ベトナム政府は、表現の自由、結社の自由、平和的な集会の自由を組織的に弾圧している。政府の政策に疑問を呈したり、役人の汚職を暴いたり、一党支配に対し民主的な代案を求める独立したライター、ブロガー、人権活動家などが、警察の嫌がらせやプライバシー侵害の監視にさらされている。更に、弁護士へのアクセスを許されないまま長期間隔離拘禁されたり、あいまいな内容の治安関係容疑で長期間にわたり投獄される傾向がさらに顕著になってきている。
警察は、自白を獲得するため、容疑者を頻繁に拷問している。強制立退や土地収用に反対する市民の抗議運動を、警察が過度な暴力で弾圧するケースも見られた。2011年にハノイ市とホーチミン市で起きた反中国デモは強制解散させられ、参加者は脅迫や嫌がらせを受けたり、数日間拘束されたりした。
2011年1月の第11回ベトナム共産党大会と5月の(官製)議会選挙により、共産党と政府の今後5年の指導層が決定された。両期間中、同国の根深い人権問題を改善するという真摯な姿勢はまったく見られなかった。公安省ほか強硬派の強い支持を受けたグエン・タン・ズン首相は、7月に政権2期目に入った。
反体制派の弾圧
2011年中は政治裁判と逮捕が多発した。これは、ベトナム政府が民主運動「アラブの春」のアジア到来を懸念するなどしたことから、弾圧に拍車がかかったとみられる。
2011年初めから10カ月間で、少なくとも24人の人権活動家が投獄された。1人を除く全員が、「反政府プロパガンダ」(刑法第88条)容疑か、「国家統一毀損」(刑法第87条)容疑、あるいは「政権転覆」(刑法第77条)容疑で有罪判決を受けている。こうした定義の曖昧な条項が、過去10年間に何百人もの非暴力活動家を投獄するために適用されている。更に2011年中に、少なくとも27人の政治活動家・宗教家が逮捕された。ディウ・カイ(Dieu Cay)のペンネームで知られるブロガー、グエン・バン・ハイ(Nguyen Van Hai)は2010年10月以来隔離拘禁されており、ほか2人のオンライン・ライター、グエン・バー・ダン(Nguyen Ba Dang)とファン・タィン・ハイ(Phan Thanh Hai)も2010年以来、裁判なきまま拘禁され続けている。
2011年4月には、全国の注目を浴びていた著名な弁護士のクー・フイ・ハー・ブー博士が反政府プロパガンダ罪で有罪となり、7年の刑を言い渡された。その後判決は、控訴審でも維持された。
5月にベンチェ省人民法廷は、キリスト教メノナイト派牧師ズォン・キム・カイ(Duong Kim Khai)とホアハオ教徒トラン・ティ・トゥイ(Tran Thi Thuy)など、非暴力的な「土地所有権」活動家7人に政権転覆容疑で有罪判決を下し、長期刑を言い渡した。
当局はインターネット上で政府を批判した人びとへの嫌がらせや尋問を続けており、拘禁されたり投獄されたりした人もいる。2011年1月、人権活動ブロガーのホー・ティ・ビック・クゥォン(Ho Thi Bich Khuong)が逮捕された。5月には民主活動家のグェン・キム・ニャン(Nguyen Kim Nhan)が、反政府プロパガンダ容疑で逮捕されたが、これは同様の容疑で服役・釈放されてから5カ月後のことだった。8月にはブロガーのルー・バン・バイ(Lu Van Bay)がインターネット上に民主主義を求める記事を掲載したため、4年の刑を言い渡されている。同じく8月にはブロガーのファム・ミン・ホアン(Pham Minh Hoang)も政権転覆罪の容疑で3年の刑に処された。
