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規制なきビジネス行為

企業責任に対する誤ったアプローチ

今日の世界で最も強力かつ高度な活動を展開している主体の一部は、政府ではなく企業である。2011年だけをみても、石油・ガスの巨大企業エクソン・モービルは、ノルウェーの全経済規模に相当する4,670億ドルの収益を上げている。世界第3位の雇用主である米小売業ウォルマートの従業員総数は200万超と、その規模において米国や中国の軍隊の後ろにつけている。

世界規模の企業の多くは、それに関わる人びとの福利を考慮しながら活動している。しかし無能力故であれ意図的であれ、周辺の共同体や従業員、(企業が属したり、事業を展開する国の)政府に対してさえ、重大な危害を及ぼしている企業もある。

問題の多くは企業自身にある。これには、自らが倫理的な事業展開をしていると考えている企業さえ含まれる。あまりにも多くの企業が今もなお事前に深く考えず、多くの場合、規制が事実上空洞化された状況で、人権問題に場当たり的な対応を取っている。しかもその空洞化を維持しようと、精力的にロビー活動を行っているのが、ほかでもない企業なのだ。世界の多くの地域において、企業による人権保護策は法律や規制に拘束されてはおらず、独自の方針や自主的なイニシアチブ、法的義務のない「責任」によって形成されている。歴史上長きにわたる、企業による一連の大規模な人権侵害はますます増えている。この実態が示すのは、適切な規制なしには企業が正道からそれてしまう可能性がある、ということだ。しかし実に多くの企業が、まるで監督が自らの存在に対する脅威であるかのように、監督からの自由を維持することに汲々としている。

しかし、企業が引き起こす人権侵害を防止し、対処する大きな責任は政府にある。企業が世界規模に拡大するにつれ、企業活動が非常に重要なかたちでますます多くの人びとの人権に影響を及ぼしているが、それに対する各国政府の対応は後手にまわっている。

すべてではないにしろほとんどの国々が、基本的人権の基準を企業が固守することを義務づける法律を帳づら備えている。より真剣にその責任を果たしている政府がある一方で、その力があまりにぜい弱で、国内で大規模かつ極めて複雑に展開する多国籍企業の規制が絶望的なくたい不可能にみえる政府もある。

世界最大かつ最強の企業の本拠地となっている米国や欧州諸国、そして新興勢力のブラジルや中国のような国々の政府は、国外に進出する自国企業の活動に対する精査を弁解の余地がないほど怠り続けてきた。政府の大半は、(もしそんな国があればの話だが)やるべきことをすべてやっている政府と、その対極にある政府の間に位置している。

これらの複合的な怠慢/不履行が、世界各地で弱い立場にある人びとに長らく深刻な危害をもたらしている。ヒューマン・ライツ・ウォッチは2012年6月発表の報告書「Out of Control」で、インドで規制不能に陥った鉱山事業が腐敗をはびこらせ、地元地域全体に危害をもたらしている一方で、政府の規制担当者のひどい不作為について明らかにした。(インド)ゴア州の農民は、当初鉱山事業が地元経済の改善に繋がることを期待していたが、実際に目のあたりにしたのは、地下水が有毒物質で汚染され、枯れてしまった作物だった。また10月発表の報告書「革なめし工場が引き起こす労働者の健康被害 周辺環境の汚染」により、バングラデシュの6億5,000万ドル規模の革なめし産業が、環境、保健、安全に関する法律を踏みにじっている結果、労働者が毒に犯されたり障がいを負い、周辺付近が汚染をされている事実に対して、政府の規制担当者が目を逸らす実態についても調査した。更にカタールでは、6月発表の報告書「Building a Better World Cup」により、2022年に同国が主催するサッカー・ワールドカップ大会にまつわる懸念を調査し、取りまとめた。今改革に着手しなければ、巨額の費用が投入された大会の準備作業は、最新式のスタジアムやしゃれたホテルほか大会関係の建設作業の大半を請け負う、移住/出稼ぎ労働者に対する人権侵害によって損なわれる恐れがある。

