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スリランカ

2009年の出来事

2009年のスリランカは、スリランカ政府と分離独立派タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)との間の内戦の最終盤に多くの人権侵害がおきたほか、内戦終結後も人権侵害が続いた。内戦の最終盤の数カ月間に、スリランカ国軍もLTTEも、国際人道法に対する重大な違反行為を繰り返した。それは、ある国連幹部が「大殺戮(bloodbath)」と表現するほどの残虐なものだった。そして、スリランカ政府が更に人権抑圧を推し進める政策を採用したため、同国における人権状況は全体として悪化の一途をたどった。

5月に内戦が終結。その直前の数カ月間、LTTEは子どもを含む民間人を、強制的に戦闘に参加させたほか、人間の盾として利用。戦闘から逃れるためにLTTEの支配地域から逃れようとするタミルの民間人を力で制止し、時に発砲もした。一方政府軍は、病院を含む人口密集地帯に無差別砲撃をしかけた。また、このような状況下では特に民間人への人道支援が重要だったが、政府もLTTEもこれを妨害した。

2008年3月以降、スリランカ政府は、戦闘を逃れてきたタミル人を拘禁している。2009年5月にLTTEが敗北し内戦が終結した後には、強制収容所の人口が25万人超にまで急増した。また、治安機関は、LTTEの関係者もしくはシンパであるとの容疑で、1万人以上を拘束(多くの拘束が、スリランカの法律及び国際両法に違反している)。ジャーナリスト、人権活動家、人道支援従事者に対する脅迫、身体的攻撃、恣意的逮捕も止まるところを知らず、その多くがスリランカから避難しなくてはならない状態に置かれている。一方で、人権侵害を犯した指揮官たちは、以前とかわらず、ほぼ全面的な「不処罰」を享受し続けている。

戦争法違反

2009年5月19日、スリランカ政府はLTTEに対して勝利宣言を行った。26年間続いたこの内戦で、8万から10万の人びとが死亡した。内戦の最後の数カ月間、スリランカ国軍も LTTEも、繰り返し戦争法違反行為を行い、その結果、民間人に不要な苦痛と犠牲をもたらした。

政府軍の攻勢の結果退却を余儀なくされたLTTEは、スリランカの北東部海岸のせまく細長い土地に数十万の民間人を追いたて、事実上の人間の盾として利用した。戦闘地域から政府支配地域に脱出しようとする人びとには発砲し、負傷させたり、殺害した。 LTTE部隊は、民間人の密集している地帯近辺にも展開。その結果、民間人が攻撃される危険を増大させた。更に戦闘の激化に伴い、子どもを含む民間人を強制的に徴兵し、戦闘をさせたり、戦場での危険な強制労働に従事させた。

スリランカ国軍は、重砲など、民間人と戦闘員を区別できない面制圧兵器を使い、人口密集地帯を繰り返し無差別攻撃した。LTTEの支配地域が狭まるにつれ、政府は3回にわたって「発砲禁止地域」「安全地帯」を一方的に宣言、民間人にそこに避難するよう呼びかけた。それにも拘わらず、政府軍は、その「発砲禁止地域」への攻撃をし続けた。また、政府軍は、戦争法を無視して、少なくとも30回にわたり、病院あるいはその近辺に砲撃を加えた。

スリランカ政府高官らは、戦闘地域に残っている人びとはLTTEのシンパであるため、合法的な軍事標的であると主張して、民間人への攻撃の正当化を試みた。これは、スリランカ政府高官らに、戦争犯罪を犯す故意があることを示唆した形となる。

戦闘地域の民間人たちは、食料、水、シェルター(住居)、医薬品の不足にも苦しんだ。2008年9月、スリランカ政府は、人道支援機関にLTTE支配地域から立ち去るよう命令。その結果、民間人の窮状を大きく悪化させた。戦闘の継続、しかるべき監視の欠如、政府及びLTTEによる援助給付の恣意的操作の結果、人道的危機は更に深刻になった。

政府軍及びLTTEによる人道法違反の程度についての正確な情報や、正確な犠牲者数は、依然として限定的にしかわかっていない。メディアや人権団体などが戦闘地域周辺で活動することをスリランカ政府が全面的に禁止しているため、中立的な監視がなかったことによるところが大きい。国連の推計によると、内戦末期の5カ月で少なくとも7000名が殺害され、1万3000名が負傷した。

国内難民の強制収容キャンプ

2008年3月以来、スリランカ政府は、事実上すべての戦争被災者を、軍が支配する強制収容キャンプに拘禁(政府はこのキャンプを「福祉センター」とよんでいる)。これにより、国際法に反して、28万人を超える人びとの自由権と移動の自由を侵害した。内戦終結から6カ月が経過した2009年11月18日現在、政府は12万9000人を超える人びと(その半数以上が女性と少女)を収容キャンプに拘禁し続けている。そのうち、8万人以上は子どもである。

避難民の解放を政府が拒否していることから、収容キャンプは大変な過密状態にあり、多くの場合、国連の基準の2倍の避難民が収容されている。その結果、食料品、水、住まい、トイレ、風呂といった生活必需品が足りていない。これにより、特に高齢者、子ども、妊産婦が困窮している。

