(ニューヨーク)-コフィ・アナン特使は、少なくとも108人が殺害された5月25日のホウラでの虐殺事件の調査/捜査のため、国連の調査委員会のシリア入国を同国政府に求めるべきだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、アナン特使率いる国連代表団のダマスカス訪問に先立つ本日、このように述べた。これまでシリア政府は国連の調査委員会の入国を拒否している。また、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、国連安全保障理事会に対し、シリアの事態を国際刑事裁判所(ICC)に付託するというかねてよりの要請に応えるよう再度求めた。
国連監視団は虐殺の翌日26日に、反体制派の拠点ホムス市の北東約20キロに位置し、複数の村落から成るホウラ地区を訪れ、事件を確認。「残虐な悲劇」を非難した。シリア監視団の責任者ロバート・ムード少佐は報道機関に、砲撃による死亡者と至近距離からの銃撃による死亡者がいると述べたが、至近距離から殺害をした者が誰かについては言及しなかった。ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じた生存者と地元活動家らによると、シリア軍が5月25日に同地区を砲撃、武装した軍服の男たちが郊外の家々を襲撃し、家族全員を処刑して回ったという。
目撃者らは全員、武装した男たちは政府支持派だったと話す。ただ、シリア軍兵士だったのか「シャビーハ」と呼ばれる親政府民兵だったのは分からないと言う。スンニ派が圧倒的多数を占めるホウラ地区は、アラウィ派とシーア派の村々に囲まれるようにして位置しており、昨年来宗派間の緊張が高まっていた。シリア外務移民省の報道官は5月27日の記者会見で、虐殺に関する軍の責任をきっぱりと否定し、調査のために軍事司法委員会を設置すると表明した。
ヒューマン・ライツ・ウォッチ中東・北アフリカ局長のサラ・リー・ウィットソンは、「政府支持派部隊による犯行を示唆する証拠が多数ある中で、軍の調査委員会が信頼に足る調査を実施するわけがない」と指摘。「アナン特使は、この事件はもちろんその他の重大犯罪の捜査のために国連調査委員会の入国を認めるよう、シリアに強く求めるべきだ。」
住民と虐殺の生き残りの人びとは、ヒューマン・ライツ・ウォッチに、ホウラへの攻撃がいかに行われたかを詳述した。5月25日の正午に、ホウラ地区で一番大きな町タルドウ(Taldou)にデモ隊が集結。ある目撃者によると午後2時ごろ、軍の検問所の兵士たちが近くにいたデモ隊を解散させようと発砲したが、負傷者や死亡者が出たかどうかは分からないという。ホウラ出身のある活動家がヒューマン・ライツ・ウォッチに話したところによると、シリア軍の検問所からの発砲に対し、反政府勢力の武装メンバーが検問所への攻撃で応え、軍がそれに応えてホウラ地区の住宅地各地に集中砲火を加えた、という。
タルドウのある住民の証言:
「午後2時半ごろ、町の郊外にいた軍が居住区に砲撃し始めたんです。最初は戦車だったけど、2時間もすると迫撃砲を使い始めました。砲撃はホウラの入り口にある空軍学校の方向からでした。午後7時ごろに砲撃が激しくなって、建物全体が震え出しました。ある種のロケット砲を軍が撃ち始めたら、辺り全体が振動していましたよ。」
生存者3名はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、ホウラ各地の砲撃が激しくなった午後6時半ごろに、銃で武装した軍服の男たちが、町郊外のホウラ・ダムに続く道上に点在する家々を攻撃した、と語る。殺害された人びとのほとんどがアブデル・ラザク家のメンバーだった。地元活動家らはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、アブデル・ラザク家で殺された62名のリストを提供した。生存者らによると、一族は国営の水道会社やタルドウのダムに隣接する土地と農地を所有していた。2家族がひとつの家で暮らし、8-9軒の家が隣接して建っていた、という。
