ビルマの改革プロセスは、2013年にむらのあるかたちで進んだ。一部では特筆すべき進展があったが、国内では深刻な問題が依然存在する。集会と結社に関する基本的自由では改善があった。しかし法律の運用は一貫性を欠き、非暴力デモでは逮捕されるケースが依然存在した。報道の自由は2013年に引き続き改善した。しかし本報告書執筆時点で、当局は最近の重要な進展を逆戻りさせかねない法律の制定を目指している。
2013年に恩赦が複数回実施され、政治囚200人以上が釈放された。10月に56人、11月に69人が釈放された。こうした進展の一方、本報告書執筆時点で、まだ約60人の政治囚が残っていると推測される。そして非暴力デモ参加者の逮捕が依然報告された。
国会は、大方の予想を上回る堅実な議論を行い、法改正を実施した。国軍による土地の接収、軍人割当議席を減らす憲法改正、法の統治に関するイニシアチブなどの問題でも驚くほど率直な議論がなされている。
ムスリムへの暴力
ビルマ中部でのムスリム住民への宗派間暴力は2013年も拡大した。ムスリム住民とその資産への攻撃は組織的と思われるかたちで繰り返し発生した。3月下旬、ビルマ民族仏教徒がビルマ中部のメイクティーラでムスリム住民を攻撃した。少なくとも44人が死亡し、1,400軒の商店と住宅が破壊された。そのほとんどがムスリム住民のものだった。ビルマ警察は暴力事件にほとんど介入せず、ムスリム住民の生命と財産を守ろうとすることはめったにない。一部では、反ムスリム攻撃に積極的に参加していた。1万2,000人以上が暴力事件により移住を余儀なくされた。また本報告書執筆時点で、都市部にある政府保護下の避難民キャンプに多数が滞在している。
2013年はヤンゴンの北にあるペグーやオッカン、シャン州ラショーなどでも類似の暴力事件が発生した。10月、アラカン州南部タンドウェーでムスリムのカマン民族への攻撃が起き、少なくとも6人が死亡し、100軒近くの建物が破壊された。攻撃はテインセイン大統領の現地訪問に合わせて起きた。当局はアラカン民族政党幹部複数を暴力扇動容疑で逮捕した。
暴力事件にかかわった者の裁判は当初非対称的だった。暴力を起こしたビルマ民族仏教徒側よりムスリム側が裁かれ、有罪になるケースが多かった。しかし6月25日、メイクティーラでの暴力事件に関与した仏教徒25人が、殺人と放火で有罪となった。2012年に巡礼中のムスリムの一行を殺害し、アラカン州での暴力事件の引き金となった事件について、容疑者6人が逮捕された。また9月には、オッカンでの放火と暴力事件について男性2人に5年の刑が宣告された。本報告書執筆時点で、暴力事件にかかわったとして、治安部隊員が処分ないし訴追された例は伝えられてない。
一部の事件では、ウィラトゥ師ら民族主義的な仏教僧侶が反ムスリム暴力やヘイトスピーチを広めている。同師が指導する「969運動」は、仏教徒にムスリムと経済的なつきあいをしないよう促し、ムスリムとの結婚やイスラームへの改宗を行わないよう求めている。ウィラトゥ師は、こうした結婚や改宗を禁止する法律の起草さえ行っている。アウンサンスーチーら主要な政治指導者は、2013年にこの運動をはっきりと批判しなかった。しかしテインセイン大統領は4月に重要な演説を行い、宗派間暴力の増加は脆弱さを抱えた改革プロセスを狂わせかねないと警告した。
ビルマの人権状況に関する国連特別報告者トマス・オヘア・キンタナ氏は8月のビルマ訪問中、メイクティーラで乗っていた車を仏教僧侶に襲撃された。周囲にいた治安部隊は介入を怠った。キンタナ氏の安全確保を怠ったことに輪を掛けるように、政府高官筋は同氏がこの事件を大げさに取り上げていると批判した。ビルマ語メディアの多くもキンタナ氏を激しく非難した。ビルマ民族主義の拡大と、人権侵害終結を求める国際社会の圧力への反発を示す、憂慮すべき現象だ。
