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ビルマにはどのくらいの政治囚がいますか。どういう人たちが捕まっているのですか。

ビルマでは2,100人以上の政治活動家が、90を超える各地の刑務所や労働収容所に収容されています。ビルマ社会の様々な層の人たちが投獄されており、活動家、政治家、ジャーナリスト、仏教僧や尼僧、アーティストや芸能人、詩人や音楽家など多岐にわたります。たとえば、国民的なお笑い芸人のザーガナ氏(本名マウントゥラ)や、学生が主導した1988年民主化蜂起の指導者で、軍政支配を20年以上正面から批判してきたミンコーナイン氏、軍政当局が大規模な強制労働を強制していることに抗議している著名な労働活動家のスースーヌウェ氏、30歳の仏教僧で2007年反政府デモの中心人物の一人ガンビラ師といった名前を挙げることができます。

なぜ刑務所に入っているのですか。

こうした活動家が刑務所に入れられているのは、軍政にとっての脅威だからです。軍事政権は、自分たちを批判していると感じる平和的な活動に恐怖を覚えるのです。たとえばデモ行進のほか、歌ったり、物を書いたりして自由な表現を行うこと、サイクロン「ナルギス」後に人道支援を行うこと、宗教行為、インターネットを使った運動をすることなどが弾圧の対象になっています。刑務所にいる2,100人の活動家の多くは、ビルマの市民社会の優れた指導者です。政府は反政府運動を広げないように、また育ちつつある人権活動家層の芽を摘むために、こうした人たちを刑務所に入れているのです。

政治囚はどういった犯罪を行ったのですか? 裁判は公正に行われたのでしょうか?

活動家を刑務所に入れる根拠となっているのは、自由な表現や平和的なデモ行進、組織の結成などを違法とするビルマ刑法で、内容は到底現代刑法とは信じられないようなものです。平穏なデモに参加することや、デモの様子を撮影したテープやデータを持っていることが犯罪になるのです。多くの活動家は刑法第505条b項違反で訴追されています。この条項は「公衆全体、または公衆の一部に恐怖や警戒心を引き起こす可能性があり、そのことを通じて国家または公共の静穏に対する犯罪を他人に教唆するおそれのある文書、風説または報告」を作成、掲載または流通させることを禁じています。このほかよく用いられる容疑としては、宗教を侮辱する意図によって行う信仰の場の毀損または冒涜、外国に対する名誉毀損、公共の害となる文書の作成、違法な結社の結成、許可のない外貨の所持があります。政府は多くの活動家やジャーナリスト、仏教僧、学生を「テロリスト」とし、僧院に爆弾や武器を所持していたと主張して起訴しています。大部分の裁判が、一般刑務所・軍刑務所や警察署の中に設置された非公開法廷や、一般参加に制限のある裁判所の法廷で行われています。活動家側の弁護士のなかには、裁判官と検察官の不公平な裁判と行動に抗議したところ法廷侮辱罪とされ、逮捕、投獄された人もいます。

刑務所の環境はどうなっていますか。囚人には拷問や虐待が行われていますか。

ビルマの刑務所の環境は劣悪です。虐待と拷問は日常的です。懲罰として、きつい姿勢の維持、殴打、狭く光の入らない房(通称「犬小屋」)への独房拘禁などが行われています。食糧と治療はきわめて不十分なことが多く、まったく提供されないことさえあります。さらに経費が囚人の自己負担となることも多いのです。2008年後半に判決を受けた政治囚には、山あいの荒涼としたへき地の刑務所に移送された人たちもいます。活動家をこうした場所に移送する目的は、家族の訪問や弁護人の仕事を難しくすることのほかに、囚人の福祉に関する情報を国際社会に届きにくくするためでもあります。政治活動家にとって、獄中にいる期間とは、心身両面での処罰や愛する人々からの別離だけを意味するものではありません。軍事政権は、活動家たちを人気のない場所で長期の刑に服させることで、活動家をビルマ社会と切り離し、刑務所の外の世界の記憶から活動家を消してしまうことも狙っているのです。

ビルマ軍事政権が2,100人の政治囚をすぐに釈放する可能性はありますか。

このキャンペーンの目的は、2,100人の政治囚全員の釈放を実現することです。国連のほか、米国、オーストラリア、カナダ、EU加盟国、日本、タイ、インドネシア、インドなど各国の政府が、ビルマ政府に対して全政治囚の釈放を繰り返し求めています。しかし軍政はかたくなにこれを拒否しており、これまでにごく少数の政治囚が釈放されたにすぎません。囚人の恩赦が何度か行われていますが、いずれも国際社会の批判を和らげようとするPR戦略にすぎず、恩赦された囚人のうち政治囚はごく少数でした。ビルマ政府の公式発表によれば、2004年11月からこれまでに5回の恩赦があり、計38,618人の囚人が釈放されています。しかしそのうち政治囚は461人、全体の1.2%にすぎません。

