(2013年8月6日)-ビルマのテインセイン大統領は、25年前の民主化運動参加者の虐殺に責任を持つ当局者と指揮官について、独立した調査と公正な訴追に真剣に取り組むべきだ。ビルマの友好国とドナー各国は、ビルマでの真の改革とは、1988年の虐殺などの深刻な人権侵害の被害者に、確実に正義をもたらすことだ、との見解を明確にすべきである。
1988年の抗議運動と弾圧は、ビルマにとって分岐点となった。1988年3月から9月まで、ビルマ全土で大規模な民主化デモが起き、陸軍や治安部隊の弾圧で数千人が死亡した。
「25年前のビルマでの虐殺は、未解決の癒えない傷口であり、政府の改革のレトリックの正しさを疑問に付すものだ」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局長ブラッド・アダムスは述べた。「ビルマ政府は、過去の虐殺の実行者ではなく、ビルマ国民の側に立つことを示し、国軍の人権侵害を否定してきた過去50年の歴史と決別すべきだ。」
1988年8月8日に、多数の学生や仏教僧、公務員、一般市民が参加した全国的なストライキが、ビルマ全土での同時デモにつながった。人々は民主主義への移行と、軍政支配の終結を求めていた。抗議の規模に驚いた政府は、軍隊にデモ隊を物理的に弾圧するよう命じた。兵士は非暴力のデモ隊に発砲し、数百人の死傷者を出した。多数が逃げ惑うなかで、一部は火炎瓶、剣、毒矢、尖らせた自転車のスポークで反撃し、警官と当局者にも死者が出た。
8月10日、国軍部隊は、ラングーン(ヤンゴン)総合病院で、負傷した民間人の治療にあたる医者と看護婦に故意に発砲、殺害した。8月12日、長年にわたり独裁体制を敷いたネウィン氏の辞職を受けて、大統領となったセインルイン氏は、就任から17日で辞職した。大半の部隊が街頭から撤収し、文民であるマウンマウン博士を大統領とする暫定政権が、8月19日に発足した。8月26日、ラングーンのランドマークであるシュエダゴン・パゴダで、約100万人が抗議行動に集まった。1991年にノーベル平和賞を獲得することになる民主化指導者アウンサンスーチー氏も演説を行って軍事政権に反対し、権威主義体制の終結を訴えた。8月から9月にかけて、抗議行動は連日続き、参加者は仏教僧や学生、コミュニティ・リーダーと共に、地域行政委員会を組織した。
9月18日に国軍はクーデターを行い、ソウマウン将軍を議長に、国家法秩序回復評議会(SLORC)が創設された。9月18日と19日、兵士は街頭に再登場し、非暴力のデモ隊に実弾射撃を行って、数千人を殺害した。このほか数千人の活動家が逮捕され、数千人が近隣諸国に逃れた。運動の先頭に立った学生指導者などの活動家は、長期にわたり投獄され、刑務所では拷問などの人権侵害を受けた。政府職員で、弾圧時の人権侵害で責任を問われた者は一人もいない。
民主化運動弾圧の25周年を記念し、ヒューマン・ライツ・ウォッチはビルマ政府に対し、残存政治囚全員を即時釈放し、今日まで使われてきた、非暴力の抗議行動を防止または制限する法律をただちに廃止するよう、繰り返し求めた。政府は、1988年以降に政府が行った大規模な弾圧を調査し、責任者の訴追を勧告することを任務とする、完全に独立した組織を、幅広い構成員を募って設置すべきである。また、1988年の出来事とその後の政府の弾圧について、様々な人々に真相を語るよう、促すべきである。
「政府が過去の残虐行為を認め、積極的に責任を追及するならば、8888の記念日は、数十年にわたる抑圧的な支配に向き合う、重要な機会となるだろう」と、前出のアダムスは述べた。「軍隊と政府が事実の否定から受け入れに、また、不処罰から責任追及に向かうのならば、新時代のはじまりにすらなるだろう。」
この数週間、テインセイン政権は、記念コンサートや展覧会など、25周年記念の公開イベントの開催を多数許可している。元政治囚が主催する3日間の記念イベントは、経済の中心地であり、多数の犠牲者を出す弾圧が起きた、ラングーンで開催される。イベントは、地方都市でも許可された。主催は、かつての反体制運動の指導者で、中には25年の亡命生活を経て帰還が許された人もいる。1988年の出来事を記録し、過去には発禁とされた書籍が、スウェーデン人ジャーナリストのバーティル・リントナー『憤怒(Outrage)』など草分け的なものをはじめ、現在はビルマ語と英語で堂々と販売されている。
ヒューマン・ライツ・ウォッチはまた、政府に対して、1996年12月のラングーンでの学生デモ、2007年9月の仏教僧が主導したデモなど、過去25年間に起きた、非暴力抗議行動への暴力的な弾圧について、独立した調査を行うよう強く求めた。なお、2003年5月に上ビルマのディペインで起きたアウンサンスーチー氏とNLD支持者への襲撃事件では、数十人の犠牲者が出ているが、こうした事件についても、独立した調査はまったく行われていない。
「テインセイン政権が、民間の記念イベントを許可したことは重要だが、政府はさらに踏み込むべきだ。国軍の犯罪を認め、統治のあらゆる側面から軍の影響力を排除すべきである」と、アダムスは指摘した。「1988年の弾圧の残虐さは、恐怖が蔓延したこの25年において、国軍支配の継続の原動力の一つとなった。過去の人権侵害の実態と責任を明らかにすることが、ビルマ社会が前進するにあたっての、絶対的な条件である。」