アラカン州北部のロヒンギャ民族ムスリム避難民の状況は、国際社会から大きな反応があったとはいえ、2013年も不安定なままだった。本報告書執筆時点で、約18万人(大半がムスリム)がアラカン州に点在する40以上の国内避難民キャンプで暮らす。多くの人が悲惨な生活を送っている。2012年に比べ、2013年は国際援助が増えた。しかし移動制限、生計手段の欠如、基礎的サービスの不足、敵対的なアラカン人による継続的な脅迫行為が依然として深刻な懸念だ。ブッティータウン、マウンドーの両郡では、地元当局の命令でロヒンギャ女性が2人以上の子どもを産むことが禁じられていたと伝えられた。この方針が公になり、国際社会から激しく非難されると、中央政府は命令を撤回させ、政策はすでに無効だと発表した。
2012年6月と11月にアラカン州で起きた反ロヒンギャ暴力事件についての政府調査委員会は、事件の詳細な調査と責任者の特定を行わなかった。また暴力事件に関与した治安部隊の訴追に関する勧告を一切行わなかった。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ロヒンギャ民族への攻撃が「民族浄化」作戦であり、人道に対する罪にあたることを明らかにした。2013年、ロヒンギャ民族の国内避難民が、抗議行動を理由として人権侵害を受けた複数の事例があった。6月には、避難民キャンプで抗議を行った女性3人を警官が射殺した。
ビルマ政府は1982年の悪名高い国籍法の改正に応じていない。この法律により、ロヒンギャ民族のビルマ国籍取得は、何世代もビルマに住む家族が多いにもかかわらず、実質的には否定されている。7月、大統領は国境警備隊(通称「ナサカ」)の廃止を命じた。ナサカは汚職と人権侵害できわめて評判が悪かった。ただし部隊要員がすべてアラカン州から撤退したのか、それとも別の組織に配属になったのかは不明である。
基本的自由に関する法律
ビルマの法制度改革は依然不透明であり、主要な住民集団への意見聴取も一定して行われてはいない。長年存在する抑圧的な法律が廃止あるいは改正されていないことも多く、一部は現在も活動家を標的に用いられている。土地の権利と農民の権利に関する法など、複数の重要な法律が2013年に立法化された。しかしビルマ国軍と企業による大規模な土地収容からの保護策としては不十分ではないか、との懸念は払拭されていない。
平和的集会と平和的行進に関する法律の適用は一貫性を欠き、当局がデモを許可したり、しなかったりという事態が生じた。2013年を通して、土地収用への抗議行動の増加が報じられた。一部では地域住民と警察の衝突に発展した。ベテラン活動家ノーオーンラー氏は、モンユワのレッパダウン鉱山開発事業への反対運動を指揮したとして、8月に2年の刑を宣告された。またアラカン民族11人が、中国のパイプライン建設事業に反対する行動で9月に3か月の刑を宣告された。ただし全員が11月の恩赦で釈放された。政府は、1988年の民主化蜂起から25周年にあたる8月8日に大規模集会の開催を認めた。
7月に上程された結社法案は、ビルマのNGOと国際NGOの設立と活動を厳しく規制する多くの条項を含んでいる。民間団体からの一致した強い働きかけ、国会や政府との協議や500を越える国内団体からの公開書簡などを受け、8月に上程された法案にはかなりの改善が見られた。しかし結社の自由に対する権利を制限する可能性がいまだ残されている。
ビルマ国内メディアの活動は2013年も活発だった。ただし政府は、成立すれば報道の自由を大幅に制限することになる、出版社・印刷社法案など新たな法案を提案し、圧力を掛ける方向に動いている。設置後間もないビルマ報道審議会は出版社・印刷法案を自前で起草したが、政府はこれを認めなかった。6月、政府は『タイム』誌について、ウィラトゥ師の特集を掲載した号を発禁処分にした。
2013年に提案された通信法案には、基本的権利を脅かす多数の条項が含まれている。本報告書執筆時点で法案は成立していない。
