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ビルマでは2010年に総選挙が予定されているが、同国の人権状況は2009年も引き続き悪化した。現政権・国家平和発展評議会(SPDC)は、国民が表現・結社・集会の自由などの基本的自由を享受することを組織的に拒否している。2,100人以上の政治囚がいまだ投獄されている。こうした事実と、政治的な動機に基づくアウンサンスーチー氏の逮捕と起訴(結果的に氏の自宅軟禁は1年半延長された)から明らかなのは、ビルマ政府指導部には、選挙プロセスをめぐって、真の意味で人びとが政治に参加することを許す気がないことだ。ビルマ国軍は、民族紛争地域での民間人に対する人権侵害行為(超法規的処刑、強制労働、性暴力など)をいまも続けている。

アウンサンスーチー氏の裁判

反体制派の政党・国民民主連盟(NLD)の指導者の一人のアウンサンスーチー氏は、2003年から自宅軟禁状態にある。ビルマ軍政は、2009年5月14日に、スーチー氏を(NLD党員である世話係2人と共に)逮捕。容疑は、米国人男性ジョン・イェトー氏に自宅侵入を許したことが自宅軟禁命令の条件違反にあたるというものだった。スーチー氏と2人の世話係はインセイン刑務所に移送された。そして5月18日には1975年の国家防御法違反容疑で訴追された。氏に対する自宅軟禁の延長命令を正当化するために、厳罰を伴う同法が用いられている。

裁判は3カ月も続いた。公判は度々延期され、公正な裁判に関する国際基準は存在していなかった。スーチー氏は弁護人を立てることを認められたが、裁判所は弁護人が申請した証人を全員は採用しなかった(検察側証人14人に対して弁護側は2人だけ)。裁判は非公開で行われ、外交官と報道機関がわずか数回の公判について傍聴を許可されただけだった。8月11日、スーチー氏の有罪が言渡され、3年の刑が言渡された。直後に内務大臣のマウンウー将軍がタンシュエ議長の書簡を読み上げ、スーチー氏と世話係2人への刑を1年6カ月の自宅軟禁に減刑すると発表した。裁判所はイェトー氏に対し、スーチー氏の自宅軟禁に関わる条件、ならびに入管法に違反したとして、懲役7年を宣告した。しかし判決から一週間後、ジム・ウェブ米上院議員の訪緬中にイェトー氏は人道的理由により釈放された。スーチー氏側は控訴したが、ラングーン管区裁判所は10月1日にこれを棄却した。

政治囚と人権活動家

2007年と2008年に逮捕された活動家たち(なかでも2007年の大衆的な抗議行動に関わった人たち)への判決は、秘密法廷での不当な審理によって行われた。2009 年にビルマ政府は2度恩赦を行い、2月と9月にそれぞれ6,313人と7,114人を釈放した。しかしそのうち政治囚は2月がわずか31人で、9月が推計130人程度だ。釈放されたのは、ジャーナリストで、2008年にサイクロン「ナルギス」の被災者救援活動に関わって逮捕されたエインカインウー氏や、雑誌編集者のテッジン氏などだ。今も推計2,100人の政治囚がビルマ国内での平和的な活動に関与したとして投獄されている。著名な政治囚には、元学生指導者のミンコーナイン氏や有名なお笑い芸人で社会活動家のザーガナ氏がいるが、こうした人びとは衛生状態の劣悪なへき地の刑務所に移送され今も投獄されたままとなっている。

他方で2009年にも人権活動家や活動家、NLD党員の逮捕が続いた。9月3日に当局は、米国籍を持つチョーゾールウィン氏がラングーンから入国したところを逮捕。氏は政治囚の権利のための国際キャンペーンで活発に活動しており、刑務所で拷問を受けたと伝えられる。赤十字国際委員会(ICRC)は、ビルマ国内の刑務所や拘禁施設に訪問する許可が依然として下りていない。

軍政に反対する活動を行った疑いがかけられている仏教僧や主要な修道院が全国に存在する。当局は僧侶が主導する抗議活動の再発を防ぐため、鋭い監視の目を光らせている。2007年の抗議運動に関わったとして、230人以上の僧侶が現在も投獄されたままとなっている。

民族紛争の発生地域、国内避難民、難民

ビルマ国軍は、民族紛争地域で、民間人への攻撃を続けている。なかでもビルマ東部と北部での紛争が最も悲惨である。2009年5月に、国軍本隊とその代理役を務める民主カレン仏教徒軍(DKBA)による攻撃で、民間人数千人が居住地を離れることを余儀なくされ、推計で約5,000人がタイに難民として流入した。7月後半にはビルマ国軍部隊がシャン州中部の39カ村を攻撃し、この地域で推計約1万人が国内避難民となった。

