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ビルマ:政府軍がロヒンギャ民族を標的に

アラカン民族仏教徒とロヒンギャ民族ムスリムとの6月の暴力衝突後に続く虐待

(バンコク) - ビルマ政府治安部隊はムスリム系住民ロヒンギャ民族に対し、殺人、強かん、大量の身柄拘束などを行っている。なお治安部隊は20126月にビルマ西部で発生し死者を出した宗派間暴力の際には、ロヒンギャ民族とアラカン(ヤカイン)民族仏教徒を共に保護しなかったと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書で述べた。ロヒンギャ民族コミュニティへの人道アクセスを政府が規制しているため、10万人以上が住んでいた家を離れ、食糧と住居、医療がきわめて不足した状態に置かれている。

今回の報告書「政府はこれを止められたはずだ:ビルマ・アラカン(ヤカイン)州での宗派間暴力と終わりのない人権侵害」(全56頁)では、ビルマ政府当局が、アラカン州での緊張の高まりを抑制し、宗派間暴力の勃発を防ぐために必要な手段を取らなかった様子が詳しく述べられている。国軍は州都シットウェーでの暴動を最終的には鎮圧したものの、アラカンとロヒンギャ双方からヒューマン・ライツ・ウォッチが集めた証言によれば、政府軍は双方が攻撃を行い、村を焼き討ちし、人殺しを行っていた(犠牲者数は不明)状況を傍観していた。

「ビルマ政府治安部隊はアラカン民族とロヒンギャ民族双方をお互いの暴力から保護せず、暴力行為を野放しにした上で、ロヒンギャ民族を大量拘束した」とヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長ブラッド・アダムスは述べた。「同国政府は、民族間衝突と人権侵害の終結に熱心に取り組むと主張している。しかしアラカン州での最近の出来事を見れば、政府の支援を受けた迫害と差別が依然存続している。」

ビルマ政府は政府の実力部隊による人権侵害停止に向けた緊急策を取るとともに、人道的アクセスを保障し、独立した国際監視団に被害地域の訪問と人権侵害の調査を認めるべきだと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘した。

本報告書「政府はこれを止められたはずだ」は、被害を受けたアラカン民族、ロヒンギャ民族らを対象にビルマとバングラデシュで6月と7月に行った57本のインタビューに基づいている。なおバングラデシュ側には、ロヒンギャが暴力と人権侵害行為から逃れるために避難している。

暴力事件は6月初めに起きた。きっかけは、アラカン民族女性1人が3人のムスリム男性にラムリという町で強かん、殺害されたとする情報が528日に流れたことだった。この犯罪の詳細が、ある扇情的なパンフレットに掲載されて地元で広まった。そして63日、トンゴップに住む多数のアラカン民族住民が1台のバスを停車させ、乗っていたムスリム10人を殺害した。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、付近の地元警察と軍隊はこのとき事態を傍観し、介入しなかったことを確認している。3日の事件の報復として、8日にはマウンドーに住むロヒンギャ民族数千人がイスラームの金曜礼拝後に暴動を起こし、アラカン民族を殺害し(犠牲者数は不明)財産を破壊した。ロヒンギャ民族とアラカン民族の対立はシットウェーと周辺一帯に広がった。

双方の住民の一部は暴徒となって略奪を行い、無防備な村や地区を襲撃し、住民を残虐に殺害し、家や商店、礼拝施設を破壊・放火した。政府の治安部隊はこうした暴力行為を停止する形ではほとんど展開されない一方、住民は刀や槍、木刀、鉄の棒、ナイフなど簡単な武器で武装していた。扇情的な反ムスリム報道や地元でのプロパガンダが事態を扇動した。ヒューマン・ライツ・ウォッチに証言した多数のアラカン民族とロヒンギャ民族で一致するのは、当局は今回の暴力事件が発生するのを阻止できたし、それ以後の人権侵害行為も避けられただろうという結論だ。

アラカン民族男性(29)と高齢のロヒンギャ民族男性はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、別々に、しかし同じ言葉遣いでこう語った。「政府はこれを止められたはずだ。」

シットウェーにビルマ軍が駐留して暴力事件そのものは沈静化した。しかし612日、アラカン民族の暴徒が同市最大のムスリム地区にある、ロヒンギャ民族と非ロヒンギャ民族合わせて最大1万人が住むとみられる住宅地区を焼き払ったところ、警察や準軍事組織である機動隊(通称「ロンテイン」)もロヒンギャ民族だけに実弾を発射した。

