Democratic Republic of Congo, Approximate Area Controlled by Mutineers as of June 1, 2012.

© 2012 John Emerson/Human Rights Watch

(ゴマ、2012年6月4日)-ルワンダ政府軍高官らが、国際刑事裁判所(以下ICC)に戦争犯罪容疑で指名手配されているボスコ・ンタガンダ大将による、コンゴ民主共和国(以下DRC又はコンゴ)東部での反乱に対し、武器を与え軍事支援し続けている、と本日ヒューマン・ライツ・ウォッチは述べた。

ルワンダ政府軍高官らは、ンタガンダにルワンダ入国を許すと共に、新兵と武器弾薬を提供してきた。ICCは子どもを徴兵し戦闘行為に従事させた容疑で、ンタガンダの逮捕状を発行し、指名手配している。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ上級アフリカ調査員のアニカ・ヴァン・ウッデンバーグは「一部のルワンダ政府軍高官らがICC指名手配中の戦争犯罪容疑者を支援し匿っており、看過できない。ルワンダ政府は直ちに、ンタガンダへのあらゆる支援を取りやめ、彼の逮捕に向けて協力しなくてはならない」と語る。

2012年5月にヒューマン・ライツ・ウォッチが行った現地調査では、ルワンダ政府軍当局者がコンゴ東部のルチュル郡で、ンタガンダの反乱支援のため、武器弾薬と新兵200人から300人を提供したことが明らかになった。新兵にはルワンダのムサンゼとルバブ地方で強制徴兵された民間人も含まれており、中には18歳未満の子どももいた。目撃者の話によると、新兵の一部は逃げようとして、ンタガンダ部隊の命令により、即決処刑された。

ンタガンダ部隊に強制徴兵され、後に脱走したあるルワンダ人は、「逃げようとして殺された人を6人見ました。射ち殺されたんです。その死体を埋めるよう命令されました」と、ヒューマン・ライツ・ウォッチに語った。目撃者らがヒューマン・ライツ・ウォッチに語ったところでは、ルワンダ政府軍当局者がンタガンダ部隊に供給した武器は、カラシニコフ突撃銃・手榴弾・機関銃・対空砲などだった。新兵は、反乱の拠点であるコンゴ東部ルンニョニにそれらの武器を運んだ。

ルワンダから入ってきた新兵と武器弾薬は、ンタガンダとその部隊への重要な支援となり、ンタガンダ部隊がコンゴ軍の軍事攻撃から、ルンニュニ、チャンズ、ムブジにある高台と周辺の村々に築いた陣地を守るのに役立った。

ンタガンダの反乱に武器弾薬を提供するのは、国連安全保障理事会によるコンゴへの武器禁輸措置に違反する。同措置では、全ての国々は、「コンゴ民主共和国の領土内で活動する、全ての非政府組織と個人に、自国領土から或いは自国民による、武器とそれに関係する物資の提供・売却或いは譲渡、及び軍事活動に関係した援助・助言或いは訓練を直接若しくは間接に提供する行為を禁止するため、必要な措置を取らなければならない」と規定されている。

ルワンダ政府当局者は、ンタガンダ自身や彼の部隊員が、逮捕から逃げ、コンゴ武装軍部隊からの攻撃を避け、或いは反乱への軍事的支援を求めるためにルワンダに入国するのをも許可した。5月26日には、ルワンダのキニギのブショコロ酒場で、あるルワンダ軍将校と会談中のンタガンダが複数の人びとにより目撃されている。キニギは、ンタガンダの故郷で、親戚関係者がいる町だ。ンタガンダのルワンダ滞在中にルワンダ政府当局者が彼を逮捕しようとした痕跡は全くなかったことを、ヒューマン・ライツ・ウォッチは明らかにした。

ヒューマン・ライツ・ウォッチからの質問に対し、ルワンダ防衛軍スポークスマンは、ルワンダ政府はコンゴ東部には如何なる関与もしていないという内容の5月28日付ルワンダ外務大臣声明を参照するようにと応えた。