ビルマ軍政と、軍政との準公式の停戦合意を長年維持してきた推計20以上の武装民兵組織との緊張は、2009年に高まった。政府が民兵組織に対し、2010年選挙に先だって武装解除を行い、現在よりも小さな「国境警備隊」に衣替えするよう命じたからだ。政府は、2009年8月に、停戦合意を公式に結んでいるシャン州北部の民兵組織「ミャンマー民族民主連合軍」(MNDAA)を攻撃。その結果、コーカン人約37,000人と中国人の民間人が中国南部に避難を余儀なくされた。避難民の一部は帰還したが、更なる戦闘を恐れて、数千人が中国側に留まっている。

成人女性と少女への性暴力、超法規的処刑、強制労働、拷問、暴行、土地や財産の没収などが広範囲で発生している。ビルマ軍と非政府武装組織は、対人地雷の敷設、食料生産や民間人の生活手段に対する攻撃を引き続き行っている。これらは、明確に国際人道法に違反する行為である。

東部ビルマでは推計50万人の国内避難民が今も存在。タイ・ビルマ国境の9カ所の難民キャンプには、国際機関が、外国に対する大規模な再定住計画を実施しているにもかかわらず、いまも14万人の難民が生活している。チン州からの難民5万人以上がインド東部に残っており、ムスリム系であるロヒンギャ民族28,000人がバングラデシュの窮屈なキャンプで暮らしている。

何百万人ものビルマからの移住者や難民、亡命希望者が、タイやインド、バングラデシュ、マレーシアで生活しており、トラフィッキング(人身売買)の被害者となるケースも多い。ビルマ西部とバングラデシュに住む数千人のロヒンギャが、2008年後半と2009年前半にタイやマレーシア、インドネシアに向けて船を使った危険な洋上移動を行った。1月、タイ政府は、国際的な批判に反して、ロヒンギャが乗り込んだ多数の小型船を公海上に押し返した(タイの章も参照)。

子ども兵士

ビルマ軍政は、引き続き、子ども兵士を広範囲かつ組織的に強制採用している。6月、国連安全保障理事会の子どもと武力紛争に関する作業部会は、ビルマに関する報告書を発表。ビルマ政府に対して、子ども兵士の強制採用に関する責任追及を行わない慣例を改めるよう、一層の努力を求めた。ビルマ政府は、子ども兵士の採用を止めるために、表面的でほとんど効果のない政策を行っているだけだ。また子ども兵士を採用した指揮官に対する処罰をほとんど行っておらず、問題の全面的な解決からはほど遠い。国連ビルマ専門チームが国際労働機関(ILO)を経由して行う取り組みの結果、子ども兵士が若干解放されているが、ビルマ軍政はこれに部分的にしか関与していない。DKBAなどの非政府武装組織は、 2009年、子ども兵士の強制的な採用・使用を増やした。

人道上の懸念事項

2008 年5月のサイクロン「ナルギス」で被災したイラワジデルタ地域での人道支援活動の結果、ビルマ人による国際的または私的な救援組織が自由に活動できる余地が広がっている。だが、表現の自由や情報の自由、集会や移動に関わる基本的な自由は現在も認められていないか、制限されている。私的なビルマ人救援団体が急増してはいるが、政府の統制をうまく切り抜けなければならない状態は変わらず、そのほとんどが秘密裏に活動している。ビルマ政府は、ビルマに滞在する外国人の援助要員の一部に対して、労働ビザの発給を遅延または拒否した。国際社会の人道支援は増加したが、軍政の事業規模はそれに見合ったものではない。政府は天然ガスの売却により年間数十億ドル(数千億円)を手にしているが、その収入は、緊急性の高い保健衛生や生活支援に関わる事業に対してほとんど用いられていない。

ビルマ国内の一部地域には今もなお、人道援助団体が入ることができないか、移動やプロジェクトのモニタリングに厳しい制限が加えられている。たとえば、西部のアラカン(ヤカイン)州や東部の紛争地域がこれに該当する。こうした地域の状況、なかでもロヒンギャ民族が生活する地域の状況は、ビルマで活動する国際機関にとって深刻な人権上の課題となっている。

国際社会の主要アクター

米国、欧州連合(EU)、オーストラリア、東南アジア諸国連合(ASEAN)など、ビルマに関する国際社会の主要アクターは、スーチー氏への裁判を厳しく批判し、氏を即時釈放するよう求めた。6月16日に、国連人権理事会が任命する5人の特別報告者は、この裁判が内容と手続の両面でそれらに関わる権利を侵害しているとの共同声明を発表。8月には、EUは一連の対象限定型措置を行い、資産凍結の対象を拡大して、ビルマ軍政の構成員が所有または管理する企業、司法関係者も含めた。司法関係者についてはEUの渡航禁止対象者リストに追加された。