シットウェー在住のロヒンギャ民族男性(36)はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、アラカン民族の暴徒が「家に放火し始めました。住民が火を消そうとすると、機動隊が発砲してきました」と述べた。同じ地区に住む別のロヒンギャ民族男性は「私はほんとうにすぐそばにいました。表に出ていたのです。機動隊が少なくとも6人を射殺しました。内訳は女性が1人、子どもが2人、男性が3人です。警察は死体を持ち去りました。」

シットウェーの住民構成はアラカン民族とロヒンギャ民族が半々だが、ムスリム住民の大半は街から避難したか、脱出を余儀なくされた。政府が避難住民の帰還権を尊重するかは疑わしい。ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査によれば、以前は多様な民族が混じり合って生活していた州都シットウェーだが、現在はおおむね住む地域が分かれ、ムスリム住民がほとんどいない状態になっている。

アラカン州北部では軍隊、警察、国境警備隊(通称「ナサカ」)、機動隊がロヒンギャに対する殺害や大量の身柄拘束などの人権侵害を行っている。こうした部隊は現地のアラカン民族住民と共同行動し、ロヒンギャ民族の住居から食料や金品を奪っている。国境警備隊と兵士は暴力行為から逃げようとするロヒンギャ民族の群衆に発砲し、多数の死傷者を出した。

「もしアラカン州での虐殺が政府による一連の改革以前に起きていたら、国際社会の反応はもっと迅速で強い調子となっただろう」と前出のアダムスは述べた。「しかし国際社会はビルマでドラスティックな変革が起きているというロマンチックなお話に頼り、現実から目を背けているようだ。実際、人権侵害が終わっていないのに貿易協定を新たに結んだり、制裁措置を解除するなどしている。」

6月以来、政府はロヒンギャ民族の成年男性と未成年男性数百人の身柄を拘束しており、被拘束者とは音信不通が続いている。アラカン州北部の地元当局はロヒンギャ民族の被拘束者への拷問や虐待を長期にわたって行ってきたと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘する。同国南部モン州の港町モーラミャインでは、避難していたロヒンギャ民族82人が6月下旬に逮捕され、入管法違反で1年の刑を宣告されたと伝えられる。

「ビルマ政府当局はロヒンギャ民族被拘束者に関する詳しい情報を直ちに公開し、家族や人道機関との交通を許可し、明確な証拠があり、国際法上の犯罪で起訴された人以外は、すべて釈放すべきだ」とアダムスは述べた。「今回の事態は、改革を進め、基本的権利を守るという政府公約が守られるかどうかの試金石だ。」

ビルマの1982年国籍法は、人口80万から100万民族と言われるロヒンギャに対してビルマ国籍を実質的に認めていない。712日、ビルマのテインセイン大統領は今回の宗派間対立への「唯一の解決策」はロヒンギャ民族を第三国か、UNHCRが管理するキャンプに追放することだとし「もしかれらを受け入れる第三国があれば送り出す」と述べた。

ビルマの法制度と政策はロヒンギャ民族を差別するものであり、移動の自由や教育、雇用の権利を制限している。ビルマ政府当局者のロヒンギャ民族の典型的な呼び方は「ベンガル民族」「いわゆるロヒンギャ民族」あるいは差別的な「カラー」だ。ロヒンギャ民族にビルマ社会は一般に激しい敵意を向けている。この点で自らも中央政府から長年弾圧を受けてきたベテラン民主化活動家や少数民族の人びとも例外ではない。

新たに設置されたビルマの全国人権委員会(議長はアラカン民族のウィンムラ氏)は、アラカン州で起きている人権侵害の監視で効果的な役割を果たしていないと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘した。今回の宗派間暴力事件に関する711日付の報告書で、同委員会は政府による人権侵害に一切触れず、すべての人道的ニーズは満たされていると主張するともに、ロヒンギャの国籍や迫害に言及しなかった。

「ビルマ政府は直ちに国籍法を改正し、ロヒンギャ民族への公的な差別を終結させるべきだ」と前出のアダムスは述べた。「テインセイン大統領は人権状況の改善に取り組んでいるとの主張に信憑性を持たせるなら、民族や宗教を理由にした人びとの国外追放を呼びかけるのを止めるべきだ。」

宗派間暴力によってアラカンとロヒンギャの住民双方に緊急の人道的ニーズが生まれていると、ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。地元のアラカン民族組織は、主に国内からの寄付を受けて、家を失ったアラカン民族に衣食住と医療の支援を行っている。対照的にロヒンギャ側の市場や食料、仕事へのアクセスはいまだに危険が伴うか、そもそも不可能であり、多くが何週間にもわたって隠れて生活している。

政府による被害地域、特にロヒンギャ民族地区への立入が制限されていることで、人道的対応は大幅に遅れている。国連職員や人道援助要員には、地元のアラカン民族住民からの威嚇や脅迫だけでなく身柄拘束の危険もある。援助機関がロヒンギャ側に偏って活動していると見なされているためだ。政府の規制は、マウンドー南部の村落など人道機関がアクセスできない複数の地域に及んでいる。

