(エルサレム)-ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日、イスラエルは直ちに分離壁に抗議するパレスチナ人の恣意的拘禁を中止すべきであると述べた。イスラエルはイスラエル-パレスチナ間の停戦ラインである「グリーンライン」に沿ってではなく、ヨルダン川西岸内に分離壁の大半を建設しており、これは国際人権法にも反している。イスラエル政府軍当局はここ数カ月、パレスチナ人の壁廃止活動家数十名を恣意的に拘禁したうえ、適正手続も踏んでいない。

イスラエル政府は、分離壁に対する非暴力の抗議活動を行ったパレスチナ人の身柄を拘束したうえ、自白強要に基づく証言など、信用性の疑わしい証拠に基づいて起訴している。イスラエル政府当局は、分離壁抗議運動に参加したとされる子どもを含む被拘禁者が、弁護士や家族と面会することも拒否。分離壁が建設された際に多くの土地を失うことになったことに抗議した村落の人びとが拘束されている。

 ヒューマン・ライツ・ウォッチの中東・北アフリカ局長サラ・リー・ウィットソンは、「イスラエル政府は、生活基盤を台無しにする分離壁の建設に対して、平和的に抗議する人びとを不法に逮捕している」と述べる。「当局は、デモ参加者に偽りの容疑をかけ、更には基本的な適正手続を踏まずに子どもや大人を拘禁しており、これでは、平和的な政治的発言を事実上禁止しているようなものだ。」

分離壁に対する抗議活動はしばしば、パレスチナ人の若者によるイスラエル兵への投石といった暴力的な結果を招くことがある。イスラエル軍は通常、スタンガン弾や催涙弾を使ってデモ解散を図るが、イスラエルの人権団体ブツレムによると、同軍はゴムでコーティングした実弾も使用したことがあるという。デモ中に暴力行為が行われた場合には、暴力行為に参加した者やそうした暴力を扇動した者を逮捕することは許されるものの、それが分離壁に対する平和的抗議の提唱者や支持者までをも逮捕する正当な理由とはなり得ない。

2009年12月、イスラエル軍検察官が、西岸の村ビリンで非暴力による抗議を主導した高校教師アブダラ・アブ・ラム氏を起訴した。その罪状は、彼が同軍の使用済み弾丸と催涙弾から造ったピースサイン形アートを展示したことを「不法武器所持」罪にあたるとしたものだった。起訴状によると、ビリン村の分離壁と入植に反対する人民委員会の一員であるアブ・ラム氏は、「M16弾、ガス弾、スタンガン弾を使用した展示を行い、もって、治安部隊がどんな武器を使っているかを示した」という。

軍事法廷は、同氏をイスラエル兵士への投石や、投石を含むデモ活動を組織、扇動したかどでも起訴した。イスラエル人の活動家ジョナサン・ポラック氏は、パレスチナ人の若者がしばしば投石行為に及ぶことは認めると同時に、これまで数十回にわたりアブ・ラム氏と抗議行動を共にしたが、アブダラ・アブ・ラム氏が投石を目撃したことはないと、ヒューマン・ライツ・ウォッチに証言した。なお、アブ・ラム氏は未だ拘禁されたままである。

8月にイスラエル軍は、ビリン村人民委員会や、分離壁の抗議行動を組織する人民闘争調整委員会の委員長を務めるモハメド・ハティブ氏を拘禁、2008年11月のビリン村におけるデモでの投石行為を理由に起訴した。ところがパスポートの記録から、当時ハティブ氏が太平洋のニューカレドニア島にいたことが明らかにになった。同氏は2009年8月9日に釈放されたが、彼の弁護士によると、毎週行われる抗議デモの最中には警察署に出頭することがその条件とされていた。

イスラエル軍当局は2010年1月28日に、再びハティブ氏を拘束し、起訴した。同国のニュースサイト「ワイネット」が、同氏の引用として「我々はインティファーダ前夜にある」と掲載した翌日のことだった。ハティブ氏の弁護士によると、治安部隊が恣意的拘禁を正当化した根拠は、同氏の自宅から押収された「扇動的資料」で、これは裁判記録にも使われたという。ハティブ氏は2月3日に釈放された。これまで同氏は、非暴力による抗議活動を呼びかけた記事をニューヨークタイムズ紙ロサンゼルスタイムズ紙ザ・ネーション誌などに寄稿している。また、イスラエルによるパレスチナ領内での国際法違反行為を後押しする企業活動に携わる会社からの投資引き揚げをうたうロビー活動にも精力的にかかわっている。

また、イスラエル軍当局は1月12日に、ニリン村で分離壁建設に反対する人民委員会メンバーのゼイダン・スロウル氏を拘束。起訴罪状はデモ中の投石行為だったが、彼が当時、いつも通りのシフトで仕事中だったことが、同氏の署名が記された日付スタンプ入りの雇用主からの手紙で分かっている。

前出のウィットソンは、「治安への懸念を理由にイスラエル政府が、平和的な抗議活動を行うパレスチナ人の拘禁・起訴を正当化することはできない」と述べた。「政府は、分離壁に平和的に抗議するこれらパレスチナ人へ続けている嫌がらせに、ただちに終止符を打つべきだ。」