現在の強制なき取組み方法で、世界企業による人権問題について達成できる微々たる限界なら、ほぼすでに到達していると言っていい。今こそ各国政府は、現実や直面する問題を見つめ、企業の人権保護策を監督・規制する責任を受け入れるべきだ。

指導原則

国連が正式に支持した「企業と人権に関する指導原則」が作成されて1年、2012年は諸問題解決に対する試みに向け、大きく前進するはずであった。しかし同原則は、いくつかの分野で進歩をもたらしたものの、企業と人権の問題をめぐる現行の取り組みの不備も浮き彫りにしている。ひとつには政府のぜい弱な対応があり、企業の特権への不適切な服従がある。

国連による「保護・尊重・救済」の枠組みは、企業活動をめぐる人権侵害から個人を保護する政府の責任や、人権を尊重する企業の責任、侵害の被害者が実質的な救済策へアクセスできることの必要性を強調。指導原則はこの枠組みを「運用化」にするはずだった。

指導原則は、いくつかの点でまぎれもない前進を実現した。わずか10年前には、人権に対する責任があるという考え方にさえ異議を唱えていた企業から、画期的な強い賛同を得ていたことも少なからず功を奏した。有益で実用的でありうるこの指導原則は、人権擁護の立場にあるヒューマン・ライツ・ウォッチのような団体/機関と企業を、かってないほど近づけたといえる。つまり、中核となる人権に関する企業責任の少なくとも一部について、企業がいかに考えるべきかの共通理解に向けて我々はかつてなく近づいた。

また、仮に企業が効果的かつ誠実に採用すれば、実在する多くの人権問題を防止できるであろう「人権のデューディリジェンス」の重要性についても、指導原則は強調している。「人権のデューディリジェンス」は、人権侵害発生のすべての危険を特定して危害を避ける行動を取り、それらの安全対策にもかかわらず起きてしまった人権侵害に適切に対処すべく自らを位置づけるための、効果的な方針と措置を企業が策定・実施すべきであるという考え方だ。

たとえば昨年ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2013年1月発表予定の報告書「Hear No Evil: Forced Labor and Corporate Responsibility in Eritrea's Mining Industry」のための調査で、カナダの資源探査企業ネブサン・リソーシズ社がアフリカ・エリトリアにおいて、国際法で絶対的に禁じられている強制労働に、地元の契約業者を通じて関与している可能性を示す証拠を明らかにした。それは予見可能な問題だった。エリトリア政府は、国民を大規模な強制労働に動員して搾取しており、徴集した人びとの一部をネブサン社が契約した業者を含む、政府傘下の企業に振り分けている。徴集された人びとは多くの場合、悲惨な環境下に置かれており、「仕事」から逃れようとするものなら、投獄や拷問の対象となる。本件でネブサン社は当初、契約業者による採掘現場での強制労働の阻止に向けた適切な対応を取ることを怠った。結果、同社の遅きに失した疑惑調査と取り組みは、手詰まり状態になってしまった。エリトリアで鉱山開発に携わる他企業も、現在同じ罠にはまる危険がある。「人権のデューディリジェンス」が企業の問題回避に役立つという意味は、まさにこういう事態を指している。

しかし指導原則も万能薬ではない。ヒューマン・ライツ・ウォッチほかは、指導原則のいくつかの分野において、国際人権基準よりも低い設定がなされていることを批判してきた。たとえば、補償やアカウンタビリティ実現を求める被害者の権利確保などだ。企業の多くは現在指導原則を、よき人権プラクティスのための世界で最も決定的な必要十分基準であるとみている。しかしそれは誤解なのであり、大きな問題がある。指導原則に反映されていない様々な基準を、多くの企業が単に無視してしまう危険があるからだ。

指導原則は、責任ある活動に関心を持つ企業にいくつかの有用な手引きを提供している一方で、企業と人権の問題へのはなはだ不十分な取り組みをも体現するものである、と認識することが肝要だ。その理由は、原則順守の確保あるいは実施状況のモニターをするための機関の存在が全くないまま、同原則が実際に何かを企業に義務づけることは全く不可能だからである。企業は指導原則を何のとがめを受けることなく完全に拒否することができるし、表向きは同意しながら、その実施に全く何の手を打たないこともできるというわけだ。指導原則は、企業を必要とされる範囲で厳密に規制することを政府にしっかり要求していないし、また企業が人権を確実に尊重するよう政府に対して十分な働きかけをしているわけでもない。