少数民族活動家もまた逮捕と投獄に直面している。1月にランソン省裁判所は、タイ族のブロガー、ヴィー・ドゥック・ホイ(Vi Duc Hoi)に反政府プロパガンダ罪で8年の刑を科し、4月の控訴審で5年に減刑した。3月にはアンジャン省で、少数民族クメール・クロム族団体の構成員で土地所有権活動家のチャウ・ヘン(Chau Heng)が、器物損壊と公共秩序かく乱罪で、2年の刑に処された。ザライ省人民法廷は4月、山岳民族のプロテスタント信者8人に「統一政策の妨害」を違法とする刑法第87条違反で、それぞれ8年〜12年の刑を言い渡している。
表現・集会・情報の自由
ベトナム政府は、独立系あるいは民間の国内メディアを認めず、報道機関とインターネットを厳しく規制。ベトナムの著者、出版物、ウェブサイト、インターネット利用者のうち、反政府的文書を掲載したり、国家安全の脅威と見られたり、国家機密を暴露したり、「反動」的とみなされると刑法が適用される。政府は政治的に敏感な問題を扱うウェブサイトへのアクセスを遮断し、インターネットカフェのオーナーには、利用者のオンライン上の活動を監視・保存するよう義務づけている。また、独立系ブロガーやオンライン上で政府を批判する人びとには嫌がらせや圧力を加えている。
8月にハノイ市で行われた反中国デモは強制的に解散させられた。中国大使館付近とホアンキエム湖周辺を平和的に行進したデモ参加者たちは、脅しや嫌がらせ、逮捕などにさらされた。新聞やテレビ局などの政府報道機関は、デモ参加者の否定的なイメージを流し続け、「反動主義者」のレッテルを貼った。
宗教の自由
ベトナム政府は宗教的行為を、法律や登録義務、嫌がらせ、監視を通じて規制。宗教団体は政府登録を強いられ、政府運営の管理機関の下での活動を義務づけられている。政府は、多くの政府系の教会や寺院に礼拝を認める一方で、「国益に反する」「国家統一を損なう」「治安さく乱を引き起こす」「分裂の種となる」などと恣意的にみなした宗教活動の一切を禁じている。
地方警察は、未認可のホアハオ教団体が創始者フイン・フー・ソーの命日に法事を営むのを禁じ続けている。5月と8月の仏教徒のお祭りの際、ダナン市警察はザックミン(Giac Minh)寺とアンクー(An Cu)寺へのアクセスを遮断、信徒を脅迫した。両寺院とも未認可のベトナム統一仏教教会に加盟している。
プロテスタント教会のグェン・チュォン・トン(Nguyen Trung Ton)牧師は、1月に逮捕されたが容疑は不明だ。カトリックの一宗派ハ・モン信徒活動家の山岳民族3人(ブレイBlei、フォイPhoi、ディンプセDinh Pset)は3月に逮捕されている。カオダイ教活動家2人(グェン・バン・リアNguyen Van Liaとトラン・ホアイ・アンTran Hoai An)は4月と7月に逮捕された。4月にはまたプロテスタント教会のグェン・コン・チン(Nguyen Cong Chinh)牧師が逮捕され、「国家統一毀損」容疑で起訴されている。また、ブロガーのレー・バン・ソン(Le Van Son)とター・フォン・タン(Ta Phong Tan)を含む、ハノイ市とホーチミン市のレデンプトール会所属のカトリック教徒少なくとも15人が7月、8月、9月に逮捕されている。
7月に著名な宗教指導者で民主活動家でもあるグェン・バン・リー(Nguyen Van Ly)神父が、健康上の理由による約16カ月の仮釈放/自宅軟禁の後、刑務所に再拘禁された。リー神父は以前に刑務所内で脳梗塞を起こしたために部分麻痺を患っており、その健康状態が深刻に懸念される。
刑事司法制度
警察による拷問がベトナム全域で報告されている。時には、暴行の結果死に至ることもある。2011年初めの10カ月間で少なくとも13人が、警察の拘禁下で死亡した。
