ビルマの人権状況は以前より大変劣悪だったが、2008年5月初頭に襲来したサイクロン「ナルギス」による大規模な被災により、状況はいっそう悪化した。現ビルマ軍事政権=国家平和発展評議会(SPDC)は、国際社会からの救援を妨害する一方、基本的な自由を否定する形で、憲法制定のための国民投票を強引に実施した。
現軍政は、市民が表現・結社・集会の自由といった基本的自由を享受することを一貫して否定している。また政治活動家や人権活動家の投獄を日常的に行っている。2008年には、政治囚の数は2,150人以上、昨年の約2倍となった。ビルマ国軍は民族紛争地域で一般人の権利を依然として侵害しており、超法規的殺害や強制労働、適正な手続きのない土地収容などの人権侵害行為も2008年を通して続いた。
サイクロン「ナルギス」
サイクロン「ナルギス」は、2008年5月2日夜から3日未明にかけて、イラワディ・デルタ地帯とビルマの最大の都市ラングーンを襲った。推計によれば約84,000人が死亡し、53,000人が行方不明となった。サイクロンにより、37郡区で240万人が、家を失ったか、食糧または医療の支援を必要とする状態となった。
軍政は国際社会からの緊急援助を厳しく管理しており、サイクロン直後の一刻を争う状況下であるにもかかわらず支援活動を妨害した事例もあった。また災害救援の専門家と支援要員にビザを発給せず、ビルマ国内での移動を妨害した。200万人を超す被災者に支援が行き渡るのには何週間もの時間がかかった。
5月下旬の潘基文(パン・ギムン)国連事務総長のビルマ訪問を受けて、国連と東南アジア諸国連合(ASEAN)、ビルマ軍政は、緊急支援の輸送と配付を調整するための多国間メカニズムである「合同調査会議」(TCG)を立ち上げた。ビルマ軍政は、その後一部の機関に対する規制を緩和して、ヘリコプターと船舶が自由に活動できる範囲を広げた。しかしサイクロン襲来の2カ月後でも、ビルマ軍政の妨害の結果、約700,000人が一切援助を受けとっていなかった。
国連機関と国際非政府組織(INGO)の中には、移動規制と活動への障害が続いていると報告するところもあれば、自由な移動と活動場所への自由なアクセスを認められたとするところもあった。ミャンマー赤十字(MRC)や連邦団結発展協会(USDA)などの政府系組織はイラワディ・デルタで広範囲に活動を行っているが、政府とは関係のない民間人の活動は当局による妨害や取り込みの対象となった。
サイクロン被災地では、ビルマ政府当局による土地の強制収用や強制労働、家を失った人々の強制移住があったことが報告されている。
憲法制定のための国民投票
ビルマ軍政は2008年2月に制憲国民投票を5月10日についに実施すると発表した。新憲法の条文は4月になってようやく公開されたが、配布は限定的なものにとどまった。国民投票の実施をいかなる形であれ「混乱」させた場合には3年の刑に処するとの新法が制定された。
新憲法は国軍による支配を確立し、独立した政党の役割を制限する内容。国軍司令官には議会両院の議席の4分の1ずつを軍人に指名する権限が与えられる。また大統領と2人の副大統領の指名について、国軍の深い関与が定められている。
サイクロンで甚大な被害が出たにもかかわらず、国民投票は5月10日にビルマ全土で行われた。なお被災した47郡区での投票は5月24日に延期された。この投票は、情報へのアクセスに対する厳しい制限、抑圧的な報道関係法令、表現・集会・結社の自由のほぼ完全な禁止、そして政治活動家に対する継続的で広範囲に渡る拘束という状況下で実施された。独立した国際監視団は存在せず、ビルマ内外のメディアは秘密裏に報道することしかできなかった。国民投票は、選挙人登録での不正、地域社会や投票所での投票の強要・脅迫のほか、各地で見られた投票箱のすり替えなど、当局側の不正行為にまみれた信頼性のないものだった。5月下旬にはビルマ軍政が全国投票率を98.12%とし、うち92.48%が当該憲法草案への賛成票だったと発表した。これに対して国際社会からは、国民投票は見せかけにすぎないとの広範な批判が起きた。なお国民投票の実施により、ビルマ軍政の唱える「民主化への7段階行程表」の4番目のステップが完了したことになる。軍政側は2010年度の複数政党制選挙の実施を掲げている。