ニリン村人民委員会会員のモハメド・ソロウル氏もまた、7月20日にイスラエル軍によって逮捕された。ジュネーブで、先のガザ地区攻撃に関して国連事実調査団(ゴールドストン調査委員会)に対して証言した後、帰国した矢先のことだった。同氏の証言により浮き彫りとなったのは、2008年12月28日、ガザ地区攻撃に対する抗議デモ中に起こった、ニリン村住民2人にイスラエル軍が致命傷を与えた発砲事件である。ソロウル氏はオファ刑務所に尋問のため送られ、立件もないまま、3日後に保釈された。なお、ゴールドストン調査委員会は、国連人権理事会に提出した報告書で、ソロウル氏による国連調査委員会への証言が同氏拘禁の引き金となった可能性を憂慮している。

投石によるパレスチナ人の起訴や、軍の過度に広範な扇動禁止法を根拠にした起訴には、しばしば適正手続きへの深刻な懸念が付きものだ。分離壁反対活動家たちは、脅迫によって集められた証言に基づいて起訴されてきた。モハメド・ハティブ氏投石の目撃者であった16歳の少年は1月4日、デモの最中に同氏が投石をしたとする偽りの陳述に署名したことを証言した。当時、尋問官が少年に署名しなければ殴るとののしったことが、軍事法廷記録から明らかになっている。

ビリン村のもう一人の16歳の少年も、同村人民委員会メンバーが投石を扇動したという、虚位の陳述に署名したと証言した。その理由は、ガス弾や火炎ビンの所持、投石行為といった少年が実際にはしていない罪状を尋問官が挙げつらって脅したため、恐ろしくなったからというものだった。

分離壁反対デモによって拘禁されたその他のパレスチナ人も、尋問官から証言を強制されたと申し立てた。イスラエルのハレアツ紙によると、ある男性(弁護士によると知的障害者という)は1月21日、火炎ビンをイスラエル軍のジープに投げつけたと虚位の自白をしたのは、兵士らにゴキブリだらけの独房に閉じ込められ、熱湯に放り込むか、タバコでやけどを負わすと脅されたためだったと証言した。

拘禁中の活動家らは、イスラエルの分離壁によって直接の影響を受けている、ニリンやビリンをはじめとする西岸内村落の出身だ。「壁」--一部フェンスだが、大半は監視塔つきの8メートルにも及ぶコンクリート壁--は、表向きには自爆テロに対抗するために建設された。しかしながらイスラエル-ガザ地区間とは異なり、分離壁は1967年のイスラエル-西岸間停戦ラインに沿っておらず、実にその85%が西岸内部を横切っている。このため、パレスチナ人住民は、この隔離壁と停戦ラインに挟まれ、他の西岸地域への移動さえ制限されている状態にあり、いくつかの領地は、事実上占領地を没収されている。これらは言うまでもなく、国際人権法に違反している。

また、被拘禁者の弁護士らがヒューマン・ライツ・ウォッチに伝えたところでは、イスラエル治安部隊がデモ現場となった西岸の村落で一斉摘発を行い、子どもを含む住民を拘禁、尋問しているという。これら被拘禁者は弁護士や家族への面会も許されていない。なお、イスラエル軍軍規は、被拘禁者の尋問前の弁護士接見や、被拘禁者が子どもの場合は家族の同伴を認めている。

数名の被拘禁者を代理するネリー・ラマティ弁護士によると、ビリン村とバドラス村出身の14~15歳の少年のうち、イスラエル当局が尋問前の接見や、親族の同伴を拒否しているケースが、シャー・ベンヤミン警察だけでも3件あるという。一人の少年のケースについては、分離壁へ投石したことを理由に1カ月の拘禁を軍事法廷が許可。同法廷は、拘禁以外の選択はないとの判決を下したが、少年の父親と伯父が拘禁に異議を申立てるために証拠を提出しようとしたものの、実際には、イスラエル側の移動制限によって証拠提出自体がかなわなかったという事実は無視した。結局少年は、彼の伯父がラマラから訪ねてくるまでの1カ月間、まるまる拘禁された。

イスラエル軍当局が子どもたちを、オファー軍事収容所内にあるイスラエルの「シン・ベト」治安機関が運営する建物内に連行したケースも、いくつかみられた。同収容所では、弁護士や家族の面会は許されていない。イスラエルも締約国となっている国際条約では、子どもの拘禁は最終的な手段であり、それも可能な限り短期間であることが定められている。

イスラエル国内や西岸の入植者に適応される法律では、18歳未満を子どもと定義しており、これは国際法と一致する基準となっている。しかしながら、西岸のパレスチナ人に適応される軍法は、16歳以上を大人と定義している。イスラエル国内法下で、イスラエル人の子どもの拘禁を正当化できるのは、裁判の終了まで子どもが不法な行為に至るのを防ぐのに、拘禁が必須とされる場合のみ。また、拘禁による心理的影響に対するソーシャル・ワーカーの見解を示した書類提出を裁判所が考慮することも、同国国内法で定められており、判決前の拘禁は最長で9カ月以内。一方で、イスラエル軍法は、これらの保護手段を何一つパレスチナ人の子どもに保障しておらず、判決前の拘禁は最長2年まで認めている。