スリランカ当局は、強制収容キャンプに拘禁中の人びとに、拘禁の理由、家族や親族の消息、あるいは帰郷の基準と手続きについて、十分な情報を提供しなかった。収容キャンプ内の人びとには、他のキャンプや非公式の収容施設に拘禁されているかもしれない行方不明の家族や親族を、探し出すシステムがなかった。そのうえ、軍の収容キャンプ管理当局は、国連や赤十字国際委員会(ICRC)などの人道支援機関が、キャンプ内で効果的な監視と保護を行うのを妨害した。

恣意的拘禁と強制失踪

内戦終結後も、曖昧で適用範囲が広すぎる非常事態令が施行されたままとなっている。この非常事態令を根拠に、スリランカ政府は検問所と収容キャンプで、1万人を超える人びとに、LTTE関与の疑いをかけて逮捕・拘禁。これらの逮捕・拘禁の多くは、スリランカの国内法及び国際法に違反している。当局が、家族や親族の安否や消息を知らせないため、被拘禁者の一部は強制失踪させられたのではないかという不安も広がっている。

また、スリランカ当局は、とりわけ、内戦の最終局面での残虐行為の目撃者たちを標的にした。LTTE支配地域で働き、政府による砲撃とそれによる民間人犠牲者について明らかにした政府の医師数名を逮捕し、数カ月間も拘禁。拘禁中に、医師たちが内戦の間の発言を撤回したことから、不当な圧力と虐待があったのではないかという疑惑が生じている。

強制失踪と拉致は、スリランカに長く広く存在する問題である。特に、強制失踪と拉致は、同国北部と東部で続いていおり、2009年1月から6月までの間に、トリンコマレー県(Trincomalee)だけで、16件の強制失踪が報告されている。

市民社会の活動家に対する攻撃

内戦中はもちろん、内戦が終わってからも、2009年を通じて、政府の行動を平和的に批判した人びとに対する脅迫と攻撃が続いた。その結果、スリランカですでに縮小してしまった自由な議論のできる空間を、さらに萎縮させた。

政府を批判したジャーナリストやメディア機関の多くは、正体不明の犯人によって襲撃された。特に有名な例として、去る1月、正体不明の武装した男たちが、サンデー・リーダー紙の編集兼首席ジャーナリストのラサンタ・ウィクレマトゥンガ氏(Lasantha Wickremetunga)を暗殺した事件が挙げられる。同氏は、その調査報道の質の高さで知られる一流ジャーナリストだった。6月1日には、男たちがポッダーラ・ジャヤンタ氏(Poddala Jayantha)を拉致。激しい暴行を加えた。同氏は、スリランカ・ワーキング・ジャーナリスト協会(Sri Lanka Working Journalists Association)の書記長で、後に釈放された。

スリランカ政府は、対テロ法と非常事態令を、平和的な手段で政府を批判する人びとに対して適用し続けている。8月31日、コロンボ高等裁判所は、政府の軍事行動に対して批判的な記事を書いたジャーナリストのJ.S.ティッサイナヤガム氏(J.S. Tissainayagam)に、テロ防止法のもと、重労働20年の刑を言い渡した。この裁判は、適正手続きを欠く、欠陥だらけの裁判だった。同氏と発行人は、2008年3月に逮捕・拘禁されたにもかかわらず、半年近くも正式に起訴されなかったことになる。「ジャーナリスト・プロジェクト委員会」(Committee to Project Journalists)によると、スリランカでの暗殺さえもいとわないメディアへの敵対的な状況ゆえに、2009年6月までの1年間に、少なくとも11名のスリランカ人ジャーナリストが外国に避難することを余儀なくされた。

人権活動家も、ターゲットにされた。5月7日、制服を着て武装した男たちが、「人権と開発センター」(Centre for Human Rights and Development)のメンバーであるステファン・サンタラジ(Stephen Suntharaj)を拉致。この時、同氏は警察に2カ月拘禁された後、最高裁判所の命令で釈放されたばかりであり、今も行方不明のままである。8月20日、スリランカの主要なNGO「オルタナティブな政策センター」(Centre for Policy Alternatives)事務局長パイキアソティ・サラワナムッツ氏(Paikiasothy Saravanamuttu)は、彼のせいでスリランカが欧州連合との貿易特恵を失う可能性があると非難する匿名の手紙で、殺害予告をされた。2週間後、スリランカに再入国しようとしたところ、警察が同氏を空港にて短期間拘禁した。

政府当局者は、国連やICRCなどの国際機関に対し、LTTEの支援者あるいはシンパであると、公然と非難し続けた。9月に政府は、内戦中はもとより内戦後も悲惨な状況に置かれている子どもたちの現状を明らかにしたユニセフ(UNICEF)広報担当者を国外に追放。7月にも政府は、ICRCに対し、スリランカ東部にある事務所を閉鎖するよう要求。このため、ICRCは、北部の避難民の大半にアクセスすることができなくなった。

