Sierra Leoneans sit in front of a television relaying images from the Special Court for Sierra Leone in The Hague
on the day of the Taylor verdict, April 26, 2012. The Special Court Outreach and Public Affair section sponsored the outdoor event, which took place at the site of mass graves near the village of Mathiri in Port Loko district.

Photo courtesy of the Special Court for Sierra Leone

(ブリュッセル)-シエラレオネ内戦時の「戦争犯罪」および「人道に対する罪」におけるチャールズ・テーラー元リベリア大統領の裁判は、おおむね順調に進んだと評価できる、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書内で述べた。質の高い弁護、確かな証人の取り扱い、被害地域への積極的な働きかけなどの結果である。同時にヒューマン・ライツ・ウォッチは、最高権力者を容疑者とする国内法廷や国際法廷、あるいは、国内と国際のハイブリッド(混成)法廷について、将来改善すべき点を分析した。

報告書「たとえ『大物』でも裁かれねばならない:チャールズ・テーラー裁判の教訓」(全55ページ)は、国連が後押しするシエラレオネ国際戦犯法廷によるチャールズ・テーラー裁判の実状とその影響について分析。同法廷の効率性や公平性、証人、情報提供者に関連した諸問題など、裁判過程を精査している。また、テーラーの犯罪で最大の被害を受けた地域共同体が、訴訟手続にアクセスできるようした法廷の取り組み、シエラレオネとリベリアの人びとが裁判をどのように評価したかや、有罪判決がすぐにもたらした影響についても精査している。

ヒューマン・ライツ・ウォッチの国際司法研究員で、本報告書著者のアニー・ゲルは、「最高権力者の最も重大な犯罪のしっかりした訴追が可能だということを、テーラー裁判が示した」と指摘する。「道のりは長く、改善の余地もあったとはいえ、訴訟手続は比較的よく管理されていた。証人は100人を超えた。専門性の高い弁護人たちも裁判過程をより確かなものにした。」

本報告書は2011年9月〜12年6月にかけて、シエラレオネ、リベリア、ハーグ、ロンドン、そしてニューヨークで行った調査に基づいている。

2002年〜06年に旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷で元セルビア共和国大統領スロボダン・ミロシェビッチが裁判にかけられ、国家指導者を国際法廷やハイブリッド法廷で裁くことの実行性について批判や懸念が生じる中で、今回のテーラー裁判が行われた。ミロシェビッチ裁判はたびたび混乱状態に陥った上に、被告が判決前に死亡してしまったことで知られている。

テーラー裁判では、訴訟手続を損なうような大きな混乱がほとんどなかった。テーラーが弁護人を依頼することを決断をしたことが、法廷が全般的に秩序正しく行われたことの主な要因のひとつだ。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、今回のような裁判を将来扱う法廷は、裁判のマネジメントを強化するための措置を講じるよう提案。テーラー裁判の裁判官陣は、野心的な公判日程を組み、断固とした期限順守を関係者に求めるなど、明らかに効率性改善を追求した手法を採用したが、それが時として裁判の遅れももたらした。また、同法廷が証言や犯罪の証拠提出に非介入の方針であったことも、訴訟手続を長引かせる結果となった。

公判開始に先立つ被告側の懸念に応えるため、法廷がより積極的に取り組めば、もっとスムーズな進行と公平性の改善がありえたと考えられる。検察側による捜査中における証人や情報提供者となる可能性のある人に対する金銭支払いに関するガイドラインの透明性を高め、強化することも効果的であったはずだ。

テーラーのような人物の裁判は、法廷内の効果を越えた意義を持つ。極めて重要な目的のひとつは、犯罪の被害を最も受けた地域共同体にアカウンタビリティ(真相究明と責任追及)が実現されたという感覚をもたらすことだ。そのことで、「法の裁き」と正義が当事地域に共鳴し、重要な意味を帯びる。

前出のゲル研究員は、「法廷の積極的なアウトリーチ活動が、裁判をシエラレオネとリベリアの地域共同体にとって身近なものにし、また訴訟手続説明の助けとなった」と述べる。「裁判の影響を評価するのは困難だ。が、シエラレオネとリベリア人びとは、『法の裁き』への一層の期待を表し、自国内の『法の支配』促進に関心を寄せるようになった。」

「法の裁き」実現に対する期待が増したことで、逆に、シエラレオネリベリアに横行するアカウンタビリティの欠如に対し、人びとがもっとフラストレーションを抱くようになったという面もある。シエラレオネ内戦時に行われた犯罪に与えられた恩赦は同国内で効力を持ち続けており、リベリアも、武力紛争の際に起きた犯罪の捜査・訴追を未だに実行していない。

前出のゲル研究員は、「特別法廷の管轄外で起きたシエラレオネとリベリアでの重大犯罪についても、国内の捜査機関が捜査を行うことが必要だ。そうしなければ、『法の裁き』はより完全なものにならない」と述べる。「両国の政府は、自国内で起きた重大犯罪に対する『法の裁き』実現に向け、具体的な措置を講ずるべきだ。」

背景

テーラーはリベリア政府に対する反乱を8年間率いた後の1997年8月2日、同国大統領に就任。2003年まで続く任期の間、その統治は広範囲に行われた人権侵害に特徴づけられる。テーラーの軍隊はまた、シエラレオネ、ギニア、コートジボワールを含む隣国の武力紛争に加わり、国境を越えた襲撃や無数の人権侵害を行った。

シエラレオネ国際戦犯法廷は2003年3月7日、シエラレオネ内戦時の戦争犯罪と人道に対する罪などの国際人道法に対する重大な違反容疑で、テーラーを非公開で訴追した。

テーラーのリベリア国内での弾圧は、政権転覆を目指す反乱をあおった。反乱勢力がリベリアの首都モンロビアに流入し、しかもシエラレオネ国際戦犯法廷が訴追を公開したことを受け、テーラーは2003年8月に大統領の座を退いた。ナイジェリアが彼の亡命を受け入れたため、同法廷に出頭するまで同国に滞在していた。

テーラーの身柄は2006年3月29日に同法廷の管轄下に移された。西アフリカ地域の安定に対する懸念から、裁判はシエラレオネの首都フリータウンよりオランダのハーグに変更。公判は2007年6月4日に開始されたが、同日のうちにテーラーが弁護団を解任したことから延期となった。新たな弁護団が翌月に任命されると、公判は2008年1月に再開され、2011年3月11日に正式に終了した。

テーラーは2012年4月26日、第2次世界大戦後のナチス指導者に対するニュルンベルク裁判以来、国際法廷あるいはハイブリッド法廷において国際法違反の重大犯罪で判決を下された、初の元国家元首となった。

テーラーは、犯行をほう助し煽動したことを理由に個人責任を負うという理論に基づき、訴追された11容疑すべてに、合理的な疑いを差し挟む余地なく有罪、という判決を言い渡された。加えて、1998年後半にシエラレオネ東部のダイヤモンド資源が豊富なコノ地方と北部の経済中心地マケニ襲撃を計画、1999年初めにはフリータウン襲撃を計画した容疑でも有罪となった。こうした襲撃計画がなされたのは、戦争犯罪と人道に対する罪が行われていた時期に該当する。

シエラレオネ国際戦犯法廷は5月18日、2,500超ページの判決全文を公表。テーラーは5月30日に、50年の刑を言い渡された。が、検察側と弁護側の双方が控訴の意向を明らかにしている。判決に至るまでの長さと事案の複雑さをかんがみると、控訴審理には少なくとも15カ月を要し、控訴審判決が2013年9月以前に言い渡されることはないとみられる。