ここ数カ月の間にイスラエル軍当局は、2人の分離壁反対活動家を、起訴することなしに行政拘禁した。その拘禁理由と証拠は非公開扱いのため、本人がそれらを確認することも、裁判所で異議を申し立てることも許されていない。イスラエル軍は、「ストップ・ザ・ウォール」という団体に所属する活動家モハメド・オスマン氏(34)を、2009年9月22日に拘禁した。それは、同氏が、ノルウェーで分離壁廃止やイスラエルの人権侵害を支える企業のボイコットを促すスピーチを行い、帰国した直後のことだった。軍事法廷は、1月12日に解放されるまでの113日にわたる行政拘禁中、オスマン氏が弁護士に接見したり、家族に面会するのを2週間にわたって禁じた。

イスラエル当局はまた、「ストップ・ザ・ウォール」のコーディネーターであるジャマール・ジュマ氏(47)を2009年12月16日に拘禁、弁護士との接見を9日間禁じた。同氏が例外的に弁護士に接見できたのは審理時のごく短時間のみで、その時彼は目隠しされていた。また政府はジュマ氏が1月12日に釈放されるまで、海外からの傍聴者の法廷傍聴を禁じている。オスマン氏やジュマ氏が、非暴力抗議活動の提唱者であることは公然の事実であり、それはたとえばジュマ氏の活動の一つが、ハフィントン・ポスト紙ウエブサイトへの2009年10月28日の寄稿だったことにも表れている。

加えてイスラエル軍当局は、分離壁に反対する非暴力的政策の提言を趣旨とする団体のオフィスに、繰り返し一斉捜査を行っている。2月には、イスラエル軍がラマラの「ストップ・ザ・ウォール」と「国際連帯運動」オフィスにも踏み込んだ。なお、イスラエルは一連のオスロ合意関連の取り決め(訳注:1995年のタバ合意)により、西岸にあるラマラなどの地域をパレスチナ自治政府に表向き割譲している(訳注:治安も含めた完全自治を認めている)。

背景:

イスラエル軍当局はこれまでに、分離壁抗議にかかわったパレスチナ人(子どもを含む)を拘禁してきた。パレスチナ人収監者の権利団体「アダメール」によると、2009年9月以来、35人のビリン村住民が逮捕されており、そのほとんどが夜間の踏み込み検挙によるという。また、過去18カ月間に113人がニリン村近隣で逮捕されている。

イスラエルは、占領地域の軍司令官が発した軍規を西岸の法律として適用している。1967年の軍規101第7条は、西岸地区で治安や秩序の乱れの引き金となるような世論への影響を試みることは、いかなる形をとっても、扇動行為として犯罪とみなすと定めた。また、1970年の軍規378は、投石行為に最長20年の刑を科すことを定めている。

イスラエル法廷と国際法廷はそれぞれ、西岸における分離壁の建設ルートが違法であるとの判決を下している。国際司法裁判所は2004年にその勧告的意見として、分離壁の建設ルートは違法であるとの見解を示した。その根拠として挙げられたのは、西岸内の分離壁建設が治安上の理由によって正当化されるものではなく、また占領地における国際人権法違反(パレスチナ人の移動の自由の妨害、財産・所有物の破壊、そして不法な入植活動の助長)の原因となっていることだった。イスラエル最高裁判所は、ビリン村やジャイユース村近隣を含む数カ所で建設ルートを修正すべきとの判決を下した。その理由は、パレスチナ側の損害が不釣合いに大きいというもので、これは西岸内部各地に分離壁を残す余地を残す判決であった。

ここ数カ月間にイスラエル政府が逮捕したのは、分離壁による影響を直接うけた地域でのデモを組織した活動家たちだった。モハメド・オスマン氏の郷里であるジャイユース村では、農地の75%が分離壁によって村落から遮断されている。イスラエルの人権団体ブツレムによると、これは「ズフィム」入植計画の拡張促進を目的としたものであるという。「ストップ・ザ・ウォール」は、ジャイオス村の分離壁に抗議する民間人のデモを支援した。同村からの申立てに応える形でイスラエル最高裁判所は、イスラエル防衛軍に同村周辺の分離壁ルートを修正するよう命じた。このルートはもともと、ズフィム入植計画にのっとって引かれたものだった。イスラエル軍はこの判決に基づいて、ズフィム入植地周辺の一地域にある分離壁ルートの修正はしたものの、それ以外の地域はそのままになっているのが現状である。

前出のアブダラ・アブ・ラムは領地の半分が壁によって遮断されたビリン村の出身。東マティヤフ入植地は、同村がもはやアクセスできなくなった、その半分の土地に建設された。ビリン村人民委員会によって組織された5年にわたる抗議活動の末、2007年9月、イスラエル最高裁は、同村を遮断する分離壁ルートを修正し、ビリン村領地への更なるアクセスを村民に可能にする判決を下した。これを受けて、イスラエル軍は最近になってやっと、壁の軌道修正にむけた測量調査を始めている。