ビルマでは2011年に軍政から民政への移行が始まった。この動きは2015年には緩やかになり、一部は後退した。表現と報道の自由を保障する環境は著しい改善があったが、複数の重要な領域について人権状況改善に関する政府の公約がゆらいだり、果たされなかったりしたこともあった。25年ぶりに比較的自由な状況で実施された11月の総選挙では野党・国民民主連盟(NLD)が大勝し、一部の領域では改革を再活性化する態勢が整っているように思われる。だが本報告の執筆時点で評価するのは時期尚早である。

総選挙

11月8日の総選挙では、91政党の公認候補と数百人の独立系候補者が1,100を超える議席を争った。NLDは上下両院と州・管区議会でともに85%以上の議席を獲得して第一党となった。

選挙準備期間中、連邦選挙管理委員会(UEC)には独立性と公平性が欠けていた。委員長は、国軍が後押しする連邦団結発展党(USDP)の勝利を望むと繰り返し発言したほか、委員会も、政府が統制するマスメディアでの政見放送において政党の軍政批判を禁ずるガイドラインを発行した。

政党関連法の改正と厳格な1982年国籍法の適用により、ムスリムの候補者50人以上が立候補資格審査過程で申請を却下された。うち2人はロヒンギャ民族ムスリムを自認する現職与党議員だった。USDPもNLDもビルマ全土で一切ムスリムの候補者を立てず、ムスリムの議員は1人も誕生しなかった。

暫定国籍カード(「ホワイトカード」)が全国で廃止され、2008年の制憲国民投票と2010年の総選挙では投票を行うことができた80万人以上が選挙権を剥奪された。多くがアラカン州に住むロヒンギャ民族だった。

こうした重大な欠陥があったものの、2カ月の選挙戦は驚くほどオープンに行われ、脅迫や暴力、不正行為はほとんど報告されなかった。政党の集会は全土で非暴力的に行われ、表現と報道の自由が大幅に制約されることはなかった。投票は透明性が確保され、多数の国内外のオブザーバーのもとで実施された。開票作業には政党が立ち会った。UECは集計作業を通して職務に忠実であり、結果を毎日更新した。

憲法

少数民族コミュニティと野党の要求にもかかわらず、ビルマ軍は6月~7月の国会会期で2008年憲法改正に関する審議を一切認めなかった。現憲法は議席の25%を軍に割り当てた上で、憲法改正の承認に議員の75%以上の賛成を必要とすることで、軍に実質的な拒否権を与えている。

改正が拒否された条文は、野党指導者アウンサンスーチー氏に外国籍の子どもがいることを理由に大統領選出資格を認めない第59条(f)項、ビルマの全15州および管区のうち14について有力な主要閣僚の選出権限が州管区議会ではなく大統領にあるとする第261条、第262条などだ。

宗教的少数者

ビルマのマイノリティであるムスリムへの差別と脅迫は、過激なナショナリズムの伸張の表れだが、2015年のビルマではその高まりが見られた。仏教僧侶が主導する民族宗教保護協会(通称「マバタ」)は影響力を強めた。

マバタは政府に圧力をかけ、4つの法律を一括した通称「民族宗教保護法」の成立を果たした。人口調整法は5月に、仏教女性特別婚姻法、改宗法、単婚法は8月に成立した。これら4法は差別的で信教の自由を侵害するものである。たとえば非仏教徒男性と結婚する、あるいは結婚を考えている仏教徒女性に特別な規定を設けること、反仏教的行為という曖昧な規定を離婚、親権および夫婦が所有する財産権の喪失、刑事罰の根拠と定めたこと、当局に対し特定集団の成員が産むことのできる子どもの数を制限する権限を与えることなどが行われている。

対照的に、国会は包括的な内容をもち、女性の権利保護強化をもたらす「女性に対する暴力対策法」を成立させなかった。

4法案を公然と批判したビルマの民間団体の指導者は、マバタ幹部から「裏切り者」と非難され、一部は殺害の脅迫を受けたとも伝えられる。9月にはラングーンの9つの大使館が2015年総選挙での宗教の不正使用に反対する声明を発表し、これに宗教省が猛反発した。

一部の政党、とくにNLDは4法案に反対したが、他の政治指導者はビルマをムスリムの脅威から守るためという理由で賛成に回った。テインセイン大統領は9月に選挙戦が始まると、法案成立は自らの手腕によるものだとソーシャルメディアの動画で主張した。マバタは法案成立祝賀集会を全国で立て続けに開催し、4法が仏教をイスラームの「侵略」から守るものだと喧伝した。また集会によっては与党USDPへの支持を表明し、選挙への関与を強める姿勢を見せた。

