EUとの人権対話を前に、投獄中の活動家の釈放を
2010年06月24日
平和的に政治見解を表明したかどで活動家を投獄することは、近年改善しつつあると評価されているインドネシアの人権状況に、大きな汚点を残すものだ。民主的な諸権利を尊重する国家として発展していくという、インドネシアが掲げる目標から逸脱している。
フィル・ロバートソン、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長代理

(ジャカルタ)-「非暴力で政治見解を表明したがために投獄されている、100名超のパプアの活動家とマルクの活動家を、インドネシア政府は直ちに釈放すべきである。また、表現の自由の保障に向け、法改正や政策変更も必要だ。」ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表された報告書で、このように述べた。2010年6月29日にジャカルタでの開催が予定されているEUとの人権協議を前に、今こそインドネシア中央政府は行動を起こす時である。それが、EUとの対話の幸先のよいスタートにも繋がる。

報告書「政治信条による訴追の横行:インドネシアの政治囚の実態」(全43ページ)は、2008年12月~2010年5月に刑務所内で実施した、50名以上の政治囚への対面式聞き取り調査に基づいている。インドネシア政府が非合法としているシンボル(パプア・モーニングスターや南マルク共和国国旗など)を平和的に掲げたことが犯罪であるとして活動家たちが逮捕・訴追されている実態について、本報告書は詳述。さらに、被拘禁者の多くが拷問を受けている実態の詳細にも言及。これらの拷問には、マルク州州都アンボンの第88テロ対策精鋭部隊、並びにパプア州の警察や刑務所の看守らなどが関係している。しかし、インドネシア中央政府はこれまで、これら拷問にかかわった人物の責任追及を果たしていない。

ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長代理フィル・ロバートソンは「平和的に政治見解を表明したかどで活動家を投獄することは、近年改善しつつあると評価されているインドネシアの人権状況に、大きな汚点を残すものだ」と述べる。「民主的な諸権利を尊重する国家として発展していくという、インドネシアが掲げる目標から逸脱している。」

調査した中でも最も悲惨な状況に置かれていた政治囚10名の事例では、拷問以外の問題も浮き彫りとなった。これらの問題には、不十分な医療ケア、家族や地域社会からの隔離を目的とした収容者の移送(アンボン島からジャワ州への長距離移送)、劣悪な獄中環境などが含まれる。

ヒューマン・ライツ・ウォッチはスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領に対し、すべての政治囚に対する訴追を取り下げて、政治囚たちを解放するよう要求。同時に、「2007年命令」からシンボルの平和掲揚の禁止条項を削除するとともに、更なる法の支配の強化に取り組むよう求めた。また、諸外国政府も、拷問や虐待に苦しむインドネシアの政治囚の実態を監視するという重要な役割を担っている。今回初めて開催されるEU=インドネシア間の人権協議において、EUはこうした現状とその背後にある弾圧的法律の数々に対する懸念を、公式に表明すべきである。

本報告書で取り上げた事例のひとつは、反逆罪で15年の刑を言い渡されたヨハン・テテリサ氏。罪状は、2007年6月29日に南マルクの公共の場で、踊りながら南マルク共和国国旗を振りかざしたというものだった。ジャカルタにある国家人権委員会の元委員長アスマラ・ナババン氏は、アンボンの裁判官たちは、テトリサ氏の行動が非暴力的だったことを考慮していない、と述べた。

報道によると同氏は、「裁判官たちは、テトリサ氏の行為を、命にかかわる危険行為としてではなく、政治的信条の発露として判決を下すべきだった」と発言した。「彼は南マルク共和国国旗を振っていただけで、武器を所持していたわけでないのだ。」

マルクの活動家レイモンド・ツアパティアナ(Reimond Tuapattinaya)氏は2007年6月に逮捕された。同氏は第88テロ対策精鋭部隊による暴行について次のように証言した。「鉄の棒があればそれで殴られ、木製バットがあればそれで打たれ、鉄線があればそれで締め上げられるんだ。奴らは靴や素手も使ったよ。拷問はタンツイ刑務所やマルク警察署本部内で行われた。私もタンツイで14日間昼夜を問わず拷問されたよ。朝連れ出されて、夜は血を流しながら監獄に戻される毎日だった。」

