、こうした子どもたちの大半が里親か養親の家庭で生活しているのである。里親や養親宅での生活は、子どもを支援する温かい家庭での養育となる可能性が高い。

正志さんが施設に入所したのは2歳。施設生活は3歳未満の乳幼児にとって特に問題がある。大人との愛着を築く機会が奪われるからだ。乳幼児をこうした環境に置くと、精神や情動、さらには身体の発達すら遅れる恐れが大きくなることは、数多くの研究が示している。大きい子どもにとっても施設環境は問題である。日本では子ども1人あたりの職員が少ない。いじめも日常的に起きている。高校生でも1人部屋でなく何人もの子どもと相部屋暮らしの場合もある。お風呂を数十人が共同で使う施設もある。

施設を出た直後に、自立生活の準備ができている子どもは少ない。低収入の仕事に就いたり、失業者となることもかなり多い。ホームレスになることすらある。

これまでの人生について正志さんがこの日触れなかったことにも、正志さんが話してくれたことと同じく重みがある。

正志さんがいた施設「恩寵園」は、大浜浩園長と息子の大浜晶同園元職員の裁判で有名になった。園長と息子は日常的に子どもを殴る等の暴行を行っていた。子どもを、何時間も正座させるなどして、トイレに行くことも禁じたため、子どもたちが正座したまま失禁せざるをえないということもあった。大浜晶被告には、施設で生活していた12歳の少女への強制わいせつと強かんで実刑判決が下された。園長には執行猶予つきの判決が言い渡された。

大浜親子は正志さんが9歳の頃、逮捕された。正志さん自身は虐待のことはよく覚えていないと話す。ただ虐待が日常生活の一部ではあっただろう。園長の飼い犬の前に連れて行かれて噛まれたことはよく覚えているそうだ。1990年代後半から2000年代前半にかけて、恩寵園などでの施設内虐待事件が相次いで社会に明らかされ、施設内での大人による深刻な虐待の多くは止まった。

正志さんは、施設職員から障害者手帳の取得を勧められたことについて怒りをもっている。知能テストの結果がグレーゾーンにあったことがその理由である。高校時代に特別支援学校に入れられたことも許せなかったという。自分から勉強すべきだったとは思いながらも、施設がどうしてもっと勉強させてくれなかったのか、不満をもっている。「障害なんてほとんどないですよ」と正志さんは言う。

現在、正志さんは漢字の読みや簡単な計算に苦労する。これができなければ、たいていの仕事で問題を抱えることになる。美容師になりたかったが、周りからはお前の能力では無理だといわれてあきらめた。内装の仕事をしていたときにも、道具等の取り扱い説明書が理解できないこともあった。

正志さんは運転免許を取れていない。当時は施設も国も補助を出してくれなかったからだ(現在は5万5千円の補助が下りるが、これは免許取得に十分な額ではない)。運転免許がないので就ける職も限られます、と正志さん。

いまはアパート暮らしだが、一時は公園や漫画喫茶で夜を明かしたという。

そんな境遇にありながら、正志さんが気にしていたのは同じ施設にいた兄のことだった。兄はホームレス寸前で、正志さんよりずっとひどい状況だという。施設にいた友だちも厳しい暮らしをしているそうだ。ホストをしている人もいるが、正規でフルタイムで働いている人は1人もいない。子どもがいる友だちもいるが、彼らは自分で子どもを育てられていないと話していた。

「人生、そんなうまくいかないっすよ。」 正志さんはそう漏らした。