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米国・フランスが支えたチャドの独裁者

組織的な人権侵害にもかかわらず支援を得たハブレ前大統領

(パリ)— 米国とフランスは、チャドの独裁者だったイッセン・ハブレ前大統領をかつて支援していた、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表のふたつの報告書で述べた。前大統領は在任中の残虐な行為の罪を問われ、今年5月30日に終身刑を言い渡されている。

報告書「独裁者の作り方:1982〜1990年代の米国とチャドのイッセン・ハブレ」(全64ページ)および報告書「イッセン・ハブレ:フランスが支え、アフリカが有罪判決を下した男」(全142ページ)は、ハブレ前大統領が残虐行為に関わっているとの評判をよそに、フランスと特に米国が彼の権力掌握で重要な役割を果たしたことを詳述。前大統領が広範で組織的な人権侵害を行っていたにもかかわらず、米国とフランス双方がハブレ政権を強力に後押ししていた実態を明らかにした。両国は前大統領を、当時チャド北部を占領していたリビアのカダフィ大佐の拡張主義に対する防波堤とみなしていた。

前大統領による人権侵害の被害者と共に1999年から活動しているヒューマン・ライツ・ウォッチの顧問リード・ブロディは、「米国とフランスはハブレ前大統領の残虐行為をはっきり把握しながらも、彼の在任期間を通じて支援を続けた」と指摘する。「両国は、人道に対する罪で有罪判決を受けるような人物を、なぜ、そしてどのように支援するに至ったのか検証する必要がある。」

Chadian president Hissène Habré with US president Ronald Reagan at the White House June 1987.  Courtesy of Ronald Reagan Presidential Library and Museum

前大統領はセネガルの裁判制度内に設置されたアフリカ特別法廷(EAC)で、人道に対する罪、戦争犯罪、そして性暴力・レイプを含む拷問などの罪を問われ、終身刑を言い渡された。前大統領が法の裁きを受けることを目指して、被害者たちが20年以上にわたり活動してきた末の有罪判決だった。

米国およびフランスは公式に調査委員会を設置し、自国の関係者が当時進行していた国際犯罪についてどれほど把握していたのか、かつこれら犯罪になんらかの対策を取っていたのか否かを検証する必要がある。

ジョン・ケリー米国務長官は、この「画期的」な有罪判決を歓迎し、「チャド国内で過去に起きたことと米国との関係に立ち返り、そこから学ぶ機会になった」と述べている。

ハブレ前大統領の一党支配は、民族浄化の嵐など、広範な残虐行為によって特徴づけられる。ヒューマン・ライツ・ウォッチが2001年に発見した前大統領の政治警察「文書管理・保安局」(以下DDS)の文書には、殺されたり拘禁中に死亡した1,208人、および人権侵害の被害者1万2,321人の氏名が記載されていた。

1981〜82年にレーガン大統領の下で、米国は親リビア派とみていたグクーニ・ウェディ大統領(当時)を退けようと、ハブレ氏率いる反乱軍を水面下で支援。政権樹立後も軍事や安全保障面で数百万ドルを援助した。チャドにおける国際犯罪への米国の直接的な関与や、積極的な加担の証拠はない。しかし、2014年11月にチャドで行われた拷問にまつわる事案の裁判で、DDSの元局長が「あるCIA諜報員から常に助言を受けていた」と証言している。発見されたDDSの文書には、ある米国大使館職員がチャド側からDDSとの「仲介役」と目され、かつ、ザガワ(Zaghawa)民族がもっとも激しく弾圧されていた時期に、その職員がDDS本部を訪問した記録が残っている。この本部には、拷問部屋やLa Piscine (仏語でプールの意)地下刑務所があった。
 
米国はまた、捕虜となったリビア軍兵士による反カダフィ小規模軍隊「コントラ」(Contra) を編成し、彼らをチャドに設置した秘密基地で訓練した。 「コントラ」部隊長だったハリファ・ハフタル(Khalifa Haftar)は、リビア東部の大半を支配するリビア国軍を現在率いている。

1974年にフランスの人類学者Françoise Claustre氏がチャド軍に拉致され、翌年には彼女の解放を交渉するためにチャドを訪問したPierre Galopinキャプテンが殺害されたにもかかわらず、フランスもハブレ前大統領を後押していた。武器や後方支援、情報を提供するだけでなく、チャドがリビア軍に対抗できるよう、自ら大規模な軍事作戦も展開したのである。チャド軍の全部門にフランス人の軍事顧問が配置されていた。また、フランスの諜報機関である対外治安総局(DGSE)と国軍は、DDSおよび陸軍の将校を訓練。訓練は時にフランス国内でもおこなわれた。こうした将校の中には、1990年のクーデターでハブレ前大統領を追放したイドリス・デビ現大統領や、現在も逃走中のGuihini Korei元DDS局長などもいる。

French president Francois Mitterrand (Right) and French Prime minister Jacques Chirac (Center) during a breakfast with Chadian President Hissene Habre (Left) during the 13th annual Franco-African summit meeting, on November 14, 1986 in Lome, Togo. © 1986 Daniel Janin /AFP/Getty Images

1983年半ばのある件では、フランスは約30人の傭兵をチャドに派遣し、リビアや国内の親リビア派に対抗してハブレ前大統領が権力の座を維持できるよう支援。ファヤ・ラルジョー(Faya-Largeau)の戦いで、フランス傭兵部隊はチャド軍とともに戦った。この際チャド軍は重大な人権侵害を犯している。この直後にフランスは、アルジェリア戦争以来の大規模な軍隊派遣となるマンタ作戦(Operation Manta)を開始した。

オバマ政権は、被害者たちが法の裁きを求めるキャンペーンを強力に支援してきた。セネガルのマッキー・サル大統領とダカールで2013年6月におこなった会談で、オバマ大統領はハブレ前大統領を訴追したセネガルの努力を称えている。結審後の2016年4月、サマンサ・パワー米国連大使がチャドで被害者およびその弁護士たちと面会し、先駆的な活動を賞賛。特別法廷の予算である1,100万米ドルのうち米政府が100万米ドル、フランス政府が30万ユーロを負担した。

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