前出のヴァン・ウッデンバーグ調査員は「逮捕される恐れもない状態でンタガンダにルワンダへの出入国を許したルワンダ政府は、ンタガンダとその部隊が行った戦争犯罪の被害者が求めている正義の実現に真剣に取り組んでいないというシグナルを発している。ルワンダの友好国は、ルワンダ政府がこの地域の不処罰問題を助長するのではなく、不処罰の終焉に向けて支援するよう、強く主張しなければならない」と語る。

ンタガンダは、ICCの逮捕状で指名手配されているのに加えて、国連安全保障理事会の制裁リストにも掲載されており、コンゴ国外への如何なる移動も禁止されている。他の国々と同様、ルワンダ政府には制裁リストに「掲載されている全ての者に、自国領土への入国或いは通過を禁ずるよう必要な手段を取る」義務がある。

コンゴ軍の将軍であったンタガンダは、コンゴ政府がンタガンダ支配の弱体化に向けた行動をとりだすとともに戦争犯罪容疑での彼の逮捕を求める声が高まったことを受け、6月末にコンゴ東部で反乱を開始。北キブ州マシシ郡内で反乱に参加した兵士は300人から600人と推計され、更にキロリルウェ周辺で少なくとも149人の子どもと若者男子が強制徴兵された。ンタガンダ部隊は、5月初旬にコンゴ軍に敗北し、マシシ郡から追放された。

5月3日、別のコンゴ軍将校スルタニ・マケンガ大佐が、コンゴ東部で別の反乱を開始した。マケンガは、ンタガンダと共に、以前、コンゴ国内で民間人に対して無数の残虐行為を働いてきた、旧反政府勢力・人民防衛国民会議(以下CNDP、ルワンダが支援)のメンバーだった。マケンガのスポークスマンは、5月6日の記者会見とヒューマン・ライツ・ウォッチからの聞き取り調査の中で、マケンガの反乱は、2009年3月23日にCNDPとコンゴ政府の間で成立した和平協定にちなんでM23(March 23)として知られているが、その反乱の目的は、ツチ族コミュニティーの不平不満とコンゴ軍内の状態を浮き彫りにするためだと述べた。

脱走或いは除隊した反乱兵士たちはヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、2つの反政府勢力は別物ではなく、ンタガンダとマケンガはランヨニ地区から共に活動していると話していた。これらの目撃者らの話では、ンタガンダは部隊全体の指揮をとり続けているという。

ンタガンダはランヨニにいることを表向きには否定している。彼は5月29日にBBCのキンヤルワンダ語ラジオ放送で、自分はマシシ郡にいて、マケンガのM23部隊の側で戦っていない、と述べた。しかし、彼の主張は、5月にランヨニ内で彼を見たという、ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じた多数の目撃者の話と矛盾している。

国連コンゴ(民)安定化ミッションであるMONUSCOもまた、ルワンダ内でのンタガンダ部隊のための徴兵について情報を収集した。BBCが5月28日に放送した、リークされた国連の内部報告に基づく報道では、ルワンダ人11人(うち1人は子ども)が国連の基地に来て、ルワンダ国内で嘘の説明を受けて徴兵されンタガンダ部隊に加わったと語った。

ルワンダ政府はンタガンダ部隊への支援提供を否定している。ルワンダ外務大臣ルイーズ・ムシキワボは、BBCの報道に対応して5月28日に出した公式声明で、BBCの報道を「全くの誤った情報で危険極まりない」と述べた。5月31の声明で、ムシキワボはMONUSCO を、「コンゴ民主共和国東部に於ける一触即発の状況悪化を狙って、誤った噂を広めている」として批判し、更に「ヒューマン・ライツ・ウォッチのようなロビー団体の無責任な言葉は、銃弾やナタに劣らず危険である」と主張した。

「ンタガンダへの武器提供は、既に戦争犯罪で指名手配されている男による、更なる重大な人権侵害を可能にしてしまうのである。ルワンダ政府は、自軍当局者によるンタガンダへの支援という重大疑惑を調査し、コンゴ政府がンタガンダを逮捕しICCに引き渡すことに協力すべきである」と、前出のヴァン・ウッデンバーグ調査員は語る。

 

