カンボジアは2013年7月28日の総選挙以来、人権危機に見舞われている。与党カンボジア人民党(CPP)の統制下にある全国選挙管理委員会(NEC)が発表した最終結果に基づき、1979年以来政権党である同党が議会で多数派を占めた。議会はフン・セン氏を首相に選出。氏は1985年以来首相を務めている。選挙での不正行為と、人民党の選挙管理委員会への影響力行使により、最終結果がゆがめられたとの信頼できる訴えのもと、大規模な抗議行動が発生した。治安部隊は繰り返し過剰な有形力を行使。選挙後のデモと騒然とした状況を押さえ込んだ。2人が死亡し、多数が負傷した。
カンボジアでは急拡大するソーシャル・メディアへの規制はあまりない一方で、国営・民間テレビ局と出版業界、国内ラジオ局、ニュース・サイトはほぼすべて人民党の統制下にあるか、人民党の方針に忠実である。労働組合は多数存在するが、ストライキは治安部隊によって暴力的に解除されることも多い。
総選挙
ノロドム・シハヌーク国王は2013年7月14日、野党カンボジア救国党(CNRP)指導者サム・レンシー氏に恩赦を与えた。同氏は政治的思惑で不当に罪に問われていたが、投獄されることなくカンボジアに帰国することができた。しかし7月28日の総選挙では、氏の選挙権も被選挙権も回復されなかった。
人民党は報道機関と治安部隊、全国選挙管理委員会とその地方組織、憲法評議会を統制下におく。2013年の選挙人登録作業は、人民党による詐欺などの不正行為により、正常には行われなかった。全国選挙管理委員会は、人民党が68議席、救国党が55議席を獲得と発表。結果は人民党の予測よりも接戦だった。しかし同委員会は、救国党が求めた不正行為への独立調査の実施を拒否した。
選挙に先立ち、軍司令官、憲兵隊、警察は人民党とフン・セン氏を支持する露骨なキャンペーンを行った。選挙後は、結果に疑問が呈されているにもかかわらず、人民党の勝利支持を公言した。そしてフン・セン氏は、プノンペン含む全国に軍隊と警官を大量配備し、抗議デモ阻止に動いた。治安部隊は9月15日に首都プノンペンを厳戒態勢に置いた。デモ後の騒然とした状態に対し、過剰な実力行使があり、1人が死亡、20人あまりが負傷した。
9月20日と22日、治安部隊はプノンペンで行われた小さな非暴力抗議行動を解散させた。人権活動家やジャーナリストが抗議活動参加者と共に狙いうちされ、少なくとも20人が負傷した。11月12日、治安部隊の過剰な実力行使により、今回はスト労働者のデモが妨害を受けた。治安部隊の発砲により1人が死亡、9人が負傷した。
市民団体への攻撃と人権活動家の投獄
7月28日の総選挙に先立つ数か月間、治安部隊は市民団体の非暴力集会を強制解散させた。とくに、強制的に土地収用されたと主張してこれに反対する集会が標的となった。過剰な実力行使で参加者に重傷者が出た。選挙後は、政府を後ろ盾にした宗教組織が、仏教僧侶を反政府デモに参加させないために僧侶を襲撃したこともある。
本報告書執筆時点で、少なくとも5人の人権活動家が服役中。また3人が本人不在で有罪判決を受けており、身柄を拘束されれば投獄される。全員が政治的動機に基づいて起訴された。ほとんどが土地保有権を主張したことと関連している。クラチエ県の土地収用反対運動の中心人物ブン・ロアタ(Bun Roatha)氏には、欠席裁判で30年の刑が宣告された。ヨーン・ボパ(Yorm Bopha)氏には、プノンペンの違法立ち退きへの抗議行動を指揮したとの不当な容疑で有期刑が宣告されたが、2013年11月22日に保釈された。最高裁が氏の事件を下級審に差し戻したためだ。
不処罰