指導原則の一部の分野で進展があった結果、企業や多くの政府間に支配的な認識の枠組み確立を、同原則が実際に強化してしまう可能性もある。つまり、現在の企業や多くの政府に支配的な認識枠組みとは、十分な人権保護には単にほど遠く自主的でおおむね拘束力もない「誓約」を好み、企業に求められる規則や規制など不要とする考え方だ。

自主的イニシアチブとその欠点

この10年間は、特定のグローバル産業のもたらす人権上の懸念に取り組むべく、多国籍企業やNGO、政府が連帯した自主的イニシアチブの拡大がみられた。それらイニシアチブは、責任ある活動を望む企業に重要な指針の提供を目指す一方で、参加企業には倫理的で信頼できる企業というお墨付きを得ることを可能にした。

たとえば「安全と人権に関する自主原則(the Voluntary Principles on Security and Human Rights)」の下に大手石油・鉱山・ガス会社が結集した。これらの企業活動を護衛する治安部隊による人権侵害を防ぎ、それに対処することを義務づける基準を支持している。グローバル・ネットワーク・イニシアチブは、弾圧的政府による検閲や監視の共犯者になることを避けると誓約した、情報通信技術分野の企業などのイニシアチブ。ほかにも多種多様な長所と有効性を備える、企業の自主的イニシアチブが存在する。

これら自主的イニシアチブは有用な役割を果たしている。ヒューマン・ライツ・ウォッチは前述した2つの自主的イニシアチブ設立を支援した。そして、人権をめぐる企業のよりよい活動を試行・確保すべく、前述イニシアチブなどと頻繁に連携して活動している。

しかしそれだけでは十分とはいえない。

自主的イニシアチブはみな、重大な限界にぶつかっている。自主的イニシアチブの有効性は参加企業の意思によるのであり、参加を希望しない企業には適用されないという限界である。自主的イニシアチブは多くの場合、企業のよい人権プラクティスはなにかを明らかにするには有効だ。が、真の制度的変革への唯一の道は法的拘束力を持つ規制なのだ。

企業に対し法的拘束力を持つ人権規則が世界にない現状により、様々な影響が出ている。政府の不在を補うように企業が代役を務めた場合、物ごとは大体悪い結果に終わる傾向にある。石油資源が豊富なナイジェリアのニジェール・デルタで石油会社が率いる開発努力は、ここ数十年間失敗し続けたままだ。残虐な事件の続発する事態がそれを雄弁に物語っており、それはほかの状況にも等しく当てはまる。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは2010年、パプアニューギニアの金鉱でカナダ企業バーリック・ゴールド社に雇われた民間警備員によって集団レイプされた女性たちに、聞き取り調査を行った(報告書「Gold’s Costly Dividend」は翌11年に発表)。監督管理における決定的な過ちとは、世界最大の金鉱企業バーリック社が女性たちの申立を深刻に受け止めなかったことであり、ヒューマン・ライツ・ウォッチが現地で証拠収集するまで、何も手を打たなかった。

証拠の収集はヒューマン・ライツ・ウォッチではなく、政府の仕事であるべきだったはずだ。しかしパプアニューギニア政府は、腐敗や貧困、とりわけ著しく貧弱な制度と人材不足ゆえに行動をとれなかった。そのため、バーリック社の企業活動を監督する代わりに、それを企業自身に事実上任せてしまった。その後バーリック社は、将来の人権侵害を防止する目的で改革を進め、被害者への損害賠償も約束した。しかしこうした取り組みをもってしても、政府の監督不在によるギャップを、高度で豊富なリソースを備えた企業でさえ埋められないことを立証してしまったという現実を変えることはできない。

