(ニューヨーク)-2011年2月に反政府抗議運動が始まって以来、イエメンの治安部隊は、デモ参加者など反サレハ前大統領派とみなした数十人を恣意的に拘禁していた、と本日ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。治安部隊が令状(charge)もなしに、何日もあるいは数ヶ月もの間恣意的に拘禁した37名の事案について(2011年11月の権力移譲後に逮捕された又は権力移譲後も拘禁され続けた20人を含む)、ヒューマン・ライツ・ウォッチは詳細に調査・報告した。
そのうち、暴行、電気ショック、殺害或いはレイプするという脅迫、数週間或いは数ヶ月にも及ぶ隔離拘禁などの不当な拷問や虐待に遭ったと訴えた人が22人。そのほかにも、強制失踪或いは令状(charge)なく拘禁されたデモ参加者や反政府勢力戦闘員などの家族5名からも聞き取り調査を行った他、更に、2011年3月に反政府勢力に鞍替えした元政府軍の第1装甲師団によって、非公式の拘束場所で拘禁されていた2人からも聞き取り調査を行った。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、政府と反政府勢力の両方に、恣意的に拘禁している全ての人を直ちに釈放するよう求めた。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ中東・北アフリカ局長サラ・リー・ウィットソンは「わずかな法的手続きさえ踏むこともなく、治安部隊が好き放題に人びとを捕えることが出来る限り、イエメンに人権を尊重する新たな時代がやってくる可能性は一切ない。暫定政権は、治安部隊が直ちに違法な拘禁から手を引くよう確保しなくてはならない」と指摘する。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは3月と4月初旬に首都サヌアを訪れた。地元人権団体、サレハ前大統領の率いる政党、そして野党の双方が、市民蜂起の際に拘束された多くのデモ参加者や両陣営の戦闘員などが、現在も隔離拘禁されたままだとヒューマン・ライツ・ウォッチに訴えた。政府治安部隊も反政府勢力の治安部隊も、違法拘禁はしていないと主張していたものの、両陣営共に相手方は違法拘禁を行っていると非難していた。
ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じた元被拘禁者のサダム・アエドハ・アルシャイエフ氏(21歳)は、政府全国保安局(National Security Bureau)の関係者に2012年3月4日にサヌアの街頭で逮捕され、目隠しをされてサヌアとエデンの刑務所まで車で連行された上、そこで1週間隔離拘禁(incommunicado detention)され、繰り返し拷問を受けたと語った。
「やつらに自分の小便を飲まされた。断ったら彼らは俺に電気ショックを浴びせた。家に帰った後もまだ拷問されている夢を見て、叫んで目が覚めてしまうんだ」と彼は語った。
公開された情報が非常に少なく、拘禁施設への立ち入りも出来ないことから、ヒューマン・ライツ・ウォッチは令状なしに拘禁された人あるいは現在も拘禁されている人の数を正確に認定できなかった。礼状なし拘禁の問題を議論するため、2012年4月12日に抗議デモに参加した青年たちと面会したムハンマド・サーリム・バシンドワ首相は、その人数を青年たちに語ることができなかったという。サレハ前大統領に近いある有名な高官は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに、現在も当局は少なくとも100人を拘禁している、と話した。
アブドゥ・ラッボ・マンスール・ハーディー大統領率いる新政権に対し、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、同国内の被拘禁者一覧を直ちに公表するよう求めた。
サレハ前大統領は昨年11月23日に暫定政府に権力移譲を始め、ハーディー氏は今年2月21日、対立候補のいない選挙で大統領に就任。当時大統領代理だったハーディー氏が率いる暫定内閣と軍再編委員会は、1月、恣意的に拘禁された囚人全員を釈放するよう命令し、政府及び反政府勢力双方の治安部隊が、多くの被拘禁者を釈放した。
2月から4月にかけて、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、サヌアにおいて2011年と2012年初頭に恣意的に拘禁された23人の元被拘禁者と、現在拘禁されている5人及び元被拘禁者1人の家族に聞き取り調査を行った。聞き取り調査に応じた元被拘禁者は、反政府デモ参加者、反政府勢力戦闘員、人権活動家、政府軍部隊が部族戦闘員と衝突したタイズ、ネハム、アルハブの住民などである。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2011年2月にも、イエメン南部への拡大自治を求める連合体「南部運動」に所属する活動家が強制失踪させられた8つの事件について報告している。
元被拘禁者の話によれば、被拘禁者らは、共和国防衛隊、政治保安機関(PSO)、全国保安局(NSB)、中央保安機構(CSO)など、治安担当や情報担当の部隊によって、数日から10ヶ月にわたり拘禁されていた。それらの部隊は全てサレハ氏の親族や支持者らがコントロールしており、サレハ氏が権力の座から降りた今になっても、中央政府の支配がほとんど及んでいない。
政府への抗議運動側に転じたある元共和国防衛隊員は、同隊の同僚に捕えられ、2012年の2月から3月にかけての3週間、大統領公邸内の小部屋に拘束されていた、と親族が話した。
うち2名は、今年3月、抗議者の広大な野営所のあるサヌアの変革広場周辺およびハーディー氏の自宅を警護していた際、第1装甲師団によって拘束された。政府当局者と一部の人権活動家は、市民蜂起の際、第1装甲師団が政府支持者と見なした数百の人びとを不法に拘束したと非難。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、野党イスラハ党党員が、無認可刑務所を変革広場内で運営していたことも明らかにした。
殆どの元被拘禁者は、拘禁中、ほとんど弁護士や親族へ連絡を取ることを許可されなかった。拘禁センターに連行される際に目隠しをされていたため、自分が何処にいるのか分からなかったと元被拘禁者らは話す。
1月21日にイエメン議会で成立した免責法は、前大統領サレハに全面恩赦を与え、更に33年に及ぶ彼の政権期間に、彼に仕えた全ての者が行った“政治的”犯罪にも免責を与えている。しかしながら同法は、恣意的拘禁の責任者に対する起訴を不可能にしていない。同法は、重大な人権侵害の起訴を定めるイエメンの国際的義務に違反しているが、当局が、同法施行後に行われた犯罪に対する起訴から、当局者を守るものではない。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、同法設立後、立件もなしに恣意的逮捕が行われたり、拘禁され続けている14件のケースについて報告している。
米国、欧州連合、湾岸諸国は、被拘禁者全員を司法当局に引き渡し、彼らが公平かつ公正な手続きに則って釈放、或いは、立件・起訴されるよう求めるべきである。
前出のウィットソンは、「イエメンの諸治安部隊を抑さえるのは簡単ではないが、それは同国に法の支配を根付かせる上で非常に重要だ。関係各国政府は、違法に捕えられたままの被拘禁者を釈放するよう全陣営に働きかけ、加害者が責任を追及されるよう保証しなければならない」と前出のウィットソンは語っている。