ルワンダでの徴兵

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、5月初旬に反乱部隊がルツシュルに到着した後、ンタガンダの反乱から逃亡或いは脱退した人びと23人、その他人権侵害の目撃者、コンゴ人民間人、軍当局者、ンタガンダ部隊員に聞き取り調査を行った。それらの人々のうち、ルワンダで9人、コンゴで7人、ウガンダで1人が徴兵されており、全員がルワンダの民間人だった。また、ここにはコンゴで徴兵されたコンゴ人の子ども2人と、当初反乱に加わったが後に心変わりしたコンゴ人脱走者4人も含まれている。別々に聞き取り調査をされた目撃者の話では、ンタガンダ部隊の中にはルワンダで徴兵された数百人の人びとがいたという。

ルワンダで徴兵された人びとは、強制されたか或いは金を稼げる若しくはルワンダ軍に加われるという、嘘の説明を受けて徴兵された。その一部は、コンゴで活動中のルワンダ人フツ族が大半を占める反乱勢力であった、ルワンダ解放民主軍(以下FDLR)から動員解除された元戦闘員だった。その他は以前に軍事訓練を受けたことのない民間人だ。幾つかの報告によれば、強制徴兵された者の多くが、18歳未満の子どもであった。

ルワンダで徴兵された者の幾人かは、ムサンゼ(旧ルヘンゲリ)そしてルワンダ北西部ムサンゼ地方キニギの町近くの道路脇や市場から、強制的にキニギ軍基地に連れ去られた、と話していた。その他の者は、ルバブ地方のムデンデ地区で徴兵されていた。キニギには大規模なルワンダ軍が駐屯しており、又、マウンテンゴリラ・ツアーの出発地となっている火山国立公園の本部がある。キニギでの軍の存在は、重要な観光業を守る一助となっている。

19歳と22歳のムサンゼ地方出身のルワンダ人の民間人は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、ルワンダ軍兵士が5月19日の夕方、街路沿いの映画館から自分たちを強制的に連れ去った、と話した。その2人の青年男子の話によると、兵士たちは、映画を見ていた約30人の青年男子と少年を捕え、トラックに無理やり乗せた。

もう1人のルワンダ人(31歳)新兵は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、4月下旬に食品を求めて行ったキニギ市場からルワンダ軍兵士によって拉致された、と話していた。兵士は約30人の民間人と共に、ルワンダ軍陣地に彼を連れ去った。

元FDLR戦闘員たちは、動員解除コーディネーター或いは他の元戦闘員から、動員解除された戦闘員のための会合に出席するよう言われ、金銭援助を受けられる或いは職を見つけられると思って参加した、と話した。彼らの話では、キニギの軍基地に直接出向いたそうだ。

その軍基地でルワンダ軍兵士は、約40人から75人のグループに新兵を分ける前に、彼らに武器弾薬を渡した。その後、その武器弾薬を運んで、新兵はルワンダ兵士に護衛され、国立公園を通ってコンゴ国境まで行進させられた。国境でルワンダ軍の護衛は、待っていたンタガンダ部隊に新兵を引き渡し、その後はンタガンダ部隊が新兵をコンゴのランヨニまで護衛した。

「キンギからは、ルワンダ軍兵士40人が、自分たちを森の中まで護衛していきました。自分たちは全員で54人いて、内15人は18歳未満、10人は15歳未満でした。何人かは手榴弾を、その他は弾薬箱を運び、自分のようなデカイ連中は、丸太の上に乗せて4人で運ぶ大きな機関銃、『ムツツ銃』を運んだんです。」と、後に脱走した新兵の1人はヒューマン・ライツ・ウォッチに話した。

ランヨニに到着すると、軍事訓練を受けたことのある新兵は、直ちにコンゴ軍と闘うため前線陣地に配置された。民間人の新兵の一部は、銃の使い方などの基本的軍事訓練を受けた後に、やはり前線に配置され、その他は避難所の建設、食事作り、或いはランヨニ周辺の殆ど放棄された村々にある民家から食糧その他の物品を盗むことを命じられた。