西パプア州のアベプラ刑務所に投獄中のパプアの政治囚であるフィレップ・カルマ氏は、2009年8月以来前立腺の病に苦しんでいる。医師らは同氏が十分な設備の整ったジャカルタの病院で手術を受けるべきだと忠告したが、法務・人権省は2010年5月になるまで適切な対応を先延ばしにした。

「かつては私自身も官僚でしたが、病人に対するこんなお役所仕事はみたことがありません」とカルマ氏。結局、必要な手術を受けられないまま今日に至る。

前出のロバートソンは、「平和的に旗を掲揚しただけで逮捕されるなど、誰にもあってはならない。ましてや拷問は論外だ」と述べる。「こうした人権侵害が国際社会にとって容認できる種類のものではないという姿勢を、EUはインドネシア政府に対しはっきりと示すべきだ。そして政治囚の釈放と人権侵害防止を目的とした刑法改正に向け、圧力をかけていくべきである。」

背景

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、インドネシアはもちろんすべての国の民族自決に関してはいかなる立場も取らない。本報告書でも、パプアやマルクの活動家が目指す独立については支持も不支持もしていない。しかし、国際法の定めに従い、ヒューマン・ライツ・ウォッチは独立を目指す運動家を含むあらゆる個人が、平和的に自らの信条を表明する権利を有することを支持する。この権利には、逮捕や報復を恐れることなく、人びとが政治意見を表明できることも含まれる。

パプア

インドネシアのパプア州、西パプア州(ここでは「パプア」と総称)は、ニューギニア島の西半分を占める。1945年に独立したインドネシアのその他の地域とは異なり、パプアは1960年代までオランダの植民地のままだった。1961年12月1日、オランダ植民地政府が支持するパプア評議会が、パプアの人びとによる主権国家建国の準備が整ったと宣言、モーニングスターと呼ばれる新国旗を決めた。

当時のインドネシアのスカルノ大統領は、オランダが「傀儡国家」を作ろうとしていると非難し、インドネシア軍によるパプア侵攻を指令した。米国政府の外交介入による交渉の末、インドネシアとオランダ両国は、国連がパプアで住民投票を主導することで合意。国連の支援により「自由選択投票」("Act of Free Choice")が1969年に実施されたが、インドネシア政府は自らが厳選したわずか1054名のパプア人にのみ投票権を与えた。結果、パプアのインドネシア領編入が決まる。パプア人の多くは、「自由選択投票」がインドネシアによるまやかしで、併合正当化の道具に過ぎなかったと考えている。

過去50年間にわたって、インドネシア支配に対する反感から独立への気運は高まり続けた。中央政府の開発計画による先祖代々の土地からの追放や、他の地域からの入植移民の流入も、反感の高まりの一因となった。結果、武装ゲリラ活動や自由パプア運動(OPM)、一連の非暴力組織・構想などが生まれるに至った。穏健な分離独立派は、公式式典、とりわけ12月1日の記念日に、パプア・モーニングスター旗を掲揚することを共通戦略にしている。

南マルク

1950年からアンボン島を中心にマルク南部には分離独立運動が存在。地元先住民の多くが自らを「Alifurus」(アリフルス)と呼ぶ。1050年4月25日、Chr. R.S. ソウモキル率いる全南マルク評議会で、アリフルス民族主義者らがアンボン島で全国会議を開催し、南マルク共和国(RMS)建国を宣言した。

今日のマルク州において、南マルク共和国設立が住民の幅広い支持を得ているとは言い難いが、民族主義的な感情は依然として強い。圧倒的多数を占めるキリスト教徒のアリフルス人と、ジャワやスラウェシから移住したイスラム教徒(中央政府が長年にわたって移住を推進)間の地域的な宗教対立は、独立と主権の問題を複雑化した。1999年1月にキリスト教徒とイスラム教徒がアンボンで衝突。抗争は後にマルク諸島全体に拡大し、これが2005年まで続いた。特に1950年の建国記念日である4月25日に南マルク共和国の国旗を掲揚することが、インドネシア中央政府による支配の否定を公に表明する主な手段となっている。