Skip to main content

ベトナム

2009年の出来事

ベトナムは2009年、共産党の権威強化のため、反体制派に対する弾圧を強めた。当局は、平和的な民主活動家、独立した宗教活動家、人権活動家、ネット上で政府の政策を批判した人など数十名を、「反政府プロパガンダ」の流布罪や「民主的自由濫用」罪など、国家治安維持法のあいまいな規定を使って逮捕。裁判所は2009年、少なくとも20名の政治犯と宗教犯に有罪判決を下した。10月に懲役刑を言い渡された5名は、その前月に国連の「恣意的拘禁に関する作業部会」が恣意的に拘禁されていると判断した人物たちである。ベトナムで、基本的な自由を行使しただけで投獄されている人びとの数は400名を超えている。

ベトナム政府は、インターネットやブログ、独立した調査に対する規制も強化。政府に批判的な内容の発信及び発行を禁止した。政府は、公民権や宗教の自由、土地を巡る争いに対する公平な解決を求める宗教指導者やその信徒たちを、標的にした。その結果、宗教の自由の侵害はさらに悪化し続けた。

反体制派に対する弾圧

2009年6月に開催された重要な党大会を前に、ベトナム政府は、共産党への批判を殲滅し、社会的混乱を抑える活動を強化。5月、ベトナム政府は次から次へと逮捕を敢行した。非合法化されたベトナム民主党(DPV)の関係者であるとの容疑で、27名の人びとが拘禁された。著名なレ・コン・ディン(Le Cong Dinh)弁護士など、少なくとも5名が、国家治安維持法違反で起訴された。本レポートの執筆時においてその裁判は係争中である。加えて、その後、少なくとも8名の反体制派活動家、ブロガー、政治家に対する逮捕が続いた。

結社の自由、集会の自由

ベトナム政府は、野党政党を禁止していることはもちろん、独立した労働組合や人権団体も禁止している。労働者たちは、共産党が支配する労働同盟から承認を受けない限り、ストライキを禁じられている。労働者の権利の活動家や、独立した労働組合を求める活動家は、嫌がらせを受けたほか、逮捕されたり、投獄されたりしている。

土地収用や地方での汚職に抗議するために農民たちがハノイ市やホーチミン市で集会を行う際には、政府はこれを許容する姿勢を示すことが多いものの、政治的な抗議運動は大体すべて禁止されている。抗議活動に対する警察の一斉検挙・取締りは、多くの場合、世間の人びとの目が届かないように(特に地方の場合)行われる。例えばこの5月、警察は、メコンデルタでおきた土地強奪に抗議するクメール族農民のデモを解散させ、これを組織した容疑でフィン・バー(Huynh Ba)氏を逮捕。逮捕以来彼はソク・チャン(Soc Trang)刑務所に隔離拘禁されている。

宗教の自由

ベトナム法上、宗教団体は、政府に登録するとともに政府が支配する管理委員会のもとで活動するよう義務付けられている。未登録宗教団体の信者や、国際的に保障された宗教の自由を求める宗教指導者たちは、嫌がらせを受けたり、逮捕や自宅軟禁されている。

中部高原では2009年、山岳民のキリスト教徒数十名が逮捕された。政府が破壊分子とみなす未登録の地下教会に所属しているとか、土地に関する抗議運動を計画したとか、人権侵害についての情報を外国の活動家に伝えた、などの容疑を掛けられたためである。特に取締りが厳しかったのはザライ(Gia Lai)省。2009年、ザライ省では、50名を超える山岳民キリスト教徒が逮捕され、少なくとも9名が懲役刑に処された。そのほか、山岳民キリスト教徒たちが、政府公認教会に入ると署名するのを拒否すると、警察は彼らに対して度々暴行を加え、電気警棒でショックを与えた。