バーリック社の自由裁量に任せているのはパプアニューギニア政府だけではない。バーリック社が本社を置くカナダ政府も同様だ。実に世界の資源探査企業の大半がカナダを拠点にしている。したがってカナダ政府はおそらく、地球上のほかの誰にも負けないほど、こうした複雑な企業活動を監督する経験を積んでいるだろう。カナダ企業による人権侵害の訴えは世界各国で頻繁に表面化するが、カナダ政府はそのうちのどれが信頼に足る訴えか把握していない。有り体に言えば、疑惑を解明する権限を自らに付与するのを断固として拒否してきたのが実情だ。

自国企業民が国外で活動する場合に人権をめぐる活動状況を精査するにあたって、高度な能力を備えた政府でさえ無為無策である実状は、早急に解決を要する問題である。

求められる領域外企業活動に対する監視と規制

世界各国の政府は一貫して、自国企業による国外での人権をめぐる活動の監視や規制を怠ってきた。それを変えることが、前進のための唯一の道だ。

多国籍企業は世界中の国々に展開している。が、こうした企業の人権をめぐる活動に対し十分な監視や規制をする能力がない、あるいはその意思がない国々もある。その傾向はひどくなるばかりだ。パプアニューギニアやバングラデシュ、モザンビーク、ギニアのような統治の弱い発展途上国は、環境破壊や人権侵害を起こす危険が計り知れない産業分野に対し、海外からの新たな大規模投資を継続して歓迎している。

ビジネス展開先の政府が、企業の人権をめぐる活動に意義ある監督を行わないのであれば、企業はどこか別のところから監督される必要がある。最低でも各国政府は、国外に展開する自国企業の活動を積極的に監視し、人権侵害について信頼性の高い訴えを調査するという役割を担うべきだ。

それをしてもまだ、国外での人権をめぐる企業義務を政府はどうすればしっかり執行できるかといった、難しい疑問は残る。しかし少なくとも、自国企業市民が国外で重大な人権侵害に決定的な関与についての調査を政府が拒否するという、弁解の余地がない現状は終わるはずだ。

これを更に超え、ヒューマン・ライツ・ウォッチほかは、「人権のデューディリジェンス」実施や国際法上の人権に関する責任を果たすことを、各国政府が企業に義務づけること含め、政府が自国企業の活動を規制すべきであると強く主張してきた。そうすることが、責任ある政策というばかりではなく、国際法の新たな規範により支持されているのだ。

2011年に国際法と人権法の専門家会議は、「経済的・社会的・文化的権利の分野における国家の領域外義務に関するマーストリヒト原則(the Maastricht Principles on Extraterritorial Obligations of States in the area of Economic, Social and Cultural Rights)」を採択した。マーストリヒト原則は特に、国内に本社を置く、あるいは自国と親密な関係を持つ、超国家企業などの事業体のような非国家組織を規制する国家の義務について詳述した原則だ。

現状から目指すべきところに向かう道程は、かなりはっきりとしている。真の問いは、各国政府が正しい道に向かっての歩みを思い切って踏み出すかどうか、そして企業がこれを妨害せんとするのかそれともパートナーとして行動を共にするのか、である。これまでのところ双方には失望させられる状況であり、その結果苦しんでいるのは弱い立場にある人びとである。

注意を別にそらすおとり

国外の人権をめぐる活動を自国政府から監督あるいは規制されることに、企業が反対するのには企業なりの理由があるが、しかししっかりした検証に耐えられるほどの理由はない。

最もよくある反対論のひとつに、後進的な国の悪徳企業との関係で、こうした監督は企業を競争上不利な立場に追い込む、というのがある。しかし有り体に言えば、自国政府や株主から隠さねばならないような重大な人権侵害の共謀者とならない限りしっかり競争できないような市場に、企業はそもそも事業投資すべきではないのだ。

加えて、このような懸念は誇張であると考えるべき十分な理由がある。近年、世界各国の政府は、自国民と企業による国外での汚職を犯罪化するより厳しい法律を可決している。企業にとって汚職は、重大な人権侵害共謀よりも、避けることがもっと困難なものなのだ。しかし実際のところ、厳格な汚職防止法が企業をよりクリーンにすることはあれ、企業の競争力を低下させたことを示す証拠は全くない。

