(ニューヨーク) 武力紛争の和平交渉の際、競合する別の目的を達成するために、残虐行為を犯した戦争指導者の戦争責任の追及を放棄すれば、将来大きな代償を支払うことになるという実態があまりに過小評価されている、とヒューマン・ライツ・ウォッチは本日公表した報告書で述べた。
本報告書「軽んじられる法の正義:平和の実現に、戦争責任の追及が必要な理由」(131ページ)は、ヒューマン・ライツ・ウォッチが、過去20年にわたり、約20カ国で行なった調査結果を再度分析してまとめた報告書。この報告書は、紛争中に行なわれた残虐行為に対する責任追及を放棄すると、将来の人権侵害を促す不処罰の文化の蔓延につながっているという実態を明らかにしている。法の正義の実現は、交渉や平和への移行の妨げとなるというよりも、むしろ、短期的にも長期的にも前向きな成果をもたらす。紛争指導者の責任を追及することによって引き起こされうるマイナス影響についての懸念が語られることが多いが、実際には、そうした懸念が現実のものとなることはほとんどない。しかも、法の正義は、原理原則の問題としても重要である。公正な裁判を通じて、人権侵害の被害者たちが不当で凄惨な苦しみを味わったことを公式に認めることで、被害者の尊厳の回復につなげることができる。
「紛争中に行なわれる和平交渉の段階で法の正義の実現と戦争責任の追及を目指せば、紛争解決の実現を遠ざけてしまうと述べる人は多い。しかし、この主張は実証されていない」とヒューマン・ライツ・ウォッチのインターナショナル・ジャスティス プログラム シニアカウンセルで、この報告書の著者であるサラ・ダレショリは述べた。「訴追を目指せばすべてが終わりだ、というような懸念には根拠がない。逆に、重大な人権侵害を犯した戦争指導者の訴追が行われることで、戦争犯罪容疑者という烙印を押された指導者の政治基盤が弱体化して孤立化するようになり、逆に、和平交渉が前進することもある。」
本報告書では、リベリアのチャールズ・テイラー元大統領、セルビアのスロボダン・ミロシェビッチ元大統領、そしてウガンダの反政府勢力である神の抵抗軍(Lord's Resistance Army)に対する訴追が引き起こした影響について調査・分析。彼らを訴追すれば和平協議に悪影響をもたらすとの懸念を表明する人々も多数いたが、本報告書は、そうした心配は、結局杞憂に過ぎなかったことを明らかにしている。チリのアウグスト・ピノチェト元大統領が英国で逮捕された際も、チリの民主主義への移行に悪影響がでるのではと懸念する向きもあったが、実際には悪影響はなかった。
同時に、深刻な国際犯罪を不問に付し、平和を確実にするためとはいえ戦争責任者を政権に迎え入れてしまうと、逆に、悪い結果につながる場合も多い、とヒューマン・ライツ・ウォッチの調査は示す。
「犯罪に目をつぶり、人権侵害を犯す指導者にも公の地位を与えてしまえば、思いがけない被害をもたらす可能性がある」とダレショリは述べた。「刑事犯罪の容疑者たちを政権に迎え入れることで、国に安定がもたらされるどころか、更なる人権侵害が引き起こされる結果となり、新政権に対する民衆の信頼に傷をつける可能性がある。」
本報告書では、残虐な犯罪に手を染めた武装組織指導者たちが新政権に参加したことから、治安の悪化に拍車がかかったアフガニスタンの例を取り上げている。そうした人物たちまでも政権に参加したことで、多くの一般のアフガニスタン人たちの目には、新政権が正統な政権だと映らなかった。コンゴ民主共和国では、過去に残虐行為に手を染めた反政府勢力の人物たちに政府軍での重要な役職を与えることで和平を実現しようとしたが、現実には、武装闘争を行なっても何の代償も払う必要がないのだとみた反政府武装勢力たちは武装闘争を強化した。ボスニアヘルツェゴビナでは、「民族浄化」に関与した者を1995年のデイトン協定後の政権に残した結果、和平協定の実施が遅れた。
本報告書では、シエラレオネ、アンゴラ、スーダンでの恩赦決定や訴追しない旨の決定の影響についての調査結果もまとめている。ただ、期待されていた平和が、紛争責任を不問にしたことによって実現したという例はなかった。
「戦争犯罪人の恩赦を前提とする和平は、持続可能ではない場合が多い」とダレショリは述べた。「それどころか、恩赦は更なる人権侵害につながることすらある。」
責任追及の道が閉ざされると、被害者たちには、不信と復讐の気持ちが生まれる。こうした人びとの怨念を操る政治家たちが現れ、自分たちの政治目的の実現のために暴力を助長しようとする場合もある。
本報告書は、法の正義の実現と戦争責任の追及は、長期的な効果ももたらすと指摘する。例えば、国内の裁判所における刑事訴追の促進、残虐行為や犯罪行為が資料化され記録として残ること、短期的な犯罪の抑止効果などを挙げる。紛争の再発には多くの要因がある。よって、ヒューマン・ライツ・ウォッチも、紛争責任を不問に付し、人権侵害を行った人物たちに法に基づく責任の追及をしなかったことだけが、紛争再発の唯一の要因であると主張するものではない。しかし、和平交渉で、競合するファクターについて比較検討する際、紛争責任を追及し法の正義を実現することによって生まれる効果が、過小評価されていることが多い。
「和平協定の実現に向けたプレッシャーの下では、法の正義の実現が不必要な贅沢のように見えることもあるかもしれない」とダレショリは述べた。「しかし、紛争責任を不問にして法による責任追及を放棄するという選択は、人命はもちろん、長期的な国家の安定にも悪影響を及ぼす可能性があることを、過去の例は示している。」