(ドゥシャンベ)-タジキスタン政府は、大規模水力発電ダム開発のために移住させた千世帯超についてきちんとした補償を行っていないと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日述べた。移住に関する国際基準を遵守して当事者の権利を守るとの公約に反し、政府は移住した世帯について、家を建て替えたり、再び生計を営むことができるようにするために必要な補償を提供していない。多くの世帯で、住居・食糧・水・教育へのアクセスが寸断されている。
今回の報告書「ここに来てから辛いことばかり:タジキスタン ログン・ダムでの移住に関わる人権侵害」(全81頁)は、2009年以降に政府が移住させた1,500世帯がきわめて困窮した状況に置かれている現状を調査した。ログン・ダムと水力発電所は稼働前の段階で4万2,000人以上を移住させている。大きな問題は、移住にかかわる住居面での補償が不十分なことだと人びとは指摘する。人びとは農業や家畜を飼育して収入を補う必要があるが、それに必要な土地を移住先で確保することができない。学校のない地域も存在する。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ欧州・中央アジアフェローで本報告書執筆者のフランチェスカ・コルバチョは「タジキスタン政府は、円滑な移住プロセスに向けた改善措置を一部とってきた。しかし残念ながら多くの世帯は、家を建て替えて家族を養い、子どもを学校に行かせることが困難な状況だ」と、述べた。「今後も数千世帯が移転する予定となっている。政府は人権尊重と経済発展の両立を保証するために、これまでのプロセスを今見直すのが極めて重要だ。」
中央アジアの山岳国家タジキスタンは、寒さの厳しい冬期には、深刻なエネルギー不足に悩まされる。冬のあいだ、政府が地方に提供する電力は1日わずか数時間だ。政府はこのダム開発事業がタジキスタンのエネルギー不足を改善するだけでなく、余剰電力の販売により国内経済の成長を促すことにもつながると説明している。ログン・ダムの完成予定日についての発表はない。世界銀行の推計では、タジキスタンがログン・ダムのダム湖を満たすには16年かかる。
タジキスタン政府は非自発的移住に関する世界銀行の基準を尊重することを公約している。重要な保護策が部分的に含まれてはいるとはいっても、この国際基準だけではあらゆる人権を十分に保護することはできない。世銀はこのダムへの融資をまだ確約してはいない。だが2011年からタジキスタン政府を支援するため、いくつものアセスメントを行っている。
この報告書が印刷に回っている最中の2014年6月17日、世銀はこれらのアセスメントの最終草案と、この事業にとって鍵となる問題の概要を記したペーパーを発表。この文書は、大規模移住がログン・ダム建設による主要な悪影響であると認定、この計画によって通常の物理的移転のみならず生計手段の喪失も発生すること、移住中と移住後の人びとが生計を再び営むことができるようにすることが、移住プロセスにおいて肝心な要素であることを確認している。世銀は過去にも世界各地で、重大な人権侵害を引き起こす巨大なダム開発事業に融資してきた。
世銀などの融資候補国・機関は、移住プロセス全体を通して人権が尊重されるよう政府と協力すべきである。世銀が委託した環境社会影響評価では、環境に関する国際条約や国際水利法は適切に検討されているものの、移住に関する国際人権文書は検討されていない。ドナー側は、移住に関連する部分の融資においては、すべての移住が国際人権法に則って行われることを条件とすべきだ。また移住の状況についても、ドナーは定期的なモニタリングを行い、問題(とくに人権侵害)に即応できる体勢を整えておくべきだ。
今回のヒューマン・ライツ・ウォッチの報告書は、2013年11月から2014年2月までタジキスタン国内で行った調査に基づいている。聞き取りは移住済、移住中、移住予定のいずれかの状態にある156人を対象とした。政府は、低地で暮らしていた世帯と、ダム建設現場一帯に住む世帯とを移住対象としている。移住先が200kmも離れた土地の場合もある。移住した世帯は新しい村で土地を割り当てられ、政府の補償を利用して新たに家を建てることが多い。
タジキスタンでは土地はすべて国有だ。しかし国内外の基準の定めるところでは、政府によって移住させられた場合は、失った財産について公正かつ適正な額の補償を受け、以前と同様の生活を営む権利が全員に保証されている。
政府は移住先すべてについて農地を用意しているわけではない。このため各世帯は食費の支出を増やさざるをえない状況にある。また農業や家畜に一部を頼っていた生計手段を失っている。移住先で農地が利用可能な場合でも、政府はそもそも利用が可能な事実を伝えていなかったり、申請方法をきちんと知らせていない。
5児の母であるホルシードさん(仮名)はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、移住により野菜畑と果樹園を失っただけでなく、十分な牧草地もないために牛を手放さざるを得なかったと話している。「子どもたちから果物が欲しいとせがまれます」と、ホルシードさん。「甘くした紅茶でごまかそうとはしていますが…。牛乳が飲みたいと言えば、買ってくるしかありません。お金がないのでたくさんは買えません。」
移住先では安定した職に就くことがきわめて難しいことが多い。タジキスタンは全土で失業率が高く、数十万人が1年に数か月は海外に働きに出ている。しかし移住した世帯にとっては、仕事不足の上に、農地不足と低い補償金でさらに状況が悪化している。新しい家の建設が始まってから出稼ぎに出られないでいる住民もいる。普請中の家に家族を残しておきたくないからだ。
「移住によって畑や果樹園、牧草地を失ったことで、こうした世帯は生計手段の大半を失った」と、前出のコルバチョは述べる。「政府には、移住を強制した人びとの生活水準が悪化しないようにする責任がある。」
移住地には、学校がないところもある。移住前に学校建設の完了を定めた世銀などの基準に違反する事態だ。こうした村では、多くの子どもが2時間も歩いて付近の村の学校に通っている。ダンガラ郡に移住した子どもと保護者からは、綿花の収穫時期に学校側が子どもを収穫にかり出しており、時には学校からそのまま向かわせているとの指摘もあった。
タジキスタンの多くの地域では、女の子たちはなかなか中学校に通えていない。しかしヒューマン・ライツ・ウォッチは、移住が原因で、また特に学校が遠いことが原因で、この女子の通学問題が悪化しているケースがあることも確認した。
「移住先の地域は、元の場所から100km以上離れていることが多い。したがってほとんどの場合、移住した世帯は家を建てているあいだ、新しい土地で数か月過ごさざるをえない。学校などの施設がなくても我慢するしかない」と、コルバチョ調査員は述べた。「政府はすべての地域に学校をすぐに建設し、子どもが学習を続けられるようにすべきだ。」
ログン・ダム建設現場に隣接する地域では、まだ移住していない移住対象者たちが現在も生活を続けている。発破による振動が窓を頻繁に揺らし、家屋にさまざまな被害を与えている。労働者は、発破時の住民避難ではふつう乗用車かバスを使う。しかし、高齢者や障害者は車がなければ家に残らざるをえない。落ちてくる岩や発破の衝撃で重傷を負いかねない。
