赤ん坊が生まれれば、産科医か親、または助産師が「女の子」か「男の子」だったと告知する。地球上の隅から隅まで同じようなやりとりが行われている。その一瞬の「割り当て」が、人生の様々な側面を支配していく。同時に、私たちの大半が、その「割り当て」を疑問に思うことすらない。
でも、疑問に思う人がいることを忘れてはならない。出生時の女の子/男の子という「割り当て」とは異なるジェンダー/性が発達し、厳格で伝統的ないわゆる男性・女性の概念にあてはまらなくなることもある。
こうしたジェンダーの発達が、政府に認められるか否かや、医療・教育・雇用へのアクセスといった基本的な権利を享受できるか否かに、影響を及ぼすようなことがあってはならない。しかしトランスジェンダーの人びとにとってはそれが現実なのだ。しかも、その影響は屈辱的で、暴力に満ち、時には命を奪ってしまうほどに。
「トランス・マーダー・モニタリングプロジェクト」(Trans Murder Monitoring Project)は世界各地で起きているトランスジェンダーの人びとに対する殺人事件情報を収集・分析して報告するイニシアチブで、2007〜14年に世界で1,731件の殺人事件を記録した。その多くは衝撃的なほど残虐で、一部には拷問や四肢の切断も含まれていた。
容赦ない暴力だけがトランスジェンダーの人びとの生活における脅威なのではない。HIVに感染する可能性は一般の50倍といわれているが、偏見や差別が医療へのアクセスの障害となっていることもその原因のひとつだ。米国・カナダ・欧州での研究から、周縁に追いやられ、侮辱される社会の仕組みに耐えかねたトランスジェンダーの人びとの自殺率が極めて高いことも明らかになった。
マレーシアやクウェート、ナイジェリアなど複数の国々は、反対の性として「ふるまうこと」を法で禁じており、トランスジェンダーの人びとの存在そのものを違法としている。ほか多くの国々でも同性愛行為を犯罪と定める法律を適用して、トランスジェンダーの人びとを逮捕している。
このデータから見えてくるのは、トランスジェンダーの人びとが直面する恐ろしい暴力と差別のほんの一部にすぎない。自分で認識しているジェンダーであると法律上認めてもらえず、それに関連する権利・保護もない。よって、身分証明書提示を求められたり、服装や外見をチェックされたりという日常が、暴力と屈辱的な扱いへとすぐにエスカレートしうる。そして、多くのトランスジェンダーの人びとを暗闇に追い立てるのだ。
自認するジェンダー/性を法律上でも認めて欲しいという願いは、多くの政府に倫理上のパニックを引き起こす。しかし、これは重要な闘いだ。トランスジェンダーのコミュニティが活性化するために、そしてプライバシー権、表現の自由、尊厳がすべての人間に保障されるために、人権ムーブメントは、法律上認められる権利を恣意的に妨害する、人権侵害に満ちた差別的な手続きの廃絶を優先課題とする必要がある。国家はもはや、性自認の基本的権利を否定したり、不当に規制する立場にないことを、各国政府は受け入れるべきだ。 [1]
変わりつつある流れ
近年、世界各地のトランスジェンダーの人びとは、自認する性の法律上の認定に向けて、大きな前進を遂げてきた。
アルゼンチンは2012年に法律上の性認定において、画期的な法律で金字塔をうちたてた。18歳以上はだれでも自ら性を選ぶことができ、性別適合手術や司法上・医学上の承認なしに公的書類を変更することもできる。子どもも、法的代理人の同意か、裁判官の立会いのもとの略式手続きで同様の変更が可能だ。
その後の3年間に、コロンビア、デンマーク、アイルランド、マルタの4カ国が、法律上のジェンダー認定に関する様々な障壁を明確に排除。この改革により、「男性/女性」という枠組みの変更を全く認めない国や、限定的条件(手術・強制不妊・精神科医診断・長期の待機期間・離婚など)を満たした場合のみそれを認める国との差が大きくなった。これらの国々では初めて、適切な書類に記入するだけで性別を変更できるようになったのである。
