(ニューヨーク)- 2011年4月8日、シリア政府治安部隊は、少なくとも2つの町で、医療関係者らが負傷したデモ参加者に近づくことを妨害するとともに、負傷したデモ参加者が病院で治療を受けるのを妨害した、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。シリアの3つの町で20人の目撃者から聞き取り調査を行なったヒューマン・ライツ・ウォッチは、シリア政府当局に対し、負傷したデモ参加者が治療を受けることを制限なしに許可するよう求めるとともに、抗議デモに対する不当な致死的武器の行使を停止するよう求めた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ中東・北アフリカ局長のサラ・リー・ウィットソンは「負傷者から、時に救命に不可欠な重要な治療を奪うことは、人道に反するとともに違法である」と言う。「人びとを必要な医療から除外することは、深刻な苦痛と回復不能な損害を与えることになる。」

負傷者に不可欠な医療へのアクセスを妨害することは、生存権を尊重し保障する政府の義務に違反するとともに、いかなる人も非人道的に扱わないという政府の義務にも反する、とヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、4月8日金曜日にデモが起きたダルア(Daraa)で6人、ハラスタ(Harasta)で10人、ドウマ(Douma)で4人の目撃者にインタビューをした。証言者の内訳は、医師が4人、負傷したデモ参加者4人、拘束されたデモ参加者4人、負傷したデモ参加者の家族から成る。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、4月8日にデモが起きた3つの町で、少なくとも合計28人が殺害されたことを確認。シリアの複数の人権団体は、4月8日にダルアで殺されたデモ参加者27人の人びとのリストを提供。ヒューマン・ライツ・ウォッチは少なくとも、もう1人のデモ参加者がドウマで殺害されたことを確認している。デモはまた、カミシリ(Qamishli)、Derbassiye、バニアス(Banyas)、アムダ(Amuda)、ホムス(Homs)、ラタキア(Latakia)、タルトゥース(Tartous)、Arbeenでも起きたが、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、これらの町における死傷者について、信頼できる情報を得ることはできなかった。

前出のウィットソンは「シリア政府の指導者たちは、政治改革について語ってはいるが、国民の改革への正当な要求に対しては弾丸によって応えている」と述べる。「政府当局は、デモ隊をシリア社会の分裂を扇動していると非難するが、シリアにとって最大の害を与えているのは、他でもない治安部隊による暴力である。」

ダルア(Daraa)

4月8日正午の祈りの後、2つの大規模なデモがダルアで行われた。デモは、橋で区切られたダルア・アル・バラド(Daraa al-Balad)とダルア・アル・マハタ(Daraa al-Mahatta)からそれぞれ出発。2人のデモ参加者はヒューマン・ライツ・ウォッチに、ダルア・アル・マハタのSheikh Abd al Azizモスクから数千人のデモ隊が橋の方向へ行進した、と話す。その1人「アフマド」(仮名)は、人びとは平和の目的を象徴するようオリーブの枝を持っていたと述べた。

治安部隊は、デモ隊が町の地域に移動するのを防ごうと、橋の近くにバリケードを設置。アフマドは、およそ50人の兵士が前にいた、と話す。その周りにも数千人の治安部隊がおり、制服を着用している者も私服の者もいたと語る。また、近くの屋根の上に狙撃兵たちもいたと述べた。アフマドによると、デモ隊が橋に近づくと、軍は停止を命令。デモ隊が行進を続けたところ、治安部隊員が実弾を発砲。別の目撃者は、治安部隊が群衆に催涙ガスを発射したと語る。

治安部隊はカラシニコフ銃で群衆に正面から発砲し、同時に狙撃兵たちも発砲した、とアフマドは言った。怪我をしたのか殺されたかは不明であるが、銃弾が当たりおよそ35人がすぐに倒れたのを目撃した、と彼はいう。

私はある男を見ました。彼は3回撃たれて、地面に倒れました。彼は明らかに死んでいた。治安部隊が彼に向かって走って行きて、すでに死んでいるのに、顔を棒で叩き始めたんです。誰も彼らを止めることはできませんでした。そして、私たちがようやく遺体を戻してもらったときには、誰なのか認識できない外見になっていました。私たちが彼を識別できたのには、ポケットに市民身分証明書を入れていたからなんです。

同じ通りにいたもう1人の目撃者は、自分の周囲で銃弾による負傷者を約10人見たとヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。

アフマドは、治安部隊は救急車が負傷者を回収するために道路に近付くことを許可せず、他のデモ隊員が負傷者を運ぼうとしたら発砲し続けた、と語った。 匿名でYouTubeに投稿された映像には、明らかにダルアと見られる町で、デモ隊員が負傷者を自分たちのもとに引き戻そうとして発砲される瞬間が映されている。アフマドは、後に、医師や看護師そして救急車の運転手の遺体を見た、と話す。救急車が負傷したデモ参加者に近づいたところを撃たれた、と他の目撃者たちが彼に言ったという。