政治的・宗教的な理由で拘禁されている人びとや敏感とされる事件の被疑者は、取り調べの際に拷問されたり、裁判に先立って隔離拘禁され、家族との面会や弁護士との接見も許されないことも多い。ベトナムの裁判所は政府とベトナム共産党の厳しい支配下にあり、独立性と公平性に欠ける。政治的・宗教的反体制派の人びとは、多くの場合、法的手続の過程で法律専門家のサポートもなく裁判にかけられるが、これは公正な裁判に関する国際基準に満たない。政治的に敏感な事件を引き受ける弁護士も、脅迫、嫌がらせ、弁護士資格はく奪、投獄に直面している。
ベトナムの法律は、裁判なしの恣意的な「行政拘禁」を認め続けている。第44法令(2002年)と第76制令(2003年)の下、反体制派や国家安全や公共秩序の脅威とみなされた個人は非暴力の活動家であっても、強制的に精神病院に入院させられたり、自宅軟禁されたり、政府の「リハビリ/再教育」センターに拘禁される可能性がある。
非合法の薬物に依存する人びとは、政府の収容センターに拘禁されることがあり、そこでベトナムの薬物依存治療の主流である「労働療法」を受けることになる。2011年初めの時点で全国に123カ所の収容センターがあり、最年少で12歳の子どもを含むおよそ4万人が収容されていた。こうした拘禁はいかなる形式の適正手続や司法審査の対象にもなっておらず、通常4年間程度は続く。労働義務などの収容センター規則に違反すれば、警棒や電気棒で暴行され、食糧や水も与えられないまま懲戒房に監禁されてしまう。カシューナッツの加工作業や、ジャガイモ、コーヒー豆栽培などの農作業、建設作業、衣類縫製作業や竹、籐(とう)を使った製品製造などの強制労働の実態について、元被拘禁者たちが証言している。ベトナムの法律により、こうした収容センターの製品を扱う企業は税金控除を受けられる。強制労働の結果生産された製品の一部は、米国や欧州などの海外で商品を販売している企業の物流システムに乗って流通している。
海外の主要アクター
ベトナムと中国の関係は複雑であり、国内政策、外交政策の両局面で主要な位置を占めている。ベトナム政府は、多くの活動家や一部の退役軍人により、国粋主義的理由から増々批判されるようになった。これらの活動家たちは、南沙諸島および西沙諸島をめぐる領有権争いで、攻撃的な中国政府と比較してベトナム政府が弱腰だとして、政府批判を強めている。2011年、政府は高まる批判の声を消すのに躍起だった。
国際的には、中国の影響力を相殺すべく、米国・インド・日本、そして隣国であるASEAN加盟国との協力関係を強めている。
日本は対ベトナムで最大の二国間援助国として非常に大きな影響力を持つにもかかわらず、悪化を続けるベトナムの人権状況について、公の場での発言を控え続けている。
ベトナムと米国の関係は親密化し続けている。9月にはニューヨーク市に新たなベトナム領事館が開設され、ホーチミン市の米国領事館もアメリカン・センター開設により拡張された。米国とベトナムは、多国間自由貿易協定TPPへの参加に向け現在交渉中の国の一角でもある。
2010年にベトナムを訪問した国連の独立専門家らが、1月と5月に調査結果を発表。人権および極度の貧困に関する国連特別報告者は、大方において前向きな報告書を発表する一方で、拷問等禁止条約(拷問及び他の残虐、非人道的なまたは品位を傷つける取り扱いに関する条約)を含む主要な人権条約を批准し、施行するよう強くベトナム政府に求めた。マイノリティーに関する国連特別報告者の発表した報告書はより批判的であり、ベトナムの若干の前進は認めながらも、宗教の自由に対する潜在的否定と、その他の市民的権利に対する重大な侵害について懸念を表明した。同報告者はまた、ベトナム訪問の際、政府の公的立場に一致する側面以外の全体像把握を妨げる障害があったと、鋭く指摘した。