ベトナム政府は、非合法化した統一仏教教会(Unified Buddhist Church of Vietnam)の信徒に対する迫害を続けた。同教会の総大僧正は、政府の政策を批判したために仏塔に軟禁されたままである。ベトナムで投獄されている宗教指導者のなかには、ローマカトリック神父のグエン・ヴァン・リー(Nguyen Van Ly)、メノナイト派キリスト教牧師1名、ホアハオ仏教徒数名がいる。

7月、警察がクワンビン(Quang Binh)省内の歴史的な教会の遺跡の近くに建設された仮設教会を破壊したことを受けて、約20万人のカトリック教徒が平和的に抗議を行った。警察は教区民に催涙ガスと電気警棒を使って暴行を加え、19名を逮捕。内7名は公共の秩序を混乱させた容疑で起訴された。

9月、ベトナム政府当局は、仏僧と尼僧300名以上をラムドン省にある瞑想センターから強制退去させた。同センターは、2005年に当局の認可を得て設立された施設。少なくとも2名の仏僧が故郷に強制的に送還され、自宅軟禁されている。瞑想センターの設立者であり平和活動家であるティック・ニャット・ハィン (Thich Nhat Hanh) 師が、2007年、政府が宗教規制を緩和すべきであると求めたことから、政府は、同センター閉鎖に向けた措置を講じた。

表現及び情報の自由

ベトナム政府はメディアを厳しく支配している。政府に反対し、国の安全を脅かし、国家機密を暴露し、或いは「反動的」な思想を広めた書物の著者・出版関係者・ウェブサイトやインターネットの使用者には、刑事罰が適用される。

2009年、首相は、政府や共産党を批判したり反対する内容の調査の発表を禁止するとともに、民間団体の調査は政府が認めた317項目の項目に限るとする政府決定97を発令した。ベトナムの数少ない独立系シンクタンクである開発研究機構(Institute of Development Studies)は、政府決定97が発効する1日前に閉鎖した。

ベトナム政府は、オンライン上の活動を監視してインターネットを統制するとともに、サイバー上の反体制派を逮捕し、人権団体及び政治団体のウェブサイトをブロックしている。インターネットカフェのオーナーは、インターネットユーザーから写真付きの身分証明を得るよう義務付けられている。ブログを規制する2008年通達は、ブロガーに対し、書き込み内容を個人的なものに制限するよう求めるとともに、政治についての書き込みや、政府が国家秘密・国家転覆・国家安全保障や社会秩序への脅威と認定する事項についてインターネット上に書き込みすることを禁止している。

議論を呼ぶ事柄について報道したジャーナリストたちは、罰金を科されたり、逮捕されたりした。そのほか、2005年に起きた大型の汚職スキャンダルを暴露したベトナムの主要新聞2社の編集者が、2009年1月に解雇された。

2009年、ベトナム政府は、中国との微妙な関係について、ある程度までの国民的議論に対しては、寛容な姿勢を示した。しかしベトナムの対中政策、とりわけ領土紛争のある外洋の島や中央高原のボーキサイト鉱山に対する中国の投資に関して、ベトナム政府の政策が融和的だと批判した人びとに対しては、選択的に懲罰措置を取った。ズーリック(Du Lich)新聞が中国のベトナムとの領土紛争についての批判的報道をしたため、4月に当局は同新聞の発行を停止、5月には副編集長が解雇された。8月と9月、警察は、中国を批判する記事を書いたブロガー2名とインターネット・ジャーナリストを、国家安全保障への脅威の容疑で逮捕し短期間拘束した。9月にはまた、ベトナムとの間の海境を防衛するために中国が行った軍事演習について「未承認」情報を掲載した、共産党ウェブサイトの編集者が、政府から罰金を科された。

刑事司法制度

警察による拷問は横行していて、特に政治犯及び宗教犯への尋問の際、拷問が顕著である。政治犯及び宗教犯は通常裁判に先立って隔離拘禁され、家族との面会や弁護士との接見も許されない。ベトナムの裁判所は、独立性や公平性に欠けている。反体制派の人びとや宗教関係者は、刑事上の諸手続きにおいて弁護士の弁護を受けることなく裁判にかけられることが多いほか、裁判手続きは国際的な公正裁判の基準を満たしていない。

