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フィリピン:政治的殺害を訴追せよ

訴追の懈怠と証人保護の欠如が、政府の不処罰をもたらしている

(ニューヨーク・)- フィリピン政府は近年おきた何百もの超法規的処刑に責任のある軍のメンバーをしっかりと訴追すべきである、とヒューマン・ライツ・ウォッチは、本日発表した報告書で述べた。

84頁にわたる報告書は、「恐怖ゆえの沈黙:フィリピンでの超法規的殺害に対する不処罰」と題するもので、100以上ものインタビューに基づいている。この報告書は、フィリピン政府軍が、左翼政党やNGO、ジャーナリスト、声を上げる聖職者たち、採鉱反対者たち、農業改革のための活動家たちの殺害や「失踪」に関与していたことを詳述している。現在まで、最近の超法規的殺害に関与した軍のメンバーに対する実効的訴追はなされていない。

「左翼活動家やジャーナリストに対する『汚い戦争』が軍により遂行されていることについて、確たる証拠がある」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチのアジア局局長代理ソフィー・リチャードソンは述べた。「これらの殺害の容疑者たる軍人や警察官が訴追されていないことは、政府高官の責任につながる。」

数十年にわたる政府と共産主義新人民軍(NPA・New People’s Army)との武力紛争において、人権侵害はよくおきていたが、2006年2月、グロリア・マカパガル・アロヨ大統領が、軍事クーデターの首謀者たちと関連していたとして左翼政党を非難した後、違法な殺害がとくに頻繁に起こるようになった。2006年6月、アロヨ大統領は、NPAを撲滅するために新しく「全面戦争(”all-out war”)」政策を宣言したが、これは、軍に対して、人権侵害を許容するとのメッセージを送りかねないもの
だった。NPAもまた、誘拐、違法な殺害などの人権侵害行為を行ってきており、ヒューマン・ライツ・ウォッチはこれを非難してきた。しかし、これら反政府団体が人権侵害行為を行うからといって、政府や軍がなす超法規的殺害や強制的失踪などの人権侵害は、いかなる人に対してであっても正当化されない。たとえ、政治的団体や市民社会組織が、反政府団体に対して同情的であっても、である。

ヒューマン・ライツ・ウォッチが文書化した政治的殺害の犠牲者は、多くが、合法政党や合法組織のメンバーである。軍は、これらの団体が共産主義運動に関連していると主張している。ヒューマン・ライツ・ウォッチが調査した中には、軍隊に対する武装衝突に参加した者や、また、その他NPAの軍事行動に参加した人もいなかった。そして、すべての犠牲者は、個別に殺害のターゲットとされていたと思われる。

2006年5月29日朝、NPAのビコル地区元司令官であるソテロ・ヤマスは、彼の出身地であるアルバイ州タバコ市で車に乗っているところを、オートバイに乗った男に銃撃されて殺された。ヤマスは、1995年にNPAのメンバーであることを理由に投獄され、1996年に釈放されて、和平協議のための顧問となり、その後、バヤン・ムナ党の設立メンバーとなった。警察は、2006年2月、反乱および暴動、アロヨ政権転覆の謀議に関係したとの罪で51人を起訴したが、ヤマスはそのひとりであった。裁判官は訴えを却下したが、国家検察官は事件を再度裁判所に訴え、この事件は彼の死亡時点においても未だ係争中であった。

2006年5月21日にフィリピン統一キリスト教会のメンバーであるアンディ・パウィカン牧師が死亡した事件への、軍の関与について、現在潜伏中の3人の証人が、ヒューマン・ライツ・ウォッチに話をしてくれた。パウィカンと、彼の妻、彼の7ヶ月の娘、そして、他の3人の女性たちは、教会から自宅に向かって歩いたところ、20人程の軍人から止められた。パウィカンの妻を含む女性たちは、その場を立ち去ることを許されたが、軍人らは、赤ん坊を抱いたままのパウィカンを拘束した。約30分後、先ほどまでパウィカンと共にいた者たちは「たくさんの」銃撃の音を聞いた。彼らは捜索できないほど恐怖におののいていた。しばらくの後、軍人の一行がやってきて、赤ん坊をパウィカンの義母に返した。赤ん坊は、血まみれになっていたが、けがはしていなかった。翌日、その地域の第48歩兵隊の軍人たちが、村人に対し、パウィカンは軍人相手に戦ったため、撃ち殺すしかなかったのだと説明した。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、フィリピン政府が、政治的殺害の犯人たちを処罰するという国際人権法上の義務を継続的に懈怠していること、そして、またそれにより被害者家族の正義をも否定していることを認識した。訴追に対する明らかな障害は、部下の行為についても上官には上官責任として法律上責任を問われうることを、軍の上官が認識することにさえ消極的なことだ。フィリピン国軍(AFP)参謀長エルモゴネス・エスペロン・ジュニア(Hermogenes Esperon Jr.) 将軍は、メディアに対し「刑法は当該個人にのみ適用される。」と述べた。