2人のデモ隊参加者は、デモ隊の一部が、兵士がいなくなった検問所に残された武器を奪い、治安部隊に発砲した、とヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。そして、12人ほどの治安要員が殺害され、軍と治安部隊の車2台に火が放たれた、と言う。内務省の高官は匿名で、シリア国営通信サナ(SANA)に対し、4月8日ダルアで「武装集団」が治安部隊に発砲し19人を殺した、と話した。サナは、ダルアで殺された治安部隊員のうち3名の氏名しか報道しなかった。

「死と暴力は、誰が始めたものであろうと遺憾である」とウィットソンは語る。「殺し合いを止める最良の方法は、治安部隊がすぐに実弾の使用を停止し、デモ隊が平和的に集まれるようにすることだ。」

正午の祈りの後の同時刻ころ、別のデモ隊のグループが、ダルア・アル・バラドのオマリ(Omari)モスクを出発して橋に向かい、もう1つのデモ隊と合流しようとした、と3人のデモ参加者がヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。橋を渡ろうとした際に、同じバリケードの治安部隊要員がまず催涙ガスを発射し、その後実弾も発砲した。あるデモ参加者「ムハンマド」(仮名)は、3人が撃たれてオマリモスクに運ばれるのを見た、と語る。彼はモスクまで付き添い、負傷したデモ参加者を10人ほど目撃したが、うち3人は彼がモスクにいる間に亡くなった、と述べた。オマリモスクへ行った別のデモ参加者も、以下のようにヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。

人びとは、(オマリモスクの)床、そこら中に横たわっていたよ。医師や看護師が数人いた。負傷者を助けるために頑張ってる地元の女性もいた。でも、多くのことはできなかった。地元の薬局から持ってきた基本的な医療品しか持っていなかったんだ。病院は治安部隊がブロックしていたし、必要な機器や医療品をモスクに持ちこむのは不可能だった。重傷の人たちは死んでいった。負傷者を助けるためにできることは何もなかったんだ。

あるダルアの医者は、ダルア国立病院で遺体を18体目撃したとヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。そのうち5体は家族に返還されたものの、他の13体は病院の遺体安置所に安置されていると言う。

午後1時半から3時半の間に、治安部隊が多数の人を政府のマークのない白い民間車に連れ込んで逮捕した、と3人の目撃者が述べた。午後5時半頃、推定500人のデモ参加者が、その日逮捕されたデモ参加者の釈放を求めてダルアの政治治安局(シリアの主な治安機関の1つ)の建物に集合した。しかし、近くのホワイトローズ(White Rose)ホテルや、複数の政府の建物の屋根にいた狙撃兵らが発砲したため、群衆は分散を余儀なくされた、と2人の目撃者がヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員は、ダルアで目撃者からの聞き取りを行なっていた午後6時頃、周りで銃声が継続的に響くのを直接聞くことができた。

シリアの人権団体及びヒューマン・ライツ・ウォッチが受け取った情報によると、この4月8日の発砲事件の結果、ダルア及びその周辺の村で殺害されたデモ参加者の合計は、3月18日以降少なくとも130人となった。

ハラスタ(Harasta) 

4月8日、ダマスカス近くの町ハラスタ(Harasta)では、金曜礼拝の後、約2,000人のデモ参加者がハラスタ最大のモスクを出発した、と数人の目撃者及びデモ参加者がヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。デモ参加者らは、抗議行動が平和的に行われていたと強調し、手にオリーブの枝を持ちながら通りを進む群集を映し出す抗議行動のビデオ映像をヒューマン・ライツ・ウォッチに手渡した。

午後2時頃、デモ隊は多数の治安部隊が道路を塞いでいる地点に到着。デモ参加者たちは、治安部隊とデモ隊はお互いに石を投げ始めたと語る(但し、うち2名は、先に石を投げ始めたのは治安部隊だと主張)。デモに参加したカリル(Khalil)(仮名)は、私服の大群が横道から突然現れ、警告なしにカラシニコフ (ソ連製の自動小銃)で直ちに発砲した、とヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。カリルはその後自らも負傷した。カリルは次のように述べた:

あいつらが発砲したとき、誰もが走り始めた。私の隣の男性は、脚を撃たれて地面に倒れてしまった。僕は近くの建物に隠れていたら、治安部隊が彼のところに行って棒で殴るのが見えたんだ。僕たち20人ぐらいは彼を救出しようとした--- 隠れてそれから駆け出そうとしたんだ。僕はオリーブの枝を振りながら走った。僕を狙う4人の兵士が見えたよ。彼らは、同時に発砲して4発が命中したんだ。弾丸のうちの一発は胸を貫通して、他の3発は壁や地面から跳飛して首や頭に当たった。僕は倒れた。何人かが私を助けようとしてくれた--- でも治安部隊が発砲を続けて、2-3人が僕のように怪我を追った。でも他の人が何とか僕を車の中に運んでくれたんだ。