政治活動家や宗教リーダーを弁護をする弁護士たちは、レ・コン・ディンのように激しい嫌がらせに遭うほか、時に逮捕される。2009年2月、警察は、2008年にハノイで追悼の祈りを行った際に逮捕された、カトリック教徒たちを弁護しているレ・チャン・ルアット(Le Tran Luat)弁護士の事務所を捜索。当局は、彼のコンピューターと書類を押収し、依頼者たちとの面会を妨害したほか、彼を拘束して尋問し、事件から手を引くよう圧力をかけた。

ベトナム法は、裁判なしの恣意的な「行政拘禁」を認めている。命令44のもと、反体制派など、国家の安全の脅威とみなされた人びとを、本人の同意なしで精神病院に入院させたり、国営「リハビリ」センターに拘束することが許されている。

セックス産業の労働者や人身売買の被害者、ストリートチルドレン、薬物使用者、露店商人などは、令状なしで一斉検挙され国営リハビリセンターに拘束されることが多い。こうした人びとは、暴行・性的虐待・食料不足にさらされ、治療を受けられることはほとんどない。薬物常習者でこうしたセンターに収容されている人びとは推定5万人いると考えられているが、そうした人びとに対する薬物依存治療なども殆んど行われていない。

刑務所環境は苛酷で、命を落とす人もいる。未決拘禁は1年以上続くこともあり、その間、暗く・狭い・不衛生な房にベッドや蚊帳もなく隔離拘禁される人も多い。有罪判決を受けた囚人は、時に非常に危険な環境で、重労働を行わなければならない。

主な国際的アクター

ベトナムは、2009年10月、国連安全保障理事会の議長国をつとめた。ベトナムへの支援ドナー国政府や、国連加盟国からの強い圧力にも関わらず、ベトナムは2009年中、ベトナムの悲惨な人権状況の改善に向けて殆んど何の努力もしなかったほか、国連人権機関に協力もしなかった。

2009年に行われた国連人権理事会での普遍的定期的審査の際、ベトナムは、広範な国連加盟国から提案された主要な45勧告を拒否。これらの勧告には、インターネットの制限撤廃、独立したメディアの承認、拷問・恣意的拘留・死刑の廃止に向けた措置、人権保護促進、平和的な抗議・意見表明をする個人の権利を認めること、などが含まれていた。

恣意的拘禁に関する国連作業部会が9月に出した報告書は、ベトナム政府が、反体制派10名を違法に拘禁したと結論。また、同部会は、ベトナムの刑法に、人権条約に違反している条項があると批判し、「民主的自由を濫用」した罪で5年の刑に服しているジャーナリストのチュオン・ミン・ドゥック(Truong Minh Duc)を直ちに釈放するよう求めた。

ベトナムの援助国は、2008年12月の年次会合の際、500万ドル以上の援助をベトナムに約束した。2009年、援助国は、ベトナム政府に対し、反体制派逮捕・メディアやブログへの検閲・宗教の自由の侵害・少数民族の不当な処遇・子どもの権利の侵害・ボーキサイト鉱山の環境的及び社会的な悪影響など、広範囲にわたる人権面の懸念を表明した。

ベトナム輸出品の最大マーケットである米国は、特に、メディアの自由の侵害や平和的な反体制派の活動の犯罪化・ブログや独立的調査に関する制約などについて、ベトナム政府に人権状況改善を強く求める一方で、ベトナムとの貿易・投資・安全保障などにおける関係発展に専念した。2009年に行われた政治軍事対話の際には、薬物及びテロに対する共同作戦の可能性も議題にあげられた。

日本は、ベトナムに対する最大の援助国であり、第三番目の投資国でもある。従って大きな影響力を有しているが、ベトナムの人権状況を公に批判しない政策を続けている。ベトナムでのプロジェクトにおける汚職スキャンダルに関連して、2008年に援助を停止したものの、その後の2009年3月、ベトナムに対する援助と貸付を再開した。