  • 2009年2月、6,313人に恩赦。うち政治囚は31人。
  • 2008年9月、9,002人に恩赦。うち政治囚は9人。有名なジャーナリストのウィンティン氏(80)が釈放。
  • 2007年11月、8,585人に恩赦。うち政治囚は20人。
  • 2005年7月、約400人に恩赦。うち政治囚は341人。
  • 2004年11月と12月、14,318人に恩赦。うち政治囚は60人。

ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2010年3月の総選挙が、政治囚全員の釈放を軍事政権に迫る新たな機会になると考えています。これを実現するためにはあなたの協力が必要です。

政治囚2,100人の釈放にむけてビルマ軍政に圧力を加えるためには、国際社会は何をすればいいのですか。

国際的な圧力は政治囚の釈放を実現する上で大きな役割を果たすことができます。ビルマと関係を持つ諸外国政府が、人権保護のために自らの影響力を行使し、不当に拘束されている人権活動家やジャーナリスト、活動家の釈放を求めることはきわめて重要です。関係国政府や地域機構、国際機関は、ビルマ政府に対して全政治囚の無条件即時釈放を強く働きかけるべきです。外国政府の高官がビルマを訪れる際には、政治活動家との刑務所内での個別面談を強く要求し、政治囚の意見を聞き、その勇敢で意義深い活動に支持を表明すべきです。政治囚の釈放は、諸外国が軍事政権の政治改革に関与する際の前提条件とされるべきです。中国やロシア、インド、東南アジア諸国は、ビルマ軍事政権に対し、真の政治改革プロセスとは、社会のより広範な層からの積極的な参加が不可欠であることを明確に伝えるべきです。ビルマ軍政首脳は国民のあらゆる層の活動を押さえ込もうとしており、これまでも人権活動家、独立系ジャーナリスト、仏教僧、人道支援活動家、体制批判派の勢力のメンバーなどが弾圧の対象となってきました。ビルマ政府と係わり合いのある全ての国が、二国間対話や貿易、エネルギー開発に関する契約など、あらゆる交渉や会合を行なう際に、必ず政治囚の釈放を提起するべきです。

この問題に関心を持った人は、勇敢なビルマの政治囚の釈放を実現するためにどんな協力ができますか。

ヒューマン・ライツ・ウォッチはビルマ国内の刑務所にいる数千人の政治活動家のことを決して忘れません。そして、皆さんにもそうあってほしいと願っています。信念と勇気を持ったこうした人々に注目し続けることで、世界中の人々がこうした人びとの釈放に一役買うことになるのです。皆さんが住む国で、この情報を広げてください。そうすれば、あなたの国の政治家が情報を知るきっかけとなり、正しい行動をとることにもつながります。ほかにも、ビルマの政治囚の釈放を実現するためにあなたにできることの例をご覧になりたい方はここをクリックしてください。地元の新聞への投書や、国会議員への働きかけもとても役立ちます。そのほかにも、FacebookやTwitterも使って、この問題の情報を広げてください。

20095月のアウンサンスーチー氏の逮捕とその後の裁判について、ヒューマン・ライツ・ウォッチはどのような立場を取っていますか。

アウンサンスーチー氏は、この20年のうち14年を自宅軟禁下で過ごしてきました。そして今回、アメリカ人のジョン・ウィリアム・イェトー氏が2009年5月3日から5日にかけて、スーチー氏の自宅に無用に侵入したことに関して、自宅軟禁を定めた条件に違反したとの根拠のない容疑で起訴されています。イェットー氏はインヤー湖を泳いで渡ってスーチー氏宅に侵入したと言われています。2009年5月14日、公安警察はアウンサンスーチー氏と、住み込みで家政婦をしているNLD支持者のキンキンウィン氏、娘のウィンママ氏をラングーンのスーチー氏宅で逮捕し、全員の身柄をインセイン刑務所に移しました。当局は3人を国家防御法第22条違反で起訴しました。この条文には「本法の下で出された命令に反対する、反抗するまたは背く行為を行った者は、3年から5年の刑または5,000チャットの罰金、または両方の刑罰に処する」と定められています。スーチー氏の裁判は何カ月も引き延ばされました。軍事政権がスーチー氏を引き続き拘束する理由をひねり出そうとしてきたことに応えた判決が言い渡され、ビルマでは司法権力が明らかに乱用されていることを示しました。2009年8月11日、スーチー氏は3年の刑を宣告されましたが、すぐに自宅軟禁1年6カ月に減刑されました。しかし、スーチー氏はただちに無条件で釈放されるべきです。