領域外監督・規制に向けた責任ある措置について、企業が抱く恐れの中で唯一もっともと言えるのは、「責任」「慎重」が時として「極端」「反企業」に変換される可能性についてだ。その方向にほんの少しでも門戸を開けば、杓子定規な過剰規制や、良心的なやむを得ない過ちの犯罪化に繋がるとの懸念が一部にある。

これに加えて企業トップの一部には、非政府サイドからの監督と規制論者は自らの産業に対して元来敵対的である、という疑念がある。こうした懸念のいくばくかは理解できるものだ。NGOの多くが合理的な規則を働きかけている一方で、たとえば「鉱山採掘産業が規制に押しつぶされるのを何が何でも見てみたい」とでもいうような活動家たちが一部存在するのも事実だからである。

しかし、こうした極端な意見が議論の行く末を決定づけるべきではないし、企業の監督と規制を避ける言い訳として利用されるべきでもない。

必要なものとはいえ、監督と規制の類を企業が好むようになることは、おそらくないだろう。また監督と規制が現実のものとなるのは、狭義の自己利益にはならないという計算も正しいだろう。しかし、国外における企業の人権関連プラクティスの監督と規制は、その下で企業が生き抜き、利益を上げることができる方法で達成し得る。政府が効果的措置をとるため、不当にわずらわしい規制は必要はないのだ。が、無為無策を正当化する天秤の片方には、あまりにも多くの人びとの回避可能な受難がある。

最初の一歩と有用なモデル

こうした問題に対する政府の責任ある行動がいかなるべきものかを示す、有用なひな形は少なくともいくつかすでに存在する。

ドッド・フランク財務精査法(the Dodd-Frank financial overhaul bill)第1504項の下、米国で上場した石油・鉱山・ガス企業はすべて、外国政府に対して行った支払いを公開するよう義務づけられる見込みだ。この法は「採取産業透明性イニシアチブ(以下EITI)」と呼ばれる多国間関係者協力の枠組みの中核要件を義務化するものだ。

採取産業が生み出す巨額の収益が多くの場合、開発と進歩よりも腐敗と人権侵害を巻き起こしてきたという理解からEITIは生まれた。EITIは透明性を高めることで、この問題に立ち向かおうとしている。第1504項は控えめだが、正しい方向への変革に踏み出す可能性を秘めたものだ。

アメリカ石油協会率いる業界団体で構成された、途方もない力を持つ連合体は、同法が発効するための規定を骨抜きするため訴訟を提起。事実上、外国政府への支払いについて、一般そして株主に対してさえも公開しない権利を要求している。同業界団体はまた、ドッド・フランク法のもうひとつの主な構成要素の施行を妨害するよう訴えている。その条項とは、企業の鉱物供給網が、コンゴ民主共和国の武力紛争と人権侵害を悪化させないよう確実にすることを義務づけるものだ。

すべての辛らつな批判にもかかわらず(というより、おそらく批判の根っこにある)、ドッド・フランク法が義務づけている透明性の確保は、不都合かもしれないが重要な真実を物語っている。世界の企業と人権の展望を支配する自主的イニシアチブの寄せ集めて達成されたことのほとんどが、拘束力のある法律と規制によって、より効果的かつ公平に実現し得たであろうということを。

多くの自主的イニシアチブの中核的義務事項は、比較的単純な法規制に変換可能だった。規制のひな形としてこれらは、世界主要企業による活動の合法性基準としてすでに受け入れられていた、という利点もある。これら基準を施行することは、自主的に採用した多くの企業にとって可能かつ有用であることが証明されている。もちろん、企業の自主的な人権をめぐる誓約を、法的拘束力のある人権規定の土台に変身させるべきだなどという考えには、大多数の企業が猛烈に反対することだろう。

しかしそれした反対は、それがうまくいかないという意味ではない。

同様に、ヒューマン・ライツ・ウォッチがこれまで主張してきたように、「人権のデューディリジェンス」は、仮にそれを政府が義務化すれば、より強力な道具になるはずである。米政府は近ごろ、限られてはいるがその方向で建設的な措置を講じた。ビルマに投資する企業に、人権問題を含む諸問題に関して実施した「デューディリジェンス」活動についてすべて一般に公開し、更に企業が特定したあらゆる人権上の危険や影響、被害軽減措置について政府に報告するよう義務づけたのだ。