人権活動家
政治活動家と人権活動家への脅迫は2008年に増加。政治囚の人数は、2008年後半には2007年中盤の1,100人から2,150人以上まで上昇した。 9月23日には囚人9,002人の釈放が発表されたものの、対象となった政治活動家は1989年から投獄されていたウィンティン氏(78)などわずか7人だけだった。他方で数日後に、ビルマ軍政は国民民主連盟(NLD)のメンバー5人が逮捕された。5月27日にNLD指導者アウンサンスーチー氏の自宅軟禁は1年間延長された。今回の軟禁はこれで6年目に入った。氏の健康状態は悪化しているとの報告があるが、軍政は、氏が外部から訪問を受けることも、外部との接触を行うことも許可していない。
10月と11月には、70人以上の政治活動家や仏教僧侶、尼僧、労働運動家、ジャーナリストに対する刑務所での秘密審理か、裁判所での非公開裁判が行われた。このうち多くに対し、2007年の民主化デモに関わったとして厳しい判決が出された。14人には65年の刑が宣告されている。「88世代学生」(88GS)グループの活動家は、在外政治団体との接触や非合法出版など22の罪状で起訴され、150年の刑を求刑された。活動家側の弁護士4人は、不公平な審理手続きに抗議するため、被告代理人を辞任しようとしたところ、法廷侮辱罪で投獄された。
ジャーナリストへの嫌がらせと逮捕は2008年も続いた。2月にはテッジン氏とセインウンアウン氏が、非暴力のデモ参加者に対するビルマ軍政の過酷な弾圧についての調査を行ったとして逮捕された。著名なブロガーのネーポンラッ氏は、11月に20年の刑を宣告された。
当局は著名な元政治囚数人を、サイクロン救援に関わったとして逮捕している。6月4日には、有名な喜劇俳優で反体制活動家のザガナ氏が逮捕された。氏は活動家仲間と共に作ったサイクロン被災者支援のネットワークを通じて援助物資を配付していた。氏は逮捕前に外国報道機関のインタビューでビルマ軍政の救援活動を批判していた。
子ども兵士
ビルマ政府は依然として子ども兵士を広範囲かつ組織的に強制採用している。非政府武装組織も子どもを採用し、紛争地域に配備している。
子どもと武力紛争に関する国連安全保障理事会の作業部会は、2008年にビルマに関する報告を初めて検討。ビルマ軍政は子ども兵士の使用を依然として削減できていないにもかかわらず、同作業部会は軍政の行動を促すための具体的措置を勧告しなかった。安保理のこうした不作為(その主要な原因は、中国政府がまともな対策を実施させまいとしてきたことにある)は、子ども兵士の採用と使用を繰り返す組織に対して武器禁輸などの対象限定制裁を真剣に検討するとした過去の安保理の公約をふまえると、ひときわ残念な結果となっている。
民族集団に対する暴力の継続
ビルマ国軍は、民族紛争地域、なかでもカレン州とシャン州で一般人への攻撃を続けている。強制労働、成人と未成年の女性への性暴力、超法規的処刑、拷問や暴行などの虐待行為や、土地や財産の没収が各地で発生している。2008年には、国軍の対ゲリラ戦の展開とインフラ整備事業のための治安作戦により、両州で民間人40,000人以上が、住んでいた土地を離れざるをえなくなった。
ビルマ東部では、推計45~50万人が国内避難民となっている。ビルマ軍と非政府武装組織の地雷敷設は広範囲にわたり、民間人が住む地域や食料生産が行われる場所の付近でも実施されている。これは国際人道法を明らかに侵害する行為である。