潘基文国連事務総長は7月にビルマを訪問し、軍政幹部と会談。だが度重なる要請にもかかわらず、アウンサンスーチー宅への訪問は許可されなかった。潘事務総長はビルマ政府に対する三つの要求として、政治囚を即時釈放すること、軍政とスーチー氏側との包括的な対話を行うこと、2010年に予定される総選挙を「包括的で参加型とし、かつ透明性を確保した状態で」実施することを挙げた。潘事務総長はビルマ訪問の終わりにラングーン市内で発言し、ビルマの人権状況を憂慮するともに、軍政に対して、真の政治的変化と人道面での状況改善を求めて国連および国際社会と協力するよう求めた。

ビルマに関する国連事務総長特別顧問のイブラヒム・ガンバリ氏は、2009年に3回ビルマを訪れ、軍政高官と会見した。9月には、ニューヨークで国連総会が開催されている期間中に「ビルマの友人グループ」が会合を行い、ビルマ政府に対して、実質的な変化を作り出すため国連と協力するよう重ねて求めた。中国は、10月の安全保障理事会でのビルマ問題の公式議題化を阻止した。

ビルマの人権状況に関する国連特別報告者トマス・オヘア・キンタナ氏は2月、ビルマに5日間滞在した。氏に許可されたのは、ラングーンとカレン州パアンで、ビルマ政府が事前に選んだ政治囚との面会のほか、官僚、政府系民間団体の代表、合法的に登録された政党の党員との会見だった。2009年中にあと2回の訪問を申し入れていたものの実施は延期された。キンタナ氏は8月に国連総会に提出した報告書で、ビルマ軍政に対し「(ビルマ国内で)報告されている広範で組織的な人権侵害行為に関して、アカウンタビリティと責任を果たすために迅速な措置をとること」を求めた。

2 月に、ヒラリー・クリントン米国務長官は、政府として米国の対ビルマ政策を再点検すると発表した。その結果は10月に発表され、米国は貿易と投資の制裁及び(対象を限定した)金融制裁を継続するとともに、ビルマ政府との高レベルでの外交的接触を新たに行うとした(なおウェッブ上院議員は8月にビルマを訪問し、軍政幹部と会談したが、これは明らかに個人的な仲介努力だった。訪問を終えたウェッブ議員は、国際社会のアクターに対して制裁措置を見直し、ビルマ政府と交渉するよう求めた)。11月に、カート・キャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)ら米国当局者がビルマを訪問し、軍政幹部及びスーチー氏と会談したが、これは過去15年間で最も高レベルの接触だった。バラク・オバマ米大統領は11月の米・ASEAN首脳会談で、ビルマ以外のASEAN10カ国首脳が同席する中、ビルマのテインセイン首相と会談した。ビルマと米国の首脳が会談したのは数十年ぶりのことだった。

ASEANは2009年にビルマ政府を何度か批判し、スーチー氏の釈放を求めた。なかでもASEAN議長国のタイ政府が5月後半に発表した声明は強い調子のものだった。スリン・ピツワンASEAN事務局長は、サイクロン後の援助を支援する「三者コア・グループ」(TCG)を再開し、政治改革についてビルマ政府に関与する必要性を繰り返し説いた。だがASEAN加盟国のシンガポールとベトナム、ラオスは、国際社会に対してビルマを引き続き擁護した。中国とロシアもビルマ政府に対する外交面での支援を継続した。

中国、タイ、インドはビルマにとって主要な貿易と投資の相手国となっている。3月には中国政府当局者が、ビルマ西部から中国に天然ガスを輸送するパイプライン建設に関するビルマとの合意を確認した。天然ガスの売却は依然としてビルマ政府の最大の歳入源である。今回のプロジェクト(2013年に完成予定)では軍政にさらに多額の収入がもたらされる。コーカン人による中国国境での戦闘が起きた際、中国はただちに異例の批判を行った。しかしそこではビルマ政府が「現地に住む中国国民の権利と利益を侵害した」と述べただけだった。

2009 年には、ビルマでの戦争犯罪と人道に対する罪に関する調査、ならびに国連による武器禁輸措置の実施を求める国際社会の声が高まった。だがどの国もこれらの問題に関する国連でのイニシアチブをリードするには至っていない。とはいえ、子ども兵士の使用に関して、ビルマ政府により強い措置を講ずるべきだとの意見はある。中国とロシア、北朝鮮は依然としてビルマ政府に武器を売却している。