達成まで長い道のりを要したこのような前進は、しばしば好意的とは言いがたい裁判所に対し、自らの生活やアイデンティティを進んで審理させる勇気を持った個人の存在があってこそ実現されてきた。
たとえば、アイルランドの法律上の性認定法案(2015年)は、元歯科医リディア・ホイ氏の22年にわたる法廷闘争のたまものだ。法的手続きの挑戦に勇敢に立ち向かい、彼女は1997年のみならず2007年にも、アイルランド高等裁判所で女性としての性が法的に認められるための裁判を起こした。この闘いの背景には、手術や専門家の意見ではなく、性自認と人権に基づいた性認定手続きを開始するようアイルランドに求めていた、国内外の人権団体の支援があった。絶え間ない圧力がかけられていたにもかかわらず、政府は2015年まで性自認に基づき法律上の性の認定することはなかった。ようやく認めたのは、アイルランドの憲法改正国民投票で婚姻の平等(同性婚)が圧倒的な勝利を収めた後のことだった。
南アジアでは、生まれは男性だが成長とともに女性と自認するに至る人びとを指すヒジュラ(hijras)という第3の性が存在する。これらの人びとは長らく、法的ではないにせよ、文化的に受け入れられてきた。活動家たちは、ヒジュラも第3の性として正式に認められることを目指してきた。これまでも、結婚式の祝福者としての役割など、ヒジュラの伝統的な地位はある程度保護され、うわべだけの尊敬を得てはいた。しかし、法の下で他者と平等とみなされるのではなく、エキゾチックでアウトカーストな存在として、権利ではなく、境界や限界が支配するなかで生きてきたのだ。
ネパール最高裁は2007年の画期的な判決で、個人が「自らをどう感じるか」をもとに、第3の性を承認するよう政府に命じた。この判決は、性的指向・性自認・人権をめぐる国際基準を世界で初めて成文化した、まだできたばかりだったジョグジャカルタ原則に大きく依っていた。判決に勇気づけられた活動家たちは各政府機関に働きかけ、第3の性を投票用紙(2010年)や国勢調査(2011年)、国籍関連文書(2013年)、そして旅券(2015年)に記載することに成功した。
同様に2009年、パキスタン最高裁も第3の性を認めるよう政府に求めた。バングラデシュでは内閣が、ヒジュラを独自の法律上の性として承認する法令(decree)を2013年に公布している。2014年にインド最高裁は第3の性を認める画期的な判決を下し、「誰もが自らのジェンダーを選ぶ権利」を肯定し、国の福祉プログラム対象者にトランスジェンダーの人びとも含むよう求めた。
いくつかの国々では、性別記載欄の存在目的自体が今や問われている。ニュージーランドやオーストラリアでは、公的書類にジェンダー「不特定」の選択肢が設けられた。オランダ議会では、政府が個人の性別を公的書類に記録する必要性そのものが討議されはじめている。
尊厳の問題
法の下で人として認められる権利は多くの人権条約下で保障されており、個人の尊厳と価値を尊重する根本的要素だ。しかし、自らの性認識に基づいた性を認める国々でさえ、必要手続きが申請者にとって屈辱的かつ有害な対応の原因となることがある。
たとえば、ウクライナで法律上の性の変更を求めるトランスジェンダーの人びとは、最長で45日間もの精神科医の診察を受けるために入院し、「性転換症(transsexualism)」診断の確定または棄却の判断を受けなければならない。更に、法律上の性の認定手続き要件に記されてはいないものの、強制的な不妊手術や多くの検査なども含め、しばしばかなりの時間的コミットメントや費用、移動を求められる。そして更に、「性転換症」診断の確定および公的書類変更承認のために、政府委員会による屈辱的な対面審査が行われるのである。これら手続きは、健康権の尊重を無視するもので、禁じられている非人道的なまたは品位を傷つける取扱いに、トランスジェンダーの人びとをさらす可能性があるものである。
ウクライナ人のトランスジェンダー女性ティナ・T(38歳)はヒューマン・ライツ・ウォッチに、精神科病院での入院検査中に警備の厳重な鉄格子や鉄製ドア付き男性病棟への滞在を強要されたと話す。散歩は一日45分間だけ、30平米の中庭に限られ、トイレには鍵がなかったため不安だったという。また医師たちは、入院中に女性ホルモン注射を許可しなかった。
