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スーダン南部:上ナイル州での軍事衝突 両勢力が人権侵害

根本問題の解決 兵士の裁き 必要

(ジュバ) - スーダン南北境界線の近く、上ナイル(Upper Nile) 州において4月前半、ヒューマン・ライツ・ウォッチは調査活動を行い、兵士たちが民間人に無差別発砲し、民家を焼き討ちし、略奪していた証拠を取りまとめた。スーダン南部のスーダン人民解放軍(SPLA)と、ジョンソン・オロニー(Johnson Olony) 率いる反政府勢力との衝突は、3月6日と7日にオワチ(Owachi) 地域で発生。緊張が高まる中、SPLAとオロニー勢力は双方とも自らの部隊を民間人村落の間近に配置していた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチのアフリカ局長ダニエル・ベケレは「スーダン南部自治政府は、7月の完全独立の際に持続的な平和を望むのであれば、上ナイル州での人権侵害に速やかかつ徹底的な捜査を行うことを今、確約すべきである。スーダン南部自治政府は、両陣営による民間人への犯罪を絶対に許さないという断固たる姿勢を示さなければならない」と指摘する。

SPLAと反政府勢力との衝突は、上ナイル州における政府の対反政府勢力作戦の一環として勃発した。政府当局はどのような犯罪行為でも、必ずその責任者を訴追しなければならない、とヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。また、まもなく、拘束中の人について立件・起訴か、釈放かいずれかの措置をとるべきである。

スーダン南部は、1月に行われた住民投票での民族自決に対する圧倒的支持を受け、7月9日に独立を宣言する予定である。住民投票は、22年間続いたスーダン内戦を終結させた2005年南北包括和平合意に則って行われた。

60名以上の人びとが衝突で殺害されたが、その大多数は民間人。しかも7,000名以上が避難を余儀なくされている。国連や人道支援団体は、今でもまだ衝突のおきた地域の大部分への立ち入りが許されないことから、犠牲者の正確な数やその状況については今のところ明らかでない。避難を余儀なくされた地域の人びとは、地域全体にSPLA兵士が多数存在しているために怖くて帰還できない、と地元住民指導者たちはヒューマン・ライツ・ウォッチに話した。

「戦闘が差し迫っている明らかな兆候があったにもかかわらず、SPLAと反政府軍の両陣営とも、武力紛争から民間人を保護する十分な予防措置を取らなかった」と前出のベケレは語る。「政府は、紛争中に民間人を守らずに犠牲にする兵士を許さない、という強く明確なメッセージを送るべきである。」

オワチでの衝突の後、とりわけシルック(Shilluk) 族男性を狙って、更なる攻撃と人権侵害が行なわれた。衝突後1週間もたたない3月12日早朝に、オロニー反乱軍はマラカル(Malakal) という町に反撃を加えた。その戦闘で兵士・反乱軍の計45名が死亡している。

その後数週間にわたって繰り広げられた"掃討"作戦の中で、オロニー反乱軍の関係者だと疑われたシルック族の男性たちや、シルック族政治家であるドクター・ラム・アコル(Dr. Lam Akol)が率いる政党SPLM-DCの関係者だと疑われたシルック族男性の多数が、SPLA兵士によって逮捕・拘束された。当局は、「SPLM-DC党が、オロニーなどのシルック族指揮官が率いる民兵組織を支援している」と非難している。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じた釈放済みの元被拘束者たちは、SPLAの軍兵舎に拘束されていたと話した。政府の職員のある男性は、家族や弁護士と面会ができないまま地下室に6日間拘束されていた。

シルック族は過去2年にわたり、支配勢力であるSPLM とSPLM-DCの間での敵対関係を主な原因とする政治的暴力と人権侵害の被害をまともに受けて来た。例えば、2010年4月の選挙の後、SPLAはファショダ(Fashoda)郡でSPLM-DCの関係組織と疑いをかけた民兵組織に対する軍事作戦を実行し、その過程で重大な人権侵害を行った。

3月のオワチでの衝突は、多数の民間人犠牲者を出すこととなったが、その一因は反政府勢力とその新兵が民間人と混ざって生活していたことにある。1月に政府と複数の反乱軍指導者たちとの間での停戦が合意されたことを受け、オロニー反政府勢力は政府軍への再統合の準備のため、SPLAの支援の下でオワチに移っていた。政府軍に採用されるという期待は、女性や子どもを含む多くの新兵にとり魅力的なものだった。

シルック族とディンカ(Dinka)族のコミュニティー間には、長い間一触即発の状態が続く土地を巡って、近年何度も武力紛争に発展した歴史があり、シルック族コミュニティーを孤立させている。スーダン南部の指導者たちは、こういった上ナイル州での紛争多発の根本原因に対処してこなかった、と政府の指導者や教会指導層はヒューマン・ライツ・ウォッチに話した。