フィリピン国家警察は、被疑者を特定して検察官あるいは裁判所に対して犯罪を付託した場合には、たとえ、証拠や主張が非常に不確かで、事件の追求が可能かについて重大な疑いが生じるような場合であっても、その事件は「解決済み」と分類をすることが多い。起訴された被疑者は滅多に身柄拘束されることはなく、多くの事件では逮捕されることもない。家族は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対して、捜査の状況について警察からほとんど情報が提供されないと述べた。また、被害者の家族からの質問や心配について、警察にはほとんど全く関心がないと述べた。一人の未亡人は、「(夫が)殺されてから、警察からは何の連絡もありません。・・・だから私たちは警察が信用できないのです。すでに約2ヶ月もたっているのに、捜査が終了していないようなんですから。」と述べた。

「軍は文民統制に服します。しかし、政府は、一番大事な業務である市民を守ることのためには、その権能を行使しない。」と、リチャードソンは述べた。「政府は、被害者とその家族に対し、もっとしっかりと対応しなくてはならない。」

国際的な圧力が高まるにつれ、2006年8月、アロヨ大統領は特別警察(special police body)である、特別捜査班ウシグを設置し、10週間以内に10つの事件を解決するようにとの任務を課した。この任務の最終段階で、この特別捜査部班は、21の事件は、特定された被疑者を裁判所に訴えたことですでに解決済みであると主張した。そこで被疑者とされたのは、すべて、フィリピン共産党、あるいは、NPAのメンバーであった。実際に警察の留置所に拘束されているのは、これらの事件の被疑者のうちたった12人である。

2006年8月、アロヨ大統領は、2001年からのメディア関係者と左派の活動家に対する殺害事件について、さらなる調査のため、メロ調査委員会を立ち上げた。この委員会の報告書――超法規的処刑に関する国連特別報告者フィリップ・アルストン氏からの圧力でやっと公開にこぎつけたものだが――には、事件に関する新しい情報や分析は何も含まれていなかった。委員会の聞き取り調査では、軍と警察の職員らは上官責任についての歪んだ理解を披露しても何ら問題にされることもなく、その代わりに、NPAの脅威を中立化(neutralize)する重要性という本論から外れた議論に多くの時間が費やされていた。メロ委員会の権限は2007年6月30日に終了する。

政府は、人権侵害を解決するためにすべてできることはやっていると主張するが、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、殺害を終わらせ、犯人を訴追するための具体的なステップはわずかしかとられていないと述べた。紙の上では、フィリピンには、証人保護の制度、政治的殺害を調査する特別法廷、超法規的処刑を調査する多くの政府の対策本部や委員会があるとされるが、フィリピン政府はこれらの手段を説得的で信頼できる方法で実行していない。このことで、特に影響を受けている地域のコミュニティで、さらなる軍の人権侵害に対する広範な恐怖感が蔓延している。証人や被害者の家族は、報復の標的とされることを恐れ、警察に協力できなくなっている。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、フィリピン政府に、フィリピン国軍およびフィリピン国家警察に対していかなる人に対する超法規的殺害も一切禁止することを再度明らかにする命令を即時に出すようにと要求した。さらに、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、アメリカ合衆国に対し、殺害に関与したと疑われる軍のメンバーが訴追されるまで、フィリピンに対する軍事援助を一時停止することを検討するよう要求した。

「行動は言葉よりも雄弁である。そして、真にこうした殺害を終わらせるという政府のコミットメントを示す唯一の行動は、犯人たちを、裁判所で法の下処罰することに他ならない。」とリチャードソンは述べた。「アロヨ政権の軍と警察が、被疑者がたとえ軍のメンバーであったとしても、自らの責任で犯罪を調査して犯人を訴追するまで、フィリピンでは殺人を犯しても逃げおおせるという状態が続くだろう。」

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