人びとを望まないまたは不必要な医療措置の対象とすることが、アイデンティティを認定するためには全く不要であることは、明らかにみえるかもしれない。しかし、一部の西ヨーロッパ諸国やラテンアメリカ諸国、米国などLGBTの権利に関して進歩的であると自認する国々でさえ、トランスジェンダーの人びとは公式書類の性別欄を変更するために、不妊手術さえ含む屈辱的な手続きを経ることをいまだ強制されているのである。法律上の性認定を得ようとすれば避けられないこうしたマイナス効果は、個人が重要な公共サービスにアクセスする能力や、暴力・差別から解き放たれて安全に暮らす力を、深刻かつ有害なかたちで制限する結果を引き起こす。
その他の権利へのとびら
法律上の性認定はまた、プライバシー権や表現の自由、恣意的に逮捕されない権利、雇用・教育・医療・安全をめぐる諸権利、法の裁きへのアクセス、移動の自由といった基本的権利の重要な要素でもある。
2015年10月のデリー高等裁判所判決は、法律上の性認定を受ける権利とその他の権利の本質的なつながりを明らかにした。19歳のトランスジェンダー男性が、両親と警察による嫌がらせに対し法的手段をとる権利を認めた判決で、シッダールタ・ムリダル裁判官は次のように記述している:
性自認および性的指向は、尊厳、自由そして自己決定権の根幹をなすものである。これらの自由は、個人の自立性と自由の中心にある。トランスジェンダーであるという感覚、またはジェンダー経験は、個性と存在の核部分に必要不可欠だ。私の理解によれば、法は誰もが自らが選んだ性を認められる基本的権利を有している。
雇用と住居
公的書類の性別欄と外見が一致しないために、就職や入居を拒まれたというトランスジェンダーの人びとからの報告は日常茶飯事だ。米国では2011年に、全米トランスジェンダー平等センターと全米LGBTQタスクフォースによる全国調査が実施され、公式書類の性別欄とは別の性を生きる回答者のうち64%が、雇用の際に差別を受けたとし、書類上の性別を変更した回答者の52%と差が出た。性別欄と異なる外見を持つトランスジェンダーの人びとは、同様の差別を家やアパートを借りたり買ったりする際にも経験しているデータもある。
マレーシアのトランスジェンダー女性シャランがヒューマン・ライツ・ウォッチに証言したところでは、彼女は女性として生活しているが、法律上の性認定手続きが存在しないマレーシアでは、就職活動の際に男性としての身分証明書を提出せねばならないという。以下は面接での体験だ:
面接のときに面接官が男性だとまず聞かれるのが、「その胸は本物か。いつ性転換したんだ」ということ。自分はトランスセクシュアルな女性なのだと答えると、今度は「ペニスと膣どっちなんだ。性交相手は男か女か。どっちのトイレに入るんだ。性転換手術をしたのか。なんでホルモン注射をすることにしたんだ」と聞いてきます。仕事にまったく関係ない質問です[中略]そうして2週間以内に結果を電話で知らせると言われたきり、電話が鳴ることはありません。
教育
トランスジェンダーの子どもや若者は、性暴力からいじめ、男子校・女子校への強制的な入学、生まれたときに決められた性別の制服の着用など、学校の中での人権侵害に直面している。
日本では、中学生および高校生がヒューマン・ライツ・ウォッチに、厳格な男子・女子の制服規則の弊害について証言。「性同一性障害」の診断なしに制服を変えることは許されずに極度のストレスとなり、長期間、または繰り返し学校を休んだり、自主退学してしまったりするという。性自認にそった大学入学や就職活動ができるよう大人になる前にすべての手続き(日本の性認定手続きは性転換手術を義務化している)を終わらせるプレッシャーを感じるという生徒たちもいた。
マレーシアでは、連邦直轄領(クアラルンプール)の教育省が、明らかに差別的な政策を施行している。同政策は、同性愛および「ジェンダーの混乱」に対し、むち打ち、停学、退学を含む懲罰を定めている。