あるルワンダ人の民間人新兵はヒューマン・ライツ・ウォッチに、「弾薬をランヨニに運んだ後、アイツラ(反乱軍参加者)は僕たちに銃をくれて、戦いに行くよう言いました。訓練なんてありませんでしたよ。銃の使い方と撃ち方を見せただけです。僕自身その後前線に行きました。」と話した。

ヒューマン・ライツ・ウォッチへの話の殆どで、新兵をンタガンダ部隊に引き渡した後、ルワンダ兵はキニギの軍基地に帰っている。しかし、新兵はヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、ルワンダ兵は時折新兵たちと共にランヨニまで来て、コンゴ軍の制服に着替えた後、ンタガンダ部隊の側で戦闘活動に参加した、と話した。

5月19日にムサンゼ周辺で徴兵されたルワンダ人の民間人新兵は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、「[ランヨニでも]沢山のルワンダ軍兵士を見ましたよ。何人いたかは分かりません。到着すると、ルワンダ軍の制服を脱いで、反乱軍兵士の制服を着てました」と話した。彼は1人のルワンダ兵を特定する事が出来た。その兵がルワンダの故郷の町で任務についていた将校であることを知っていたからだ。

新兵の即決処刑

ンタガンダ部隊からの脱走を試みた、或いは働く事や戦う事を、疲労を理由に拒否した者は、厳しく処罰された。ヒューマン・ライツ・ウォッチが収集した話によると、その一部は即決処刑された。

ある強制徴兵されたルワンダの民間人は、ヒューマン・ライツ・ウォッチに、「逃げようとしたために殺された人を6人見ました。撃たれていて、死体を埋めるよう命令されました。俺たちはみんな政府軍部隊に逃げたかったけれど、大抵はどうしたらいいのか分からなかったし、こわかった。」と話していた。彼は後に見張っていた者たちが、激しい雨から避難していた際に脱走した。

5月にコンゴ東部のマシシで牛を放牧中に、ンタガンダの側近将校であるボウドゥイン・ンガルイエ大佐に徴兵されたあるルワンダ民間人の話では、ンガルイエ大佐がアガプフニ(小さなハンマー)で、7人の新兵を殺害するよう命令したのを見たそうだ。「長い距離を歩かなければならなかったので、民間人の中には疲れている人がいたんです。それでンガルイエ大佐は、その人たちを殺すよう命令したんです。」

別の件で、ンガルイエ大佐から脱走しようとして捕まった3人を殺すよう命令されたという目撃者の話では、「俺たちはアガプフニで殺しました。最初に縛りあげてから殺りました。1人は25歳、1人は18歳、3番目は20歳位。殺すよう命令されたのは4人。その後ランヨニで埋めました」という。

マケンガ大佐、ンガルイエ大佐、イノサン・ジムリンダ大佐、イノサン・カイナ大佐などンタガンダの反乱に加わった多くの将校が、コンゴ東部での重大な人権侵害に関与した前歴を持っている。彼らが反乱勢力の指揮官或いはコンゴ軍将校だった際に、民族的殺戮、拷問、拉致、広範囲に行われた性的暴力、児童徴兵などを行っている実態を、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、国連人権監視員、そして地元人権保護団体はこれまで取りまとめてきた。

反乱軍指導者が自由にルワンダを訪れている

ヒューマン・ライツ・ウォッチの聞き取り調査に応じた目撃者によると、上記の5月26日におけるンタガンダのルワンダ訪問を別にしても、マケンガ大佐のような反乱に参加した他のコンゴ軍将校が、反乱開始以降ルワンダを訪問している。目撃者は将校たちが国境を越え、ルワンダ軍将校と連絡を取って会談しているのを目撃している。

反乱に参加したものの後に脱走した兵士たちは、ヒューマン・ライツ・ウォッチに対し、マケンガ大佐が5月3日に、彼に従順な兵士グループと共にゴマから逃亡した、と話した。ゴマを出てから、小さな部隊が同市の北にある非公式の国境検問所を通ってルワンダに入り、ルワンダ軍陣地に辿りつくまで国境のルワンダ側を移動している。その翌日、マケンガはルワンダ軍将校と会い、武器弾薬その他の物資の供給を受けた、と目撃者は話した。その後彼らはルワンダ軍兵士に護衛されてカリシンビ火山地区に移動、そこで国境を越えてコンゴに戻っている。その数日後、マケンガはマシシから来たンタガンダ部隊と合流した。