2007年の反政府デモではどれくらいの活動家が逮捕されたのですか。

ビルマ軍事政権は、2007年8月から9月に行われた一連の抗議行動の際に2,836人を逮捕したと発表しました。その後何カ月にもわたって軍事政権は逮捕を続けました。当局が潜伏中の活動家や、デモに参加した疑いのある人物の捜索を続けたからです。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、実際の被逮捕者数は政府発表よりはるかに多いと考えています。また2007年12月に発表した報告書『弾圧の実態:ビルマ2007年民主化蜂起を封じ込める軍事政権』(日本語簡略版:  https://www.hrw.org/reports/2007/burma1207/burma1207jasum.pdf )には、逮捕の様子や収容中の虐待に関する事例をいくつも収めました。政治囚の人数は2007年の反政府デモ以前には1,100人でした。しかしデモの前後の時期に逮捕された人のうち1,082人が、現在も身柄を拘束され続けていたり、あるいは、有罪判決を受けて刑務所に収容されたりしています。したがって2007年と比べて政治囚は倍増してしまったのです。

2008年にサイクロン「ナルギス」がビルマを襲いました。ビルマ政府は被災者の救援に動いた活動家を逮捕したそうですが、なぜですか。

ビルマ政府が被災者支援を行わず、責任を果たそうともしなかったので、市民社会がサイクロン「ナルギス」被災者の救援を代わりに行いました。数千人単位の人々が活動し、個人やコミュニティが寄付を募り、援助物資を集めて、イラワディ・デルタの被災地域やラングーン周辺に出向いて、深刻な被害を受けた村落への救援活動を行いました。コミュニティ・ボランティアや民間団体、国際機関職員など様々なビルマ人が、当局が設置した道路上のバリケードや障害物にたびたび妨げられながらも、自国民の救援活動にあたっていました。ビルマ政府は、政府から独立して救援活動を行おうとしたり、政府の対応への不満を公言した援助関係者や活動家を逮捕しました。お笑いタレントのザーガナ氏は、様々な規制をくぐり抜けて被災地に援助物資を届けていましたが、外国の報道機関とのインタビューで、政府の対応を批判したために逮捕されてしまいました。このほかにも、サイクロン被災地の実情を公表しようとした、または政府を批判したなどとして、20人が逮捕されています。

なぜ国軍が政権を支配しているのですか。どのように権力を獲得したのですか。

ビルマ国軍は1962年から今日まで、何度か名前を変えながらも一貫して政権を維持してきました。1962年3月2日、ネウィン将軍がクーデターを起こし、民主的な選挙に基づく政府を廃止し、国の実権を掌握しました。それから数週間のうちに、基本的自由が厳しく制限されました。政党の非合法化、集会の制限または禁止、報道の自由への著しい制限が行われ、国内での移動や入出国の自由も国軍の管理下に置かれました。こうした自由は現在に至るまで回復されていません。国軍は1974年に名目的な民政移管により社会主義政権を成立させています。しかしこの制度が失敗し、ビルマ国内での抑圧や国際的孤立が深まったことが、1988年民主化蜂起の引き金となります。全国で数百万人が民主的な改革を求めて大規模なデモを行いました。ビルマ国軍は最終的に1988年9月18日に、極めて暴力的なクーデターを行いました。街頭での抗議行動が行われていたこの数カ月間に、命を失った犠牲者は3,000人と見られています。国軍指導部は総選挙実施まで暫定的に国を統治する機関として「国家法秩序回復評議会」(SLORC)を設置しました。これは1997年には「国家平和発展評議会」に改称されて現在に至ります。1990年5月に行われた総選挙では国民民主連盟(NLD)が投票総数の60%を獲得して勝利しますが、軍政はこの結果の受入を拒否し、戒厳令も解除しませんでした。そして立法と行政の全権限を引き続き行使し続け、当選議員の排除を実行しました。軍政は表向きは暫定政権ということになっているものの、当初の「暫定」期間は憲法改正作業が完了するまででしたが、これが2007年9月に完了すると、今度は2010年5月に総選挙が実施されるまで期間を引き延ばす、としました。新憲法は2008年5月の国民投票で、92%というありえない賛成率によって承認されています。この憲法は将来的な軍政支配を固定化することになります。ヒューマン・ライツ・ウォッチでは国民投票の実施に至る過程を、2008年5月発表の報告書『投票しようのない国民投票:ビルマ 2008年5月の国民投票』にまとめています(英語版:https://www.hrw.org/reports/2008/burma0508/ )。