マルタ共和国は、トランスジェンダーの子どもが教育を受ける権利を認める先駆者となった。2015年4月の法律上の性認定法に続き、政府は典型的なジェンダー分類に準拠しない生徒を学校が受け入れるための包括的なガイドラインを打ち出した。これには、制服や洗面所に関連する諸問題への対策も含まれている。
医療
トランスジェンダーの人びとは外見と合致する身分証明書を持たないことから、診療の際にプライバシーに立ち入った質問攻めや屈辱に直面することになる。マレーシアのトランスジェンダー女性エリーナは、2011年に高熱で2日間入院した。ヒューマン・ライツ・ウォッチに語ったその際の体験談によると、彼女は身分証明書に男性と記載があったことから、女性病棟を望んだにもかかわらず男性病棟に入れられた。医師や看護師たちは彼女の性自認について質問攻めにしたが、それらは治療が必要な症状と全く関係のないものだった。
トランスジェンダーのアイデンティティが犯罪とされる国では、医療へのアクセスはことのほか緊張に満ちている。クウェートのトランジェンダー女性の証言によると、医師たちは、政府発行の身分証明書に記載された性別と外見が異なるトランスジェンダーの患者を、警察に通報するという。事実上、医療へのアクセスが制限されてしまっているのである。
2014年2月にウガンダが悪名高き同性愛禁止法を可決した後、法執行機関関係者と一般市民は、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルの人びととともに、トランスジェンダーの人びとも標的にした。トランスジェンダー男性のジェイ・Mは、熱で病院を訪れた時のことを次のように証言する:
医者が聞きました。「しかし、あなたはいったい女なのか男なのか」と。「どちらでもいいことだが、わたしはトランス男性だということはできる」と答えると、「それは一体何なんだ。ここではゲイの診療をしないのは知っているだろう。あなたたちのような人間は私らのコミュニティにそもそもいるべきじゃないんだ。警察に通報することだってできるんだよ[後略]」と言ったんです。
結局最後に、ジェイはその医師に5万ウガンダシリング(約14米ドル)を賄賂として渡し、その場から逃げた。
旅行
単純にある場所からある場所へ移動することでさえ、外見と書類の性別が一致しない人びとにとっては、危険で屈辱に満ちた経験になりうる。その可能性は特に海外への渡航において高く、詐欺の疑いをかけられることから、厳しい精査および侮辱にあうことまで、内容も様々だ。
オランダのあるトランスジェンダー女性は言う。「外国に旅行する時は、よく列から連れ出されて質問を受ける。盗難旅券を使っていると思われるから。」カザフスタンのトランスジェンダー男性は、「これまで4回アルマトイ空港に行ったが、毎回保安担当者に侮辱されたよ」と詳述。「最初に警備員が私の書類をみて混乱する。私をみて一体どういうことだと聞いて来るんだ。トランスジェンダーだと言って診断書をみせると、警備員が同僚を呼び集める。集められる限り全員を。そして私は全員に指をさされたり笑われて、最後にやっと行かせてもらえるんだ。」
国連の人権専門家たちは、こうした保安手続きの際のトランスジェンダーの人びとを標的とした取り扱いを非難してきた。
警察による保護と法の裁きへのアクセス
法の下における基本的認定がないことによって、犯罪にあった際の頼みの綱へのアクセスを妨げる。これは、驚くべきほど高い確率で暴力に直面している人びとにとっては、重大な問題だ。外見と異なる記載がされた書類を持ち歩くことは、当局に人権侵害を報告しようとする際に、それが更に悪い事態を招くきっかけにもなる。
ケニアのモンバサでトランスジェンダー女性のベッティナは、2014年10月に起きた同性愛およびトランスジェンダー嫌悪の一連の襲撃事件について語った。複数の荒らし屋たちが、市場で食べ物を売っていた彼女の屋台を破壊してしまったという。ベッティナが警察に犯罪を報告すると、警察官たちは彼女の性自認について問い詰め、彼女の状況を追跡するための事案番号を渡すことを拒否した。「そこにいてもなんの意味もなく、ただ立ち去るしかありませんでした。」