アブデル・ラザク家の生存者(高齢女性)の証言:
「その日は孫の男の子3人と女の子3人、義理の姉妹、娘、義理の娘、いとこと家にいました。[5月25日]午後6時半ごろ、日の入り前に銃声がしました。私は独りで自分の部屋にいたんですが、男の声が聞こえてきて、家族に何やら大声で叫んでいました。私は戸の後ろに隠れました。玄関の外にもう1人、家の中にも1人いました。軍服姿でしたが、顔は見ていません。家宅捜索したいんだな、と思いました。家に歩いて入ってきましたが、戸に鍵を掛けたことはないので、押し入ったような音は聞こえませんでした。3分後には家族皆の悲鳴と叫び声が聞こえました。10歳〜14歳の子どもたち全員が泣いていました。私は何が起きているのか見ようと、床に伏せて這いましたが、戸に近づいた時に銃声が何発か聞こえて、恐ろしくて立てませんでした。兵隊たちが去った音を聞いたので部屋の外を見たら、家族が皆撃たれていました。体も頭も。怖くて生きているかどうか見に近づくこともできませんでした。裏口の戸まで這って外に出て逃げました。ショック状態だったので、その後に起こったことは覚えていません。」
アブデル・ラザク家の10歳の少年の証言(軍服を着た男たちが13歳の友人を撃ったところを目撃):
「僕はお母さんといとこたち、それからおばさんと家にいたんだ。突然鉄砲の音が聞こえた。あんなにたくさんの鉄砲の音を聞いたのは初めてだよ。お母さんは僕をつかんで、納屋に隠れた。男たちが悲鳴を上げたり叫んだりしてるのが聞こえた。窓の外を見たよ。何回か覗いたけど、見つかるんじゃないかって怖かった。軍の兵隊みたいな、緑と他の色[迷彩色]の[制服]姿をした、白い靴の男たちが家に入ってきたけど、2分もしたら出て行った。その時、通りの向こうに13歳の友達シャフィーク(Shafiq)が独りで立っているのが見えたんだ。軍服の鉄砲を持った男がシャフィークを捕まえて、ある家の角に立たせ、銃を抜いてシャフィークの頭を撃った。シャフィークのお母さんとお姉さん、確か14歳だったと思うけど、2人が外に出てきて泣き叫び出したよ。同じ男がその2人も何度も撃った。それからその鉄砲を持った人たちはいなくなって、(反体制派の)自由シリア軍(FSA)の兵隊たちが来たんだ。」
少年の母親の証言(少年の証言の多くを裏づける内容):
「午後6時半〜7時くらいに銃声が聞こえ始めました。すごく近くで。私たちは走って納屋に隠れました。武装した男たちが家から出て車で走り去る音を聞いて、姉(妹)と一緒に外に出ました。[息子の友達で13歳の] シャフィークが地面に倒れて死んでいました。家族3人が撃たれているのも見ました。女の人3人で、そのうち2人は子ども連れ。頭を撃たれている人もいたし、体中撃たれている人もいました。14歳の女の子が1人、足を2発撃たれたけれど生き残っていました。いとこが胸を撃たれたのも見たし、マヒのある13歳の男の子も同じように胸を3発撃たれました。」
前出のウィットソンは次のように述べる。「武装した男たちが処罰もされずに活動できる限り、シリアでの恐怖の状況は続くだろう。ロシアは国連安保理でシリア政府をかばうのをやめ、事態を国際刑事裁判所に付託することに同意すべきだ。」
国際刑事裁判所は、シリアで続く人権侵害に最も責任ある者たちに対する効果的な捜査と訴追を行う最も適切な能力を有する法廷である。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、その他の国々にも、国際刑事裁判所への付託を支持し、アカウンタビリティ(真相究明・責任追及)実現に向けた動きに加わるよう強く求めた。
シリア政府は従前より捜査を開始すると表明したものの、目に見える結果に全く結びついていない。2011年3月31日、動乱開始から1カ月もたたないうちにシリア政府は、「市民や軍人の全死傷事件と関連する全犯罪に対する即時の捜査を開始し、それら事件に関する被害届を処理する」ために司法委員会を設立。しかし、同委員会の活動は今も継続中で、何人かの容疑者が逮捕・捜査されたというバッシャール・アル・アサド大統領の短い発言を除くと、その活動と結果についてほとんど不明なままとなっている。