「説明の明確化に加え、上ナイル州における紛争を煽る要因となっている、土地を巡る争いなどの根本的な不平不満に政府は対処する必要がある。それらの措置が、独立宣言を目指すスーダン南部自治政府に、正しい方向へと歩みを進めさせることとなるはずである」とベケレは語っている。

オワチでの衝突

オロニー勢力は、SPLAに反旗を翻した元指揮官ジョージ・アゾル(George Athor)率いる反乱軍勢力と政府との間で、1月5日に停戦合意が成立したことを受けて、1月初旬にナイル川の支流にある町オワチに到着した。アゾルは2010年4月の知事選挙に敗北した後、SPLAに対して武装蜂起していた。

1月の停戦合意は、反乱軍が、上ナイル州、ジョングレイ(Jonglei)州、ユニティー(Unity)州の各州の特定地点でSPLAに再統合されると定めていた。周辺地域の民間人は女性やその子どもも含めて、軍で職を得られるという期待に誘われオロニー軍に加わり、同地域の民間人住民と混在するようになった、と軍や政府の当局者は話した。しかし、SPLAとオロニー軍の緊張は2月と3月、とりわけあるSPLA兵士が引き起こしたとされるレイプ事件の後に高まった。

3月6日の朝に、SPLA部隊がドゥール(Duur)の村のオロニー部隊を急襲した、と目撃者と地元の首長はヒューマン・ライツ・ウォッチに話した。機関銃を積んだ軍用車両の支援を受けたSPLAの歩兵たちは、その村を包囲した。目撃者の説明によれば、兵士は反乱軍を狙っていたが、反撃に遭った後、森の中に駆け込み川を渡って逃げる非武装の民間人に向かって発砲したとみられる。

「川に飛び込んで島まで泳いだんだ。機関銃を乗っけた車が島に向かって撃ってるのを見て、俺たちは湿地の茂みにかくれたんだ」と匿名希望の目撃者は話した。

同じ日にドット(Dot) の近くで、竹を採りに行っていた民間人男性5名が射殺された。ラジオ局の職員1名と大工1名を含むその男性たちの遺体は、目隠しをされ縛られたまま発見された。彼らのうちの1人の遺族はヒューマン・ライツ・ウォッチに、ある地元女性がその殺害現場を目撃していたと打ち明けたと語った。

SPLA

翌3月7日、兵士たちはドゥールから逃げ出さなかった民間人に対して発砲、家に放火した、とその衝突に居合わせた目撃者は話した。ほとんどの民間人はマラカル(Malakal)に逃げたが、武力衝突のあった地域から脱出する前の数日間、オワチのSPLA兵舎近くに避難した者もいた。

衝突は周辺の村々にも被害をもたらした。4月中旬にオワチを訪れたヒューマン・ライツ・ウォッチは、周辺に多くの空き家があることに気がついた。地元指導者たちは、ドゥールでの戦闘の後、兵士たちが略奪したと話していた。現在オワチに避難を余儀なくされている村々の首長の一団がヒューマン・ライツ・ウォッチに、兵士が民間人に嫌がらせや略奪しているので怖くて家に帰れない、と話していた。

国連の報告では、戦闘で女性を含む62名の人びとが殺害され、70名以上が負傷、7,265名が避難を余儀なくされたとされているが、死亡者の正確な総計は不明のままである。川で幾つかの遺体が回収され、その他にも被害を受けた村の近くに埋葬されている。3月25日、SPLAはコミュニティー指導者たちに遺体回収のためにドゥールへ帰ることを許可した。4月の第1週までに指導者たちは、女性と子供を含む52名分の遺体を埋葬し終えている。

背景

上ナイル州での今回の衝突は、2010年4月の選挙後に発生するようになった、SPLAと反乱軍の間で繰り広げられてきた一連の武力衝突の中で最近の事件である。元SPLA参謀長であるアゾル(Athor)は、ジョングレイ(Jonglei)州での州知事選挙に敗北した後、武器をとってスーダン南部軍に立ち向かった。ジョングレイ州と上ナイル州の他の指揮官数名も選挙後に、小規模な反乱を起こしている。

1月5日のアゾル(Athor)軍との停戦合意により、アゾル軍と同盟関係にあった反乱軍は上ナイル・ジョングレイ・ユニティ各州の指定地域でSPLAに再統合されることになっていた。しかし2月に入りアゾル軍がファンガク(Fangak)の町を攻撃し、地元政府当局者や住民投票のためにスーダンの首都ハルツームからスーダン南部に帰ってきた人びとを含む200名以上の民間人を殺害すると、停戦合意は破たん。停戦合意の項目に含まれていた他の反乱軍は、一先ずSPLAに再統合された。

ここ数週間、スーダン北部と同盟関係にある民兵組織の元指導者、ピーター・ガデット(Peter Gatdet)は、SPLAから離脱してスーダン南部自治政府への不満を利用した新たな活動を展開しており、さらなる軍事的脅威となる可能性が出てきている。

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