フン・セン氏と人民党の統制下にある国軍は、人権侵害を頻繁かつ大規模に行っている。超法規的処刑や拷問をしても処罰されることがない。2013年の例としては、バベット市長Chhouk Bandit氏(人民党)の事件がある。氏は2013年6月25日、2012年2月に同市付近でストライキ中の女性3人に発砲したとして「過失致傷」で起訴された。しかし裁判のために身柄拘束されることもなかったので、有罪判決が下されたにもかかわらず逃亡してしまった。政府当局の関与を示す多くの証拠があるにもかかわらず、2013年に行われた、ジャーナリストHang Serei Udom氏の惨殺事件の裁判では一人も有罪判決を受けなかった。事件は2012年9月、不法伐採に政府が関与しているとの記事を氏が発表した後で起きた。また、2013年9~11月に起きた、総選挙後の抗議デモと騒乱の際に殺害され、負傷した抗議行動参加者と見物人についての十分な調査も行われていない。
労働組合委員長チア・ヴィチア氏が2004年に殺害された事件の犯人も逮捕されないままだ。この事件後、政府はボーン・サムナン氏とソック・サム・オーン氏を逮捕し、裁判所に有罪判決を下すよう命じた。2人は2009年、証拠がないことを検察が認めて釈放されたが、2012年に裁判所は2人を再び拘束し、20年の刑を宣告した。政府に対する国際社会の厳しい圧力を受け、最高裁は2人を無罪とし、2013年9月25日に釈放した。しかし裁判所は2人の賠償請求を退けた。
土地の権利
民間企業に国有地での大規模農業を認める経済土地コンセッション(ELC)手続きについて、政府はモラトリアム措置を依然講じている。この手続きは数十万人に悪影響を与えてきた。しかし経済的・政治的に権力を持ったアクターが、法的所有権を持つ貧しい住民や耕作者の土地を接収するケースは続いている。暴力的な争いになることもある。
ELCなど国有地の周辺の一部住民に土地所有権を与えるという、フン・セン氏が計画・実施し、自分の名を冠したプログラムは選挙直前に終了した。最大36万の貧困世帯に利益をもたらしたとの主張がなされた。多数にメリットがあったのは確かだが、多くの場所で、資金と権力を持つ利害当事者がこのプログラムで自分の土地を増やした。フン・セン氏はこのプログラムを選挙前に中断させた。しかし2013年11月には、まもなく再開するとの政府発表があった。
恣意的拘禁
政府当局は、薬物常用者とされる人々、ホームレス、「ストリート」チルドレン、セックス・ワーカー、障害者を頻繁に拘束し、全国各地の「矯正センター」に収容している。このセンターには、最低でも毎年2,000人が法の適正手続きなしに収容されている。「治療」は主として、疲労困憊するだけの運動と軍隊スタイルの教練である。看守ら職員は、収容者に対し、ゴムホースでの鞭打ち、竹の棒やヤシの葉をまとめたものでの殴打、スタンガン攻撃、性的虐待、激痛を味わわせる目的での運動による懲罰などを行っている。一部のセンターは収容者を建設現場で強制労働させている。少なくとも一例では、ホテル建設を手伝わせている。
クメール・ルージュ法廷
国連が支援するカンボジア特別法廷(ECCC)は、クメール・ルージュ幹部について、1975~79年の政権時代に行われた虐殺、人道に対する罪、戦争犯罪を裁こうとしている。しかしカンボジア政府からの妨害と非協力的態度に長年苦しめられている。ECCCが2006年に設置されて以降、裁判を行い、有罪判決を下すことができたのは、悪名高いツールスレン収容所の元所長1人だけだ。ECCCが現在訴訟を進めているのは、クメール・ルージュ高級幹部とされるヌオン・チア氏とキュー・サムファン氏の2人のみ。共に高齢で健康状態が優れない。しかも2010年に最初に起訴した犯罪のうち、現在裁判の対象となっている容疑は数少ない。ECCCはイエン・サリ氏も立件していたが、氏は2013年3月14日に死亡した。
政府の国連への非協力的態度により、2006年に始まった他の5人の捜査も遅れており、1人は2013年に死亡した。特別法廷への一般の関心と支持は相当薄らいでいる。
国際社会の主要アクター
カンボジア政府は依然として対外援助に大きく依存している。日本は主要なドナー国だが、中国が最大の対外直接投資国だった。ベトナムは政府および治安部隊当局と中央・地方レベルで緊密な関係を維持している。
米国は非武器軍事援助と軍事訓練を実施しているが、人権問題への懸念表明についてはもっとも率直に行う外国政府である。国連人権理事会は9月の会合で、カンボジアの人権状況に関する特別報告者のマンデートを2年延長した。