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タイ:2010年の衝突から5年 いまだない法の裁き

責任を問われない軍司令官 逮捕され沈黙を強いられる被害者

(ニューヨーク)2010年にタイで起きた政治的暴力事件から5年が経つ現在も、タイ政府は責任者の訴追を行っていないと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。兵士がデモ隊らに過剰で不必要な致死力を行使したことを示す証拠は大量に存在する。しかし、街頭デモの鎮圧で人びとを死傷させた責任を問われた兵士は1人としていない。

2010年3月から5月にかけて、反独裁民主戦線(UDD)、通称「赤シャツ隊」の政府支持者とアピシット政権(当時)との政治的対立は、バンコクほか複数の県で暴力事件に発展した。法務省特別調査局によれば、少なくとも98人が死亡し、2,000人以上が負傷した。

「歴代のタイ政権が2010年の政治的暴力事件に関して軍関係者を一切訴追してこなかったことは、不処罰の明確なメッセージとなっている」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長ブラッド・アダムスは述べた。「5周年を迎えた今もなお、兵士に命令を下した当時の司令官も、実際に群衆に引き金を引いた兵士も野放しのままだ。」

ヒューマン・ライツ・ウォッチの2011年5月の報告書「混乱への転落:2010年タイでの赤シャツ隊デモ、そして政府による弾圧」は、軍による過剰で不必要な実力行使が2010年の政治的衝突で多数の死傷者を生んだことを明らかにした。武器を持たないデモ隊、ボランティアの医療スタッフ、現場にいち早く駆けつけた消防隊員や警察官、ジャーナリスト、カメラマン、やじ馬など多くが犠牲になった。原因の一端は、バンコクでUDDが抗議運動を展開したエリアが「実弾使用地帯」とされ、軍が狙撃手を配置したことだ。2012年9月のタイ真実和解委員会(TRCT)の調査でも同様の指摘があった。同委員会は当局に対し「全当事者の違法行為を、公正で公平な司法制度で解決する」よう求めた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、司法解決を求める取り組みが政争の具となっている現状を深く憂慮する。当時のアピシット政権は、略式裁判によりUDD指導者や支持者を重罪犯とする一方、兵士の人権侵害は不問に付した。インラック前政権も同様の一方的な措置をとった。アピシット首相とステープ副首相(いずれも事件当時)、そして兵士の犯罪捜査には力点を置くが、UDDと共闘した武装集団「黒シャツ隊」による暴力を示す証拠は退けたのだ。

2010年の暴力事件の被害者が司法救済される可能性は、現軍事政権・国家平和秩序維持評議会(NCPO)の下ではさらに低くなっていると、ヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘した。NCPO議長で元陸軍司令官のプラユット首相は、2010年の殺害事件に関する兵士の責任を問うべきではないとの主張を公の場で繰り返している。警察、特別調査局、全国汚職対策委員会による調査はいずれも、2010年の弾圧で不当に死傷者が発生したことについて、軍人が責任を問われるべきではないとの結論を出した。軍がアピシット政権の命令で動いたことがその理由だとする。

2014年9月、警察はパンサック・スリテープさんを逮捕した。パンサックさんは2010年の軍による弾圧で狙撃兵に当時17歳の息子を殺されたため、法による正義の実現を訴えてパンフレットを配布していた。同じ日には、近くの街頭デモに参加しようとしていたパヤオ・アカットさん、ナッタパットさん母子も逮捕された。パヤオさんの娘カモンカット・「ナース・ケイト」・アカットさんは軍の銃弾に倒れた。2010年5月19日にバンコクのワット・パトゥムワナラン(寺院)の境内で、ボランティア医療スタッフとして活動していたときのことだった。

「兵士の人権侵害を明示する写真等の証拠があるにもかかわらず、犠牲者の家族は沈黙を強いられ続けている」と、前出のアダムス局長は述べた。

法務省特別調査局は2012年9月、軍が36人の死亡に関与したことを示す証拠を明らかにした。しかし、一連の発砲を行った兵士と、それを命じた司令官を特定する作業は不完全だった。軍からの圧力に屈した特別調査局は、最終的にアピシット首相とステープ副首相だけを起訴することにした。2人がデモを封じ込め、解散させるために実弾使用を承認したことが「命令責任」にあたるという理屈だ。2014年8月、刑事裁判所は当時政権の座にあった2人を裁く権限はないとの判断を示した。

タイが批准する国際人権条約は、政府職員であることを理由に重大な人権侵害行為にまつわる法的責任を免れえないことを明確に定めていると、ヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘した。さらに刑事裁判所は、全国汚職対策委員会の動きに言及することで、重大犯罪の犯罪捜査を職権濫用の調査へとすり替え、比較的軽微な事案に変えてしまった。この決定は、タイ政府が負う国際法上の義務と矛盾する。不法な殺害を含む重大な人権侵害行為の被害者には、実質的な救済を受ける権利が保障されなければならない。被害者が実質的な救済を受ける権利を保障するため、政府は人権侵害行為の償いに必要な捜査、司法、矯正に関する段階的な措置を講じ、真実を知り、法による正義と補償を求める被害者の権利に正面から向き合うことが求められる。

2014年5月の権力掌握以降、現軍政は金銭補償の支払いを停止した。これはインラック政権が政治的和解の一環として、2010年の政治的暴力事件で損害を被った人すべてに行っていたものだ。支払いの停止前に、暴力行為で障がいを被った、または負傷した人びとと、犠牲者の関係者に金銭が支払われた。全部で524人が救済対象となり、国庫から5億7,700万バーツ(約20億4,000万円)が支払われる予定だった。

「タイ政府が2010年の暴力事件に関する和解を進める気が本当にあるならば、兵士であれ活動家であれ、いかなる人物も法の裁きを免れえないことを明確にすべきだ」とアダムス局長は述べた。「現軍事政権を含むタイ政府には、2010年の政治的暴力事件の全責任者を訴追する責任があり、それを免れることはできない。」

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