しかし、この分野における政府活動に関してもうひとつの有用なひな形が、腐敗と闘う国際的な取り組みの中に存在する。他国の公務員に対する贈賄を、それが世界のどこで起きようとも犯罪とする政府の数は着実に増加している。事実、国連腐敗防止条約と経済開発協力機構(以下OECD)贈賄防止条約は、いずれもこれを義務づけている。厳密な「デューディリジェンス」計画を実施することで、企業は厳格な腐敗防止法に対応してきた。ところが実施されている計画は、「指導原則」が押し進める「人権のデューディリジェンス」と全く異なるものではない。

各国政府は現存する多国間機関を通して、人権をめぐるよりよい活動を行うよう企業に働きかけられないかについても検討すべきだ。多国間機関も同様に、問題の解決支援を提供する相手である各国政府にとって、いかによりよい助けになり得るかについて検証せねばならない。たとえば各国政府は、世界銀行の国際金融公社(以下IFC)を通じて、民間企業が受ける国際的な資金調達に厳格な人権に関する安全指針をもっと関連させ、企業コンプライアンス(法令順守)の独立した監視を義務づけることができる。

これは、IFCから資金調達をする事業の人権実績を改善する一助となるばかりでなく、ほかの貸し手にも影響を与える可能性が高い。2012年にIFCは、国際金融における人権問題をいくばくか考慮する方向に進む、新たな履行基準の実施を開始した。これは小さいとはいえ、重要な一歩だ。

また、ほかの現存機関をより強力・有用にすることも可能だ。OECD多国籍企業行動指針は、人権や環境保護ほか様々な分野の問題における企業活動に関する基本原則を定めた。加えて加盟国に、企業の国外活動に関する苦情を受けつける「連絡窓口」の設立を要請している。しかしその「連絡窓口」は、極めてぜい弱なことが多く、仲裁的機能はいっさいない。2012年にデンマークは、自国「連絡窓口」を改良し、自発的に企業の独立調査を行うことを可能にした。これは真の前進といえる。

最後に各国政府は、国境をまたいで活動する民間の職業あっ旋業者に関して国際的な労働基準が設定した、建設的な先例を検証すべきだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチがバーレーンやアラブ首長国連邦などで調査して取りまとめたように、多くの移住/出稼ぎ労働者が民間業者のあっ旋により海外で仕事に就き、重大な人権侵害に苦しんでいる。そして多くの場合、新しい仕事の待遇は意図的に誤って伝えられている。

国際労働機関(以下ILO)条約第181号を批准した政府は、自国を拠点とする民間職業あっ旋業者によって国外から集められた移住/出稼ぎ労働者を、人権侵害からまもり、人権侵害を防止するための措置を講じなければならない。同条約はまた、人権侵害や詐欺行為に関わったあっ旋業者に対する処罰も求めている。家事労働者に関するILO条約第189号は、家事労働者あっ旋について民間業者に同類の義務を課しており、これには国外からの移住/出稼ぎ労働者も含まれる。

最終的に求められるのは、効果的なバランスに尽きる。つまりは、展開先の地元をめぐる諸条件を企業が必ずしも完全に掌握している訳ではないほど現実が複雑になっていることを認めつつ、重大な人権侵害を減らしていく、ということだ。

そこにたどり着くには、全当事者が一定の行動をとる必要がある。

強力な企業がどこで活動していようとも人権尊重を義務化するということを、各国政府は単にいい考えとするだけでなく、勇気をもって実行することが肝要だ。人権活動家たちは企業にとってフェアで現実的な規制の枠組み作りを手助けするべきだ。そして企業は、自らの活動で影響を受ける人びとの基本的人権を尊重する責任能力を兼ね備えた主体となるために、各方面が提供する規制と監督を拒否するのではなく、進んで迎え入れるべきである。

クリス・アルビン=ラッキーはヒューマン・ライツ・ウォッチのビジネスと人権局上級調査員