(ニューヨーク)ビルマ政府は予定されている国勢調査を延期し、多発する住民間での暴力事件と援助関係者への攻撃を防止すべきだと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。もっとも大きな危険にさらされるのはムスリム系住民と国際機関の人道支援要員だ。
2014年3月26日、アラカン州では暴徒が国際援助団体を襲撃し、事務所、住居、食糧倉庫など14カ所に損害を与えたり、破壊したりした。団体側は3月28日、外国人職員32人と現地職員39人をアラカン州の州都シットウェーから避難させた。
「アラカン州での暴徒による襲撃は、緊迫した状況下で国勢調査を実施するリスクを明確に示すものだ」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長ブラッド・アダムズは指摘した。「政府は、すべての関係者に十分な安全と公正な手続が保障できるまで、調査を延期すべきだ。」
ビルマでは長年待たれていた国勢調査が3月29日から全国で実施の予定だ。調査員は3月30日から4月10日にかけて、推計人口6,000万人を抱える同国の人口基礎データを収集する。複数の非政府武装組織は、調査員の支配地域立ち入りを認めないと発表している。その一つカチン独立機構(KIO)は、中緬国境沿いの広い地域を支配し、最近の紛争で発生した4万人以上の国内避難民(IDP)を保護している。その他の民族集団(ワ、パオー、モンなど)も、国勢調査が地域に及ぼす影響に懸念を表明している。多くの少数民族が、国勢調査によって自民族の人口が実際より少ないとされれば、地元議員の数が減らされたり、民族としての政治的発言権が弱まる可能性があるとして国勢調査に否定的だ。
国勢調査の質問票は41の質問からなる。世帯の構成人数のほか、年齢、性別、学歴、出生率、海外在住者の数といった細かい項目も設定された。大きな問題は、民族と宗教という2つのカテゴリーに関する質問だ。国勢調査の計画初期段階から、国連人口基金(UNFPA)と複数の有力な国際ドナーは、国民を「135民族」に分類する政府のやり方を受け入れている。しかしこの分類法には大きな欠陥があり、異論も多い。主要な8つの民族集団だけを挙げた方が、多民族国家ビルマで調査を行うには都合がよかったとすら言える。現行の民族分類法は、ただでさえ厄介な民族アイデンティティ問題を深刻化させる危険性がある。これはいまだ安定しない全土での停戦手続に関わることで、シャン州などさまざまな民族が生活する民族州で生じている事態だと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは指摘した。
民族組織側も、移民・人口省と国連人口基金がさまざまな民族と十分な協議を行わないことに、また調査法改善を求める批判的な意見を無視するなど、透明性を確保せず、説明責任をあまり果たさずに国勢調査を準備していることに懸念を表明している。UNFPAが政府当局者抜きで民族組織側と協議をしたのは、ようやく3月17日になってのことだ。
「国勢調査は技術的な計画だが、政治的な意味合いがかなり強まっている。すでに緊張が高まる状況に火をつける可能性もある。とくにロヒンギャ民族ムスリムと、困窮する人びとへの支援を担う援助要員に対する暴力事件を引き起こしかねない」と、前出のアダムズ局長は述べた。「政府と国連は少数民族側の懸念に耳を貸し、調査を適切なものにするために一度話を振り出しに戻すべきだ。」
ビルマ中央政府は、アラカン州のロヒンギャ民族ムスリムと、全土で生活するムスリム系住民に対する暴力行為の再発防止に積極的に取り組むべきだと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。両者は2012年以来、暴徒の襲撃を受けている。ビルマに暮らす推定80万人のロヒンギャ民族の多くが無国籍状態だ。1982年の国籍法が実質的にロヒンギャ民族の国籍を認めていないためだ。アラカン州シットウェーでは、国勢調査に反対し、「ロヒンギャ」と民族欄に記入することを認めた政府の対応を批判するデモが数週間続いていた。地域のとりまとめ役はアラカン民族仏教徒に国勢調査をボイコットするよう訴えており、その呼びかけはウィラトゥ師の説法会が各地で開催されて大きく広がっている。師はマンダレーを拠点として民族主義的な969運動を指導する、反イスラームの過激な仏教僧侶だ。国勢調査にロヒンギャ民族ムスリムと回答できることに反対するデモは、経済の中心地ラングーンでも行われている。
人道支援機関への高まる圧力
2月、中央政府は国際人道NGOの国境なき医師団(MSF)の活動停止を発表した。MSFは1992年以来ロヒンギャ民族への医療サービスの中心的担い手だ。停止を命じた理由は、活動内容に関する合意事項に違反があったこととされた。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、MSFによるロヒンギャ民族への支援停止を求めるアラカン民族の圧力に政府が屈したと考えている。