5月11日に反乱軍はランヨニに軍事攻撃を始め、そこに駐屯していたコンゴ軍兵士の小部隊を敗走させた後に、自分たちの主要な陣地を設置した。ルワンダ通過はマケンガに軍事物資の供給を受ける機会を与えただけでなく、彼の部隊がコンゴの道路や小道をたどって移動しないことにより、コンゴ軍兵士の迎撃を避けられた、ということをも意味する。

FDLRによる攻撃

3月下旬にンタガンダと彼の部隊が反乱を始めて以来、北キブ州と南キブ州の多くの地域が他の武装勢力によって占拠されており、その殆どはFDLRである。コンゴ東部で活動中のFDLRの、大半はルワンダ人フツ族で占められており、1994年ルワンダ大虐殺の首謀者らで一部構成されている。ンタガンダの反乱に元CNDPでコンゴ軍に統合した兵士たちが加わり、それまでコンゴ軍が支配していた地域(北キブ州にあるピンガ、ニャヤビオンド、ムパテイ、キブイエなどのの町や村)を無防備状態にした。その際に、FDLRその他の民兵組織がその地域を支配するようになった。コンゴ軍は、FDLRとその同盟組織からその地域を奪還するよりも、むしろ反乱軍を打ち破ることに精力を集中した。

以前コンゴ軍によって支配されていた地域にFDLRその他の勢力が現れることで、FDLRが自身の敵(コンゴ軍)に住民が協力していると非難し、民間人に対して多数の攻撃をもたらした。特に南キブ州のカレヘ郡及び北キブ州マシシ郡のウフマンドゥ地域などにおいて、攻撃は激しかった。そこではFDLRはナタやナイフを使い、多くの子どもを含む、数十人の民間人を殺害している。その報復として、ライア・ムトンボキとして知られる地元自衛組織は、FDLR戦闘員の妻や子どもを襲撃した。

ICC逮捕状の背景

ンタガンダは、2002年と2003年北東部イトゥリ州において別の武装勢力を指揮していた際に、子どもの徴兵と動員という戦争犯罪容疑で、2006年8月以来、ICCから指名手配をされている。、今年3月にICCは設立以来初めての有罪判決を、ンタガンダの共犯であるトーマス・ルバンガ(子どもの徴兵と動員による戦争犯罪容疑)に言い渡した。

ICCに指名手配されているにかかわらず、コンゴ政府は2009年にンタガンダを自軍に統合させ、大将に昇格させた。反乱を起こすまで、ンタガンダはコンゴ東部を自由に歩き回り、コンゴ政府当局者・国連平和維持軍・外交官がいる中、北キブ州都のゴマ市内でテニスをし、最高級レストランで夕食をとっていた。彼を逮捕しようとする措置は全く取られず、一方彼は人権侵害を行い続けた。暗殺、レイプ、拷問、子どもの徴兵など多くの人権侵害を、ヒューマン・ライツ・ウォッチは調査して取りまとめてきている。

ンタガンダの反乱を受けて、ジョゼフ・カビラ大統領は4月11日、ゴマ市内で行った演説の際、コンゴ政府がンタガンダの逮捕を検討していることを示唆した。その後数週の間に、コンゴ軍と政府幹部がヒューマン・ライツ・ウォッチに、カビラがンタガンダの逮捕指示を出したと述べた。逮捕命令は、ンタガンダに対するコンゴ政府の政策に於いて、重大な変化が生じたことを意味した。政府は従前、同国の和平過程にとって、ンタガンダは必要であると主張していたのである。

ICCの検察官は5月14日に、ンタガンダの「人道に対する罪」容疑で追加の申し立てをした。ンタガンダは、2002年から2003年にかけて、コンゴ東部イトゥリ州での活動に関与し、殺人・民族背景による迫害・性的奴隷の行使・略奪などの犯罪で、一定の役割を果たした容疑である。