法の正義とアカウンタビリティ(責任追及)

マヒンダ・ラジャパクサ(Mahinda Rajapaksa)大統領は、2009年3月23日に潘基文国連事務総長との間で共同声明を出すなど、スリランカ政府は、法の正義とアカウンタビリティについて、多くの約束をしたものの、内戦末期数カ月間におきた人権侵害及び戦争法違反に対する調査にむけた措置は、何一つ取られていない。そればかりか、大統領を含む政府高官は、戦争法違反などの疑惑を繰り返し否定し、国軍による違反行為はなかったと主張している。10月、ラジャパクサ大統領は、米国政府がスリランカで戦争犯罪が起きたとする報告書を出した件について調査する専門家委員会を設立。しかし同委員会は、適切な調査を行うための権限もリソースも、中立性も持ちあわせていない。

スリランカ政府が、今回、重大な人権侵害行為についてのアカウンタビリティに取り組むことを拒否したことは、治安機関による人権侵害を不問に付すという長年にわたるお決まりの手法を続けているに過ぎない。これまで、アドホックな仕組みを立ち上げて、アカウンタビリティに取り組むという試みが何度もなされたが、今までほとんど結果を残していない。人権侵害を調査する名目で設立された大統領指名の事実調査委員会は、2009年6月、調査対象とされた16の事件の内、わずか7件を調査したのみで解散。16件の中でも最も有名な事件である2006年の援助関係者17名の処刑形式での暗殺事件について、同委員会は、十分な根拠もないまま、治安部隊に責任はないと決定。同事実調査委員会をモニターすることとされていた国際独立有識者グループ(International Independent Group of Eminent Persons)は、2008年に、同事実調査委員会の活動手法に様々な欠陥があるとして、辞任している。なお、現在まで、ラジャパクサ大統領は、同事実調査委員会による調査結果を、全く公開していない。

政府が、最も悪質な人権侵害さえ不問に付していることのあらわれといえる事態のひとつとして、2009年4月、政府が、ヴィナヤガムールティ・ムラリーサラン(V. Muralitharan)を、国家統合大臣として指名したことも挙げられる。同人は、LTTEの指揮官カルナ(Karuna)大佐として、1990年代前半、警察官数百名を処刑した事件に関与したとされるだけでなく、何千人もの子どもたちを、LTTE所属の時にはLTTEに徴集し、その後、カルナ派として分派した後はカルナ派に徴集した人物である。

国際的役割を担う主要国及び機関

多くの政府や外交官たちが、スリランカ政府に対し、人権を尊重し、紛争による民間人犠牲者が出るのを避けるよう説得するため、強力に働きかけてきたが、同政府は往々にしてそれらを無視してきた。米国及び欧州の数カ国が、紛争の両当事者が犯した人権侵害を公けに批判し、戦闘地域に閉じ込められた民間人を救出するための「人道的回廊」設置を求めた。しかし、これらをのぞけば、全体としては、スリランカに関係する主要国政府や国際機関は、スリランカの人道的危機に対して、しっかり対応しなかった。国連安全保障理事会は、次々に人道危機が明らかになっていったのに、公式議題の一つとして議論することさえなかった。また、5月に行われた国連人権理事会によるスリランカ特別会期の際、ブラジル、キューバ、インド、パキスタンをなどの各国政府は、スリランカ政府の行っている政策を歓迎するという重大な問題を含む決議の採択に尽力する一方で、人権保護に向けたしっかりした内容の決議案が採択されるのを阻止するのに専念した。

国連機関の一部、例えば人権高等弁務官事務所や超法規的処刑に関する特別報告者などが、スリランカ人道危機に対して率直な発言をした一方で、スリランカ駐在のある国連幹部や国連事務総長潘基文などは、戦闘地域に閉じ込められた民間人に対する戦争法違反の攻撃や避難民に対する権利侵害を、十分に非難しなかった。他の紛争と比べて際立った問題点として、国連が推計民間人犠牲者数の公表を拒否したことや、国連事務総長がラジャパクサ政権に5月23日の共同コミュニケで約束した公約を実行させるのに失敗したことが挙げられる。

9月、欧州委員会は、人権・労働権・環境基準に関する27の国際条約に対するスリランカの遵守状況の調査を完了。これは、「GSPプラス」と呼ばれる貿易特恵の延長をスリランカが受ける資格があるかどうかの審査だった。スリランカの人権保護状況についての懸念や、同政府が調査協力を拒否したことが、2009年12月に同特権を延長するかどうかに関して、欧州委員会に疑問を投げかけた。米国務省の戦争犯罪局は、10月、内戦末期の数カ月間に紛争両当事者が犯した戦争法違反を詳述した報告書を発表している。

また、IMF (国際通貨基金)は7月、スリランカに26億米ドルの資金貸付を認めた。この融資の評決は、同国における人権状況に対する懸念から、数週間から数ヶ月遅れた。融資決定の際の評決の際には、米国、英国、フランス、ドイツ、アルゼンチンの5カ国が、スリランカの人権侵害を受け入れられないことを表すために棄権するという、極めて異例の行動を取った。