(ニューヨーク)-昨年の12月10日から16日は、初めての「北朝鮮人権侵害問題啓発週間」だった。昨年6月に成立した北朝鮮人権法で定められた週間だ。この北朝鮮人権法は、日本も主提案国だった2005年の国連総会決議を踏まえたものだ。北朝鮮で行われている拷問、北朝鮮に送還された難民に対する虐待、思想・表現・宗教の自由に対する抑圧、中国での北朝鮮女性の人身取引などの人権侵害について、日本の人々の関心を深め、こうした人権侵害を抑止するのが目的だ。

この週間中、非政府組織(NGO)が示唆に富むシンポジウムを開催した。政府も北朝鮮での人権侵害のポスターを作ったり拉致に関する集会を開催したりした。

これらは積極的に評価できる。でも、日本には、北朝鮮-そしてその他の地域でも-人権状況をよくするため、もっとやれることがある。そして、やる義務がある。さもなくば、日本政府のコミットメントは、ただ単なる口先だけ、ということになろう。無論、拉致された日本人そしてその家族の人権は重大な問題だ。しかし、日本政府が、拉致被害者数十人の人権にばかり焦点を当てること――安倍晋三首相は、拉致対策本部を新たに設置したが――は非生産的だ。

日本政府は2005年12月、人権問題担当大使を任命した。しかし、同大使は、その広い権限にも拘わらず、これまで拉致にばかり焦点を当てた活動をしている。一方、日本政府関係者たちは、2千300万人の北朝鮮の人々が日々苦しめられている重大な人権侵害については、ほとんど言及することがないのだ――1990年代の飢餓についても、現在おきている食糧危機についても、そして、北朝鮮から逃げてきた難民についても。

この驚くべき沈黙は、日本の政治家たちが、人権と言ってみたところで、実は、国内の反北朝鮮の世論を利用しているだけで、北朝鮮政府により人権を侵害されている多くの北朝鮮の人々を助けるという発想はないことを端的に示している。

もし、日本政府が、北朝鮮人権法で自ら定めたその目的を実現するつもりがあるなら、まず、世界食糧計画(WFP)を通じ、北朝鮮に対する食糧支援をすぐさま再開すべきだ。そして、北朝鮮政府に対し、WFPやその他の援助団体が、国際基準に沿った配給のモニタリングを行うのを受け入れるよう、迫るべきなのだ。

第二に、日本は、北朝鮮における悲惨な人権侵害から逃れたきた人々を保護し、そして支援しなくてはならない。日本は、中国に対し、逃れてきた脱北者たちを捕らえて本国に強制的に送還することをやめ、北朝鮮国境付近での人道NGOの活動を許すよう、働きかけるべきだ。

また、日本は、北朝鮮人の難民申請者を難民と認定して保護し、さらに、難民の再定住を受け入れるための施策を早急に取るべきだ。他の先進国はそうした難民の再定住を受け入れるプログラムを持っているにも拘わらず、世界第2位の経済大国である日本が、難民の再定住を受け入れていない。

最後に、日本政府関係者たちは、人権を侵害している北朝鮮政府と、そのかけがえのない人権を侵害されている被害者である北朝鮮の人々をはっきり区別して発言をするようにしなければならない。日本政府関係者のこれまでの発言は、こうした区別をはっきりさせてこなかったため、日本国民の間の反北朝鮮感情をむやみに高め、被害者であるはずの人々に対する敵意までを植え付けてしまっている。

残念ながら、こうした日本政府の北朝鮮人権侵害問題啓発週間に対する表面的でしかないアプローチは、例外ではない。世界各地での、日本政府の誤ったアプローチの典型というべきものだ。これまで、安倍首相を含め、多くの日本のリーダーたちが、世界中で人権を伸長するために貢献すると高らかに宣言してきた。しかし、日本政府のいくつかの外国政府との関係を見ただけで、すぐ、こうしたリーダーたちの言葉がいかに貧弱なものかということがわかる。特に、日本がその経済力ゆえ、外国での人権状況をよくするための多大な影響力と手段を持っているにも拘わらずこのような現状にあることを考慮するとなおさらだ。

おそらく、日本とビルマ軍事政権との関係が、そのもっともはっきりした例だろう。日本政府は、人道支援以外の支援を原則停止したとして、原則に則った行動を取ったと主張してきた。しかし、現在もビルマで経済的利益をあげ、政治的な関与を続けていることが、支配組織・国家平和開発評議会(SPDC)にとって、不可欠の財政的・政治的生命線となっている。

現実はこうだ。SPDCは、こうした資金や政治的なサポートのおかげで、国際的な制裁を切り抜け、基本的な権利を制限し、民族的少数者に対し残忍な対反政府勢力軍事作戦を遂行し(何千人を殺害し、数百万人を居住地域から追い出した)、アウンサンスーチー氏やそのほかの民主活動家を拘束・刑務所で拘禁し続けられている――ただし、日本の政府関係者たちがこうした現実を日本の人々に対し公にすることはないのだが。

最低限、日本は、すべての二国間及び多国間の協議の中で、こうした現実を公に提起すべきである。

これと同様、日本とウズベキスタンとの関係も、日本政府の人権に対するコミットメントに疑いを生じさせる。2006年、小泉純一郎氏は、首相として始めてウズベキスタンを訪問した。日本は、すでに相当の財政的な支援をウズベキスタンにしているが、小泉前首相は、その訪問で、イスラム・カリモフ大統領との間で、こうした支援を増やすと合意した。しかし、小泉前首相は、2005年5月、アンディジャンで数百人もの丸腰のデモンストレーション参加者たちが政府に虐殺されたことなど、ウズベキスタンの非道な人権状況を改善するよう、真に求めることはなかった。

ビルマの場合と同様、日本が、ウズベキスタンにおける人権侵害を非難し、責任者たちに裁くよう働きかけなかったことで、こうした人権侵害政府に対し、日本は、人権よりも本当は経済的利益に関心があるというメッセージを送ってしまった。そして、そうした政府の下で苦しんでいる人々には、日本は人々の窮状に無関心であると取られたであろう。麻生太郎外務大臣は、11月30日にスピーチを行ない、日本には、人権のための外交を行なう資格と決意があると述べた。外相は聴衆に呼びかけた。「皆さん、日本外交には、ビジョンが必要であります。」

実は、欠けているはビジョンではない。―― そうしたビジョンに真に取り組むこと(コミットメント)なのだ。

そのためには、日本は、人権侵害の被害者そして人権活動家とともにあらねばならない。そして、政府を含め権力者と対峙し、そうした者が人権を侵害し虐待を行うのを止め、国際人権法を尊重させなくてはならない――それも、ある特定国だけにそうした姿勢をとる(セレクティヴィティ)のではなく。

さもなくば、日本が言葉の上で人権が大事だと言ってみても、逃げ場を求めてさまよう飢えた北朝鮮の人々や、外国に助けを求めるビルマやウズベキスタンの被害者たちには、ほとんど何の助けにならないままだろう。そして、そう、おそらく、日本人拉致被害者にも。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ アジア局長代理 ソフィー・リチャードソン
ヒューマン・ライツ・ウォッチは米国に本部を持つ最大の人権組織。