マバタの有力者で反ムスリム・ボイコットを唱える「969」運動の指導者ウィラトゥ師は、李亮喜(イ・ヤンヒ)国連特別報告者の1月のビルマ訪問時に、李氏を「あばずれ」や「売女」と呼び、襲撃せよと支持者を扇った。しかし政府は何の対策も取らなかった。ビルマ国内の著名人で、マバタが後押しする差別と脅迫の増大や、マバタがもたらす市民社会の萎縮効果をはっきり批判する人はいない。

結社・集会の自由

ビルマの政治囚は2015年に増加した。政府が活動家の収容停止の公約を後退させたためである。2015年末の段階で推計112人が獄中にいた。欠陥法である平和的集会法の違反などの政治的な容疑による投獄で、2012年の大規模恩赦以来の顕著な増加である。少なくとも他486人が裁判に掛けられていた。

政治囚釈放を監督する合同委員会が、政府、元政治囚および各政党の代表者で組織されている。委員長は2月に交代し、現役国軍将校で強硬派の内務副大臣が新任された。著名な活動家ボーチー氏は委員を退任させられた。

3月5日、「スワンアーシン」のメンバーと目される私服の警察応援部隊が、2007年にデモ隊対策に投入されて以来初めて登場し、「88世代平和と開かれた社会」の学生デモ隊と活動家の小集団を襲撃した。政府提案の教育法を批判する集会を平和的に開催しているところだった。この事件で警察が逮捕したのはデモ隊だった。

5日後の3月10日、治安部隊はモンユワのレッパダウンからラングーンに行進しようとする学生の小集団の行く手を阻んだ。学生たちはバリケード突破を試みたが、警察は自制を完全に失い、学生を暴行して80人以上を逮捕した。襲撃で負傷した学生は応急処置程度の手当しかなかったと話している。本報告の執筆時点で、暴動、警官への暴行、非合法集会の容疑で学生50人がタラワディ刑務所に収監されている。

3月の襲撃事件の後、地域治安維持・群衆統制プロジェクトの一環でビルマ警察に技術支援を行ってきた欧州連合(EU)は、当局を批判して調査を求めた。9月にミャンマー全国人権委員会は報告書を発表し、人権侵害を行った警察官と同時に、当局を挑発する行動をしたと見られる学生も処罰すべきと述べた。本報告の執筆時点で、警官は一人も訴追されていない。

ビルマで土地の権利を擁護する活動家は、土地の接収や強制移住に抗議したとして、非合法集会や不法侵入でたびたび逮捕、起訴されている。当局はカレン州で6月と8月に、土地が不当に接収されたとして補償と救済措置を求める活動家や農民を多数逮捕した。スースーヌウェら著名活動家も2015年に逮捕されている。当局はモンユワのレッパダウン銅山での長期的な抗議行動を指導する大勢の活動家に有罪判決を下している。たとえばベテラン活動家のノーオンフラ氏には、ラングーンの中国大使館前での非暴力の抗議行動を理由に4年の禁固刑が宣告された。

ビルマ国内のLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)の人びとに対する不寛容の高まりが政府高官の発言に見られた。たとえばマンダレー管区の治安担当相は警察に対し、トランスジェンダーの人びとを逮捕して「教育」するよう求めた。

難民

2015年には海路で出国するロヒンギャ民族ムスリムが激増した。一家でビルマやバングラデシュから密航船で出発するのだが、バングラデシュ人の移住労働者が大勢乗り合わせることも多い。

国連の推計では、2014年1月から2015年5月に9万4千人がこうして出国した。2015年5月には、5,000人が船に乗ったまま密航業者に放置された。タイ、マレーシア、インドネシアから入国を拒否されて苦境に立たされた人びとのうち、少なくとも70人が死亡した。国際メディアが一斉に報道するなか、マレーシアとインドネシアが最終的に船の上陸を認め、新規到着者をただちに収容した。

タイは上陸を公式には認めていないが、船が着岸した場合には当局は乗船者を拘束する。ビルマで当局が航行停止させた船はアラカン州マウンドーに曳航され、バングラデシュ国民はバングラデシュに送還された。

5月29日のバンコクでの地域会合はタイが主催し、17カ国が参加したが、海上での危機的な状況を助長し続ける、アラカン州でのロヒンギャに対する収奪と人権侵害への十分な対策は提案されなかった。本報告の執筆時点で、悲惨な状況にあるロヒンギャの海路での出国が、深刻な人権侵害とともに引き続き発生するというのが大半の識者の見方である。ベンガル湾とアンダマン海の航行条件が良くなる2016年後半には出国の動きが再び活発になるだろう。