MSFなど人道援助団体は2012年のアラカン州での暴力事件以降、アラカン民族主義団体の圧力にさらされている。しかし、1月のアラカン州マウンドー郡ドゥチーヤータン村での事件後に批判は強まった。これは治安部隊がロヒンギャ民族の住民を殺害した事件で、死者数は不明だ。ビルマ大統領報道官イェトゥ氏は事件の存在を激しく否定したが、MSFは現場付近で運営するクリニックが暴力事件で負傷したロヒンギャ民族住民を手当てしたと公表し、外国メディアの報道に信憑性を与えた。今回3月下旬にシットウェーで起きた襲撃の数日前には、ジョアン・リユMSF代表はアラカン州での活動再開に向け、中央政府当局と、氏の表現によれば「希望の持てる対話」を行っていた。
「ビルマ政府は国勢調査を延期し、危害が生じないように実施計画を作り直した後に、住民間の暴力事件を刺激しないかたちで実施すべきだ」と、アダムズ局長は述べた。「ドナー側は非公式には国勢調査が裏目に出ることをずっと案じてきた。しかしこうなった以上、国勢調査を延期し、ビルマの発展を危うくするのではなく、それを促す方向で抜本的に計画を練り直すよう先頭に立って求めるべきだ。」
背景
今回の全国規模での国勢調査は1983年以来のもので、移民・人口省と国連人口基金(UNFPA)が3月29日から4月10日まで実施予定だ。調査は全土で約14万人の集計者と2万人の監督者により実施される。担い手の大半は学校教師だ。UNFPAは「100%の調査」が達成できると主張する。
しかしUNFPAなどの国勢調査を支援する側は、数十年の軍事政権支配を経たビルマでは、とくに少数民族が支配する地域で顕著だが、公務員をほとんど信用していない人が多数存在することへの懸念に対処していない。2013年の国勢調査法により、国勢調査への参加を拒否したり、なんらかのかたちで調査を妨害することは違法とされている。
国勢調査は41の質問項目からなる。世帯人数を尋ねるような基本的な質問もあるが、最も議論を呼んでいるのは民族と宗教に関する質問だ。人数や人口関連以外で収集するデータには、識字率、雇用状況、障害、住居の状況、浄水や電気、社会設備へのアクセス、出生率と死亡率、国内国外の人の移動状況などがある。国勢調査を批判する意見には、こうした微妙なテーマの多くについてのデータ収集は、濫用の可能性があるので延期すべきとの主張もある。議論を呼ぶ事項については、別の方法を用いて後日調査を行えばよいという。
カチン州の反政府勢力支配地域やワ州連合軍の特別行政区など一部地域では、行政を管轄する側が、国勢調査担当者の立ち入りを認めないと発表している。
国勢調査結果は3段階に分けて発表される。最初の結果は2014年8月、主要な結果は2015年第1四半期、そして分析結果を記した報告書は、次回総選挙が予定されている2015年11月に公表の予定だ。
国勢調査の推計費用は7,400万米ドル(約74億円)で、当初見込みの5,800万ドル(約58億円)から増加した。ビルマ政府は1,500万ドル、UNFPAが500万ドルを支出し、残りは主要なドナー国(英国、オーストラリア、フィンランド、ドイツ、ノルウェー、スウェーデン、スイスなど)が負担する。
ヒューマン・ライツ・ウォッチはビルマ政府に以下の勧告を行う。
· アラカン州での人道支援機関への襲撃について、あらゆる再発防止策を取ること
· アラカン州政府当局者と中央政府当局者に人権侵害事例についての責任を問うこと
· 治安部隊にすべての住民を分け隔てなく保護させること、また人権侵害に加わった部隊や人員を当該地域から外した上で、これまで法を遵守しており、住民間の暴力に加担した経歴のない部隊と司令官と入れ替えること。
· 治安部隊に蔓延する不処罰の文化を終わらせるよう具体策を講じること。特にミャンマー警察と国軍部隊には、ロヒンギャや他のムスリム住民、ならびにその他の少数者集団への人権侵害について処罰されないという雰囲気がはびこっている。こうした人連侵害を行うか、それを許容する司令官と治安部隊員を懲戒または訴追すること。
· 国勢調査を万が一実施する場合には、結果によって民族などを理由とした暴力事件が発生しないよう適切な対策を万全に講じた上で結果を公表すること。
ヒューマン・ライツ・ウォッチはドナー側と国際社会に以下の勧告を行う。
· 国勢調査については、安全かつ公正な実施が担保されるまで延期すること。
· 質問事項を減らし、暴力や差別につながりかねない民族や宗教についてのデリケートな質問を行わないこと。
· ビルマ政府に対し、結果の公表については、民族などを理由とした暴力事件が発生しないよう適切な対策を万全に講じた上で行うよう求めること。
· 当局に対し、人道支援機関がアラカン州で安全に活動できるようあらゆる対策を取るよう求めること。
· ビルマ当局に対し、アラカン州での独自の規制をただちに撤廃するよう強く求めること。ロヒンギャ民族などムスリム系住民は、移動、労働、宗教、子どもの数、医療と教育へのアクセスに関する権利が制限されている。
· 国連人権高等弁務官事務所が保護と尊重、技術支援の完全なマンデートの下でビルマ国内にオフィスを、またアラカン州を含め各地にサブオフィスを設けることを支援すること。