暴力からの自由
多くの国で、拘禁下にあるトランスジェンダーの人びとは自認する性とは逆の性別の房に入れられており、人権侵害や性暴力にさらされている。国連薬物犯罪事務所が発表した拘禁に関する国際ガイドラインは、「トランスジェンダーの受刑者が生まれた時の性別に基づいて房に収監された場合、とくに、男性から女性へのトランスジェンダー受刑者が男性刑務所に入れられたときは、性的虐待およびレイプの可能性に曝される」と警告する。
米国では、大半の矯正施設が性自認ではなく、出生時の性を元に受刑者の房を決定するが、トランスジェンダーの被拘禁者のうち3分の1が所内で性暴力を受けているとデータが示している。
プライバシー
人びとが自認する性を認める事を政府が拒否することは、プライバシー権侵害に該当する可能性がある。英国における2002年の事件について、身分証明書および法律上のアイデンティティの変更を認めないのは、私生活尊重の権利の侵害に該当する場合がある、という判断を欧州人権裁判所が維持した。2003年には、同裁判所がドイツは「原告が女性として彼女自身を定義する自由という、自己決定のもっとも基本的要素のひとつ」を尊重していないとの判決を下している。
基本的な自由権
あまりに多くの国で、トランスジェンダーの人びとは自分自身でいることだけを理由に犯罪者扱いされている。マレーシアの州レベルで定められたイスラーム法(シャリーア)は「女性としてふるまう男性」およびいくつかの州では「男性としてふるまう女性」を禁じており、結果として、「出生時の性別には不適切」と州の宗教当局が判断した服装で街を歩いているという理由だけで、多数のトランスジェンダーの人びとが逮捕されている。そして逮捕後は投獄や罰金、強制的な「カウンセリング」などが待ち受けているのだ。
ナイジェリア、クウェート、アラブ首長国連邦、サウジアラビアでも、近年「異性装」の逮捕が相次いでいる。サウジアラビアにはトランスジェンダーの人びとを犯罪者と定める具体的法律はないが、裁判官が女性のようにふるまったとされる男性に投獄とむち打ちを命じた。
マラウイ、ウガンダ、タンザニアでは、同性愛行為を禁ずる法律が、トランスジェンダーおよびジェンダーに不適合な人びとの逮捕や嫌がらせに利用されていることが、ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査・検証で明らかになった。性自認は、性的指向または性的ふるまいに直接的な相互関係がないという事実にもかかわらず、である。
トランスジェンダーの人びとはまた、その他の口実の下でも逮捕されている。ネパールでは警察が、公共スペースの浄化という名目で2006年と2007年にトランスジェンダー女性を逮捕し、性的に虐待した。インド警察は2008年に同じような「社会浄化」の一環として、トランスジェンダー女性を逮捕と強制立ち退きの標的にした。2013年にはビルマの警察が、ゲイ男性とトランスジェンダー女性10人のグループを恣意的に逮捕。拘禁下で虐待した。
これら人権侵害の被害者の目には、法的に認められるかもしれない未来や、自分自身でいることを理由に投獄されるリスクがない未来ははるか先のように映っているかもしれない。しかしこれらの人びとが直面する迫害こそが、自認する性を法律上も認める戦いに緊急性を与えているのだ。これは国家が人びとのアイデンティティを規制する役割を演じるべきではないことを浮き彫りにしている。
医学的な考え方の変化
ジョグジャカルタ原則は、個々人が自ら定義する性的指向および性自認を「その個人の人格にとって欠かすことができないもの」で、かつ自己決定・尊厳・自由の基本的な側面であると述べている。性自認は「もし自由に選べるのであれば、内科・外科・その他の方法で、外見や体の機能を変化させること」を含む可能性があると明記している。