タジキスタン政府は、移住対象者全員が以前同様に生計を立てられるようにすべきだと、ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。政府は、移住対象者への補償内容の計算・補償実施の流れを見直し、家屋の建て直しに見合った費用を反映させ、土地をすぐに使える状態にし、水や電気、教育などのサービスを直ちに提供するようにすべきだ。当局はまた、移住者の生活状況を詳しくモニタリングすべきだ。女性が切り盛りする世帯や障がい者など、弱者に特に注意を向けるべきだ。
「利用可能エネルギーを増やすというタジキスタン政府の目標は問題ない。だが政府は、現在行っている移住事業の実施によって、人びとが生活手段を奪われないようにすべきである」とコルバチョ調査員は述べる。
Map: Projected areas at risk
Selected accounts from “‘We Suffered When We Came Here’: Rights Violations Linked to Resettlements for Tajikistan’s Rogun Dam”:
Khorsheed G., Resettled to Dangara Region
Khorsheed G., a mother of five who moved to the resettled community in Dangara in 2013, said – as did others interviewed – that keeping animals had been an insurance policy of sorts for times of financial crisis. She said that following resettlement, her family faced significant financial hardships because of the absence of land for agriculture and livestock:
Now when we need money, my husband’s brothers send it from Russia, but we can’t always ask them for it. Sometimes we ask neighbors for loans, which we have to pay back. In Nurabod we didn’t have to borrow money … because we had everything in our garden, and we had the livestock. With the livestock, at any moment we could sell it alive or sell it for meat. That really helped us.
Now my children beg me to give them fruit. It’s gotten very hard without the garden, the orchard, [and] the livestock. All the things that we were used to.… The dried fruit was good, and sweet. Now I have to try to distract my children with sweetened tea [instead of giving them fruit]…. [N]ow we have to go to the bazaar and pay [for] even the most elementary things. The children want milk and I have to buy it. I don’t have money and so I can’t buy that much.
Saghar F., Resettled to Rudaki Region
Saghar F., a mother of three young children who was interviewed in Rudaki, said that having to send her son to school in a neighboring village because the resettlement site had no school is a daily source of anxiety:
My oldest [7 years old] studies in the school…. I worry about him the whole time that he is walking…. He studies until 5 p.m. and by 6 p.m. when he gets home it is completely dark…. When the weather is bad, I try not to send him. He sometimes cries so much because he doesn’t want to go. When it rains his feet get soaked. And he cries a lot.
Hurmoz T., Resettled to Rudaki Region
Many resettled residents told researchers that they quickly exhausted compensation payments on material for initial stages of construction and had to spend from their own limited income or sell assets such as livestock or vehicles to buy and transport materials such as stones, cement, and roofing to the resettlement site. Hurmoz T., who works part-time as a taxi driver around his resettled community in Rudaki, said,
I got 60,000 somoni (US$12,500) compensation. I had to sell everything of value – all my animals, my car – to complete our house…. In the old place, we had a house with six rooms. Here, we have only two rooms [for eight people]…. [T]he compensation was enough to build only one small room.