ロヒンギャ民族ムスリムを主体とする14万人がアラカン州の国内避難民キャンプに滞在するが、移動や基本的な社会サービスの利用は厳しく制限されている。人道援助機関のキャンプへのアクセスは2015年に若干改善し、限定的とはいえ医療・教育サービスを提供できるようになったが、状況には依然として希望が持てない。キャンプの悲惨な状況とロヒンギャへの新たな暴力の脅威が、海路による大量出国の主因だ。前向きな変化としては、ビルマ政府は2015年に推計1万人の国内避難民を支援し、2012年に離れざるを得なかった地域で自宅の再建を後押しした。

数十年に及ぶ内戦でビルマを逃れた推計11万人の難民が現在もタイ北西部9か所の難民キャンプに滞在する。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、ビルマ内外のNGOおよびタイ政府のあいだで自発的送還計画が引き続き検討されている。難民側は帰還計画の協議への参加が不十分であることにかねてから懸念を表明している。たとえば帰還可能性のある地域の一部には地雷が大量に敷設されている。 

民族紛争と強制移住

ビルマ国軍と非国家武装組織との武力紛争は2015年に悪化した。ビルマ国軍とカチン独立軍(KIA)との衝突が依然として散発的に発生した。天然資源開発を巡る紛争も伝えられている。

シャン州北部では、国軍とタアン(パラウン)民族解放軍(TNLA)との戦闘が、アラカン軍とシャン州軍-北部(SSA-North)の部隊もたびたび参加する形で年間を通して発生した。衝突により民間人数千人が自宅を追われた。シャン州中部では、ビルマ国軍とシャン側の反政府武装勢力との戦闘が11月の総選挙頃に激化し、民間人6,000人が自宅を追われた。

2月17日にはミャンマー赤十字協会の車列が所属不明の部隊から襲撃を受け、ボランティア2人が負傷した。襲撃されたのは赤十字の旗を掲げる車列の一部で、シャン州での戦闘で避難民となった民間人が避難中だった。その4日後、ラウカイから移動する赤十字の旗を掲げた車列が襲撃され、ボランティア1人が負傷した。

3月には、シャン州北部のコーカン特別地域で国軍とミャンマー民族民主連合軍(MNDAA)との戦闘が始まった。ビルマ軍はMNDAAとの戦闘で空軍力を投入し、重火器による砲撃を行った。砲撃は無差別なものだったと見られる。コーカン地域で民間人数万人が避難民となり、多くが中国側に逃れた。

政府は2015年に16の非国家武装組織と全国的な停戦の締結を目指した。しかし紛争は、カチン州での戦闘が2013年に不安定な休戦協定に達した以降で最悪となった。カチン州では民間人13万人が現在も国内避難民としてキャンプに身を寄せ、KIA支配地域の多くの国内避難民には国際的な支援がほとんど届いていない。ビルマ軍の妨害が大きな原因だ。

子ども兵士

ビルマ軍は子ども兵士の徴用・採用と使用を続けている。ビルマ軍の指揮下にある準軍事組織や民兵組織の多くも同様だ。子ども兵士は多くの非国家武装組織でも徴用・採用および配置されている模様である。ビルマ軍は、国連および海外団体と子ども兵士の徴用・採用の廃止について合意した「2012アクションプラン」を引き続き支援しており、軍と民兵組織の基地でのモニタリングを受け入れている。

国際社会の主要アクター

ビルマとの2国間関係で有力な米国、英国、EU、オーストラリアは、基本的自由が再び脅かされていることに危機感を強めているが、限定的なものにとどまるテインセイン政権の改革を引き続き支援した。多数の国が比較的オープンに行われた11月総選挙、ならびに各政党とUECの行動を賞賛した。

EUは国連人権理事会(HRC)と国連総会でのビルマに関する決議を引き続きスポンサーした。7月に人権理事会はロヒンギャなどビルマ国内の少数者の迫害を非難する決議を採択し、政府に対してあらゆる集団の人権保護を確保するよう求めた。

中国は2015年に人権問題での懸念を表明しなかったが、ビルマ政府が国境の中国側に及んだコーカン地域での戦闘を抑止できなかったこと、とくに空爆で中国側の民間人多数を殺害したことについてビルマ政府を強く非難した。

ロシアはビルマへの通常兵器の売却を続けており、ビルマと北朝鮮の軍事的つながりは維持されている模様だ。米国、英国、日本は2015年にビルマとの間で軍同士の限定的な交流を行った。