どの国がビルマ軍事政権に最も大きな影響力を持っていますか。

ビルマ軍事政権を支える国々は、通商面で強い結びつきを持つタイ、シンガポール、マレーシアなどの東南アジア諸国のほか、中国やインド、ロシアなどです。中国はビルマ西部から雲南省にまで至る長大な天然ガスのパイプラインを、併設する原油パイプラインと共に敷設する計画を発表しています。これはビルマで最大級のインフラ整備事業です。東南アジア諸国連合(ASEAN)は、1997年にビルマの加盟を承認しました。ASEANは現在までビルマとの交渉の最前線に立ってきましたが、ビルマ国内に変化をもたらすことに失敗したとして各方面から批判を浴びています。ASEAN加盟国、なかでもインドネシアとタイ、フィリピンは、軍政に対する不満のトーンを一層高めています。ASEANは、ビルマ問題で果たすことができる重要な役割があり、軍政幹部への影響力を行使するための取り組みを強化すべきです。また日本は、ビルマの主要な援助国であり、古くからの外交面での緊密な結びつきがあり、軍政に強く要求を行なうことができる大きな力を持っています。北朝鮮は軍政の緊密な同盟国として近年浮上しており、武器システムを売却しているほか様々な軍事援助を提供しています。もちろん、これらの国々がビルマ軍事政権とこうした結びつきがあるからといって、そうした国々が軍政に対してかならず影響を及ぼせるとは限りませんが、しかし投資と戦略的利害などでビルマと関係を持っているということは、影響を及ぼす潜在的な力を持っているといえます。問題は、中国やロシア、インドといった国々がビルマ軍政そのものやビルマで起きている深刻な人権侵害を公けの場で非難することをしないだけでなく、国連という場を通してビルマ政府により強い圧力をかけようとする国際社会の取り組みも阻止してしまうことが多いことにあります。ビルマ軍政は、憲法を制定し、2010年の総選挙への準備を整えるために軍政が発表した長期改革プラン「民主化のための7段階行程表」を掲げていますが、たとえば、中国はこれを支持しています。

ビルマ軍事政権を対象とした制裁措置についてヒューマン・ライツ・ウォッチはどのような立場をとっていますか。

「制裁措置は軍事政権に対して目に見える効果をまったくあげていないので解除されるべきだ」という考え方があります。これに対して、「政治的障害や技術的な問題があったため、制裁措置はこれまで一度も適切に実施されたことがなかった。したがって制裁措置を実施していない国や機関、企業に対して、制裁を行なうように働きかけをもっと強めるべきだ」という考え方があります。ここでの問題のひとつは、実際には制裁にもいろいろとあるので区別して論じるべきものなのに、制裁のあり方を十把一絡げで論じているところにあります。ヒューマン・ライツ・ウォッチでは、制裁対象を適切に選定した上で制裁措置を行うことが、人権状況を具体的に改善する上で効果的だという立場を強く打ち出しています。対象限定型制裁(個人制裁)には、武器の禁輸、個人への渡航禁止措置、個人や企業等への金融制裁、とくに深刻な問題のある企業や経済セクターに限定して適用する投資・通商面での制裁などが含まれます。こうした中でも、おそらく最も効果を挙げるのは、米国、EU、スイス、オーストラリアがビルマに対して行っている金融制裁措置でしょう。これを強化し、完全実施すべきです。他国もこの動きに続き、類似の措置を講じるべきです。とくに中国、ロシア、インド、東南アジア諸国など軍政と関係が深い国に対してこのことが言えます。ここに挙げた制裁措置は、ビルマ軍政幹部と、軍政の長期的な支配から利権を得ている政商を対象にするものです。対象限定型制裁は一般市民の生活を苦しめるものではありません。効果的に実施されれば、影響力を発揮することになるのです。

なぜヒューマン・ライツ・ウォッチは「ミャンマー」ではなく「ビルマ」を使うのですか。

ヒューマン・ライツ・ウォッチが同国をビルマと呼び続けています。これは1989年の英語国名の変更は、同国を非合法に支配する軍事政権が正統性なく行なったと考えているからです。「ミャンマー」は同国を差すビルマ語の単語の一つであり、国連や多くの政府がこれを用いています。しかし、ビルマに選挙に基づいた文民政権が樹立されて、国民が国名変更について意見を求められ、自由な議論が行われる時が来るまで、「ビルマ」を国名として使い続けることは、ビルマ国民への支持を表明する一つの方法だと私たちは考えています。

皆様のあたたかなご支援で、世界各地の人権を守る活動を続けることができます。