ビルマ西部アラカン州では、民族的少数者のロヒンギャ・ムスリムが、宗教的な迫害、強制移住、土地の没収、国籍の否定や身分証明書の発給拒否などの広範な人権侵害の被害をうけている。チン州とザガイン管区に住む民族的少数者のチン人は、ビルマ国軍による強制労働や暴行、性暴力、土地没収などの被害を受け続けている。この地域で凶作が発生し、民間人10万人に影響を与えたが、その救援活動をビルマ国軍が妨害したとの複数の報告がある。
難民と移住労働者
多数のビルマ難民と移住労働者が、バングラデシュ、インド、タイ、マレーシアやシンガポールへと渡り、現地で人権侵害や嫌がらせの被害に遭っている。約 14万人の難民がタイ・ビルマ国境の9カ所のキャンプで依然として生活している。2004年からこれまでに5万人以上が第三国(米国、カナダ、オーストラリア、ノルウェー)に移住した。
2008年7月に、タイ軍当局者はカレン人52人(子どもを含む)をビルマ側に強制送還する(ノン・ルフールマン原則に明確に違反する行為である)とともに、他の難民キャンプについても送還を行うと脅迫した。2007年12月に、タイ治安部隊はカレンニー難民キャンプ(サイト1)で男性一人を射殺したが、当局による捜査を今に至るまで妨害している。タイ軍の難民キャンプ監視係による難民女性への性暴力がいまだに数多く発生している。
主要な国際社会のアクター
イブラヒム・ガンバリ国連事務総長特別顧問(ビルマ担当)は、2008年に二回ビルマを訪問したが、ビルマ軍政を政治改革に着手させることができなかった。3月の訪問では、ビルマ当局者はガンバリ氏に意見し、公平な調停を目指す氏の努力を批判。国連安保理はビルマ政府との対話が遅々として進んでいないことに不満を表明し、ガンバリ氏に「具体的な進展」の実現を求めた。8月、アウンサンスーチーと軍政幹部はガンバリ氏との会談を拒否した。
ビルマの人権状況に関する国連特別報告者のトマス・オヘア・キンタナ氏は8月にビルマを5日間公式訪問した。キンタナ氏のスケジュールはビルマ軍政によって厳しく管理されていた。サイクロン被災地であるイラワディ・デルタの視察のほか、政府が選定した政治囚や、ビルマ軍政当局者、軍政支持の政党・民間団体との会談などがセットされた。氏は軍政に人権状況の改善を着手させることについて、注意深いながらも楽観的見方を表明した。
ASEANはサイクロン「ナルギス」後の外交の中心の一つとなった。スリン・ピツワン同事務局長は救援活動をまとめるためビルマを頻繁に訪れた。2007年の民主化運動への弾圧に対してASEANは当初批判的だったが、援助活動に焦点が移ると、そのトーンは弱まった。インドネシアはビルマ大使への信任状発給停止措置を解除し、シンガポールは国際会議でビルマ支持を表明し続けた。
サイクロン「ナルギス」後、国際社会は、国際援助と援助要員の被災地への受け入れを渋るビルマ政府に対して衝撃と怒りを表明し、フランス政府は「保護する責任」原則をかかげ、被災者救援のための国際的な介入を提唱した。欧州議会は決議の中で、サイクロン関係の援助活動が混乱したことを「強く非難」し、国民投票について「信じがたい」と言及した。そしてビルマ軍政がこれ以上援助活動を妨害すれば、人道に反する罪に該当し、同国が国際刑事裁判所に訴追されることになると直接警告した。
中国、ロシア、インド、タイ各政府は国際社会でビルマ軍政を一貫して支持しており、貿易・投資の主要な相手国である。ビルマの石油・天然ガス部門への対外投資は2008年に増加した。これは特に韓国の企業体が主導するビルマ沖合での大規模な天然ガス開発事業と、ビルマ・中国国境での陸上パイプライン建設計画によるところが大きい。天然ガスの売上高はビルマ軍政の収入の中でもっとも大きな部分を占める。
オーストラリアやカナダ、欧州連合、スイス、米国などはビルマへの対象限定制裁を継続している。7月に、米国は軍政幹部と政商への制裁措置を更新し、ビルマ国軍の持株会社と関連企業を対象に加えた。宝石禁輸も強化され、他国で加工された商品であってもビルマで採掘されたルビーと翡翠については輸入ができなくなった。8月に、ジョージ・ブッシュ大統領はタイに住む亡命反体制活動家と会見した。