政府の全国人権委員会には人権侵害事例の報告が多数寄せられているが、委員会は十分な調査を行っていない。本報告書執筆時点で、委員会は、2011年の設置以来4,000件近くの事例報告を受けている。ウィンムラ委員長は2013年前半に、委員会としては、カチン州でビルマ国軍が行ったとされる人権侵害の訴えは一切調査しないと述べた。委員会の独立に強い法的基礎を与える法案はまだ通過していない。
民族紛争と強制移住
政府は15ほどの非国家武装組織と停戦合意に達したが、民族地域では深刻な人権侵害が2013年も続いた。
政府は3月にカチン独立軍(KIA)と不安定ながらも暫定停戦合意を結んだ。戦闘は約2年続き、カチン州で8万人以上の避難民が発生した。しかしビルマ国軍の人権侵害は現在も報告されている。国内避難民への人道アクセス状況は不安定、不十分だ。現地のビルマ国軍司令官の中には、中央政府がすでに認めているにもかかわらず、人道アクセスを認めない者がいる。本報告書執筆時点で、避難した民間人の帰還が大規模に行われたとの報告はない。
紛争はシャン州北部に広がり、カチン、シャン、パラウン各民族武装勢力を巻き込んだ。国軍と反政府武装勢力による民間人の強制移住や攻撃が報告されている。
本報告書執筆時点で、ビルマ東部には推計40万人の国内避難民が存在する。タイ・ビルマ国境の難民キャンプ9か所には難民13万人が生活する。タイ政府、ビルマ政府、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、難民が安全と尊厳が確保された状態で帰還する条件がまだ整っていないとの認識で一致している。
国際社会の主要アクター
ビルマに関する制裁措置の大半は2013年に解除された。EUコモンポジションの関連条項については、武器禁輸措置以外はすべて解除された。米国は制裁措置の多くを凍結したが、過去の人権侵害事例に関わった特定個人への対象限定型金融制裁は維持している。米国企業の対ビルマ投資に関する新たな人権報告要求書が5月から実施されている。
ビルマは国際社会との関係再構築を続けている。世界銀行やアジア開発銀行とのプログラムも拡大している。米国、EU、英国、豪州、日本からの人道・開発援助の大幅な拡大も交渉中だ。対外投資は増加。主な投資先は天然資源開発部門である。
テインセイン大統領は2013年に米国、欧州、豪州を訪問し、改革プロセス続行を公約した。しかし、2012年11月に、国連人権高等弁務官のフィールドオフィス開設を政府として許可すると公約したにも関わらず、この計画をビルマ政府側が繰り返し拒否していると伝えられる。
ビルマは2012年に子ども兵士に関する行動計画に調印した。しかし国連への協力は散漫な状態に留まっている。子ども兵士の除隊と強制徴兵問題はあまり進展していない。政府が国軍施設と政府支配下にある国境の民兵組織へのアクセスを認めないためだ。
米国は、ビルマ国軍との軍事協力を試験的に再開すると発表した。2月にビルマ国軍将校をタイで行われる共同軍事演習「コブラ・ゴールド」に招いた。また7月に米軍専門家を派遣し、人権基準に関する基礎指導を開始した。英軍司令官も6月にビルマを訪問。また両国は後に、英国がビルマ国軍将校30人を英国で開催される主要な防衛問題会議に招待すると発表した。2013年、英国と豪州は、ビルマに1988年以来初めて軍事武官を駐在させると発表した。EUも、同国で警察制度改革プログラムを開始した。
米国政府は、子ども兵士防止法にもとづき、2014年に米国の軍事援助の一部を受領できない4カ国のひとつにビルマを指定した。対象となるプログラムは、外国の軍隊の訓練を支援する国際軍事教育訓練計画(IMET)と、米軍の物資と役務の販売用に資金を提供する対外軍事資金供与(FMF)である。
6月、国連人権理事会はビルマ政府に対し、宗教を口実とした暴力と人権侵害の停止措置を直ちに講じるよう促した。あわせて人権理事会は、これらの人権侵害の責任追及を確実に行うのに必要なあらゆる措置を講じること、また国連人権高等弁務官事務所のオフィス設置を急ぐよう求めた。