もう1人の負傷したデモ参加者マフムード(仮名)は、カリルと同様、負傷者を助けようとするデモ参加者に向かって治安部隊が発砲したという目撃談をヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。マフムードは、治安部隊に棒で殴られていた男の子を助けようとした父親を、治安部隊が殴り始めたのを見た、と語る。マフムードが、その父親を助けるため駆け寄ろうとしたとき、彼の兄弟が彼をつかんで引き戻そうとした。そのとき、50メートルほど離れていた治安部隊が発砲し、弾はマフムードの右腰に当たった。マフムードの兄弟は、同時に彼の隣の集団にいた他のデモ参加者も5、6人が被弾したと述べた。

ハラスタの2人の医師が、それぞれ4人のデモ参加者を治療した、とヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。負傷者たちは、全員が体の様々な部分に銃弾を受けており、中には子どももいた、と語る。医師たちは、治安部隊が病院を封鎖しているため負傷者を病院に搬送することはできなかったと説明。医師は、ドウマやダルアのデモで、治安部隊が、負傷して入院中の患者を逮捕したという情報ゆえに、家族は負傷者を病院に連れていくのを恐れている、と語る。医師の1人は次のように語った。

私はその日の午後病院にいた。助けを求める人びとから電話が鳴りはじめたんです。病院が治安部隊に包囲されているので、負傷者を運び込めないとわかっていました。それで、治安部隊が救急車に発砲するのではないかと思い、救急車を送ることもできませんでした。他の町で治安部隊は救急車に向けた発砲しましたからね。

私は急いで救急隊が負傷者を搬送した民家に行ったんです。私は主だった医薬品や道具さえ持って行けなかった。持ち出せたのは、実に基本的なものだけでした。けがは深刻で、私たちはなす術もなかったんです。銃弾がどれくらい深く入っているか、金属製のスプーンで傷を調べなくてはならないこともありました。

別の医師は、彼がいた家に銃傷を負った5人のデモ参加者が運び込まれた、と言う。また、少なくとも医師が負傷者を治療していた家は、他に6軒知っていると証言する。その医師は、彼が治療した1人は17歳で、他にも18歳未満の子どもの患者を何人か知っていると付け加えた。

ある負傷したデモ参加者の家族は、当初負傷した家族を軍が管理する政府系病院に連れて行こうとしたが、民間人の治療は受け付けないと言われ、民間病院に連れて行ったとヒューマン・ライツ・ウォッチに語る。 しかし、病院所属の警備関係者は、軍人だけではなく民間人も受け入れていると主張。ヒューマン・ライツ・ウォッチが聞き取りをした医師は、政府系病院は治安部隊の管理下にあり、治安部隊はデモ参加者を受け入れないと友人から聞いた、と述べた。

ドウマ(Douma)

ダマスカスに隣接する別の町ドウマでは、午後に治安部隊がデモ隊に行進を許可したものの、その夜、ドウマの町のはずれで少なくとも1人の男性が死亡、もう1人が負傷した。目撃者たちは、午後5時30分頃、バイクに乗った3人の男性がドウマの町の入り口で暴動鎮圧部(ハーフェズ・アル・ニザーム)所属の治安部隊の大集団に出会った、とヒューマン・ライツ・ウォッチに証言。治安部隊はドウマへの人の出入りを禁止していた。

3人の男がきびすを返して戻ろうとしたとき、1人の兵士がピストルで彼らに発砲した。バイクの後ろに乗っていた男に4発が命中し、うち2発は彼を貫通して前に座っていた男にも致命傷を負わせた。運転していた男性は無事で、2人をドウマ近くの民間病院に急ぎ搬送したものの、その病院には専門医が不在だった。負傷者の1人は治療を受ける前に亡くなり、もう1人は、別の病院で治療を受けたために助かった。しかし、その男性はその後逮捕されるのではないかと恐れ、病院から逃げてしまった。

又、複数の目撃者たちが、同日夜、ドウマの各所で少なくとも11人の子どもを含む男性たちが、治安部隊に情け容赦なく棒で殴られた後に逮捕され、その後バスに押し込まれてどこかに連れ去られた、とヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。拘束された人びとは4月10日に解放された ものの、ヒューマン・ライツ・ウォッチに証言した人びとによると、全員、拘束中に長期にわたる殴打などの拷問を受けた。

「シリア政府当局は、デモに対し、殺害や大規模な恣意的逮捕、殴打や拷問など、弾圧に次ぐ弾圧で応じている」と前出のウィットソンは述べる。 「シリアの治安部隊は、抗議活動に参加しただけで恣意的に拘束された人びとを解放すべきである。そして、拘束されたデモ参加者の拷問及び虐待をやめるべきである。」