簡単に言えば、法律上性を認められることは、いかなる医療介入とも切り離されたものであるべきだということだ。しかし、もし性を変更するプロセスのなかで医療的支援を必要とする人がいれば、それは当然利用可能でアクセスしやすいようにすべきだ。
2010年、国際的な学際団体である「トランジェンダーの健康のための世界有識者協会(WPATH)」は、「アイデンティティを認める条件として、手術をしたり、不妊処置を受け入れる必要は誰にもない」と述べた。2015年、同団体はこうした主張の範囲を広げ、「身分証明書の性別欄が必要とみなされる場合は、トランスジェンダーの人びとが自分の性自認と一致する法律上の性の認定を受けるための行政手続きを簡潔でアクセス可能なものにし、不必要な障壁を排除する」よう、各国政府に強く求めた。
世界保健機関(WHO)は、2018年までに発表予定の国際疾病分類改訂版で大きな変更を検討している。これにより、世界各地の医師たちがトランジェンダーの人びとの経験をコード化・分類する方法が劇的に変わることになる。改定案はまだ起草段階だが、精神疾患の章からトランジェンダーに関連する診断が外される見込みで、これはトランスジェンダーの人びとに対する偏見を消し去るのに重要な一歩といえる。
変わりゆく権利パラダイム
世界各地のトランスジェンダー活動家たちの何十年にもわたるたえまなき活動から学び、国際人権ムーブメントは性自認・性表現に基づく人権侵害を徐々に理解しつつある。そしてこれら侵害を調査・検証し、非難しはじめている。
2011年に国連人権高等弁務官事務所が、性的指向および性自認をもとにした暴力・差別に関して画期的な報告書を発表。大半の国で法律上の性認定が認められておらず、トランジェンダーの人びとは就職活動、住居探し、銀行利用、国の福利厚生、海外旅行などの面で、多くの困難に直面する可能性に言及した。2015年に発表されたフォローアップの報告書では、10カ国での進展に触れたが、全体的な前進のなさがトランジェンダーの人びとの幅広い権利に悪影響を与えていることを明らかにした。
法律上の性変更の認定とその緊急性に関し、注目のうねりがでてきたことを体現したのが、ユニセフから世界食糧計画(WFP)まで、国連の12機関が共同で2015年に発表した宣言だ。各国政府に対し、強制的な不妊・治療・離婚といった「人権侵害的な要件を課すことなく、トランスジェンダーの人びとの性自認を法律上も認めること」を保障するよう強く求めた。2015年4月に欧州議会で採択された決議は、各国政府に対し、自己決定権に基づく、速やかで透明性の高い性認定手続きを取り入れるよう要請した。
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法律は、その個人の在り方を反映していない身分証明書の所持を強制すべきではない。自認する性を法律上も認めよと人びとが求めるとき、それは何か新しい特別な権利を政府に要請しているのではない。国家やその他のアクターが、個人の在り方について本人の代わりに決定しない、という原理原則にコミットすることを求めているのである。
法律上の性変更を認めることは、トランスジェンダーの人びとが社会の片隅に追いやられた人生に終止符を打ち、尊厳ある一生を享受することができるようになるために欠かすことができない。ジェンダーをどのように表現し、登録するかを自ら決定する権利を認める方向へのシンプルなシフト。遅きに失した変化が、今ようやく起きつつある、そんなモメンタムが生まれている。
ニーラ・ゴシャルはヒューマン・ライツ・ウォッチLGBTの権利プログラムの上級調査員。カイル・ナイトは同プログラムの調査員。
[1] 本エッセーはトランスジェンダーの人びとに関するものであるが、自認する性の法律上認定に関し、人権保護義務のもと必要とされる法的・制度的改正の多くは、インターセックスの人びとをとりまく環境をも改善する可能性がある。インターセックスは、身体の特徴が男女いずれかにはっきり区別できずに生まれた人びとで、見た目を男女の固定概念に沿うようにするため不必要な手術を求められるなど、特有の困難や権利侵害に直面している。