「当局は直ちに被害を受けたすべての住民への人道アクセスを完全な形で認めると共に、2つのコミュニティ間で今後暴力が起きないようにするための働きかけを始めるべきだ」とアダムスは指摘した。「ビルマ政府は被害を受けた私財の復旧について双方を支援し、すべての避難民が元の場所に帰って平穏に暮らせることを保障すべきだ。」

6月の暴力事件以後、ロヒンギャ民族数千人が隣国バングラデシュに逃れているが、バングラデシュ政府は国際法に違反する形で人びとをビルマ側に押し返している。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、海岸に到着したロヒンギャ民族の成人男女と子どもが、バングラデシュ当局に必死に要請したにもかかわらず、浮かぶのが精一杯な木造船に乗せられ、激しいモンスーンの雨の中を追い返されるところを目撃した。こうした行為は送還された人びとを、洋上で溺れたり飢えに苦しんだりするか、ビルマ側で迫害を受ける重大な危険にさらすものだ。こうした強引な送還による死者の数はわかっていない。バングラデシュになんとか入国した人びとは身を潜めて暮らしており、食糧や住居へのアクセスはなく、庇護も受けられない状態だ。

バングラデシュ政府は、国際人権基準に従い、国境を開放し、少なくとも安全な帰還が可能になるまでは一次的にロヒンギャ民族を受け入れるべきだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチは関係諸国に対し、バングラデシュ政府を支援することで、ビルマとバングラデシュ両国に人権侵害を停止し、ロヒンギャ民族の安全を確保するよう強く働きかけるよう求めた。

「バングラデシュ政府は粗末な船に乗った庇護希望者を外洋に送り返しており、これは国際法が定める義務に背いている」とアダムスは述べた。

報告書に収録された証言より

「私たちは議論して、[ロヒンギャ民族の]村を複数焼き討ちすることにしました。ムスリムが司令部として使っていたからです。例えばナルジやブミです。まずブミ村に火をつけました。ムスリムの司令部になっていた村です。私たちが家を焼き払うと、向こうも私たちの家を焼き払いました。焼き討ちをやらなかった地区もありました。ほとんどの家がアラカン民族の家と近接している地区で火を放ったら大変なことです。延焼してしまいますから。攻撃は3日間続きました。シットウェー大学に近いブミ村付近から始まりました。そこが向こうの司令部だったからです。」 ―アラカン民族男性(45)、アラカン州シットウェー在住、20126

「最初に来たムスリムたちは銃を使ってきました。そのとき銃声が聞こえたので、夫はムスリムを攻撃しようとしました。ムスリムたちは夫を村のこの場で殺しました。片腕が切り落とされ、頭は首とようやくつながっている状態でした。夫は35歳でした。」 5の子どもを抱えるアラカン民族女性(31)、アラカン州シットウェー在住、20126

「その場に倒れ、恐怖のあまり息ができませんでした。暴力事件の一部始終を目撃しました。300人ほどのムスリムが私たちの村を襲いました。村に入って家を焼き払ったのです。火を放っているところも目撃しました(中略)。警察はその間村に入ってこようとはしませんでした。ムスリムたちが村に侵入して焼き討ちを始めたので、私は逃げました。シットウェーに来るまで警察官は一人も見ませんでした。」―アラカン民族女性(40)、アラカン州シットウェー在住、20126

「私の目の前で、まずロンテイン(機動隊)がやってきて、私たちを保護すると言いました。しかしアラカン民族たちがやってきて家に火を放ったので、私たちは消火活動をしていると、ロンティンは私たちを殴り出しました。たくさんの人が(警察によって)至近距離から撃たれています。至近距離からの銃撃を目撃しました。村全体が目撃しています。撃たれたのは私たちの村の住民です。私とは約57メートルの距離だったでしょうか(中略)。少なくとも50人が殺されるのを目撃しました(中略)。火を消そうと表に出ようとしましたが、制止されました。まず空に向かって威嚇射撃をして、次に銃口を人びとに向けたのです。」―ロヒンギャ民族男性(28)、アラカン州シットウェー在住、20126

「政府は遺体を遺族に返しませんでした。遺体を持ち去って墓地に埋葬したのです。2人の義理の兄弟が亡くなりましたが、遺体を回収することはできませんでした(中略)。2人はアラカン民族に私の目の前で殺されました。場には警察もいました。警官たちからそう遠くない場所でした。2人は私の目の前で殺されましたが、警察は何もしませんでした。」―ロヒンギャ民族男性(65)、アラカン州シットウェー在住、20126

  

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